浅間日記

2008年03月23日(日) 奉納精神

ラジオで、大相撲春場所千秋楽の模様。
朝青龍が変な大阪弁で何か叫んでいる。

品がねえなあとH。
これじゃプロレスだ、と。

続いて、売名目的の芸能知事が土俵でアピール。



今の大相撲がどうにも滅茶苦茶なのは、
奉納の精神を失ってしまったからだと思っている。

横綱の人格が問われるのも、伝統行事としての格式も、全力で取り組みをすることも、
祈りを込めて「人間以外の何者か」へお見せするものだからこそ、であった。

そういう祈りを失った現代の大相撲に、人々は精神性を求めない。
興行として面白ければいいのである。
形式や伝統は見世物と化し、力士の人格など、何をかいわんや、である。




神様へ品物ではなく行為を納める-奉納行事-というのは、面白いなと思う。
なんだか、ご機嫌取りみたいな感じもする。

あるいは「これは神様用」という建前にして、
お下がりの芸術文化を楽しむための言い訳かもしれない。

それはどうあれ、奉納の中には祈りが込められている。
生きていることのままならさを、何者かに託すための寄進行為なのである。



ままならぬことは今も昔も存在する。

けれども、金やイノベーションで何でもできると信じ込まされている現代社会だから、
ひとたび解決できないとなると、私たちはすぐに絶望してしまう。
生のままならさと共存するのが下手っぴなのである。

2006年03月23日(木) 春の門前に子鬼
2005年03月23日(水) 自分アーカイブ
2004年03月23日(火) 頼むから静かにしてくれ


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