ラジオで、大相撲春場所千秋楽の模様。 朝青龍が変な大阪弁で何か叫んでいる。
品がねえなあとH。 これじゃプロレスだ、と。
続いて、売名目的の芸能知事が土俵でアピール。
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今の大相撲がどうにも滅茶苦茶なのは、 奉納の精神を失ってしまったからだと思っている。
横綱の人格が問われるのも、伝統行事としての格式も、全力で取り組みをすることも、 祈りを込めて「人間以外の何者か」へお見せするものだからこそ、であった。
そういう祈りを失った現代の大相撲に、人々は精神性を求めない。 興行として面白ければいいのである。 形式や伝統は見世物と化し、力士の人格など、何をかいわんや、である。
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神様へ品物ではなく行為を納める-奉納行事-というのは、面白いなと思う。 なんだか、ご機嫌取りみたいな感じもする。
あるいは「これは神様用」という建前にして、 お下がりの芸術文化を楽しむための言い訳かもしれない。
それはどうあれ、奉納の中には祈りが込められている。 生きていることのままならさを、何者かに託すための寄進行為なのである。
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ままならぬことは今も昔も存在する。
けれども、金やイノベーションで何でもできると信じ込まされている現代社会だから、 ひとたび解決できないとなると、私たちはすぐに絶望してしまう。 生のままならさと共存するのが下手っぴなのである。
2006年03月23日(木) 春の門前に子鬼 2005年03月23日(水) 自分アーカイブ 2004年03月23日(火) 頼むから静かにしてくれ
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