生活協同組合について、評論家の内橋勝人氏のラジオ解説。もう数日前のこと。
餃子問題ですっかり信用を落とした生活協同組合であるが、 元々は、食の安全をまじめに考えていた消費者の団体なのだそうである。
生活協同組合は自分としても個人的な関わりと思い入れがある、と断った上で、 内橋氏は、ではなぜそのような意識の高い消費者団体が、健康被害をもたらす食品の流通に関わってしまったのかについてレポートしていた。
それは、1995年時の運営方針の転換にあるという。 生活協同組合の運営方針に、「安価な商品の提供」というこれまでになかった視点が加えられたのである。
その背景には、低所得者層−年収350万円以下と言っていた−の出資者が増えたことがあげられる。安さへのニーズを無視できなくなったのである。
そこで、国内から海外生産への切り替え、材料の調達方法の変更など、 色々なコスト削減策が図られ、中国工場でつくられた餃子も買うようになった、 というわけである。
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内橋氏は、そもそもそのような「海外で安く」という考え方が、 生活協同組合の精神に反すると指摘する。
海外であれ、国内であれ、妥当な価格で妥当な商品を購入し、 生産者の生業を支え、消費者として主張をし、 信頼関係を築く努力を放棄してはいけないと熱を込めて言っていた。
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餃子も食べたい。春巻きも食べたい。 何だかわからない横文字の料理も口にしたい。 できれば手のかからない調理方法で食卓に運びたい。
家計支出は多様で、食費にはこれだけしか割くことはできない。 その中で、より多くの皿を食卓に並べ、家族を喜ばせたい。
仕事に忙しく、食事に加工済み調理品は欠くことができない。 安全なのは当たり前だし、簡単で便利なのはよいことだ。
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安価な−安易な−食品に対するニーズは存在する。 内橋氏によるとそれは、低所得者層のニーズとしてある。 食育は結構であるが、教科書どおりにはいかない。
安価であることは時に、安全に優先して、市場を動かす。 安価な商品は、ニーズと事業戦略との相互作用でさらに進化する。 その代償として、これから先も第二、第三の餃子事件は起こるだろう。
氏素性のわからぬ者がつくった物を口にするということは、 どんなに規制や検査を厳しくしたとしても、そのリスクから逃れられない。
それでも構わぬという向きはまあよいとして、 また、そんな危ないものを食べるぐらいなら白米にごま塩で十分、という 我が家のような高楊枝系の貧乏所帯も抜きにして、
低所得者層が、その経済的事情から否応なしに食品リスクにさらされることは、 国として貧しいことではないだろうか。 日本人は食い詰めていて、飢えてこそいないかもしれないけれど、 まともな食品を口にできる人と、そうでない人がいるのである。
2007年03月04日(日) 2005年03月04日(金) 大人の時間 2004年03月04日(木) 国民給餌法
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