2007年06月25日(月) |
怒れるみみずくは友情をもたない |
子ども向けの芝居に連れて行く。
恐ろしく孤独なみみずくが人の良い蛙を捕らえたが、仲良くなって食べるのをやめた、という話。
私は話し半ばでなんだか嫌になってしまい、 そして、それが嫌である理由について考えるのも嫌になってしまい、 仕方がないから、ひたすら「TOEIC試験の結果と今後の対策」について考えることに決めて、 もうほとんど下を向いていた。
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しかしやはり、ここでは考えを整理しておかねばならない。
私が嫌だったことのひとつは、動物の生態の安っぽい擬人化だと思う。 みみずくは蛙を捕食する。そうしなければ生きていかれないからだ。 そして子どもは、その偽りの無い真実を、ちゃんと理解する力がある。
もう一つ嫌だったことは、この脚本の考える「救済」に力がないこと。 残念ながらそれは30年前のものであり、現代の子ども達に適用できない。
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かつて、イラクで人質にとられた青年が殺されるという、痛ましい出来事が起きた時、その時の映像が流出して騒ぎになった。 首を切られるという衝撃的な映像を、小学生でも簡単に目にすることができた。
怒れるみみずくは、にわか作りの友情などで恩赦されるものではないという現実を、 今の時代の子どもはもう知っている。ただ口にしないだけだ。
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子どもというのは未来そのものである。 だから、大人が「子どもによいものを」と思うのならば、 未来への可能性について、全知全能を働かせて考えるべきだ。
このひどい現実の中で、 どういう方向から物事をとらえれば、前向きに生きていける可能性があるのか。
大人の集団が、考える難しさや苦しさを放棄し手軽な楽しさを追いかけている−自分のために−感じが、きっと私は嫌だったのだ。
「真心が心を溶かしあうことがある」ということを子どもに教えるならば、 家でヴァルトビューネのDVDでも見ていた方がよほどいい。
2006年06月25日(日) 未遂事件 2004年06月25日(金) メニューに食べたいものがない食堂
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