「教育に国家介入許すな」と題した、高村薫氏の記事。 書きとどめておきたいことは、二点。
もともと教育基本法というのは、国民の権利を保障する中身ではないのか? と腑に落ちなかったことを、氏も、次のように指摘している。これが一点。
「現行法では公正公平な教育を実現するための制度の確立が目指されているのに対して、改正案はまさに教育の中身が明示されているのである。」
* 二つ目は、教育基本法改正案をめぐる政治家の悲願というものについて。
高村氏は、教育基本法改正案は、自民党結党から続いていた憲法改正論議と一つになった悲願である、という。
その「積年の悲願を達成したい政治家たちの、もはや怨念に近い深謀遠慮のなせる業」と高村氏が指摘するからくりが、義務教育費との関係性である。
これはつまり、教育振興基本計画という財源確保のしくみと、 教育基本法改正案が抱き合わせになっているということである。
高村氏は、このことから「義務教育の空洞化を阻止したければ、愛国心の法制化を受け入れよ」という政治家のメッセージが読み取れる、という。
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世の中、法律と金である。そしてそれをどうするかは、人の意思である。
長々と書かれる条文の背後には、良くも悪くも、 あの政治家やこの政治家の−つまり特定される誰かの− 極めて人間的な心の動きや、自己実現への欲望が潜んでいる。必ず。
だから、今回の国会で教育基本法改正案が継続審議となったことは、 これは、私にとって「未遂事件」に該当するのだ。 政治家の悲願の成就のために、自分の子どもを差し出せるわけがない。
「もはや怨念に近い深謀遠慮」は、立法府に存在する。 高村薫という優れた推理作家から、つくづく教えられた。
2004年06月25日(金) メニューに食べたいものがない食堂
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