2004年06月25日(金) |
メニューに食べたいものがない食堂 |
参議院議員選挙に向けた話題が増えてくる。
「選挙区選挙」として実施される参議院では、 都道府県で○人という議席配分がなされている。
現行制度では、この議席配分が人口比率に対応していないため、 1票の重みに格差ができてしまう。 2001年の参院選では、東京都と鳥取県での格差は1:5.06であるそうだ。
このことは、憲法のいう「法の下の平等」に違反する可能性がある、 といわれているらしい。 経済同友会のサイトで詳しく説明されている。
もう少し具体的な不公平感を想像すれば、 都市部の有権者の意見が反映されにくい構造、ということだろう。
もしくは、「落選した自分より得票数が少ないのに、 議員バッジをつけて永田町を闊歩している人がいる」、 というセンセイの不満もあるのだろうか。
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選挙区選挙というのは、レストランのプリフィクスメニュー、 和風に言えば日替わり定食のようなものだから、 食べたくないものが含まれている場合があるし、 食べたいものが含まれていない場合がある。 つまり、完全なる選択は望めない、という訳である。
正直な話、所詮プリフィクスメニューで、 1票の格差も何もないんじゃないのか、と思う。
新鮮な魚が食べたければ、北海道から九州、沖縄まで ネットでベストな産地を選び、翌日には採れたてが届く時代だ。
国会議員だって、環境問題やイラク問題、年金など、 国民が共有している問題に対しベストな国策が実現できる人を、 全国の候補者のなかから選びたい。 それが国政選挙に対する国民のモチベーションだと思う。
なのに、オールジャパンでの選択の自由がない選挙区選挙というものは、 峠ひとつ超えれば言葉も習慣も異なる他国であった時代の、 過去の遺物としか言いようがない。
有権者になって間もない20代の若者達の多くは、 「オラ方の○○センセイをぜひ中央へ」などとは 絶対に志向しない。
投票率が下がるのも、当たり前なんである。
しかし投票は国民の義務であり、 選挙制度には不満と疑問があるけれど、 メニューに食べたいものがないレストランを避けるように 選挙に市場の論理を働かせては、自分の首をしめるだけだ。
投票日まで、自分に言い聞かせなければならない。
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