浅間日記

2007年05月16日(水) 苦を救う その1

音楽考は、もう少し続く。
そうとう脱線する長い話。



生きていくことは孤独で苦しい。
人生の「生老病死」は、逃れられない苦しみである。

「苦を救う」とは従来、その苦しみへの向き合い方や、
身の処し方を示唆するものであった。

苦を救うとは、苦しみを消滅させることではなかった。
少なくとも、それだけではなかった。

むしろ、「それは解決不能」と引導を渡すところから、
本当の救いが始まったのである。

だから、芸術の存在理由も明確だった。
苦しみは解決不能であるからこそ、それは魂に届く光を放つことができた。

一方、現代社会で「苦を救う」というのは、
その苦しみをちゃらにすることを意味する。

その結果、私達はいくらか−否、相当に−解放された。
リスクは減り、面倒はスルーすることができる。
手間もかからない。リセットも可能。

私達には、覚悟と決意をすることや、
苦しみに向き合う知恵や体力が必要なくなった。

同時に、苦しみに向き合うことで身につけてきた
許す、受け入れる、待つという態度も、することが困難になった。

子どもを育てられないという現象は、
育児というものが如何に、
許す、受け入れる、待つという態度で構成されているかを皮肉にも示している。

熊本に設置された通称「赤ちゃんポスト」は、
−色々な考えがあるにせよ−
子どもを育てる苦しみをちゃらにできるもの−サービス−である。

現代版「苦しみを救う」挑戦は、かくして、
行きつくところまで行き着いたのである。

つづく。

2006年05月16日(火) 天変地異・狂気
2005年05月16日(月) フリーランス時短


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