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■ クリスマス 日差しさす居間 静かです 夕べの喧噪 はていずこ
クリスマスイブが賑やかなのに、未だに違和感があります。 ミッションスクール育ちの弊害ですかね、ミサなど行かないのに。
そういえば先日テレビを見ていたら「クリスマスイブとは12月24日のことではない」という話がありました。 うん、だよね〜、という気分です。 子どものころ読んだ「やかまし村の子どもたち」という児童書で、クリスマス行事の描写があって、それが原点になっているもので、イブ=クリスマス当日に続く夜の特別な行事(夜=深夜ではなく子どもも参加できる時間帯のミサとか)と思っていました。
だいたいカトリックにおけるクリスマスの逸話というのは、東方の三賢人にしろ厩での出産にしろ、夜の話。現代の暦に直した場合、24日の夜なのか、午前零時を過ぎた25日のことなのか、となってしまうのです。 子ども心に、夜、三賢人が星の導きによって厩を訪れ、キリスト誕生を祝うのだとしたら、それは24日の夜から明けて25日にかけてのことだろう、と理解していました。
そして、ユダヤ教時代の暦が「日没をもって日付の変り目とする」だったから、クリスマスイブというのは、前日ではなくて、まさにクリスマス当日(今の暦でいえば24日の日没後)。 というのを、この年にして初めてテレビで知りました。ただなんとなく、24日の夜から25日にかけてキリスト誕生、と子どものころから思っていたので認識として正しいと言えば正しいのですが、理屈までは知らなかったのです。ほぉ、そうだったのか。
だからなのか、今でもイブには身を慎もうと思います。まあ、本気でクリスマスを迎える心構えをするならば、前日どころか4週間も前から準備しなくてはならないのですが。 気は心、というか、祈りの心をもって、というか。新年を迎えるのと、似たような心情なのでしょうか。 で、明けて25日の朝になると、なんとなくウキウキします。単純です。
今年、平成最後のクリスマスは、天皇誕生日と週末が重なり、イブが祝日、当日が週明けとなりました。日本ももう、24日25日は休日にしてしまえばいいのに。そうしたら、きっと経済効果もバッチリだぜ(ほんとか? バブル期ほどではないにしても、クリスマス商機というのはあるでしょうから、きっと)。
最近、甘えたぶりが加速している練ちゃんは、午前中いっぱい、膝の上からどいてくれず、寝たり毛づくろいをしたり、たまにご飯を食べに膝から降り、その隙に私がトイレに行くなどして所定の位置にいないと怒り、抱っこされてはご満悦。明るい日差しを眺めながら、無為の午前中を過ごしました。
昼過ぎにやっと解放され、「ああ、数の子の塩抜きしなくちゃ」と呟いています。
そうです。絶対に絶対に絶対に、股関節の手術をした後の今年こそ、おせちは作るまいと固く固く固く、それはもう固く心に誓ったはずなのに、なぜか先週、リハビリから帰宅したら、数の子とお正月にしか使わない金時人参が……あっれ〜おかしいなぁ。しかもなぜか、昨日届いた宅急便からは里いもが転がり出て(某フレッシュ便、高いけど便利、とか笑ってる場合じゃない)。
ああ、いやだ。 もう見えてます、数の子の塩抜きをしたら、自動的に紅白なますを作って、絶対に余った人参と里いもと買い置きの干ししいたけで煮物をつくるはず。
先々週だったか、リュウの年末年始の帰省の相談をしていたときに「今年は、頼んだ出来合いのおせちだけだからね」と言ったら「うん。前にも聞いた。でも煮物ぐらいは出てきそう」と笑われたのですが、言霊? 言霊だったのか? ええい、悪霊退散、とぶつぶつ言いながら、数の子の塩抜きのための塩水を作る、クリスマスの昼下がり。
2018年12月25日(火)
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