にゃんことごはん
ごはん



 生きる意志 生きようとする底力 死をも恐れぬ 野生の力 

よれよれしつつも、ご機嫌でご飯を食べ、お気に入りの場所でまったりし、合間に別の場所に設置してあるドライフードを食べ、別のお気に入りの場所でまったりして過ごしていたニャン。
とはいえ、3ヶ月連続で肝臓の値は向上せず。
飲み薬が増えて、やれやれと帰宅した、21日木曜日の夜。

ニャンはご飯を食べ、レンと茶々はまだ食べる気分ではないらしいので、カリとウェットを少しずつ用意して、私は晩酌を始めていました。
ニャンがご飯を食べ終え、トイレのほうに向かったのは視界の端に捕らえていたものの、そのときは特に気になることもなかったのですが、ふと気づくと、ニャンの歩いたあとに粗相の後が。おなかを下していたらしいのですが、ニャンはたとえお腹を下し気味でも粗相をしたことがないので、あれ?と立ち上がった私の前に、よろよろと歩いてきたニャンがバッタリと横倒しになり、ぜいぜいと荒い息をつくばかり。

これは行き着けの病院が開く明朝まで待って、という状況ではない、と思い、夜間救急病院とタクシー会社に電話してニャンをキャリーに寝かせ、とりあえず廊下を掃除しました。がくがくと手が震えていました。

ばたばたする私を呆然と見ているレンに「出かけてくるからね」と声をかけ、タクシーに乗り込んだのが、20時15分ごろ。
上側が開くようになっているキャリーなので、開いたままニャンをずっと撫でていました。いつもより体温が低いように思えて、間に合わないか、いや、ニャンちゃんはそんなにヤワじゃない、と。
だって食欲あったじゃない、どの仔もこの仔も食べられなくなって、そうやって亡くなったじゃない、と。

30分弱で、夜間救急に到着。容態を診た先生が「危ない状況」とニャンを判じ、すぐに診察室へ。治療をしつつ原因を探るための検査を行うことの説明を受けました。行きつけでの血液検査の結果を記した猫手帳を持っていたので、それも提出し、処方された薬の説明書や持参していた薬も提出。

途中で、1回、酸素ケージにいるニャンと顔あわせ。
「解せぬ」という顔をしているのに、思わず笑えばいいのか泣けばいいのか、複雑な気持ちになります。いつものニャンちゃんの顔だったので。
先生の説明では、とりあえず落ち着いたけれど、まだ予断を許さぬ状況とのこと。今日の経過を改めて聞かれ、「夜ご飯を食べて」と言うと「食べたんですか?」「はい、一度にたくさんは食べられないので少しずつですが、その1回分は食べました。そのとき、薬をご飯をまぜて、そのせいで下痢をしたのかと思ったのですが」「いや、そんなにすぐ下痢はしませんよ。それにしても、よくご飯食べられましたね、食べられるのが不思議な状況です」

びっくりです。ご飯は普通に食べていましたし、そのときに変な状況はなかったので。
で、まあ、ある程度の検査が出るまで待機。
夜間救急だからなのか、けっこう混んでました。

待つこと2時間余り。血液検査の結果が出て、腎臓、肝臓の値は行きつけの病院で検査したのと違いはなく、それ以外では血糖値が異常に高いのが、今回の昏倒と関係があるのかどうか、という話がありました。
いずれにせよ、連れ帰れる状況ではなく、そばにいたいものの、ほったらかしにして来たレンと茶々も気になります。

もう一度、ニャンの顔を見て「これなら大丈夫だな」と思えたので「一度帰るけど、お迎えにくるから、ちゃんと寝なさいね」と言い聞かせ、私は帰宅しました。0時半ぐらいでしたか。
レンと茶々は、寝てました。

トイレを掃除して、軽く食べて寝ました。

翌朝、4時前には目覚めて、レンと茶々にご飯をあげ、もろもろの用意をして5時過ぎ病院に電話すると「変わりありませんよ」と言う返答。
始発でそちらにいこうかと思っていたのですがと言うと苦笑されました。
「できれば、すぐに行きつけの病院に行かれたほうがいいと思うので、そのタイミングでお迎えにきてください」とのことで、それでも気がせいて、7時半過ぎに病院に。

ニャンちゃん、肝臓に腫瘍がありました。
手術で取り除くにはニャンの体力的に難しく、悪性なのかどうかを調べるのも開腹して組織を採取しないと駄目となると、処置の仕様がありません。
「肝臓に腫瘍があると、痛いですか?」と思わず聞いてしまいました。
「だるい、といった症状はあると思いますが、痛みはないです」というのが、救いでした。
痛くないなら、いいか。

そのまま行きつけの病院に向かい、今後の治療方針を相談して帰宅。

で、その後のニャンちゃん。
まったく変わりはありません。
あいかわらず、お気に入りの場所でまったり。
お腹がすくと、食べる気満々で待機、で、食べる。

なんか、凄い、と思いました。

救急病院でもいわれましたが、危ない状況だったはずなのに。
そんなことなど忘れたように、食う寝るまったり。

本日、血糖値の上昇も一時的なもので、糖尿病ではないとわかりました。

そんなに先が長くはないとは思っています。
そもそも、昨年の冬から次のシーズンまでもつかしらと、思いながらの毎日でした。
だから、あとは少しでも楽しく、猫生を終えてほしいと願っています。
体が辛くならないように、多少の投薬や治療は必要なのか、それともそれもストレスになるなら、やめたほうがいいのか、葛藤も迷いもあります。
そこは、ニャンの顔を見ながら、判断していきます。

私だったら「肝臓に腫瘍があります」でへこみ、浮上するのに時間がかかると思います。その過程では、食欲がないという事態もあるわけです。
でもニャンちゃんは、そんなことは知らないわけですが、知っていても「いや、お腹すいたからご飯」なのではないかと。
腫瘍より、今の生を生きるためのご飯。
今のこの命を永らえようとする本能が、食欲。

凄い。ただひたすらに生きることに邁進する、のが、凄い。

そう思った、ここ数日でした。

2017年09月24日(日)



 猫も老い人も老い老い 老いだらけ そんな我が家も幸せの家 

腎臓を患いながらも療法食で元気なニャンでしたが、ここへ来て肝臓の数値が悪化、この夏の健康診断でチャチャコが腎臓、レンレンが心臓と結石に問題ありが発覚。
彼らの下僕の私も股関節が悪く、よれよれしているので、ほんと老老の家です。

でも、悪戦苦闘しながら薬を飲ませ、悪戦苦闘しながらそれぞれの療法食を用意し、ほかの療法食を食べないように皿を出したり引っ込めたり。
ふぅとため息をついて、大変だなぁとは思うものの、
では、不幸なのかというとそんなことは全くなく、むしろ、少しでも長生きしてほしい猫たちとの悪戦苦闘が、幸せだったりします。

これはリュウが幼いころの、あの悪戦苦闘と似ているような気がします。
泣くばかりで言葉も通じなかった乳児が幼児になるまでの感じ、なのです。
むしろ、猫はあのころの乳児よりも、実は言葉が通じたりします。

薬を飲ませられるのが大嫌いなニャンで、毎度、苦労していたのですが、
今回、肝臓は投薬以外に治療法がなく、嫌がるニャンを毎度毎度かきくどいているうちに、嫌だから本能的に手が出るものの、逃げることはなくなりました。
そのかわり、毎回毎回「いやだね、だけど、お願いだから、お薬飲んでね」
と繰り返し、なんとか飲んでくれると「ありがとう、ありがとう、いい子だね」
とやっているうちに、なんだか、「ああ、もう、仕方ないなぁ」みたいに
ニャンが受け入れてくれる(でも抵抗はする)ようになりました。
たぶん、飲まなくてはならない、と理解はしているのではないか、と思います。
でも嫌だから、抵抗はする、でも逃げたりはしない、そんな感じ。

なんだかんだ、レンレンも茶々もママ大好きっ仔なので、なんとかうまく療法食を食べさせ、なんとかうまく薬を飲ませ、少しでも体が楽に、そして少しでも長く一緒にいられるように、と日々、悪戦苦闘できることが、とても幸せだと思います。

たまに、リュウが遊びに来て若いエネルギーを振りまいて行ってくれるのも、とても幸せなことです。
お盆のときは、長野から帰省したリュウと立ち飲み屋で一杯やって、京浜工業地帯の工場夜景クルーズを楽しみました。ずっと横浜に住んでいましたが、海から工業地帯を見たのは初めてで、とても刺激的でした。そうか、工業地帯なんだ、と実感した次第。

老いだらけではありますが、幸せだな、と思う毎日です

2017年09月04日(月)
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