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■ 大好きで大好きな仔が、また天に ありきたりでも、ただ安らかに
川口さんちのジニたんが、天に召されました。 がりがりに痩せた姿で保護されたジニたんの写真を見た10年前、一瞬で私はジニたんに“落ちた”のです。
川口さんちで大事にされ、ご飯もたくさん食べて、ふっくらしたジニたんは、予想どおり、釣り目がきゅるんとした可愛い可愛いキジシロ猫になり、以来、私はよそ様の猫なのに、ジニたんを日記の写真を通して愛でてきました。 ジニたんは苦しまずに逝ったようです。それが何よりの救い。
きらちゃんを見送ったとき、多少の苦しみはあったのかもしれないものの、静かに安らかに逝ったのに、ほんとうにほっとしたものでした。 それでも後悔はありました。ほかにも方法があったのかも、という、後悔は決してなくなりません。だから、一惠さんにも、なにがしかの思いはあるのだろうと思います。でも、ジニたんは川口家の猫として、幸せに生き幸せに逝ったと私は思います。
我が家も、長老猫のニャン(推定17歳)がやせてきていて、でも食欲はあるし、相変わらずわがままだし……でも、やせてるし、もう好きにしてあげよう……でも、なるべく健康的に、と、右往左往しています。
15歳(推定)の練々も、12歳(推定)の茶々も、いい加減老齢なわけで、なるべく好きにさせてあげよう、でも、なるべく健康的に、と、やはり右往左往しています。
右往左往はしていますが、なるべくオロオロはしないように。
私の両親は、私がまだ40歳になる前に、相次いで他界しましたが、そのときはオロオロしませんでした。 どちらも病気でしたが、両親自身が死に臨んだ際の意志を明確にしていたのと、それを踏まえて病院の先生に対応していただけたから、です。
でも猫たちは、言葉を話せません。どうしたいのか、その目線、動き、ちょっとした変化から読み取らなくてはなりません。 私など、弱っている姿にオロオロしがちです。でも、オロオロする心情を猫は感じとるのかもしれません。 余計な不安を感じさせず、どっしりかまえて、見送る、それが安らかに猫を見送ること、になるのかもしれない、と最近思います。
老齢猫と老齢婆の我が家、生き生きとした子猫を恋うる気持ちがないとは言えません。でも、いまは我が家の仔たちを、安らかにちゃんと見送ることが役目と……。
その先は、それから考えましょう。 もし余力があれば、10代のころからの憧れ、ノルウェーのオスロに行って、思う存分ムンクの絵に浸るのもいいかな、と。
リュウがお世話になった保育園の元園長先生(私立保育園だったので今は閉園しています)は、背骨を骨折しながら、リハビリがてらの旅行がモンゴルとか、うん、私も頑張ればなんとかなると信じよう、と思います。
2016年07月25日(月)
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