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■ 楽しげに語る学生 わが息子 どこか似てると懐かしくあり
我家の猫一号ことニャン太郎がやってきたのは、リュウが小二の暮でした。 (本題とは関係ないのですが、いろいろな記憶を子どもの学年や年齢に絡めて覚えるのは、母親となった女性にありがちだが、それによって本人のアイデンティティが子どもに拠るところになるので、よろしくない……という説を聞いたことがあります。でもねぇ、そうそう大きなイベントもない大人にとって、子どもの年齢って便利なのよねぇ)
子猫だったニャンはリュウを子分と認定したようで、今でもリュウの膝に乗ってはいるものの、それは子分を守る親分としての所業。むしろ、自分が親分だから、載ってやってやるぜ、的な感じがして笑えます。 でも、学生になってから、今まで以上に忙しくなったリュウは家で夕飯を食べる機会も減りましたし、のんびりとニャンを膝に乗せて寛ぐ時間も減りました。
学生になった彼を見ていて、もう30年以上も前の自分の学生時代を、ふと思い出します。
試験勉強は嫌いだけど学ぶことや考えることは好きだった私にとって、大学は本当に楽し居場所でした。「バイトに明け暮れて講義は代返、レポートは友人のノート頼り」な学生が多いなか、真面目に講義にも出て、他学科の講義にももぐり込んで(一部、自分の学科の単位になる講義もあったので)、そこで知り合った他学科の学生を交えて勉強会(大笑いですが)をやったりしていました。
そのころから、文系は卒論ではなくてゼミレポートが卒業単位になったりしていたのですが、私が所属する学科は卒論必須だったので、胃潰瘍になりながら論文も書きました。今思えば、あの程度で胃潰瘍になるぐらい弱いメンタルだったんだなぁ、と笑えます。まあ、笑えるぐらい図太くなったということでしょう。 でも、あの時の卒論のテーマは私にとって、今も変わらぬテーマではあります。いつも意識しているわけではないのですが、ふと気づくと通奏低音のように、ずっと自分のなかにある、たぶん、これからもずっと、と思うと感慨深いものがあります。
本当は大学院に行きたかったし、親も「いいよ」と言ってくれていたのですが、同時に自立もしたかったので、結局、就職しました。 ウーマンリブ全盛の1970年代に思春期を送った者として、"自立"は大前提と真剣に考えていました。今だったら、また違ったのかなぁとは思いますが、だれも"時代の子"ですからね、そんな仮定は無意味でしょう。
さて、意気込んで一人暮らしを始めたものの、大学で学んだ学問とは遠ざかってしまいました。 当初は「働きながらでも学問はできる、いや学問とは大学の教室のなかにあるのではなく、生活のなかにある」という(大笑いながら大真面目な)意志を持っていたのですが、まぁ、なかなか難しいものです。新しい生活から得る刺激は、たかが学生から社会人になっただけでも大きくて、それを受け止めるのに精一杯みたいなところもありました。それに、やはり生活するのに必死、というのもありましたし。
その後、転職して仕事が面白くなって仕事人間真っ最中にリュウの父親と知り合い、結婚して出産して、子育てしつつ仕事をするワーキングマザーになったのですが、結局、離婚してしまったので、それからは必死で生活を支えるために働くシングルマザーになってしまいました。 とはいえ、どの仕事も好きでやってきた仕事なので、別に不満はありません。 不満があるとすれば、やりたい仕事がやれる、と思ったから、今の仕事場に職を定めたのに、全然違った仕事を押し付けられている、という現状ですかね。でもまあ、文句を言いながらも面白い部分もあるから続いているんでしょう。
と、私の仕事の話は本題とは関係ありません。
そう、学生になったリュウの話です。今年で3年生ですが、とにかく真面目に大学に通っています。それは、彼だけでなく彼の周りの学生たちも同様なので、「理系って真面目なんだ」という結論に達します。そういえば、私の学生時代も理系の学部の友人たちは、実験だなんだと真面目に学生していたなぁ……と思い出します。
そんな彼の語る学生生活は、とてもノスタルジック。自分が学生に帰ったかのように共感してしまうのです。 イマドキの学生がどんななのかはわからないのですが、私の時代よりも皆、真面目になったのでしょうか? そんな話は聞きません。理系だからなのか、彼だからなのか、彼の話を聞きながら、私は自分の学生時代を思い出しています。 違うのは、私は余り大学の行事には関わらなかったのに比べ、彼は1年から大学祭の委員をやっていて、他学科や学年下の学生とのかかわりが深いところです。
正直、そういうところは、うらやましい。 でも、自分の子どもが自分よりも充実した人生を歩んでいると思うと、とても嬉しい、とも思います。 私はといえば、妹が生まれるまでの5年間を一人っ子で、しかも体が弱かったために神経質なまでに大事に育てられ、おまけに小学校から高校卒業まで女子高育ちで……今で言う「コミュ障」に近かったんだろうな、と当時の自分を振り返ってため息をつきたくなるほどなので(今でも片鱗は残っていて、苦労しています)、子どもには同じ苦労を味あわせたくない、特に男の子だし、と思っていたこともあり、オタク気質ではありながら(ここはしょうがない)、"リア充"な彼を見ていると、思わず笑顔になります。
でも、もしかしたら、母も私を見ていて、そんなふうに思っていたのかなと、最近思うようになりました。 母が私に、自分が成せなかった夢を託していたのは感じていて、思春期のころはそれがうっとうしくて、それで自立を急いだようなところもあり、でも結局、母は私がシングルマザーとして格闘していたころに、早く逝ってしまったので、余裕をもって振り返ることもなかったのですが。 私が本意ではなく(離婚は元夫の意志でした)離婚したときも、「あなたには仕事があるから、ちゃんとやっていける」と言ったのは母でした。母の時代は女性が一人で生きていくのは難しかったでしょうから、仕事がありシングルマザーでも生活していける、ということは、もしかしたら光明だったのかな、と思ったりします。
だからといって、母がいやいやながら父との結婚生活を続けていたとは、もちろん思いません。そういう意味ではなく、「女性にもいろんな選択肢がある」という事実を嬉しく思った、ということがなかったとは言えないかなぁ、という私の想像です。
次の世代に託す、という言葉は、言葉としてはよく聞いていて「ふんふん」と思っていましたが、自分もまた"託された世代"でもあったんだなぁ、と気づきました。まあ、託される側からしたら迷惑千番なこともあるのですが、託す側からは、それは「祈り」のようなものではなのかなぁ、とも思います。 もちろん「後は任せたぞ」というのもあるのでしょうが、それよりももっと「祈り」に似て、根底には「どうか幸せに」があるように思います。
生きとし生けるものの未来が、すべて"幸せ"なら苦労はないですよね。 でも、次の世代は少しでもよくなっていればいいな、と祈りつつ……。
◇今日のご飯 朝:雑炊(卵、はと麦、コネギ) 昼:弁当(蒸し鶏とサラダ菜のサンド、アボカドと海老のポケットサンド詰め、ライ麦パンのチーズクリーム&酢漬けキュウリのサンド) 夜(予定):ラム肉炒め(キャベツ、カラーピーマンピーマン、玉ネギ)、トマトとキュウリのサラダ、ポテトのオリーブオイル炒め、卵スープ
2013年06月30日(日)
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