にゃんことごはん
ごはん



 楽しげに語る学生 わが息子 どこか似てると懐かしくあり

我家の猫一号ことニャン太郎がやってきたのは、リュウが小二の暮でした。
(本題とは関係ないのですが、いろいろな記憶を子どもの学年や年齢に絡めて覚えるのは、母親となった女性にありがちだが、それによって本人のアイデンティティが子どもに拠るところになるので、よろしくない……という説を聞いたことがあります。でもねぇ、そうそう大きなイベントもない大人にとって、子どもの年齢って便利なのよねぇ)

子猫だったニャンはリュウを子分と認定したようで、今でもリュウの膝に乗ってはいるものの、それは子分を守る親分としての所業。むしろ、自分が親分だから、載ってやってやるぜ、的な感じがして笑えます。
でも、学生になってから、今まで以上に忙しくなったリュウは家で夕飯を食べる機会も減りましたし、のんびりとニャンを膝に乗せて寛ぐ時間も減りました。

学生になった彼を見ていて、もう30年以上も前の自分の学生時代を、ふと思い出します。

試験勉強は嫌いだけど学ぶことや考えることは好きだった私にとって、大学は本当に楽し居場所でした。「バイトに明け暮れて講義は代返、レポートは友人のノート頼り」な学生が多いなか、真面目に講義にも出て、他学科の講義にももぐり込んで(一部、自分の学科の単位になる講義もあったので)、そこで知り合った他学科の学生を交えて勉強会(大笑いですが)をやったりしていました。

そのころから、文系は卒論ではなくてゼミレポートが卒業単位になったりしていたのですが、私が所属する学科は卒論必須だったので、胃潰瘍になりながら論文も書きました。今思えば、あの程度で胃潰瘍になるぐらい弱いメンタルだったんだなぁ、と笑えます。まあ、笑えるぐらい図太くなったということでしょう。
でも、あの時の卒論のテーマは私にとって、今も変わらぬテーマではあります。いつも意識しているわけではないのですが、ふと気づくと通奏低音のように、ずっと自分のなかにある、たぶん、これからもずっと、と思うと感慨深いものがあります。

本当は大学院に行きたかったし、親も「いいよ」と言ってくれていたのですが、同時に自立もしたかったので、結局、就職しました。
ウーマンリブ全盛の1970年代に思春期を送った者として、"自立"は大前提と真剣に考えていました。今だったら、また違ったのかなぁとは思いますが、だれも"時代の子"ですからね、そんな仮定は無意味でしょう。

さて、意気込んで一人暮らしを始めたものの、大学で学んだ学問とは遠ざかってしまいました。
当初は「働きながらでも学問はできる、いや学問とは大学の教室のなかにあるのではなく、生活のなかにある」という(大笑いながら大真面目な)意志を持っていたのですが、まぁ、なかなか難しいものです。新しい生活から得る刺激は、たかが学生から社会人になっただけでも大きくて、それを受け止めるのに精一杯みたいなところもありました。それに、やはり生活するのに必死、というのもありましたし。

その後、転職して仕事が面白くなって仕事人間真っ最中にリュウの父親と知り合い、結婚して出産して、子育てしつつ仕事をするワーキングマザーになったのですが、結局、離婚してしまったので、それからは必死で生活を支えるために働くシングルマザーになってしまいました。
とはいえ、どの仕事も好きでやってきた仕事なので、別に不満はありません。
不満があるとすれば、やりたい仕事がやれる、と思ったから、今の仕事場に職を定めたのに、全然違った仕事を押し付けられている、という現状ですかね。でもまあ、文句を言いながらも面白い部分もあるから続いているんでしょう。

と、私の仕事の話は本題とは関係ありません。

そう、学生になったリュウの話です。今年で3年生ですが、とにかく真面目に大学に通っています。それは、彼だけでなく彼の周りの学生たちも同様なので、「理系って真面目なんだ」という結論に達します。そういえば、私の学生時代も理系の学部の友人たちは、実験だなんだと真面目に学生していたなぁ……と思い出します。

そんな彼の語る学生生活は、とてもノスタルジック。自分が学生に帰ったかのように共感してしまうのです。
イマドキの学生がどんななのかはわからないのですが、私の時代よりも皆、真面目になったのでしょうか? そんな話は聞きません。理系だからなのか、彼だからなのか、彼の話を聞きながら、私は自分の学生時代を思い出しています。
違うのは、私は余り大学の行事には関わらなかったのに比べ、彼は1年から大学祭の委員をやっていて、他学科や学年下の学生とのかかわりが深いところです。

正直、そういうところは、うらやましい。
でも、自分の子どもが自分よりも充実した人生を歩んでいると思うと、とても嬉しい、とも思います。
私はといえば、妹が生まれるまでの5年間を一人っ子で、しかも体が弱かったために神経質なまでに大事に育てられ、おまけに小学校から高校卒業まで女子高育ちで……今で言う「コミュ障」に近かったんだろうな、と当時の自分を振り返ってため息をつきたくなるほどなので(今でも片鱗は残っていて、苦労しています)、子どもには同じ苦労を味あわせたくない、特に男の子だし、と思っていたこともあり、オタク気質ではありながら(ここはしょうがない)、"リア充"な彼を見ていると、思わず笑顔になります。

でも、もしかしたら、母も私を見ていて、そんなふうに思っていたのかなと、最近思うようになりました。
母が私に、自分が成せなかった夢を託していたのは感じていて、思春期のころはそれがうっとうしくて、それで自立を急いだようなところもあり、でも結局、母は私がシングルマザーとして格闘していたころに、早く逝ってしまったので、余裕をもって振り返ることもなかったのですが。
私が本意ではなく(離婚は元夫の意志でした)離婚したときも、「あなたには仕事があるから、ちゃんとやっていける」と言ったのは母でした。母の時代は女性が一人で生きていくのは難しかったでしょうから、仕事がありシングルマザーでも生活していける、ということは、もしかしたら光明だったのかな、と思ったりします。

だからといって、母がいやいやながら父との結婚生活を続けていたとは、もちろん思いません。そういう意味ではなく、「女性にもいろんな選択肢がある」という事実を嬉しく思った、ということがなかったとは言えないかなぁ、という私の想像です。

次の世代に託す、という言葉は、言葉としてはよく聞いていて「ふんふん」と思っていましたが、自分もまた"託された世代"でもあったんだなぁ、と気づきました。まあ、託される側からしたら迷惑千番なこともあるのですが、託す側からは、それは「祈り」のようなものではなのかなぁ、とも思います。
もちろん「後は任せたぞ」というのもあるのでしょうが、それよりももっと「祈り」に似て、根底には「どうか幸せに」があるように思います。

生きとし生けるものの未来が、すべて"幸せ"なら苦労はないですよね。
でも、次の世代は少しでもよくなっていればいいな、と祈りつつ……。

◇今日のご飯
朝:雑炊(卵、はと麦、コネギ)
昼:弁当(蒸し鶏とサラダ菜のサンド、アボカドと海老のポケットサンド詰め、ライ麦パンのチーズクリーム&酢漬けキュウリのサンド)
夜(予定):ラム肉炒め(キャベツ、カラーピーマンピーマン、玉ネギ)、トマトとキュウリのサラダ、ポテトのオリーブオイル炒め、卵スープ

2013年06月30日(日)



 丸いのや逆三角や五角形 じっくり見ると猫もさまざま

我家の"珍味のオッドアイ"ことぶーたん……じゃなくて練太郎は、見る角度によってまん丸な顔に見えることがあります。なんというか、可愛いよりは面白い……。デフォルメされた猫の顔みたいな面白さ、とでも言えばいいのでしょうか?

彼の"珍味"具合は、その輪郭にあるのではないかと思い至ったのは、彼が我家に来て1年ほど経ったころのことですが、実際、鼻面が横に広がっているので、別の角度から見るとニャロメのようにも見えます。その話をリュウにすると「うんニャロメに見えるよね」と言っていたので、私の思い込みだけでもなさそうです。
どうもデフォルメされた猫キャラに見えてしまうあたりが、練々の"珍味"
な残念さなんだな、と納得しています。
でも、たま〜に、物凄くイケメンに見えるときもあったりするのが、侮れないところ。ほんの一瞬、「うわ、神秘のオッドアイ」と思います。
だいたい、次の瞬間には"珍味"に戻るんですけどね。

さて、常にイケメンなショーちゃんの顔は、ゆるやかな五角形をしています。額から目の位置にかけて少し広がり、そこからシュッとした顎へと収束していく輪郭は、顎の細いイマドキの若者のようです。
もう少し横に張った輪郭のほうが"アメショーらしい"とされているので、小柄なところとかほっそりした顎とかが、ショーに出す猫としてはNGだったためペットショップに引き取られたのではないかと推察しています。でも、我家的にはイケメン。お客様も認めるイケメン。

対してニャンちゃんは、綺麗な逆三角形をしています。どこから見ても、丸顔にもニャロメにも見えません。あまり鼻面が張っていないのもあるのでしょうが、メイクーンみたいな大きな目も関係ありそうです。柄も大きいし、きっと洋猫の血が入っているんだろうなと思います。

キラちゃんは、ニャンちゃんに近い輪郭です。でもニャンよりも鼻面が長く(少し高さのある逆三角形)加えて釣り目なので、見た目はイリオモテヤマネコにも見えます。ちょっと野性的なところが魅力。今となっては我家の猫のなかで唯一の女子。ニャンと練々は許容し、なぜかショーを撃退する、その心はよくわかりません。
でも、抱っこすると腕をペロペロ舐めてくれたりもします。

犬ほどは種差のない猫ですが、それでもじっくり見るといろいろ発見があり、楽しいものです。
可愛いなぁ、可愛いなぁと思いながら、見ています。たとえ"珍味"でも、そこが可愛いのが猫という生き物だと信じています。だいたい、どちらの猫バカさまたちも、そんなものだと思います……。

さて、自分の家の猫はもちろん、野良猫もよそ様の猫も分け隔てなく愛でるのが猫バカの本性だと常々思っているわけですが、そんな私にとって、別格の猫さまがいらっしゃいます。
それは、川口家(ここの親サイト「CAT'S EYES & CAT'S HANDS」)のジニーちゃん。とにかく心惹かれる憎いヤツ(あ、ヤツじゃないか、女子だものね)。

少し練々に似た、鼻面の張った輪郭なのですが、なぜかニャロメにはならない、ぷっくりした感じと、猫にしてはあまり大きくない目とか、その目が、キュルンと釣り目になった感じとか。なんて可愛いのだろう……と写真を見ては、ため息をついています。
よそ様の猫さまに、こんな言い方をするのは失礼なことと重々承知しているのですが、たぶんジニーちゃんは"美猫"ではないと思います。でも、ぶさ可愛い、というのとも違う、不思議な魅力を持つ猫さまです。

たとえて言えば、○○小町と呼ばれるような美猫(川口家のシャインちゃんとか?)や、大奥にでもいそうなゴージャスな美猫(川口家のガラちゃんとか?)ではなく(ウチにいる女子は、イリオモテヤマネコもどきなので、例として他家の猫ですみません)、長屋育ちでシャキシャキしていて、他所の家の小さい子の面倒とか見ながら親を助け、でも、ちゃっかり好きあった彼氏がいたりして、贅沢はしないけれど四季の行事は楽しみつつ堅実に人生をまっとうする、黄八丈の着物とシャランと揺れる珊瑚の簪が似合いそうな町娘的な可愛さ、とでも言えばいいのかな。
今風に言えば、女子力が高いってヤツでしょうかね。

そんな女子になり損ねたから(バツイチで、結局いまだに独身だし、若いころから、ちっともシャキシャキしていなかったのに、この年になってシャキシャキできるわけもないし)、余計に胸に染みるのかなぁ。

◇昨日のご飯
朝:サラダソーメン温玉がけ
昼:ソーセージドッグ2種ソース(ハニーマスタード、ケチャップマスタード)、なんちゃってタンドリーチキンと酢漬け野菜のピタパン詰め、切り落としカステラ(安売りしていたヤツ)
夜:早く帰宅したリュウの自作 ナスとピーマンのひき肉炒め、トマトとキュウリとサラダ菜のサラダ エスニック風味(ナンプラー使用)、じゃがいもとコネギの味噌汁

◇今日のご飯
朝:スープチャーハン
昼:マフィンのハンバーガー、チーズと酢漬け野菜のポケットブレッド詰め、春巻き、アップルパイ(安売りしていたヤツ)
夜(予定):チキンのキムチ風味withキャベツ炒め、小松菜とシラスと揚げの炒め煮、サンラータン

2013年06月25日(火)



 梅雨なかば 曇天の下 アジサイの若木が花をつけ空を向く

日記をサボってました。地味に忙しかったので。
華麗に忙しければアドレナリンも出まくって、"ヨッシャー、バッチ来い"とばかりに日記も更新できるのでしょうが、地味な忙しさはやっかいです。
テンションは下がり気味だし、疲れる割りに達成感は薄いし、でもやらなくてはならないから、モチベーションを上げるのにエネルギーを使うし……。
ま、仕事なんてそんなもの。
華麗に忙しくてハイテンションになると、今度は反動が怖かったりするから、まあ、どちらがいいということでもなく、忙しさは程々がよろしかろう、と。

閑話休題。今年の春先、山の上の我家から駅に行ったり仕事に行ったりする際に通る公園の道筋で工事をしていました。
道路工事ではなく、道路(歩道)脇の崖の補強工事です。道路ぎりぎりまでせり出していた崖の土を削り、石垣を積んで補強し、さらに道路と崖までの間に出来た1メートル弱の幅を持つ場所に何かの樹が植えられました。

確かに、その崖の向かいには民家もあり、もし地震や大雨で地すべりが起きたら、と考えると、必要な工事だったのだと思います。
ただ、苔むした低い石垣が並ぶ道筋と、どーんと高く白い石垣とに違和感を覚えるのも正直なところ。低い石垣となだらかな傾斜を持つ崖に比べて、圧迫感があるからなのですが、でも安全には変えられません。
そんな風景も見慣れてしまえば、そんなものかというもので……数ヶ月過ぎました。

そして早い入梅宣言の少し後、その若木がアジサイだと判明しました。ひょろひょろの茎に、ちょぼっと申し訳程度に生えてきたような葉。その茎の先端に、まだ色も定まらない花が、まあるく咲いています。
古い石垣のままの区間には何年物かわからない、堂々たるアジサイが青々と葉を茂らせて腰を据え、中には石垣の間から生えているものもあります。
そして、どれも大きな花を咲かせています。
それに比べて、裸みたいな若木に咲くアジサイは、なんとも頼りなく、アジサイ未満。それでも、いつかは青々と葉を茂らせるアジサイに育っていくのでしょう。

後は老いるばかりの自分も、年を重ねた分だけ堂々たる咲きっぷりならいいのですけどね。
それに比べ、後は老いるばかりでも、一生"可愛いが仕事"の猫は大したものだと思います。

気温は低くとも湿度の高い日が少なくなかった、ここしばらく。リュウの朝ごはんは素麺、パスタ、うどんと絶賛麺類祭り。
つるつると入っていくのがいい、ということですが、実は、めんつゆに漬けて啜るものは、ひとつもありません。
うどんならぶっかけ、パスタなら冷製、素麺もサラダ風仕立て。

ちなみに今日はかなり蒸し暑かったので、朝はパスタで、野菜たっぷり明太子ドレッシング(レタスの芯の近くとか、キュウリとかを千切りして、ほぐした明太子にレモン少々、オリーブオイルで和えてパスタと絡めたもの。野菜から水分がでるので、ちょうどいいドレッシング加減)。
お弁当はハンバーガー、ホットドッグ二種、クリームチーズとメープルシロップを塗ったフランスパン。
夜は、サーモンと大根のバジルソース和えwithトマトとレタス、なんちゃってタンドリーチキン、キュウリとニンジンとたまねぎのエスニック風漬物を予定。

2013年06月15日(土)
初日 最新 目次 MAIL HOME