にゃんことごはん
ごはん



 晩御飯、おかずは何がいいですか? 返った答は「魚類」でした

今朝のこと、私と時間差で出かけるリュウ(朝ごはん中)に「夜は?」「帰りは遅いけどウチで食べる」「何か、おかずの希望ある?」
双方に少々余裕のあるときの、いつもの会話です。

しばしの沈黙の後、返ってきた言葉は「魚類」
玄関に向かう途中だったので、何気なく「わかった」と答えつつ居間を出て靴を履き玄関ドアを開けて……から「魚類?」
その時点で当然のことながら、ドアは閉じていました。
「魚類……ですか」と呟きつつ仕事に向かう母でした。

魚が食べたいときは「魚」と答えるリュウなので魚限定ではなく幅広く海鮮物が希望だったのだろうと思うのですが……それにしても「魚類」……。

先日、家事の合間に見ていたアニメで、遠い未来、宇宙を生活基盤としている"人間"(仮にA)と地球を生活基盤としている"人間"(仮にB)が遭遇する、という、いわば異文化交流的な場面があり、Bが友好の印に魚の干物をAに渡す、という場面があったのですが、その時「これは何だ?」というAの問いに、データ解析を兼用しているAの搭乗機が「海洋生物の死骸」と答えて爆笑したのですが……。

夜のおかずの希望を聞いて「魚類」と返すリュウに、「今日は魚の死骸を野菜と一緒に植物性の醗酵食品と基本とする調味料で加熱処理したものと(サバの味噌煮、根菜寄せ)、魚類の一種である甲殻類の殻つき死骸を油で加熱したものに(ソフトシェルシュリンプのから揚げ)、植物と菌類を加熱処理(白菜と木耳とエノキの炒め)したものですよ」と答えればいいのだろうか、なんてことを考えながらご飯の支度をしました。

人間の食するものは遍く、生き物の死骸……さて、猫が本来食していたものは、もっと生身の生き物だったのかもしれません。
でも、人間の生活が変わるように猫の生活も変わり、今となっては動物や海洋生物の死骸を基礎に、ビタミンやミネラルを添加した固形物が、猫のご飯となったわけです。そのことに、果たして本猫は不満を抱いているのか、いないのか。
その生活しか知らない仔たちに聞いても、意味はありません。
ただ、まあ、自己満足として「今がいいよ」と思って欲しいなぁ……そんなふうに思った、五月の一日。


2013年05月28日(火)



 包囲網 なんの戦い?ご飯待ち どちらを見ても猫猫猫よ

あ、しまった、これじゃ4猫いる現在、誰かの分が足りない、でも猫猫猫猫では字余りだし。

帰宅早々、猫包囲網です。猫好きには堪りません。
左右背後、足元……視線が痛い痛い。ご飯待ちなのはわかっているのですが、ちょっとばかし腰を痛めてしまったため、椅子に座らないとジーパンが脱げないのです、だからちょっと待って……。
(先にご飯をあげればいいのですが、それよりも切羽詰った事情があり……お察し下さい)

居職のときも、ご飯時が近くなると猫に包囲されていましたっけ。
にゃーん、と、か細く鳴いてアピールするニャンに釣られて、アウアウ言うポッポとか……懐かしいなぁ。ジュリちゃんは、ご飯がお皿に用意されてからゆったりと現れ、あみちゃんは、待っていたり、後から現れたり、でも、私が見ているとチラチラ警戒していた……いつまでも家庭内野良のまま、だったね。

今でも黒猫を見ると「お、ポッポ」と思うし、小柄な八割れを見ると「あみっち」と思います。
ああ、でも……ジュリちゃんみたいな色味のサビはなかなか見ないなぁ。

閑話休題。猫包囲網は帰宅直後よりも、朝のほうが多いです。特に、日の昇るのが早くなる季節、つまり今頃。明るくなると、いそいそとやってくるニャン、私の顔を覗き込んで匂いをかぐ練々、そして窓際かベッド脇の本棚か、足元あたりかで様子を窺うショー。
ショーは固定位置ですが、ニャンと練々が場所を取り合って、右に左にするから、結局、目が覚めてしまうという……お願い、もうちょっと寝かせて、という心の声も空しく、目を開いたと見るや「メシメシ」とばかりにじゃれついてくるニャンと練々です。

お腹が一杯になれば、好き勝手な場所で毛づくろいして寝てしまう猫さんたちのために、不要な早起きをする私って何?

さて、久しぶりにご飯のこと。

一作日の話です。実験が終わって木曜日がヒマになったリュウ。その前日の帰宅が遅かったので起床は昼過ぎになると思うから、一食作っておいてくれれば夜は自分で作ると言うので、牛筋のトマト煮込みとポテトサラダを作って出かけました。
雷雨になる前に帰ろうと早く帰宅したら「今から野菜炒め作るとこ」と。
チャッチャとじゃがいもを切り、ホワイトアスパラを切り、キャベツをザクきりにして軽く塩もみ、下味をつけておいた豚肉と一緒に炒め始めたのですが、フライパンを振る手つきが意外と堂に入っていて、笑ってしまいました。味のほうは、まあまあでしたが、キャベツとホワイトアスパラのしゃきしゃきした食感はなかなか。
本人の分は、前日のなんちゃってタンドリーチキン(ヨーグルトと香辛料に漬けた胸肉をオーブンで焼いた)の残りで作ったナシゴレンもどきの焼き飯が追加。
夕飯の支度をせずにすんだ私は、晩酌しながらハチノスの下ごしらえ。

作日の朝は、中華風の卵雑炊、弁当は毎度お馴染みサンドイッチ(本日は、鶏ハムとポテトサラダ、ソーセージドッグ、ハンバーガー)、夜は昨日下ごしらえしたハチノスの葱和え、キムチ風味のチキンと野菜(白菜、ピーマン、にんじん、たまねぎ)炒め、酢漬けのキャベツでした。

今日の朝は白菜と青梗菜入りワンタンスープ、ほうれん草とレタスのヨーグルトドレッシング和え、弁当はハンバーガー、チーズとキュウリのサンド、海老とアボカドのサンド。
夜は飲み会とかでいらないそうです。学生になって、そういうの増えました。楽と言えば楽なんですが、なんか物足りない気もする今日、このごろ。

2013年05月17日(金)



 柏餅 風呂には菖蒲 子供の日 とっくに子どもじゃなくなってるのに

うっかりしていたというか……習慣とは怖いというか……。

子どもの日の前日土曜、買い物ついでに菖蒲の葉を買って、柏餅は買い忘れたなぁと思いつつ帰宅。翌日曜日、「お風呂に湯をためるとき菖蒲の葉入れてね」と言うと、リュウが「子どもの日かぁ」と言いつつ「もう大人だけどね」

そうでした。去年成人式も終わったんじゃないか!

リュウが中学生になったぐらいのとき、もう菖蒲湯はやめようかなと思ったのですが、ちょうどサッカーの練習試合で鼻を骨折したこともあり、まだ怪我もあるし、ま、いっか、と続けてきた子どもの日の習慣。
さすがに鯉のぼり代わりの人形を飾るのはやめていたのですが、結局、一昨年まで菖蒲湯は続いていました。その二週間後がリュウの二十歳の誕生日で「来年はもう子どもの日もないか」と思ったものです。

去年は「今年はもうやらないぞ」と思っていたので、忘れずに済んだのですが、今年はいつもの習慣で菖蒲の葉を買ってしまった、という次第。なんだろう? すねかじりの学生とはいえ、子どもだと思っているわけではないのに、習慣だけが残っているという……。
菖蒲湯は気持ちがいいので、ヨシとしよう、そうしよう。

それにしても、子猫から一年で大人になってしまう猫たちは、年老いても可愛いまま、ついつい我ながら気持ち悪いぐらいの"猫なで声"でしかも赤ちゃん言葉で話かけてしまっても、問題なし。
他人が「うわ、気持ち悪!」と思っても、家の中のことだから関係ありません。

「はぁい、ニャンちゃん、おはよ。ん〜〜〜ちゅっ」とか「ぶーたん、目やにがついてまちゅよ〜、ほ〜ら、きれいきれい」とか「ショーちゃ〜〜〜〜ん、ショーちゃ〜〜〜〜ん、かわいい〜〜しょ〜〜ちゃ〜〜ん〜〜〜」とか「き〜ら、きらきらき〜らしゅけちゅわ〜〜ん、いいこいいこかわいいいいこ」とか。自分で書いていて「馬鹿か?」と思うのですが、猫を前にしたら、そんな理性はどこへやら。
実際にはもう70歳ぐらいの爺や婆なのに、ね。
だって、可愛いは正義。だから、猫は正義。

2013年05月09日(木)
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