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■ 桜咲く季節になると繰り返し、繰り返しする、あの日の記憶
今年の桜の開花は早いと言います。確かに、お彼岸前に咲き始め、彼岸の中日は公園がうっすらと淡く染まるほど開花していました。
11年前も、桜の開花の早い年でした。 忘れもしない、今は「ここ」にはいない、あみっち逃走の年。 もう散り始めの桜のなか、毎夜、探し歩いた記憶は忘れようがありません。
我家のベランダには柵があり、ニャンやショーは頭がつかえて柵の向こう側にはいけないのですが、小柄なあみっちは柵の下のほうの、飾りでRになっているところからスルリと抜けて、向こう側を悠々と歩いていたようなのです。 で、サルも木から落ちる、の通り、足を滑らせて階下のベランダに落下。それでも、階下と我家を繋ぐ太い柱を懸命によじ登ろうとしていました。
ニャンが「ウニャッウニャッ」と切羽詰った様子で訴えてくるので、後を付いていくとベランダに誘導され、仕切りに下を覗き込んでいるニャンの様子を疑問に思って階下を覗くと、柱を上ろうとしては落下するあみっちの姿が。階下の方を尋ねたのですが、お留守でベランダに入ることすらできません。 なんとか、あみっちが掴まれないかとバスタオルをたらしてみたり、いろいろ試したのですが、どうにもうまく行きません。 結局、あみっちはそこのベランダからさらに飛び降りる形で、マンションの植え込みに逃げ、裏の駐車場から塀を乗り越えて逃亡してしまったのでした。
あみっちがヒラリと塀の向こうに姿を消した瞬間の、地にめり込んでいきそうな絶望感は、今でも忘れません(何度も書いていると思いますが)。 まだ小学生で、私よりも背の低かったリュウと抱き合って泣きました。 風邪をひいて鼻周りをガビガビにしていたところを抱いて連れ帰ったあみっち。家庭内野良で、滅多に触らせはしないけれど、それでも可愛い可愛いあみっち。 何よりも切なかったのは、我家に戻ろうとツルツルの太い柱を懸命に登ろうとしていたのに、何も手助けできなかったことでした。
探し歩いて探し歩いて、夜、猫の声に飛び起きたりもするうち桜も散り、葉桜になったころ、あみっちが見つかりました。 ガリガリに痩せていましたが、無事我家に帰ってきました。
脱走防止は、ほんとうに大事です。 「え、こんなところから?」とか「こんな隙に?」と思うかもしれませんが、そんなところ、や、こんな隙、から猫はヒョイと身を翻してしまうのだと、思い知りました。 追いかけたって、人間の足では追い付けやしません。それどころか、追われるとかえって逃げる本能。
その後、マンションの景観の規約でネットなどを貼ることができないため、柵の隙間を猫がくぐれないように、ちょっとした細工をしましたが、あみっちはベランダの柵超えどころか、ベランダにすら出ることがなくなりました。それぐらい、あみっちにとっても怖かったのだと思います。 ガリガリに痩せて戻ってきたあみっちは、それから体重が戻るまでの1ヶ月ぐらいは、私の膝の上から降りない甘ったれでした。 体重が戻ったら、もとの家庭内野良に戻りましたが、それはそれで、あみっち健在なり、みたいな感じで、嬉しく思ったものです。
そう言えば、あみっちは亡くなる前、居間で寛ぐリュウのお腹にのっていました。リュウは「やっと、あみちゃんも、おいらに慣れてくれたのかな」なんて喜んでいました。 リュウが泣きそうな顔で「このままだと、この仔死んじゃうよ」と訴えたから、我家の仔になったというのに、そんなことなど知らぬ顔で、リュウになど触らせるものか、みたいに野良魂を貫いていたあみっちの変貌に、「どうしたんだろうね」と首を傾げたものです。 たぶん、もうそのとき体調が悪かったのでしょう。 でも、普通だったら体調が悪ければ野良魂の残っている仔は余計に、人には寄っていかないのではないかと思うのですが。 あみっちなりの、感謝の印だったのかなぁ……もしかして。 んなわけないよ、とは思いつつも、もしかするかもなぁ……。
桜の季節になると、いつも思い出すのですが、今年は取り分け開花が早かったので、しみじみと思い出されました。
今年の桜も綺麗だよ……あみっち。
2013年03月24日(日)
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