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■ あの日から変わってしまったさまざま、変わらなかったさまざま
盆でも正月でもないのに、久しぶりに。
日本の歴史に刻まれるであろう震災から3ヶ月近く。 当日、私は仕事で出かけており、大猫リュウは猫たち(ニャン、ショー、まんじゅう。キラは私の仕事部屋)と一緒に居間でまったりしていたそうです。 最初の揺れで、普段は地震に反応しない3猫がピキと警戒態勢に入り、次の揺れが来る直前ぐらいのタイミングでダッシュで走り去り、一人居間に残された彼は、「あ、オレ終わった」と思ったとか。
でも我が家は適当に積み上げてあった最近購入のコミックスの山(ひとえに私のズボラのせい)が崩れただけで、ほんとうに何一つ、落ちもしなければ壊れもしませんでした。古いマンションだけど、意外と頑丈なのかもしれません。 ちょっと複雑な間取りのため、普通だと取り壊し可能な壁で仕切られているはずのところにコンクリ壁があり、それはそれでリフォームの際に不便だとかはあるのですが、今回はそれが幸いしたのかも。
なので、猫たちも皆無事で(ニャン&ショーは3方をコンクリ壁に囲まれた奥の部屋、キラも3方をコンクリ壁に囲まれた洗面所の洗面台の下、一番微妙なのがレンで何故かピアノカバーの中にいたらしい)、相変わらず震度3ぐらいではびくともせずの日々を送っています。 水だの、猫ご飯だの……の備蓄は前からあるし(安いときにまとめ買い)、それの補充を心がければいいだけなので、この辺は以前と変わらず。 せいぜい、この4月からめでたく大学生という金食い虫になったリュウの、帰宅困難時対策をしたぐらい。
地震は遭遇する場所によって運不運は分かれるかもしれませんが、揺れてるのは数分。その間をしのぐことができれば、大丈夫と思っています。 ただその後の津波や火災は怖いと思いますし、ライフラインの切断も、ある程度なら備えることも可能ですが、長期となると大変なことだと思います。
そして今回、一番びっくりしたのが原子力発電所の事故。 事故そのものというより、対応のまずさ、にでしょうか。 情報は隠蔽する、法律は軽々しく変更する……おかげで何がどこまで安全で、何に気をつけなければならないのか、おバカな私はサッパリわからなくなりました。 風評被害というのは、情報が正しく伝達されない状況下で起きてくるということを、実感します。
そして避難区域に入っている地区の猫や犬、牛や馬たちの悲惨な状況。 家族同然の彼らを置いて行くしかなかった方たちの心情、残された彼らの生きるための戦い、力尽き消えて行く命。 犬猫牛馬といった人間ではない、でも人間と生活をともにし、人間を物理的にあるいは精神的に支えてきた命を救えない社会は、文明国とは言えないと私は思っています。緊急事態だったとしても、対策は立てようがあったはず。 もっとも、人間の子供への対策も十分でないわけですから(保護者の有志が立ち上がってようやく学校の校庭や保育園の庭の除染が進んだぐらいですから)、日本はまだ原始時代なのかもしれません。
我が家の生活は、実はほとんど変わりません。でも、心持は変わったように思います。もっとも常に何かに備える、一日一日を大切に生きるという当たり前の意識を再確認しただけ、ですが。 まだ最大余震が来ていないとか、関東直下があるとか、東海地震があるとか、いろいろ飛び交っています。 繰り返しますが、私は地震そのものはそう怖くはありませんし、もし地震の揺れによる建物倒壊や家具の転倒で死ぬなら、それは運が悪かったと思っています。まあ、生き埋めになった挙句の死は、しんどいだろうなあ、とは思いますが、この年まで好き勝手やってきたので、それぐらいは甘受すべきかも、と。
でも津波や地震後の火事は怖いです。そして原子力発電所の事故による放射腺汚染には怖い以上に、苛立ちを覚えます。 こんな地震大国の日本で原子力発電所をつくっておきながら、何が「想定外」だ、と。そして、何よりも今の政府の対応は確かに噴飯モノですが、今の政府を攻撃している野党も同じ穴のムジナではないか、と。 原子力発電所建設を決めたのは、だれだったのか、と。
そして、そんな政府を、こんな社会を作ったのは、紛れもなく大人である私自身、なのだ、と。
2011年06月05日(日)
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