にゃんことごはん
ごはん



 ジゴロのショーに篭絡されつつ作るかまぼこは、美味なのか?

おお、連日更新3日目。偉いぞ、私(暇なのか、気まぐれなのか、逃避なのかは定かではない)。

今日の夜は、初挑戦のかまぼこ作り。いろいろ手間がかかりそうなので、キッチンにポータブルTVを持ち込んで、忠臣蔵かなんか眺めながら、作っていた。こういうとき、時代劇はいい。なんたって、たいていの筋書きを知っているから、手元に集中して見逃しても話が見えなくなることはない。

んで、白身の魚を捌いたり、叩いたりしていたのだが、途中からショーがキッチンのドア前でうるさいうるさい。根負けしてキッチンに入れてやると、なんだか知らないが甘える甘える。ワゴンテーブルの上に乗って、おなかを見せてグルグルしたかと思うと、私が座っている(これまた、かまぼこ作成のために持ち込んだ椅子)に前脚をかけて伸びをしてグルグル。

ちょうど、タネを休ませているときだったので、喉のところを撫でてやると盛大にグルグル言いつつ、くねくね。心なしか目つきまで、うつろだ。そのうち、グルグルいいつつ、悶えていたワゴンの上で眠ってしまった。

なんだったんだろう、いったい? と思いながら、最後の仕上げで、かまぼこを蒸し上げる。出来上がった自家製かまぼこは、かまぼこというよりは、単なる魚の蒸したのだった。今まで、たいていのお節は、出来合いよりも家で作ったほうが安上がりで、そこそこおいしいと思っていたのだが、かまぼこは手間暇考えると買ったほうが断然お得な気がする。

◆リュウが私よりもでかくなってくれたので、大掃除は便利だ。高いところはリュウ、低いところは私で決まり。今日はセッセとドアと窓拭きをしてくれた。

* 朝−昨日の牡蠣飯、豚肉とナガネギと卵のスープ
* 昼−ラーメン(白菜、下二田ネギ)、鶏肉と小松菜炒め
* おやつ−チーズトースト
* 夜−クリームスープ(かまぼこに使わない血合い部分、ブロッコリー、たまねぎ、ピーマン、にんじん、きゃべつ)、帆立とミズナの酢の物

2003年12月30日(火)



 そりゃ、猫の手も借りたいとは言うけれどさ……その前脚は、なんなのさ

年末の大掃除祭り開催中の我家。

「何十部屋もあるような大邸宅ならいざしらず、たかだか3LDK。大掃除だからって特別なことをする必要はありません」と豪語していたのは、母だ。確かに、母は生前、家中を常にピカピカに磨き上げていた。きちゃなかったのは、6畳に本棚が林立していた私の部屋だけ。その私が社会人となって家を出てからは、ほんとチリひとつないような家だった。

で、まあ、その母の死後、ここに住んでるのは私だから、大掃除にもそれなりの意味がある。ピアノを動かせば、ネズミの玩具が20個ほども見つかるし。ショーは大喜びで、ピアノの後ろに入り込んで掃除機などかけられないし。

大型の掃除機の電源を入れるやいなや、逃げ出すのはともかく、何ゆえ猫はノズルに戦いを挑むのだろう? そして、何ゆえ、ガーガーと騒音を撒き散らす掃除機を他所に、ポッポは居間のソファで寝こけているのだろう? 大掃除をしながらも、謎は深まるばかりだ。

夜は塩抜きした数の子の薄皮を剥いて(薄皮を剥いたのはリュウ。なぜか数の子の薄皮剥きが好きだったりする)、ダシにつけた。潮臭いのが好きなニャンや練々が、そりゃもう手を出そうとして大変だった。

年末で、なんとなくざわついている家のなか。猫たちも、なんとなく騒ぎに参加しつつ、「おーっと、手を出すんじゃない」と前脚をはたかれている。かまぼこの材料に使う白身魚とか、たつくりの材料になるおじゃことか。猫の大好きなものが、いっぱいいっぱいあるから。そりゃ、手を出すなというほうが無理なのだろう。

こんな年の瀬も、それなりに楽しいのだが、母が生きていたら、眉間に皺が寄りっぱなしだっただろうなあ……うん。

◆風邪気味で食欲のないリュウ。とはいうものの、夕方、買い物に出た中華街で「肉まん、食べたい……」。中華街の肉まんは、でかい。コンビニの肉まんの三倍ぐらいある。それをペロっと食べて、「うーん、ちょっと食べたら、かえっておなかすいちゃった」。この調子じゃ、風邪のほうが逃げていくだろう。

* 朝−トースト、卵スープ(大根、ネギ、ミズナ)
* 昼−ホットドッグ(ソーセージ、キャベツ)、ポテトサラダ(玉葱、きゅうり、蒸し鶏)
* おやつ−肉まん
* 牡蠣の炊き込みご飯(大根菜)、豚肉と小松菜の炒め物(にんにく)、ワカメと白菜とエリンギの澄まし汁

2003年12月29日(月)



 我家の猫が揃ってお気楽なのは、私のせいなのか?

猫は飼い主に似る……らしい。いや、猫に限らず、なのかもしれないけれど。

だとしたら、我家の猫たちが好き勝手にのほほんと生きているのは、私に似たからなのだろうか? それぞれ個性はあるものの、そう気難しいのもいなければ、トラブルになるほど攻撃的なのもいないし、隔離しなくてはならないほど神経質なのもいない。平和主義といえば聞こえはいいが、要は、おおざっぱなのだ。

一日に一回か二回、ふにゃら〜とそれぞれのやり方で甘える以外は、私など眼中になく、ご飯さえあればご機嫌。雷が鳴ってもぐーぐー寝こけているほど図太い。

友好的で性格も温和といわれるキジのニャンとキラリンはともかく、我家に来た当初、寂しいのか情緒不安定なのか、あおあお鳴きどうしだったポッポは、いつのまにか鳴かずに尻尾をパタパタさせる猫になってしまった。見るからに繊細でポッポ以外の猫となじまなかったジュリナはいまやルノアール風おでぶ。キラリンとニャンの下敷きになっても、ものともせずに寝ている。

神経質な猫が多いといわれる白猫だが、練々はどこをどうみても神経質とは対極にあるし、子猫のころは音に敏感で、ちょっとの物音でビクンとしていたショーは、寝ていようが醒めていようがマイペースとしかいいようのない猫になった。

唯一、気難しくて自己主張が強くて怖がりだったあみっちでさえ、ここ一年ばかりは、ひとの膝の上で腹を出して平気で寝てしまう。

なんでうちの猫ってば、ほや〜としていて食い意地がはっていて、人生是極楽みたいにへら〜としているのだろう。もっとこう、キリッというか、シャキッというか、あるいは猫らしく謎めいているとか、怪しげとか、違ったあり様もあるだろうに……と常々思っていたのだが、もしかして、それは私に似たからなのだろうか。

それとも、私がただ、猫たちの深い苦悩や悲哀を見抜けないだけなのだろうか。と、脱力しきった姿を見つつ、考える冬の夜。

◆カキをたくさんいただいて、カキ尽くしの数日。酢牡蛎に、バター焼き、鍋。なんて贅沢なんだろう。しかし、どうして目をそらした隙に、数が減っているのだろうなあ、そこの君!

* 朝−チーズトースト、豚肉と小松菜炒め、トマトと卵のスープ
* 昼−煮込みうどん(鶏肉、下二田ネギ、揚げ)
* 夜−牡蠣鍋(大根、白菜、焼き豆腐、しらたき、えのきだけ、下二田ネギ)、サーモン丼(ノリ、ミズナ、ノリ)、インゲンバター焼き、切り昆布煮物(大根皮、にんじん、揚げ)

2003年12月28日(日)



 桜海老を猫たちに強奪された本日の夕飯

猫を食卓にあげてはいけない、というのは、躾の面からというよりも、塩分の強いものや猫の身体によくないものを食べられてしまうことを避けるため、と、最初の猫ニャンを飼うときに言われた。

食べ物に関する猫の記憶は非常にいいらしくて、一度味をしめたら最後、絶対に狙われるのだそうだ。

でも、猫は食卓にあがりたがる。最初は、あれこれ防御していたが、そのうち諦めた。で、干物は拉致され、鶏肉は消え、帆立貝は蹂躙される。だれ、とは言わないが、ホットプレートで焼かれている肉に手を出そうとするアホもいて、目が離せない。食卓は常に戦場だ。食うことは戦うことなのだ。ひとりっ子のリュウは兄弟間の食の戦いは知らないが、猫相手の戦いは知っている。リュウの隙をついてそろりと手を出す猫たちと、さっと手をかざして防ぐリュウ。案外、動体視力の訓練になるかもしれない。

さて、今日の夕飯のメニューに千切りの大根と昆布(出しをとった残り)と桜海老の酢の物があった。カボスをかけていたので大丈夫と油断していたら、やられた。ニャンと練々が、うまいこと桜海老を前脚の爪にひっかけて捕獲し、そそくさと食べている。適当にカボスをかけたので、かかっていないところを狙ったらしい。

桜海老は、一応無着色で塩味も薄いものだったので、狙われるうっとおしさに負けて、ひとつまみニャンと練々にあげたら、さあ、大変。くるわくるわ、ジュリナにキラリン、自分では食べないくせに、みんながよってくるからやってきたショーに、あみっちまで。まるで桜海老祭りのような食卓の上と下。

そんな騒動をよそに、ぐーぐー寝ていたポッポが、なぜかいとおしく思えた夜だった。

◆頭の芯の重いのがとれない。風邪の後遺症なのか、肩凝りか眼精疲労が原因か。仕方ない、四十数年もの中古品だもの。車と違って乗り換えはきかないし。
 さて、昨日に引き続き、昼食はサンドイッチ。というのも、リュウが来年中学になって給食がなくなったら、弁当はサンドイッチがいいと言い出したからだ。もともとご飯党ということもあり、パンは食事と言うよりはオヤツ感覚だったのだが、一度、サッカーの試合の日、ご飯を炊き忘れて急遽サンドイッチにしたら、これが意外なほど好評で、以来、試合の日のお弁当はサンドイッチが定着したのだ。確かに朝晩はご飯なわけで、だったら弁当がサンドイッチというのもありかもしれない。ということで、試しに、昼をサンドイッチにしているのだ。しかし、ダイエットとは無縁な運動部少年とはいえ、カロリー摂取のためにバターとマヨネーズを多めに、なんて、なんだか理不尽な気もする。

* 朝−昨日のみそ汁、チキンライス(玉葱、インゲン)
* 昼−サンドイッチ(蒸し鳥とチーズとレタス、牛肉と卵とトマト、豚肉のハンバーグときゅうりとレタス)、クリームスープ(玉葱、牛乳)
* 夜−ラム肉と野菜炒め(キャベツ、ピーマン、にんじん、にんにく)、かぼちゃのバター焼き、問題の(笑)大根と昆布と桜海老、白菜と下仁田ネギのスープ

2003年12月23日(火)



 冬至の猫には、カボチャもゆず湯もいらないらしい

お天気続き、乾燥して夜は寒いが、昼間は陽射しが温かい。

まんじゅうこと練々は、窓辺で丸くなってさながら発酵中のまんじゅうの生地のようだし、ポッポとジュリナとキラリンは日の当たるソファで、黒ゴマとアンコとみたらしのダンゴのように重なり合っている。

あみっちは、いつも変わらず私のパソデスクの足元のミニホットカーペットにいるのだが、ニャンは、あみっちと一緒にミニホットカーペットにいたかと思うと、ダンゴ三兄弟のなかに紛れていたりする。そして、ショーだけが寝ないで、陽射しのなかに舞うホコリを追いかけて遊んだり、私を付け回したりしている。何はともあれ平和な午後。

今日は冬至なのでカボチャを煮たのだが、猫たちは通りすがりに匂いをかいだだけでプイと無視。カボチャは食べないか……。

ゆず湯にしようと思ったら、ゆずが売り切れていたので、仕方なくカボスを四つ割にして代用。柑橘系のいい匂いがたちこめるが、ニャンは鼻の穴をひくひくさせて、嫌そうな顔をしていた。まあ、柑橘系は鬼門だものなあ、彼らには。

◆寒いのと、風邪をひいて食事の支度が面倒なのとで、このところ鍋物続きだった。寄せ鍋、常夜鍋、鶏鍋、あんこう鍋にすきやき。野菜たっぷりだし、温まるし、支度も後片付けも簡単だし……ああ、日本人でよかったとつくづく思う。

* 朝−磯辺巻き、小松菜と茹で豚のチーズ焼き、じゃがいもと玉葱とトマトのスープ
* 昼−サンドイッチ(蒸し鶏とレタスとチーズ、牛肉と卵とトマト)、コーンスープ
* 夜−赤魚の粕漬け、かぼちゃ、切り昆布の煮物(大根の皮、ごぼう、にんじん)、白菜と豚挽き肉の重ね蒸し(ザーサイ、ナガネギ)、みそ汁(里芋、かぶ、かぶの葉、にんじん、ひらたけ、下二田ネギ、揚げ)

2003年12月22日(月)



 ショーと練々のジゴロとヒモな日々

基本的に個人主義な生き物と言われる猫だけど、兄弟猫はやっぱり仲がいい。ポッポとジュリナを見ていると、つくづくそう思う。

ニャンは面倒見のいい長男猫だけど、基本はやっぱり個人主義だ。ただ、彼は平和主義でもあるので、来るもの拒まずでだれのことも毛づくろいしてやる。あみっちは、そんなニャンのことが一番好きで、ニャンのところには、いつも自分から寄って行く。キラリンも基本は個人主義だが、ニャンと似たところがあって、だれとも仲良くしたがる猫懐こい猫だ。ただ、あみっちには逃げられている。追いかけて、さらに嫌われるという墓穴を掘るタイプ。でも、ジュリナやポッポとは、よくくっついて寝ている。

こうやって見ると、徹底してマイペースなのがショーで、ショーについでマイペースなのが練々だ。が、彼らは、常に私に付きまとうという行動形態が似ているため、よく鉢合わせをする。そして、コミュニケーションの撮り方が、正反対なのが面白い。

一定の距離を置いて気を引こうとするショーと、その隙間に潜り込むようにしてスキンシップを図ろうとする練々。たとえば、ショーは寝ている私の周囲を一周して顔を覗き込み、最終的に掛け布団の上で丸くなる。対して練々は掛け布団の上に飛び乗ってニャーと鳴き、布団のなかに潜り込む。あるいは、ショーが足元にはスリンを身体を擦り付けるのに、決して膝には乗ってこず斜め後方30度ぐらいの視界の端やドアから半分だけ顔が覗く位置で監視するとしたら、スタタとやってきてなんのためらいもなくストンと膝に乗っかるのが練々(ニャンやあみっちでさえ、これから膝に乗るよという合図を送るのに、そんなの一切なし)。

そしてそんな彼らは、身体の大きさが同じくらいなものだから、一緒にいると、なんだかおかしい。クラス替えで、それまであまり顔を合わせたこともなかったのに、なんとなくつるむようになった男子中学生のようだ。仲がいいような、戸惑っているような微妙な距離感で歩いているのを見ると、ついつい笑ってしまう。

◆このところお天気続きで嬉しい。リュウがでかくなったせいで、洗濯物の枚数は変わらなくとも、嵩は圧倒的に増えているからだ。昔は小さい服をチマチマと干していて、それはそれで面倒だったのだが、ときどき懐かしくなる。

* 朝−タラコのお握りと昆布のお握り、餃子(前日の残り)、ほうれん草の胡麻和え、もずくと卵のスープ
* 昼−しょうゆラーメン(豚肉、玉葱、にんじん、キャベツ、ピーマン)
* おやつ−チーズトースト(トマトとマシュルームのスープ)
* 夜−サーモン刺身丼(スリゴマ、ノリ)、里芋とゴボウのみそ汁、コロッケ(じゃがいも、玉葱)withパスタサラダ(サニーレタス、トマト、ブロッコリー)

2003年12月14日(日)



 あまりのショックに立ち直れない

今日は、とてもショックなことがあった。猫とはほんど関係ない、我家の大猫ことリュウ(人間の♂)の話なので、興味のない方は、どうか読み飛ばしてください。

リュウは小学校6年生なので、順当にいけば来春卒業だ。で、このところ、卒業文集だのなんだのと、卒業がらみのもろもろの作業で忙しかった。

そのなかに「好きな言葉」を書くというのがあったのだが、リュウの選んだ言葉というのが「気合・努力・根性・やる気」。前々から、どうもこいつは体育会系だと思ってはいたのだが、ここまで体育会系だとは、知らなかった。自慢じゃないが、母親である私の座右の銘は「ケ・セラ・セラ」だし、好きな言葉は「棚からぼたもち」だ。なぜ、このような母から、こんな息子が生まれ育ったのだろう。

リュウが選んだ4つの単語のなかで、辛うじて私にひっかかりそうなのは、気合ぐらいだ。でも、それも「ケ・セラ・セラ(=別名、明日は明日の風が吹く)」でやってきて、どうにもいけなくなったときの、いわば火事場の馬鹿力的な気合でしかない。やる気は、まあ気が向けば、たまに発揮することはあるが、努力や根性に至ってはまったく縁のない言葉だ。

育てたように子どもは育つと言ったエライ(らしい)ひとがいるが、リュウをこんなふうに育てた覚えは、私にはまったくない。つまり、彼は私が育てたのではなくて、どこかのだれか−−気合に満ち、努力を怠らず、根性があって、やる気もあるひとが育てたということなのだろうと思ったら、なんだか、ものすごくショックだった。子どもなんてものは、いずれ親離れするものだし、男の子にとって母親などというものは、エサとねぐらを保証するものであればいいのだということは重々承知していたはずなのに。

で、いったいだれがリュウを育てたのだろうとあれこれ考えたのだが、特定はできなかった。もしかしたらリュウが乳児期から幼年期の大半を過ごした保育園の園長先生かもしれない。リュウが敬愛する小学校の某熱血先生かもしれない。あるいは、毎週サッカークラブでお世話になっているコーチ役のボランティアお父さんたちかもしれない。

いずれにせよ、ぐうたらで酒飲みで、ジゴロな猫のショーとヒモな猫の練々に、日々もてあそばれて(は喜んで)いる母親ではない……ということなのだ。

◆そんなわけで、我家は生命力に満ち溢れた食欲旺盛な猫と大猫のおかげで、エンゲル係数があがりっぱなしだ。ああ、どこかから猫ご飯と人間ご飯が降ってこないかなと、「棚からぼたもち」を夢見る母であった。

* 朝−クロックムッシュ(チーズ、ホワイトソース、ハム)、ブロッコリー、卵焼き、クリームスープ(じゃがいも、にんじん、玉葱、牛乳、チーズ)
* 夜−いくら丼(ノリ、貝割れ大根)、カボチャの煮物、温野菜のサラダ(里芋、にんじん、なばな、ごぼう、サニーレタス)、グリーンアスパラの明太マヨ和え、ワカメとシジミのみそ汁

2003年12月12日(金)



 ジャン・コクトーの絵を見て、思い出したこと

二、三日前、ジャン・コクトーの生涯と作品を扱ったテレビ番組を見ていて、昔、このひとの絵を初めてみたとき、人物を猫みたいに描くひとだと思ったのを思い出した。初期の素描のような線画をみての印象だったと思う。繊細で、妙になまめかしい線が、猫を連想させたのだろう。

まあ、実際に猫を飼って見ると、猫もいろいろだなあと感慨深くもなる。ポッポは熊だし、神秘のオッドアイ練々はまんじゅうだし……。

でも、あみっちあたりは、コクトーの絵に近いかも。釣り上がった大きな目と、すんなりしたラインは、繊細でなまめかしい。

などと考えていて、ふと思いついた。

そうだ、ジュリナって何かに似ているとずぅーっと思っていたのだが、ルノアールの裸婦だ。あの油絵的なサビ特有の色味といい、豊満な体つきといい、まんまルノアールじゃないか。以来、ジュリナがタプンタプンのお腹を揺らしながら歩いているのを見るにつけ、「おー、ルノアールだ」と笑い転げる毎日。

ちなみにキラリンは、細い首と細い顔と釣り目具合がモジリアニ的だなあと思う。

天然のコクトーにルノアールにモジリアニ。贅沢じゃないか、ははは。
(今度は男の子たちで、なんか考えてみよう……)

◆最近、リュウがうどんに凝っている。いろいろなメーカーのうどんを食べ比べた結果、ご近所の商店街の手打ちうどんが一番、という結論に達したらしい。確かに、こしがあっておいしい。そこは、蕎麦や中華麺、おだんご、赤飯などもあって、どれもおいしい。ついつい買いすぎてしまうのだが、あっという間になくなるから、いいとしよう。

* 朝−サバとトマトとブロッコリーのチーズ焼き、鶏レバーの唐揚げ(おろしポンズ=昨日の残り)、しめじと大根のみそ汁
* 夜−鶏もも肉の塩焼き、ラム肉の野菜炒め(玉葱、にんじん、ピーマン、キャベツ)、パスタサラダ(きゅうり、小海老、サニーレタス)、もずくの澄まし汁

2003年12月08日(月)



 ポッポはやっぱりゴジラだと思う12月

TVで「ゴジラvsメカゴジラ」をやっていたので、見た。毎年、この手のお正月映画は必ず映画館で見ている怪獣映画オタク(笑)の親子だが、今年の正月はリュウと私が立て続けにインフルエンザ(たぶん)にかかってダウンしたので見損ねていた。

この年末から正月にかけて公開されるのが、前回の続編的な位置付けだと聞いていたこともあり、「こりゃ、みなくっちゃ」と(しかしミーハーな親子だ)。突っ込みどころは多々あるが、メカに感情移入するあたりはいかにも日本的だなあ、とか、遠隔操作のメカゴジラに、最後、人間が乗り込むあたりは、脈々と続いている「ガンダム」系アニメや戦隊もののテイストなのかしらと思ったり。なかなか楽しかった。

で、やっぱり、ポッポはゴジラだよなあ。ゴジラのあの、重ったるい動き方とか、キロンと目を剥く様子とか、恐怖の怪獣のはずなのに妙に愛嬌のある仕草とか。
その辺が、とてもポッポと似ている。

だいたいゴジラは、別に人間社会を征服してやろうとか、のっとってやろうとか、殲滅してやろうとか思っているわけではなく(この辺が、完全に異性物と敵対するハリウッド映画との違いじゃなかろうか、と思ったりするのだが)、単に自己の生存のために、エネルギー源である原子力発電所を襲ったりしているだけなのだ。つまり、「腹減ったから、なんか食わせろ」という単純な生存本能に従って行動しているだけなのに、なまじでかくて、しかも食い物が原子力だから、大騒動という……。

この辺の理不尽さも、猫並み外れてでかいだけに、新入り猫からは怯えられる(でも、性根は甘ったれの赤ちゃん)ポッポの悲哀とよく似ている(と勝手に私が思っているだけだが)。
そりゃ、ポッポがズンズンと近寄ってきたら、たいていの猫はビビってしまう。だって、小熊かとおもうほどでかいのだから。本性は、我家で一番か二番目にチビのキラリンに追いかけられて、「ひにゃー」と鳴いて逃げる臆病ものなのだが、そんなことは、わからない。

ゴジラも、いじめられるのわかってるんだから、正月のたびに日本に近づくなよなと、つい言いたくなってしまったりもするのだが、これが我家の正月行事なので、今年も元気にお出まし願いたいものだ、と。で、リュウと「やっぱり、ポチだよな」と言いながら映画館でゴジラを見たいものだ、と。切に願う、12月だった。

◆肩が痛い。脱臼の後遺症か、単なる肩凝りか、はたまた五十肩かは、不明だ。いずれ治るだろうと楽観しつつ、つい肩を酷使して「あいてて」と言っている私に、リュウが「年なんだからさあ、おいらがフォローできないような無理、すんなよなあ」と言うもんで、ちょっとショック。

* 朝−鶏唐揚げwithブロッコリーのチーズ焼き、じゃがいも入り卵焼き、プチトマト、大根のみそ汁
* おやつ−トースト
* 夜−ラム肉とピーマン炒め(玉葱)、豚挽き肉とグリーンアスパラの春巻き、トマトとキュウリと蕪のサラダ、大根の明太マヨ和え、大根菜とエリンギの卵スープ

2003年12月02日(火)
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