例え自身の虚像で在っても。
例え自身とは懸け離れた、 相手の創り上げた自分の像でも。
相手の芯に自身が住まい、 日に何度か、 相手が其の像へ話し掛ければ。
想いは育って行くのだろう。
日々の、 相手の状況を、 何処迄把握出来て居るだろうか。
そんな想いは、 分を弁えぬ想いだ。
日々を過ごすのは、 自身では無く他の個体だから。
精神の拠り所として。
自身が相手の傍に在れば、 其れで良いと想う。
故に。
自身の芯に、 相手の存在が消える時に。
不安や疑心や離別が、 鎌首を擡げるから。
自分の姿を。
相手の芯に、 置いてあげる事が大切なんだ。
相手の全てを把握出来なくても。
小さな彼と彼の祖母が、 年末交わした会話。
「お母さんが再婚したら。」 「どうする?」
「今好きな人は居ないみたいだけれど。」
未だ絆を断つ以前に、 小さな彼が感じ取った其処に。
貴女の姿が、 凝集されて居るに違いない。
貴女は。
単純で、 素直で、 分かり易い人だったのに。
既に貴女の芯から、 俺の像が消えて居た事に。
如何して、 気付けなかったのかな。
---------- References Dec.31 2003, 「二度目は何を想って居ますか」 |