想いとはきっと、 片割れの心のみでは成立しない物。
例えば何かを示した相手と、 受け取る自分と。
或いは何かを発した自分と、 受け止める相手と。
両者が想いと認識してこそ、 想いは想いたる地位を獲得する。
けれども。
例え想いに溢れていると認識した行為は、 同じでも。
互いが得た想いが、 一致した同じ物とは限らない。
同じ事を経験しても、 育った想いは、 同じ物とは限らないから。
「其れ故に語り合うんだよね。」
奴は俺の問いに、 何の関係も無さそうな話を持ち出した。
「もし。」
「あなたが私を迎えられる様になって。」 「私がちゃんと離婚して。」
「でもその時には。」 「私が子供を産めなくなっていたら。」
「どうする?」 「別れる?」
奴の彼女が、 奴に投げ付けた想い。
「親戚は泣いて駄目だと言うよ?」
「あなたは優しいし、」 「お母さん思いだから。」
「きっと無理だよ?」
奴の彼女が、 奴を想って投げ付けた想い。
俺と貴女に、 此処迄の信頼関係は無い。
俺と貴女に、 此の応酬を受け止める力は、 きっと無い。
「俺、幸せだ、きっと。」 「お前は未だ其の域に達していないだろう?」
惚気る奴の姿に。
「其れでも時間は迫って来るだろう?」
俺は負け惜しみを突き付けた。
---------- References Sep.18 2003, 「時の進みが早過ぎませんか」 Dec.19 2003, 「想いを遮るのが想いでしょうか」 |