かたほうだけのパンプス
敦子
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東京竹富郷友会第89回
2014.5.25國學院大學たまプラーザキャンパス内にて第89回東京竹富郷友会<が開かれた。
大正14年、竹富島から上京した崎山用枝初代会長で嘉利勇士会として銀座(京橋)の蕎麦屋の二階で創立総会を開く。
沖縄復帰後くらいまで本土では沖縄バッシングが強かった。
沖縄八重山、竹富島から勉学のため、仕事を求め、そして何よりも長男以外は家を分家していくため次男以降のほとんどは、石垣島や沖縄本島、九州、関西そして東京へと散っていくのであった。沖縄は昔、特異の存在とされていたらしい。
今回の新会長のお父様が以前会長をしていたときに正式に「東京竹富郷友会」となった。
竹富島は、その大昔、西塘(にしとう)様が八重山から初めて首里城に上って職務を果たしたことから西塘様を称えている。
西塘の名を用いて会の名称とするかといろいろあったらしい。沖縄本島では西塘会と言っている。竹富郷友会は、四国にもあるらしい。それは戦争中、竹富島に在留した方々と固い絆で交流が続いていた。
今回会長となった瀬戸克氏のお父様は竹富島の蒐集館を開いた上勢頭亨氏の弟で会長を以前務めていた。
以前は、竹富島から上京した純然たる竹富人にて郷友会は行われていた。
その各々が家庭を築いてその子供たち二世。さらに二世の子供たち三世。私は三世。
一世の方々が中心でやっていた頃から、二世三世に継いでいって欲しいというのが課題になっていた。
子供たちにすれば、親父の田舎のことだろー。お袋の田舎のことだろーという面があった。二世三世の親が次男や次男以降や嫁入りした女性は何も持たずに島を離れるのだが、なかには、長男でいずれ島に戻って家を継ぐ者もいる。私が竹富島のことから離れるわけにいかないのは、島に未だに受け継ぎがうまくいっていない事柄が残されている。そのため竹富について調べている。単なる郷愁の人もいる。竹富島の熱烈のファンの人もいる。
以前は、会は単なる田舎の郷愁の会で関係ないと思っていた。でも問題が次々と出てきたり、興味深いことや私しか知ることがなかったことが次から次と出て来た。
今回の二世の会長は、私が幼いころから身近な人だった。私が倒れたときに連絡くれた人だった。というより彼だけが早々に心配してくれていた。
今回の会の役員はほぼ二世、三世という構成。以前はオール男性だった。そして女性も役員をやるようになってきた。今のような状況を会を大正時代に創立会長をした崎山用枝さんが聞いたらどう思うだろう?
今年から新しいモードになっていく東京竹富郷友会をどうぞよろしく
2014年05月27日(火)
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栄養まるごと摂りたいとき
脳卒中になって手術後しばらくは点滴をしていた。「いい加減、腹空いたし〜なんか食わせろ!」気分がよくなってきて固形のものを食べたくなっていた。術後はじめて口にできたものはこれ
味がほとんどない透明ゼリー状をスプーンに出して一口ずつ看護師さんが食べさせてくれた。「飲食OK」が出たので、やっと栄養を口から摂ることに移行したのだった。それから出された食事はガンガン食べて、点滴は外れた。回復の決め手はなんと言っても食べる力だ!でも、脳卒中の場合、咀嚼や飲み込みが難しくなる。
私の場合、身体も動きが悪く、左手が動かしにくいのと、右手も過去の脳卒中の時点から細かいもの微妙なものがわかりにくい。例えば紙の表裏とか、微妙な肌触りとか。握力も弱い。そこで困る(残念)のは、こういった魅力的な野菜を頂いても調理がうまくできないということだ。
鼻が生えてしまった(?)茄子
匂いがいいからと飾っておけば!と頂いた。
夫が
山で仕事した時
に地元の人から頂いたラベンダー
これももらったんでした。
色がきれいだけどどうやって調理しようか〜?
こんなかんじで野菜とか色々もらうんだけど調理の仕方がわからなかったり、力を要すること、細かな作業が出来ない私のような人は、よい栄養を摂るべきだけど難しい。野菜をすりおろす下ごしらえが高いハードルになってる。
そんな私にミライから
キリンの「とろ実」で野菜を手軽に
というメールが舞い込んだ。
これはよさそう!興味津々
最近、飲みたいミネストローネとか、スパゲティのミートソースとかエトセトラ・・・これは使える!
2014年05月22日(木)
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今日のネイルはゴールドイエローだもの
私のいけないところだ。
すぐに初心を忘れるというかぶれてしまう。
成功者は、絶対にぶれない。
でも成功のために結婚は諦められたか?
アイ ラブ ユーのない生活でも後悔しなかったか?
私は、弱いのか?
本当に求めているものは意外と手放していないのかもしれない。
成功しても、愛のない日常を過ごしている人のことを心のなかではバカにしている。
どんなに激しい官能小説を書こうとも、深い純愛を書こうとも。
この人にとっては絵空事なんだ。
こんなふうに見ている私はきっと負け惜しみの強い女なんだろうな。
あー、やだやだ。
私が愚痴ると夫は「所詮そうだよ。そんな奴のこと相手にするな」そう言われると自分の嫌なそんなことを肯定して逃げてしまう。
というのは、女は、自分がハッピーでないと余裕がないのだ。
実は卑屈で、汚れた水で顔を洗ってもキレイにはなれない。
成功者は、お金はあるので金を使える自由はあるが、心は硬直しいつも解放されない。
そんな女。でも、世の中はキレイだと。
憧れの対象としてスポットを浴びせる。
女性ホルモンは買うものではなく、満ちてくるものだと思っているから。
私の自流に合わないだけなのかもしれない。
見てくれがキレイそうであれば、幸せで満足なのか?
私は、古い女なのかもしれない。
どうもそこに満たされる感覚を覚えない。
アメリカの映画「セックス&シティ」なんだと思う。
他人が満足してくれても私が納得していないと笑えないんだと思う。
女優じゃない。女は演じて何ぼのはず。
私は男か〜?男っぽい女なのかも・・・。
いや、女に見える男なのかもしれない。
2014年05月21日(水)
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フェイスブックナンパはやめましょう
いつも外人なんだけど・・・。
日本人はさすがにないですよ。
年齢公開しているからわざわざおばはんナンパするようなバカはいない。
けれども、外国人からみると日本人は若く見えるのか?年齢なんてみてないのか?気にしないのか?
とにかくダイレクトすぎて戸惑うというか、うざい!
私のまわりのフェイスブック利用者は外人からのアプローチはないらしい。
えー。あるよ、しつこいし。会ったこともないのにすぐに結婚しよう!とか、
お食事いかが?
えー、そっち遠いやん。時差あるし、よくも会ったことないのにSNSの画像とかをさらーと見ただけで積極的だな〜。
私はカリフォルニアにたくさんお友達がいて、旦那さんが米兵の人がいるせいで、その情報が回っちゃうのか?
以前は、イラク在中の医師とか、本国(米国)に帰って来てあなたに書いていますとか・・・。
カリフォルニアの友達にスカイプで言ったら笑われた。
女と見たならば、すぐ誘いだす。奴が今度の相手と知って〜♪by郷 ひろみ
ハリウッドスキャンダル♪
家族構成とか私の事情を書いてバイバイと書くとたいていまくことが可能だが、今日の奴はしつこくメッセージを書いてくる。
前もいやな感じの奴は、英国人。今日のメッセージの男もどうやら英国人ぽい。
森瑤子の小説を思い出していた。
中年女性が主人公。といっても三十代みたいだけど・・・
ただね、日本人もこれくらいの熱心さが必要だと思う。
昨日、美容院へ行ったら三十代の独身女性が男性美容師さんに結婚のことを相談というか、空虚感みたいなことを話していた。
その美容師さんは既婚者。
私は、横から聞こえていて・・・心のなかで・・・フェィスブックなら外国人でもいいならすぐアプローチあるよ!とよっぽど言ってあげようかと思った。
2014年05月20日(火)
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佳那晃子さん、リハビリにおすすめ
女優の
佳那晃子
さんが去年はじめに、クモ膜下出血で倒れていたんだそうですね。全然、知りませんでした。そうとう悪く、危険な状態だったそうですが少しずつ反応が出てきて、現在はリハビリで歩けるように!と少しずつ動く方に向かっているとか・・・!
クモ膜下出血は、脳のクモ膜の下で出血するタイプの脳卒中だとリハビリの先生が教えてくれた。そうとう痛かったりで、すぐに亡くなる場合も多く助かっても植物状態の場合もあるとか。
でも、少しずつだけど快方に向かっているとのことだ。リハビリは、まずは、ベット状で座ることから始まって、ひとりで車いすに乗り降り、装具つけて杖をついて歩く、最終的に装具なし、杖なしで倒れる前と同じように歩行できるようになるのがひとまずの目標!
私は、その段階を踏んでいて、あともう少しで杖なし!装具は一年くらいして外していた。そのときに困ったのは、歩行よりも靴の脱ぎ履きがスムースにいかないことだ。
そこで脱ぎ履きしやすいリハビリ用の靴を探した。デザインもなるべく可愛いものにこだわった。
装具が取れて、普通のスニーカーやウォーキングシューズ等はまだ無理だけど・・・というようなあいまいな状態や高齢者でソフトな靴がいいとか、室内履き等におススメ。ネットの通販で探し買ってみた頃のことをご紹介。
まず、ひもを結ぶとかジッパーとかではなく、マジックテープ。それも緩めなので手の力の弱い方も安心。履かせる場合でもスムースです。
ポイントは、腱の部分のリングを履くときに軽く引っ張ったりするとフィットする。見た目シンプルだけどそうとう考えて作られている!私はこのリハビリ靴の
ナビス すたこらさん24.0/24.5 ブラック 0-7611-02
にどんだけお世話になったことか。ありがとう。ありがとうと何度ありがとうを言っても言い足りないほどにこの靴にお世話になったことか。
ナビス すたこらさん24.0/24.5 ブラック 0-7611-02
これにお世話になってこのシリーズのサンダルも買ってみた。
箱は派手だった!
型崩れないように緩衝材で守られていた。
ケアシューズ すたこらさんソフト 2FIT ブラック 25.0-25.5cm
こうみると一見普通のサンダルだ。
でもしっかり、マジックテープだ!
ただ、私は歩き方のせいかサンダルの方は相性が悪かったみたいであまり履かなかった。
でもリハビリの靴にもサンダルもあるということで紹介した。
【外履き用、健康靴】すたこらさんソフト 2FIT ■ベージュ ■ 24.0cm
2014年05月19日(月)
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本どガール(ボンドガール?)
今住んでいる街にはなかなか本屋がない。歩いて行ける範囲内にある本屋が今月閉店する。今まで貯めたポイントは無効になってしまう。私は、身体の半分が病気の関係で身動きしにくのと、重たいものは持てない。それに今は車の運転は止めている。そういうわけで読みたいと思った本を気軽に求めることは難しくなっている。
これは、私の拙い作品が載っている。筆名はていーどん3世ではない。
これは、テレビで紹介されいていたけども近所の本屋にはなかった。しばらく探しあぐねた。
実は、これもテレビで見た。これは通信販売で買えた。
私が読みたいと思うものはどちらかというとマニアックなほうみたい。
本は、ただのモノということではないから。物体としてよりも内容を得るためにカタチになっているだけだからそれについての情報がないと手が伸びにくい。だから情報を得て、そして読みたいと思ったらすぐ手に出来ることが望ましい〜。
最近、読書量が低下している。もともとそんな読む方ではなかったが、暑かったり、寒かったり、沖縄の先祖についての作業に追われて心のゆとりが低下しているからかもしれない。今日、やっとひと段落したから読みかけの本をゆっくり読めるかも・・・。
私の尊敬する下着デザイナーの鴨居羊子の本。これも手に入れるのけっこう苦労した。
2014年05月18日(日)
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楽天でアマゾンギフトをゲット
遠慮がちな郵便配達員が、ゆうメールを届けてくれた。
それは、消費税8%になったし・・・で調べて楽天カード利用で貯まったポイント交換を申込んだものだった。
カード加入した時点では、こんなお得があるなんて考えもしなかった。
しばらくカードは使わなかった。けれどある時持ち合わせがなくてカードを使った。
それは、毎月引き落としされるカタチの支払い。
その後、郵送された利用明細は、引き落とし金額だけを見て捨ててしまっていた。
でもある時チラッと目に入ったポイントの文字!
利用明細書をよおく読み、さらにネットで検索し、それから電話したりしてポイントが商品や金券に交換できることを確認し、思い切ってポイント交換を申し込んだ。
ゴールデンウィーク前に申し込んだものが今日届いた。約3週間かかった。
JCBなど有名企業の使い勝手のいいタイプの商品券等がたくさんあるが、とりあえずアマゾンのギフト券にしてみた。通常、交換手数料ポイントがかかるが、アマゾンギフトカードは手数料ポイントがかからない。だからポイント交換してもまだポイントは残っている。お得を味わえてなんだか幸せな気分!になった。
2014年05月16日(金)
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沖縄返還前のパスポート
今日5月15日は、1972年の忘れもしない沖縄返還の日。この日が来るまで祖母は、日本へ行く、日本へ行くからと言っていた。私が沖縄に住んだのはこの年から三年間だった。身軽だった。パスポートを持たずに沖縄へ行けることは。
父の荷物を整理しているなかで沖縄返還前に東京から沖縄へ行くために取ったパスポートを参考のためにここに披露したい。
沖縄八重山竹富島で行われる種どり祭と那覇の父の実家へ行くのが主な目的だった。
父が一冊。私は母と一緒で一冊。ここに三冊あるのは、父がその前に取った一冊をとりあえず一緒に載せた。なかは・・・
このとき母は父と結婚してはじめて竹富島へ行った。母の両親も竹富出身なのだが、母は東京生まれ東京育ち。この手帳の取得する前に保健所で注射をしたときの手帳。
なかは・・・
このほかに母は、身分証明書を携帯していた。それがこれ・・・
その頃の母は、まだ若くて(現在74歳)私は言葉の意味がよくわからないくらいだった。当然通貨はドルだった。
沖縄は、戦争直後から一年間はお金の流通が止められたそうだ。
まず、軍票→軍票にA軍票、B軍票とあった。つぎにB円というのが沖縄の通貨となっていった。ところがB円の札も度々変わったそうだ。紙に判が押された程度でサイズも小さくて簡素だというイメージだったそうだ。そして変換まで使われたドルに変わっていったそうだ。
これは荷物に付けた札。父はこんなものまで取って置いてある人なので整理するのにたいへん(汗)だったり貴重な資料だったり・・・している。
2014年05月15日(木)
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ぞろ目エンジェルのお告げ?
昨日、買い物に行ったらレジで「888円です」と思わず、レジの人と笑ってしまった!「8」は末広がりで縁起がいいとされているからプチうれしかった♪
にふにふしながら隣のスーパーマーケットで予定外の買い物をしてしまった。買い物かごを見るとちょっと買っちゃったなーと思いながらもレジに並んだ。
レジがすべての商品がポスを通って「2000円です」
「えっ?」一瞬耳を疑った。千円札二枚をぴらっと出した。
こんなことあるのか?首を傾げたり、喜び?ながらスーパーを後にした。ぞろ目を見たというのは何か意味があるのか?
調べてみた。検索してみると
こちら
のサイトにたどり着いた。
ふむふむ・・・。とりあえず納得したものの、そのことにそう深くこだわらず、本日またも買い物に行き、予定外のものを買いまくってしまった。いけない・・・たてつづけに予算外の買い物をしてしまった。するとレジのお支払金額が
「1414円です」「えっ?」今度はぞろ目ではなかったけども、とりようによっては「いよいよ」とも取れる数字の並びだった。ぞろ目ではないけれども数字が交互に並ぶのは意味がありそうだ。本当かどうかは知らない。でも昨日から買い物する度に数字がキレイに並ぶので何でもないといいきれるか?
ぞろ目、並んだ数字の意味だけど・・・
888・・・は、実りなのでそろそろ刈り取りましょうという意味らしい。
000・・・は、一巡してまた元に戻るという意味らしい。
私のレシートは、2000円だったので
2・・・の意味は、自分自身を信じろという意味らしい。
それで本日の
1414・・・必要なものはもたらされるので、エンジェルとつながることにリラックスしなさい!という意味らしい。
本当か?ほくそ笑むというか、狐につままれた感じもするレシートのたまたま並んだ数字に驚いたり、喜んだり・・・。こういうこともあるんですね。
ただ、消費税が8%になったため今までにない金額を目にすること多くがなったり、ぞろ目が出やすくなったということはよく耳にします。ウソでもいいからこの不思議な数字にまつわることを信じてみようかな〜。
2014年05月14日(水)
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映画WOOD JOB!実際、山の仕事
公開当日に映画「WOOD JOB!」を観て来た。林業の映画と聞いて夫が以前から「観るぞ!観るぞ!」と騒いでいた。
夫は、リス(リストラ)後群馬県の林業をやろうとして必要な資格取得のために森林組合の講習を受講していた。まさに映画のとおりに木を切り倒すための道具の扱い、危険等の対処や知識。
でも年齢の関係でこの映画どおりの林業自体には就くことは叶わなかったが、草刈の仕事を臨時雇用でやっていた。群馬県は山が多いので、手入れをしなくてはならないので、たまに森林組合が募集する。
夫が草刈の仕事をハローワークで見つけると、募集定員以上の人が殺到。面接が厳しかったらしい。どうにか雇われたが、仕事が始まるときつくてやはり脱落者がでる。
都会で生まれ育った夫が都会色のない場面の仕事、風景。空気に包まれていたいらし。草刈の仕事で山に通っていた半年間は、毎日5時起きで、弁当作り。私は脳卒中のために左半身がおかしいので片手のみで出来るようなおかずを用意するしかない。今よりももうちょっと手の動きが悪かったから水筒の蓋を開けたり閉めたり両手を使う動作が出来なくて夫は蓋を開けたり、閉めたりとか、弁当箱を包む布を縛るとかをやって朝はてんてこ舞いだった。
そんなことを思い出しながら映画を観ていた。
映画の中で鹿の死骸があったが、実際山のなかはとても鹿が多いらしい。黙々と仕事をしているとなんか気配を感じて振り向くと静かに鹿がこちらを見ている。小鹿と一緒にいることも。山で怖いのは蛇でもなくもちろん鹿でもなくて猪でもない。熊はちょっと怖いので鈴を持たされるが、それよりも恐ろしいのはスズメバチだそうだ。夫は今でもハチのブーンという音を感じると、怯える。スズメバチは、攻撃性が強いらしい。一匹でも恐ろしいがなんと大群でやってくるのだそうだ。
この映画の監督がヒルにやられるなどのエピソードを網羅して森林のおきてみたいな特性を伝えようとしていたが、山の恐ろしさは、高さでもなく、木を切る道具での事故もあるが、それよりも小さい驚異の(蜂の)一刺しこそが山のヤマのようだ。
映画のなかの主要の役でかっこよく山の男ヨキを伊藤英明さんが演じている。とにかく山の荒々しい男。私は、伊藤英明さんの映画って興味なくて観たことがなかったが、今回の彼の姿があまりにもかっこよかったのでネットで見てみた。知らなかった・・・けっこうワイルドな人で映画のまんまの人だという。でも私は、イケメンってどっか信じてなくて・・・ところが、彼のファンになってしまったのだ。それは・・・
伊藤英明さんは子供時代、腎臓が悪く入院生活を送っていたそうだ。私も同じだった。伊藤英明さんのように完璧には治ったわけではないが、普通に働き子供も産むことができたのでそういう意味では、伊藤英明さんに近いかもしれない。でも、私は、脳卒中に二回なった。
腎臓が悪い人が脳卒中になる率は高い。腎臓は血液に酸素を送り込んだり取り込むとかいうことにかかわっている臓器らしい。私は若いころから高血圧傾向にあった。たぶん生活のなかで血液にいい酸素が取り込みづらい場面が多くなってしまうのだと思う。
脳卒中仲間に腎臓が悪く、進行すると人工透析に行く手前という人がいた。脳卒中になる原因にもともと腎臓が悪い人は少なくないらしい。
それにしても伊藤英明さんは、ステキ♡健康を取り戻し、出来なかったことを思い切りやる!という人生にシフト出来た元気に拍手!
2014年05月12日(月)
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竹富島の神司の子孫
2月に意を決して一人で八重山に行ったのは、本来、祖父の軌跡を辿るのが目的だった。
脳卒中に倒れ生死をさまよい、身体の身動きに難を持った人が一人で旅に出るというのは、そうやすやすと出来るものではない。でも大雪が降った二三日後で高速道路が閉鎖状態のなか、強行して旅だったのは、いや、旅だてたのはなぜか?それはきっと彼女らの引き寄せだと思う。行く直前の大雪。行く直前にエスコートすると言っていた男性&80代女性が突如行けないことになる。なんなんの難続きであった。でも行けたのだ。行って、行く前の不安など信じられないほどのもの凄い豊かな旅になっていた。安ずるよりも生む(?)が易しみたいな・・・?
今回、昭和32年に亡くなった祖父について、祖父の日本統治時代の南洋にいた頃を知る人に会うのが大きな目的だった。ところが、直前になって会わせてあげると言った80代の女性が「神経痛で足が痛くて歩けない!」ということになった。ここで私は早く気付けばよかった。こういうことは先祖の仕業なのだ。会わせてあげると言ってくれた高齢女性には悪いが、先祖はこの人と私を引き合わせたくなかったのだろう。というのは、暮れにも会うことに話は進んでいたが、中間に入ってくれていた男性が連絡をくれなかった。連絡しますから。と言ってくれていたのに〜。そのときは焦るし、人を信じていいものか?と不信が募る。そういうことは、全部先祖の仕組んだことなのだ。
彼らのご厚意はありがたく、出会いには感謝している。けれども私の先祖たちにとって彼らのこれ以上の登場は、私に使命を認識させるためには、邪魔になってしまう。きっとそうだと思う。私が邪魔に思っているのではなくて先祖たちがスムースに駒を進めるためという意味においてだ。八重山に来ないかと誘ってくれたH氏は、日本統治時代の南洋にいらしたお祖父様のことを辿っている。目的を同じくする私たちは会えば同調して日本統治時代の南洋群島帰還者の会の支援活動をすぐに開始することになるだろう!でも、そこのところを先祖は望んでいるわけではない。今回、直前(前日)になって遠縁の親戚から電話が入った。新石垣空港に迎えに行くからと!ここでやっと私は先祖の仕組んだことだと気付いた。遅いよ〜。
あの世に行った人たちの意思をこの世の人に伝えることは基本的には出来ない。だからあの世に行く前にこの世の人でいるときに頼んでおかないとならない。そんなこと普通できない。いつ死ぬかわからないし、死を前提として生を送っているわけではないから。いつでも「今」が大切。いい「今」のために思考して行動する。それこそが「今」だ。でも、竹富島ではそうではない。とくに私の場合。冒頭の写真は、私の曾々祖母、曾祖母。ふたりとも竹富島の六山(むーやま)の御嶽の神司(竹富ではツカサと略している)をしていたことが紹介されている。私にその役が回ってこなかった理由やそこに潜む複雑ないろいろを竹富島の近代、現代の歴史の一部として残す作業を今始めている。それが私の役目だと気付かせるために先祖が仕組んだ引き合わせだったのだ。
2014年05月10日(土)
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結婚は絶対出来る
以前は、スピリチュアルの方の「あなたの今は、あなたが求めた(引き寄せた)ものなのです」ということを信じていた。独身、恋人なし、子供なし、離婚経験者、自殺、鬱に苦しむ人はその人の望むことが現実化したものだから自業自得なのだと思っていた。
独身の人のなかでとっても結婚したい!実は結婚願望がもの凄く強い人がいることを知った。じゃ、なぜ望む通りに引き寄せ、現実化しないのか?!ということについて考えた。
女性のスピリチュアルの人のアドバイスってけっこう漠然としたものが多くないか?光に満ち溢れているとか、あなたのもとへ光が降り注いでいる〜って具体的にどういうことなのか??と思ったことはないか。
そこで私は、スピリチュアルを科学的な観点や現実的に理解する道を模索している。
そういうことを思っていた私は「引き寄せの法則」によって引き寄せられた。
その頃の私の日々は、打ちひしがれていた。病気によって体の自由度が狭まり、仕事も思うように何もうまくいかない・・・という壁に阻まれた気分が深かった。
ある日、一本の電話がかかってきた。音楽療法の誘いだった。疑心暗鬼だったけれども何かに頼りたかったし、期待よりもどちらかというと投げやりに近いような感じでその誘いを受けた。
それはスピリチュアルについて漠然としていたことを科学的にこうであると追及研究している人を紹介してくれたのだった。
まず原始の地球のことから話しはじめた。原始地球は、酸化鉄だったという。酸化した鉄とは錆びた鉄で赤い海。
そして、我々人間は、鉄であるという。血液を舐めると鉄の味がするのは人間の血は鉄分でありさらに磁気があるという。科学者
西堀貞夫
氏はそういうことを話しはじめた。
健康を害するというのは血液が錆びること。血液の錆がとれれば体内をサラサラ血液が流れる。さらに錆が取れていると血や身体のなかの磁気の引き寄せ力が高まり、求めるものの現実化がしやすくなる!という説明をしてくれた。
氏が開発したのはそのために身体に気功師が送る気功の数十倍以上の気を身体の芯というか奥の奥に一気に音楽と共に送り込む開発した椅子のご案内だった。まあ、宣伝だったのである。が、もの凄い高額でおいそれとは買えない。でも高額のガン治療をすることに比較すれば安いかもということだ。が、ここまであれば普通の健康器具の販売と同じだ。が、氏は買ってくれなくて、けっこう!というような人なのだ。
氏の開発した音響療法の椅子の置かれているサロンでは不思議なことが起こっていた。ゼロ磁場が人工的に出来てしまっていた。
以上は、音響療法の椅子との出会いによって人、地球の特性を知ることができたエピソードだ。
本題に入ろう。
なぜ、結婚は絶対に出来るか!ということだ。
それは、この宇宙、というか少なくとも地球は二極によって構成されているらしい。
二極というよりも二つの面、特性が必ずある。
プラスとマイナス。陰と陽。男と女。昼と夜。時間過去と未来。大小。重い軽い・・・。いい人、悪い人。いいこと、わるいこと。そしてあなたには彼(彼女)もしくは異性ではなく同性のあなたに見合ったパートナーが。必ず、二極。対になるものによって構成されている、少なくとも今は。
だから、あなたには必ず今現在に同調するとか、対局、対になる人があるはずなのだ。生まれると同時に引き合うように連動するようにバランスをとるように磁気によって引き合って釣り合っているんだと思う。
ただ現在は、磁気を狂わす世の中になっている。昔は、もっとシンプルで出会い易かったし、磁気を狂わすようなものもあまりなくて影響を受けにくかったから・・・ただそれだけのことなのだと私は理解している。
思いを現実化させたい場合は、私たちのいる地球、人間に備わっている特性をつかんでいけば早くあなたにとっての今回の人生での出会うべき人やこコトに会うことができるんだと推察する。
きれいな女性スピリチュアルの人たちは、このことについて理解はしているはずだけれども、彼女たちは科学という信号で受け取っていなくて羽衣が浮くような世界観の感覚で受け取っているのだと思う。嘘は言ってはいないけどもなんとなくうそっぽく聞こえてしまう。科学の発達した現在は、すべて裏付けできるように進んでいるようだ。
結婚、恋人がほしい人は、同じような境遇の人と一緒にパワースポットなどに行くなどと行動を共にしない方がいいと思う。
それは、出会いのための行動というよりもその人との同じ気持ちの共有が高まっていく努力をし続けていくことになっているにすぎない・・・じゃないか?
結婚・恋人欲しいという同じ境遇の人と同調する機会を多く持つよりもいち早く、本来の結婚・恋人との同調に時間を使うように今までやってきたことで出会えなかったのならまったく違う生活スタイル、行動にシフトしていくべきではないか・・・と私は考える。
とにかく磁石は引き合う性質があるわけで、嫌でも引き合ってしまうものだから。
2014年05月09日(金)
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世界遺産富岡製糸場の群馬養蚕の凄さ!
ゴールデンウィークは、世界遺産登録に決まることになった群馬県富岡市の富岡製糸場に人が殺到!富岡製糸場公開史上最高の8千人の人がつめかけたそうだ。このホットなニュースが群馬を駆け抜けたその日4月27日は地元紙
上毛新聞は号外
を発行したらしい。夫のラリー友達は、世界遺産富岡製糸場絹遺産群の田島弥平旧宅の親戚で、今回の世界遺産登録にたいして複雑らしい内情を言っていた。
地元の人は、そういうバックグランドのなかでこの発表を受けとめている。
昨日、私は伊勢崎の長閑なというか手付かずな取り残されたような雑地のなかを歩いていた。通院のためだった。いつもは夫の車で一緒だが今度の土曜日は夫が仕事だし、もう手元に薬がないのでひとり市内の無料バスに揺られて行った。雑地の真ん中に看板を見つけた。
群馬県農家祖先の行動を伝える
この桑は蚕の餌となり立派な「まゆ」が出来て
人間の生活が成り立ったのです。
昔の群馬県は養蚕県であった。従って養蚕で
生活が成り立った時代もあったのです。
その実態を下記の通り伝える。
過去最多総農家戸数・・125,257戸
内養蚕農家戸数・・・87,867戸
養蚕農家の比率は・・70,15%
・・・・・・・・・・・・・・・・明治34年が養蚕農家戸数最高であった。
普通畑総面積は・・・79,646ha
内桑園面積は・・・48,170ha
桑園面積の比率は・・・60.48%
・・・・・・・・・・・・・・・昭和5年が桑園面積最高であった。
更に収繭量は、30,097tであった。昭和14年が収繭量では最高であった。
というふうなことが書かれている。
富岡製糸場という建物に殺到するが、群馬県は、絹産業という群馬県自体が世界遺産に認められたようなそんな気分でもある。
この看板でもわかるとおり、いかに群馬県が養蚕県だったかということがわかる。
伊勢崎市の大きめのスーパー、葬儀場などはたいていが繊維工場の跡地なのだ。
去年行ってみたのは、絹遺産ではあるが全然話題になっていない蓮根の大クワ。沼田市にある。民家のなかにあって1686年に検地のときの目印にした巨木で今も残っている。というよりも今もなんとか残し守っている。
これまでは群馬県内での養蚕業の凄さを称えている様子だが、竹富島の子孫として凄さを書き留めておきたい。
これは30年前になるが、竹富島の私たちのおじさんが、蚕を飼っていた。今はやってはいない。
昔、大正時代に沖縄の八重山でもお蚕はやってはいた。でもきっと本格的にやろうということになったのだろう。大正12~13年の頃に八重山の竹富島、黒島、小浜、新城の島々に群馬県から養蚕教師「小畑伝八」という人を招聘していた。これはその当時に竹富役場に勤めていて同行していた方の記録で知った。あくまで当時竹富役場に勤めていた人の個人記録なので小畑伝八という養蚕教師のことを確認したわけではないが、いかに群馬県の養蚕が凄かったかがうかがえる。
2014年05月08日(木)
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キミライコネンが
これを
夫が見るからとDVDを器械にセットしたことがあった。わからないからなんとなく一緒に見てしまった。私にラリーをご案内したかったのか?キミライコネンというカーレーサー選手を知らせたかったのか?
しばらくしたある日の食事のとき「だからね、そんでもってキミライコネンは〜」という展開になってやっと夫が言わんとしていたことがやんわりと伝ってきた。
それは、ラリーというカースポーツとはどういうものかという特性。キミライコネンは、きれいに整った平坦なカーレース場にてのF1レースのレーサーであって悪路を走るラリーとなるとてんでダメだという。カーレースといっても特性があるしなかなか奥が深いんだ!ということを伝えたかったらしい。
ラリーって外国、とくにヨーロッパでは凄いらしい。(人気が)
過酷というかハードなスポーツ。悪路だからなの?それだけではない。フィンランドでは氷の上も走るんだ!雪の上もかっ飛ばすんだぞ〜!と、レクチャーしてくれた。
今、夫はラリーをやる行動に移せないでいる。
だから自分がいかにこれに気持ちが向いているか!ということを私に言って自分のなかのラリーについての気持ちを解放して、心のバランスを保もとうとしているのかもしれない。
わかったよ、キミライコネンは・・・
2014年05月06日(火)
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GWは岩蔵街道
いきなりのGW。GWの予定など全然組んでいなくて夫の仕事が急きょ休みにされてしまったのでとりつろいGW.
行くってどこに?どこにってどこだろ〜。ということでうちからさほど遠くもない八王子に行った。問題は、行きよりも帰りだ!岩蔵街道という道を使って群馬に戻ってみたいという!テーマのもと16号線を横田基地をずっと見て瑞穂あたりの交差している北に抜ける方向の「岩蔵街道」に入った。
知らない道を行くのはワクワクする!この日5月2日は、GWのなか日ということでGW中の平日なのでほぼ順調に走行。途中、ちょっと渋滞に入ると私は「GW渋滞よ!」とすごい損した気分になる。すると夫は「あ、この道は(秩父に入るころの道)いつもこのくらいの混み具合」でGWだからというイレギュラー混みではないという。ふ〜ん。ちょっと抑えて道の流れを見る。
岩蔵街道とは、国道16号線から群馬県富岡市につづく道とされているが、途中の案内表示でどちらを選択すれば富岡市に行けるのか?土地勘やナビでも見ない限り遠くから来た場合やナビなしの場合、夜などは迷う。
夫はある程度土地勘があったので行けた。田舎道をけっこうの距離を走ることになる田舎だけど、どれくらいの田舎度か説明しづらい。車窓から見ることができるのはちょっと温度が冷めたような工場群や開墾中土地。発展途上が立ち並んだような感じの道だった。
私たちはレジャーだけど、横を通る車は営業車で車のドアに何々製薬だとか、前を立ちはだかるトラックなどは荷物が重いのではなくてこちとら仕事中だ!いう気の重さが伝わってくる。ご苦労様、あなた方の働きによって私たちの日々の暮らしがあるんだ。と思いながらも平日GWをエンジョイする私たちだった。
とにかく北へ北へ走行していくきいつの間にか岩蔵街道は小曽木街道という地味な街並みになっている。岩蔵街道のメインは何といっても
岩蔵温泉 蔵造りの宿 かわ村
らしい。なんでも岩にできた蔵に鎧を収めてヤマトタケルがお風呂に入った♪という伝説らしい。知らなかったー!ていうかこの話全然伝わってないね。今度は、ぜひそのヤマトタケルが入ったとされるお湯に浸かってみたいね。
ごっつ混んで入って駐車できるまでにこの世が終わるのではないのかー(大袈裟)というくらいにイラついた「秩父の道の駅」最近は平日、休日問わず人が多いみたい。それは絶対人口の多い定年退職した60代世代の方たちが遊びに来るんだと推察。というわけですぐはす向かいにあるマクドナルドに入る。子供が多くてウルサイカナー?と思いつつも真ぎゃくだった。品のないおばちゃん連中などいない、お行儀のいい部活帰りの中高生が静かに談笑していた。
今後はここ(秩父の道の駅)へは立ち寄らず隣のUNICUS(ウニクス)に停めよう!と夫に提案した。
それでもってまた秩父の道の駅に車を取りに戻る。秩父の道の駅のなんといっても名物は「水」何本もペットボトルで汲みあさるおっちゃんの合い間で一口頂く。水はまろやかでおいし!かった。
秩父の山から出たセメントの原料を輸送している電車車輌を右に見てずっと川、鉄道、自動車道路と山沿いが続いていて、そうこうしているうちに場面は群馬に変わっていた。夫は、仕事が休みになちゃってツイていないみたいなことを言っていたけど、そんなことないと私は思った。これがカレンダー通りに動いていたら、動けないよ!時は金なり・・・というよりも「間」をつかむのだ。いい間を。今回はいい間をつかめたんだと思う。
2014年05月05日(月)
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ケサラン・パサラン
いまだ謎に包まれている。それは、ケサラン・パサラン。(画像は、参考たんぽぽ)倒れる(脳卒中)一週間くらい前のことだった。
それは大きくてよく動いていた。実は過去三度ほど目撃している。倒れる前に見たのが最初。
当時、大きな倉庫に勤めていた。日中は、開け放しているいるから珍しい虫とかがよく入ってきていた。そんな感じで外から入ってきたのか?もともとその倉庫に生息していたのかはわからない。けっこう大きくてソフトボール大くらいで、乳白色で浮くように動いていた。誰にも気づかれていないみたいで誰もそれについて話題にする人はいなかった。そこは常に20〜30人の人が出入りしていた。ただ広いから、多くの人が一所に一緒に誰かと居ることはないし。視界がロングになる。小さな部屋とか空間での人の視線のやり方とか意識と広い空間とかって意識の仕方も違うのでこのへんがうまく言えない。まるで意思を持っているようなかんじだった。意識はしていたが仕事をしているうちに奴の消息はわからなくなっていた。
もう一回は、我が家の窓をガラッと開けたときに白い
窓のさんについていた。それは、一見たんぽぽの綿毛のようだったけどもそれにしてはやけに大きくて荒かった。たんぽぽの綿毛って細かいじゃない!でもそれは中心から白系の毛のようなたんぽぽの綿毛ぽい線が放射状になっていて荒めの糸球体のようなかんじだった。でもそのとき掃除中だったので、これがケサラン・パサランかもしれない?!という考えにまで届かず、ひたすら掃除に集中し、掃除機のノズルで奴を吸っていた。掃除機に吸い込んだ直後「もしや、あれは・・・」という一瞬、あとのまつり的なムードになった。これは去年くらいのことである。
それから実家で老いた両親の荷物の片づけ整理and掃除中に奴に出会った。今度は放してなるものか!という気分になっていたが、電話があったり、母が「お茶入ったわよー」とか、あまりにも手が汚いから洗ったり、人が入ってきたりして落ち着かない。そうこうしているうちに奴の存在を忘れていた。きっと実家のどこかに今も居る。先月の後半のこと。
だからといって何というわけではない・・・。ケサラン・パサランを見るといいことがあるとか、ないとかいうがきっと迷信だと思う。汚く掃除が行き届いていない空間に居すわる傾向なんではなかろうか?ただ、うわさ通り、動物系と植物性があるんだと思う。また種類も豊富で以外にもけっこうその辺を浮遊しているようだってこと。いいこと悪いことはめったに目にすることがないから、それにこじつけてカウントしているだけなのではないだろうか?
おしろいの粉を食べるとか木の箱に入れるとか言っているけれども奴は、けっこう生命力ありそうだし、突然、ふっと現れるから箱とか嫌うんではなかろうか?育てるというが、育て続けてもしも巨大化でもしたらどうなるんだろうか?私が価値がわからないだけなのか?それとも・・・
2014年05月04日(日)
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きっかけ原点
お笑いタレントの山崎邦正氏が月亭方正という落語家として活動していることを知った。 彼の転身というか活動のコマをひとつ増やすことになったきっかけはお笑いの先輩の「落語聞いてみれば」というひとことからだった。
子供の頃から面白い奴ということからお笑いの道に入った。
でも長らく続けているうちに何か戸惑う瞬間に会うことしばしば…だったらしい。
というダイエットを経てステキに痩せて今は、高座に上がっているという。
私の場合は、これだった。
身体の左手足がまったく感覚が・・・さらに左ほお、声が無くなったときに生きる道を閉ざされたよな・・・。でもこれをピンチと捉えるか、チャンスと捉えるか?!ということだった。さらには行けば行くほど挫折感を感じた。私の場合、資格も仕事のステータスとか資金も人脈も何もなかった。何をすべきか?障害者について活動していくべきなのか?半健康人というか中途半端な障害者というか、何にも属せない野放しにされたような動けないくせに放浪感を味わっていた・・・。
そんななか父が認知症になっていた。でもまだ進行が浅かったので、早くに亡くなった祖父のことや私が子供の頃、うちの乗用車の車種は何だったのか?聞いてみた。その車は、いすゞの「べレル」だと教えてくれた。でもそうとう酔っていた。認知のなりはじめは酔っているのかしらふなのか?その境界が無くなっているよな状態。
それと祖父のことについて聞くと・・・。祖父の足取りを少しずつ話しだした。この瞬間、いける!と確信したひらめき感を感じた。それから祖父のことを聞きつづけ、ついには竹富島に行って島の昔から現代化していく変成を記録している方に会った。
祖父の父、すなわち曾祖父のことが記録されている本の存在を教えてもらった。それがこのブログに向かう原点かもなのかもしれない。本は、竹富島ゆがふ館で閲覧できる。
2014年05月02日(金)
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京葉臨海タイムスリップコンビナート
コーヒーを飲んでいるとき。
ラジオから流れてきたニュースは、ケイヨウ?リンカイ?コンビナートという音が我が家の低い天井や壁、大きなガラス戸にこだました。
ニュースは千葉県の京葉臨海コンビナートの企業の利用が、安い賃金等の海外に移転するなどで空きだしたという内容。
県は企業誘致に利用条件を緩和すると漢字の羅列原稿のニュースをアナウンサーは無味乾燥に伝えた。
コンビナートという音を聞いたとたん、私の頭の中は「タイムスリップコンビナート(笙野頼子著」の情景が浮かんでいた。
意味がわからない不可思議な小説として読者を混迷させる芥川賞受賞作品。
私は、身体が震えるほどこの小説に感銘した。
理解を得られるように人にうまくは説明できない。
小説とはそういうものではなかろうか?この不思議小説を称えることよりも問題なのは、千葉の京葉臨海コンビナートの空洞化という大きな問題。
ここを工業地に誘致して稼働し収入を得ていた千葉県。
ふなっしーとか東京ディズニーランドとかそういう方たちが収入に貢献している。
あっ、小説は、そういうことを言っていたのか?
マグロが出てきたり、一企業の人がどーっと出てくるだけだったり、不思議と狭い限定空間で右往左往する現実となんだか、かみ合っているよないないよな。
絵に描いた現実を過去の未来がまとまった文で描かれた先取りのような。
この小説は不可思議さというよりも今と連動するよな呼び水化させるような・・・長いコーヒーを飲み終わると朝は昼になっていた。
2014年05月01日(木)
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