かたほうだけのパンプス
敦子



 プロフィール

この日私は、倒れました。
左手に電気が走ったのです。
それは脳内出血でした。
その瞬間から、身体左半分の動きがおかしくなったのでした。

名前:  ていどん三世(本名の同姓同名があまりにも多い)

出身地:  東京都

住所地:  群馬県

誕生日: 19★★.08.11

学業経歴: 12年間の通いによる学業

文部科学省外による学び:  写真植字、POPレタリング

経歴: デザイン会社、普通事務、派遣、パート、子育て、フリー手描きPOPライター

家族: 夫婦2人暮らし

趣味:  絵画鑑賞

ライフワーク: 先祖の島沖縄県「竹富島」出身の人々の家系の流れを辿ること。

これを書いている今は、数年経っていますが、今の私となったデビューの日がこの日なのでこの日をこの日記のはじまりとしておきたくて書きました。



2006年07月18日(火)



 県庁訪問

 これは、夏に行ったのですが、なぜ、今頃書いてるのか?

というとブログを整理しているからです。
やたらつくってみたブログを整理しているのです。

よくいるんですよ、いくつもブログ作っている女性。あっ、私だ。それでどんどん整理していっています。

私のような身体が不自由で在宅時間が長くて人と接することが難

しい(会うことができないというよりも相手が忙しくて会う時間

をつくれないも含める)人は、話をするようにブログに書き込むのでしょうね。

 群馬県庁へ行ってきました。七月に。



県庁を見上げます。


奥の高層建ては新しいほうで手前の低層階は、古い方。

こちらは、残してギャラリーとして使っています。私は、こちらの古い方が好きです。








正面入り口に大きな階段があり、

このときは、上州人宰相展という群馬県から総理大臣になった人のことの展示がありました。群馬県からは、福田(親子で)、中曽根、小渕の四人です。



これはこの展示会場の入り口です。古い建物にもかかわらず中は近代的です。


これ展示室の窓なんです。これは古いまんまの洋風のゴージャスなカーテンでいいですよね。


ここは、一階の廊下です。暗くてやっぱ古さが充満しています。


こちらは廊下にあった古い金庫の扉です。黒い古い扉で重厚感がありました。


こちらは、新しい方の建屋の高層の方の県庁の入り口にある群馬県が水にしたたっていました。けっこうすてきですよ。
 
 今さらながらですが、せっかくなので記しておくことにしました。


2009年11月14日(土)



 タマランド・レンピッカ




娘がレンピッカ展へ行ったそうで、母の日にとカードを送ってくれたのだ。ありがとう〜♪

私が、身体不自由の状況になって、どう生きていくかということで色々なことを提案したりしているが、どうも独りよがりみたいなのだ!

いきいき教室のOBの会をつくろうということで動いてもすぐに動きはでるわけではなくて、まるでPCがフリーズしちゃったみたいに動きがない。

私があせってるだけなのかぁ?やっぱり独りよがりなのかぁ?障害者関係のことで新たなことを立ち上げよとしているけれどもやっぱり難しいのかもしれない?うーん。

きっと、テンポが違うんだと思う。

私が東京に戻りたくないのは、あわただしさから解放されたいからだ。

バビルゾン派を選択したのだ!
 
バビルゾン派って、村とか自然、農民とか要するに田舎暮らし派の画家のこと。

娘は「お母さんは、キュビズム、シュールレアリストじゃないの〜!」と言われてしまった。

そうだと思う。

でも、もう都会の喧騒がいやなのだ!とはいえ、今住んでいる我が町は、ラスべガスのように田舎に突如ネオンがギンギラ照り輝く大道りがある。

隣の市は、まるでデトロイトのような工業団地(富士重)。

バビルゾン的な光景はなかなか見られないのだ。

あることは、あるんだけれども。平穏に暮らしたいのだ。

でも、私の求める平穏ってどんな平穏なんだろう?

ちっとも穏やかじゃないのだ。
平穏って何も起こらない、何もしないことなのか?

何もしないほうが利口なのかなぁ?
私ってバカなのかな。



2010年05月11日(火)



 エスパニョ―ルM子コード

M子からメールがきた。

どうやら私が送ったメールへの返信らしい。

メールを送ったのは、3週間前。私が送ったハガキへの返事だった。

M子は、スペイン語サークルの仲間。

スペイン語サークルは、市の生涯学習で行われた。

3ヶ月間の期限だったが、そのまま勉強を継続していこうと有志でサークルを立ち上げたのだ。

言い出しっぺは、私とM子。

私が、脳内出血で倒れて、会を離れた。

二年後に復帰しようとしたときには、会の状況が以前と違ってきていた。

M子が会に欠席がちになった。講師のJも遅刻したり、早退したりと、会としての存続が成り立たない状態になった。

事実上の解散だ。

M子からのメールは、おかしなものだった。

外国の絵画のルネ・マグリットのように核なる部分があいまいだった。

書きかけで未完のままに送信したような印象だった。

チョコがけのリングドーナツの、チョコ部分だけ、ミートスパゲッテイーのミートソース部分だけ、クリームソーダのクリームだけ。

上にのっかるトッピング部分だけを伝えているような内容のメッセージで、ドーナツ部やスパゲッティーのパスタ部やソーダー水部となる肝心なところ、本質の幹になる部分が抜け落ちているような感じがした。

M子は、スラッとしていてきれいな人。

まるで体育の先生のような感じの印象な人できびきびと動いて、さばさばとしている人で、ちょっと憧れていた。彼女には恥ずかしくて言えないけれども・・・。

私にないものをたくさん持っている人だと思っていた。

彼女は、心根の深い人ということはよくわかっていた。

闘病中の私に手紙をくれていた。よそへ出かけたときに私だけに土産をくれた。

彼女はとても義理堅い人だった。

でも、メールからは、几帳面で義理堅いような彼女はうかがいにくかった。

よほど疲れているんだろうか、よほど切羽詰まっているのだろうか。

気ぜわしいなかでメールを打つM子の姿が目に浮かぶ。

M子の家庭の状況のことは、うっすらと伝わってきていた。

うっすらというのは、本人の口から直接聞いたわけではないのだ。

彼女と交流があったスペイン語サークルの男性Hiroから聞いたことなのだ。

Hiroは、なぜかM子の事情に詳しかった。

講師JもM子についてよく知らないようで、Hiroから事情を聞きとっていた。

Hiroのことを書くのはこれまでにしておく。

私に送信された不可思議なメール文とは直接は関係がないことだから。

以前、HiroのことでM子に手紙を書いたことがある。

べつに悪口でもなんでもない。M子はもう忘れているかもしれない。


M子は、市内に住んでいるので、いつでも会えそうだが、私は、半身不随で一人で思うように動けない。

M子は、怪文?とも思えるような未完のメールを送信してしまうくらいにめまぐるしい忙しさのなかにいる。

だから私たちは、かみ合わない、すれ違ってしまう。

近くに居るのに、会うこともメールすることさえままならない。

それぞれの空間と時間を共有することができない状態だ。

M子、あなたのメール文は私にとっては、コード、暗号のようで謎だ。

暗号を解読してみようと思う。そうだ、まずはHiroへの接触を試みてみよう。

M子コードの解明の旅(?)は、今、まさにはじまったばかりだ。
なんとか・コードに重ねている!



2010年05月15日(土)



 アナタハン的正当性

ジュゼッぺ ザ ノッティ 12センチヒールの複雑な靴




最近、複雑な靴を描くことに挑戦している。

ブーツのように足くびよりも上まで覆うのに透け感があって靴としての歩行保全等の意味をまったくしてないような。

描いていてちょっと思ったのは、以前マヒした左足の装具にちょっと通ずるところがあるなって。



昨日は、買い物に出かけた。どっさりと買い込んだ。

おかげで冷蔵庫は飽和状態で、あまり空冷がうまくまわらないようで、心なしか食品がぬるい感じがする(あー、こりゃやばい)


夫が仕事が忙しすぎて夫の心情(感情・感知)メーターがやや危険モード。

ちょっと下手なことは言えない。

身体が疲労していて階段をあがるときに一歩が重いそうだ。

本人いわく「足に乳酸菌がたまってるんだよなー」

それをいうなら「乳酸」だと思うが、疲れているらしく頭にぽっと浮かんだワードをただぽんぽんと言っているので、私はその間違いを訂正せずに

「そっかー、乳酸(自分で言うときは、ちゃんと言う)がたまるってそういう感じの状態のことをいうのねー。お疲れさま〜」とあっさり受け答え。


本来、小説やとにかく「書きもの」のためと通信手段としてどうしてもパソコンが必要と障害者の補助金をいただいてこのパソコンを購入したのに最近は、目的どおりに活用されているか「?」というところだ。


小説を書くのは、本来小学校のときから文を書くのは好きだった。というよりも成績で評価の対象として唯一先生が認めてくれたものが文章だった。

だから好きとか得意とかではなく「これしかないんじゃない?!の」という消去法で残ったいわば最期の砦的なワークなのだ。


前は、父親の愛がそれも正しい形の愛が不十分なことについての「父性愛欠落」みたいなものを書こうと思っていたが、ちょっと留め置きにしておく。最近は、身近のお友達の死において感じた、女性の愛の喪失感や云々を書くことにしちゃう!

それは、あまりにも身近過ぎて避けていきたい主題だったが、全国には彼女と同じような苦しみや喪失感を持った人がいるのではないかと思うと、なんかいたたまれなくってそんな人の肩を抱いてあげたいと思ってしまうからだ。


私の友達で悪女になってしまった人がいる。でも彼女は、必死だったから。彼女は、私よりも二歳年下なのに子供は私の子よりも年齢は上、彼女は恐ろしく若く早くに結婚・出産を経験した。

私は忙しくなり、そして引っ越しをして彼女と疎遠になってしまった。そんなときばったりと路上で再会。

でもそのときの彼女は、私の知っていた彼女ではなかった。
名前も変わってたらしく彼女のことをなんと呼べばいいかわからなかった。

まえから呼んでいたようにH田さんと呼んでいたが、彼女の家の表札の名はH田ではなかった。ここにいたる経緯をずっと話してくれた。でも、彼女は度重なる苦労の末、悪女になっていた。そういうと悪い女というイメージだけれども、彼女は二人の子供を守るために知恵をつけたのだった。でもそれは法的には犯してならない「こと」だったし、そのときに同居していた内縁の夫に対してもひどいこと。

でも私は彼女に何も言えなかった。

彼女が悪女化したのは生きる術だったのだ。あの事件アナタハン事件の和子のように。


彼女の生い立ちを聞かされ、彼女が前の夫と離婚に至る経緯を知っているので彼女を責める気になれなかった。それも私たちの会話の一部始終を子供たちの目の前でしていたのだから。


彼女の肩をもつわけではないけど、いや充分もってるとおもうけど、ちょっと彼女がかわいそ過ぎた。そういう女(ひと)を間近にみてしまうと善悪が混乱してしまう。

だからそういう人の気持ちを汲んであげたいということと、社会の片隅に息を殺して生きている様が飛び込んでくるのでそれをペンしたいと思ったのだった。


2010年08月08日(日)



 イングリッシュ・マフィン*ニューヨークの真実


ダイアン ファン ファステンバーグ


最近、ラジオからスティングの「イングリッシュマン イン ニューヨーク」がよく流れてくる。

恥ずかしいが、ずっとイングリッシュマフィンだと思っていた。

食卓に並ぶパンが毎度食パンばかりだったとき、目先をかえようよとバターロール、フランスパン、ベーグルそしてイングリッシュマフィンと色々なパンを買ったことがあった。

現在加入中の生協で、冷凍のパンがある。

使いたいときに使いたいだけ小出しに使えて身体が不自由でマメに買い物に行きにくい私にとっては重宝してる。

なかでもイングリッシュマフィンは、パンとしての主張が強いのでパンにはさみ込むものが決まってしまう。

パンとはさむものって相性がある。

イングリッシュマフィンにはさむものは、目玉焼きとベーコンしか思い当たらない。

それでイングリッシュマフィンが食卓に並ぶことは少ない。

だからイングリッシュマフィンは、はさみこみアイテムに困るこ

とで私の心に影を残して?いる。

べつにそんなおおげさなことではないけれども。

スティングの「イングリッシュマン イン ニューヨーク」という曲の紹介や解説ではなく私のイングリッシュなんとか事情でした。

「いきいき教室」卒業の件

先月からささやかれていた現在参加中の市の健康管理センター主催の脳卒中後の機能回復の集まりの「いきいき教室」の今月卒業問題浮上の件ですが〜。

あ、聞いてない。すいません書いてませんでした。

実は、明日の調理実習で卒業と言われていたんですよ。

でもスタッフに確認したら
「う、ううん、まだよ。まだあなたの卒業期日は未定よ!」という回答。

これは、先々週に卒業していったIさんの憶測だったようです。

担当スタッフは、10月でもいいし、12月卒業でもいいのよ。と卒業期日は私の希望を優先させるということだった。

明日、いきいきに行ったときの空気で決めようと思う。

基本的には、期限はきているが、ぴったり一年というよりもほぼ一年経過後の頃あいをみて卒業とするというのが現状だそうだ。

先月、先々月と実は、ちっとも本を読んでいなかった。

ちょっと読んではホン投げ(本なげ)。

ほんとうに本を円盤投げのごとく勢い付けて投げたのではなく、あくまで読書を中断したと言う意味です。

たぶん、猛暑で体調があまりよくなく本を読む意欲や集中力がなかったからです。

昨日は、一冊読み終えました。

やっぱり私たちの病気って気候に左右されるんだね。

そのことが脳卒中経験四年後になってやっとわかりました。
 

私は、どっか生き急いでるところがあって、若いうちに何かを昇華させなくてはいけないんじゃいかという勝手な思い込みにがんじがらめになっているんです。

若い時、子供頃って命の長さや時間の質ってまったくわからないのです。

時間は一本の道のような概念でした。

だから遅いのはダメ、時間には制限があると思っていました。

それがプレッシャーになっていたし他者をみるときの一つの視点になっていて自他を苦しめることになっていたような気がしない〜え〜。

うそ、していたんですね。こんなところでボケるな!

だから焦って読む必要は全然ないんだけれども。

人生前半、自分の時間配分が少なかったので早く取り戻そうという気がせるのでした。


2010年09月14日(火)



 「ミスターグッドバーを探して」を探して

今日は、夫の仕事がお休み。それでうちは世間のカレンダー通りに過ごしている人から一週おくれの三連休です。

ミスターグッドバーを探してを実は、ずっと探しています。


この映画が上映されていたのは中学生の頃だったと思います。

私はちょっとおマセだったからこの映画を気にしていたけれども、実際には見ることはできなかった。

まわりの子たちは、宇宙戦艦ヤマトだの、スターウォーズだのと叫ぶなか、「ミスターグッドバーを探して」観たい!なんて言えなかった。

一言でざっくり言っちゃうとセックスとドラッグに溺れた女が殺されちゃう!というストーリーの映画。

私にとってはね深い映画。見てないんだけれども。
現在捜索中。レンタルDVDになく、ビデオしかないらしい。

よく東電OL殺人事件とリンクさせて言う人が多いけれども。

また、現代の出会い系サイトみたいなこととなぞらえて言う人もいるけれどもそうかなー?と思ってる。

私は、こういう系統のことにすごく興味があって。

というか、自分のことのような気がしてならない。

私をよくご存じの方からすると想像を絶する発言だと思われるでしょう〜けれど。まったくの真逆の生き方送ってるので。

でも私のなかにも彼女たちを彷彿させる面があるんだと思う。

実際にはまったくそういうことはないんだけれども実体験はないけどなんかすっごくよくわかるのです。

だからこういうことを書きたい、書きたいとよく思っていた。

男性は、まあ、東電OLものとひとくくりにするみたいだけれども。
友達で、やっぱりミスターグッドバー探しをしていたコがいた。

今はどこで何をしているかわからない。消息不明。

東電OL事件は、慶応大学卒の東京電力勤めのエリートOLが勤め帰りに夜毎渋谷の道玄坂のホテル街で売春していて殺されてしまった事件のこと。

OLといってもコピーとりやお茶くみOLではないらしい。

経済面に詳しいエコノミストとして過去NHKテレビにも出演したようなエリートOL。

OLと記されてるのは、女性だということを記号化してるようなのだ。

彼女の二面性が話題になった。昼の顔と夜の顔があまりも違うのだ。

昼は、東京電力での立派なお仕事。

夜は、渋谷の東急のデパ地下惣菜や菓子パンを買い込み、ハンドバッグのサブバッグに持ち歩き、道玄坂のホテル街の奥、もっと奥。

もうそこは渋谷じゃない地。井の頭線の渋谷の次の駅の「神泉(しんせん)」駅ぎりぎりのところをふらつく。

男に声をかける。金額に決まりはない。

決まっていることは、行きずりの男に声をかけ、売春する。

一晩のノルマ四人ということだけ。

これは、ウイークデイのアフターファイブのお話。土曜日や日曜日の休日は、五反田の風俗店で風俗のお仕事。

こんな生活をはじめる前は、クラブでホステスをしていたらしい。

なんで私が、ミスターグッドバーを探してや、東電OL殺人事件に対してこんなにも入り込んでしまうのだろうか?

男性作家たちは、彼女が、いつもの自分とはちがう自分に出会いたいから出会い系。

性の快楽におぼれたいから、人さみしいからだとか憶測する。

実際に人それぞれ「してしまう理由」は様々かもしれない。

でも私は、自分が思うことと友達のことなどと共通点を見出して男性作家らのうかがい知れない「理由」をわかっているつもりだ。

今日は、ここまで書いておく。明日は、部屋の模様替えで忙しい。


2010年10月16日(土)
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