かたほうだけのパンプス
敦子



 宗教

オフ会で知り合った人とあった。
実は、宗教の勧誘だった。
その宗教じゃなくてはいけないのだと言っている。

一生懸命話す彼女。
黙って聞いていた。

その宗教でも、よその宗教でも悪くはないよ。
でも、あるマジックに気付いていないのだ。

簡単な真理に近づいていない。
別に宗教団体として集まらなくても、勧誘しなくてもなるんだよ。

もっとシンプルだし、矛盾に気づいてほしい!

あなたは、悪くないし、いい子だよ。

宗教は、都合の悪いことは言わないしストーリー作るのがうまいだけだ。

本当のことは、言わないさ。

あなたは、幸せなのだ。
すでに、幸せ。

ようは、「今でしょ」
だから、今に対してすることは何?

(それを)「いつやるの?(だから)今でしょ」
「何を?」
「それを」
それは、何?

「だから今、あなたはどうなの?」
「今のあなたが、今に対してできること何?」
 それがその宗教にあるの?
あなたとの3時間半の間にその話は、なかった。

誰それ様を拝んでもダメなのさ。
あなたのやることは、格付けされた、偉い人や拝むように指導されたカタチをやることではないのです。

かんたんさ、人も関係ない時間もオフ。
病気が治ればいいのではない。
だから、あなたも私もいつでも何時も万物に対して感謝することだよね。


2013年11月26日(火)



 ガンと二万円

昨日、親友の兄上がすでに8月に逝去されていたことを伝えるハガキを受け取った。

去年、ガンがすい臓を侵し始めていることがわかりすぐに手術した。

すい臓ガンは、わかったときにはおそいらしい。

友達の「手術したから、早くわかったからよかった」という安心は、気休めだった。

兄上は、ハンサムの反対系。たいへんお世話になったことは、思い出としてここで完結した。

友達に一筆書いた。



今日は今日で突然の二万円受け取れ!の通知に驚く!

投稿した事実は忘れていなかったけれども、結果の行方を気にしなかった。

ラジオ番組◯◯大賞の聴取は、投稿の無効を確認することだと思い込み避けたのだ。

結果、投稿作品は大賞を受け、賞金だけが届いた。

TBSラジオの◯◯大賞は、絶対的な匿名を保っているのでここではその投稿番組名を記すことは控える。

なんか、私もまんざらじゃないのかもという気になってきた!

悪意のない笑い話、内容を伝えるために文字を積み重ねるわざ。

そういうわざで生活が維持できる存在である努力をとりあえずやっていこう!


2013年11月21日(木)



 婦人科要再検査

市の子宮経ガン検診の通知が来た。要再検査で婦人科を受診した。

通知のハガキを受け取ってから一カ月が過ぎようとしていた。

今日の裏数秘術を見ると、「後延ばしにしていたことをやるといい」と書かれていてそれが、病院へ行くよう背中を押してくれた。

婦人科の医師は、診断をざっくり伝える人で言いかえれば歯切れのいいタイプともいえるかもしれない。

二十歳くらいの頃、友達がのぞまぬ妊娠をした。

当時つきあっていた夫に友達のことを話すと「産むか堕すしかない」とざっくり言われた。

確かにそうだ。まだそのときの私たちはそういう大きな決断を下すだけの素養が育ってなかった。

友達の恋は不倫で、イバラの道だった。

しばらく遠くで見つめていた私に伝えられた決断は、

「堕したわ」の事後報告だった。

男は遊びで奥さんと共通の友達を交えての壮絶な四者会談。
友達自らが「堕す」というハメになったことを話してくれた。

二十代に入ってすぐの友達は、身体を傷つけ心に深い痕をつけてそれを終わらせた。

スタンディングのハンバーガーショップで彼女は、私に向かっていながらも私ではない方にむけて

「でも、私、こんなに人を好きになったことはなかった」と言った。


医師は、去年も言ったけど変わりなく、そういうことだから。今度は市の検診ではなくうちで受けなさい。

診察室を出て受付で診察券を受け取るときにキレイな事務のおネイさんに個別検診のことを聞いた。

婦人科は乳ガン検診はここでは出来ないと言われた。

もしかしたら来年もまた同じようにこのかたちになるかもしれないと思った。


2013年11月20日(水)



 パンケーキタイム

認知症で、住宅建て替えのため移動が伝えられている父の荷物を片付けに実家へ行った。

近所に住む私の娘がやって来て、懸命に作業をしている私をパンケーキを食べに行く誘惑をした。

父がいるとさわるな!何をしている?!捨てるな!などで進まないから母に父を外へ連れ出してもらった。

父のいない貴重な間。
娘のパンケーキの飛び入りで計画は予定どおりにいかず、財布は、帰りのバス代くらいしか残ってなかったし、心のうちは金ないし、貴重な時間をもったいない。

でも、娘につきあった。たまにしか今は娘に会えないから。

空気読んでくれるようになってくれよ。という気持ちは押し殺しパンケーキをぱくついた。

父との時間も、もちろん母との時間は大切。
娘との今もそれはそれで大切。

これだけがよしで、これはどうでいもいいというものはない。

みんな私が必要だからゆえのことなのだ。

こういうことをこなすことの積み重ねが人をつくるのだろうか。


2013年11月14日(木)



 立冬

今日は、見ていない(みられなかった)ビデオを返しに図書館に出掛けた。

返すことが目的だったのに借りる本を何にするか探しに探し、迷いに迷って滞留時間が長くなり、図書館を出るときには外は暗くなっていた。

今日は、朝から昼にかけて雨だった。

空気が澄んで空がすっきりして遠くを走行する車がくっきり見えた。

なんかいい空間を味わったような気がする。

私が病気、身体が弱いのは、なんか意味があってのことなのだろうか?

私はけっこうガタイがいいから身体が弱そうにみえない。

それは、よござんすのか?

私たちは、気分的には無宗教だけれども実際にはある宗教宗派に所属している。

お坊さんにはイケ面が比較的に多い。

だから何なんだ。

すっかり暗くなって、人の顔がパッと見には誰だか判別できない。

私の歩調に合わせているのか、足音なくもやもやした気配だけが漂った。

それは、若い男でさっと横道にそれて行ってくれた。
そのときのシルエットでその人は、スマホをやりながら歩いていたことがわかった。

世の中は、まだ秋ということになっている立冬で、今は、どんな今なんだろう。


2013年11月07日(木)



 お墓の前で

お墓に行った。
なかなか行く日が調整できず今頃になってしまった。

墓場は、亡くなった人の骨の置き場で、今を生きる人が訪れる不思議な空間。

夫の祖父と伯父夫婦が納まっている墓は、多くの有名人の墓が見られる。

何度も一緒に墓参りした義母も今は、墓にいる。

♩私はお墓にいません~♩
義母が墓にいるわけではないのだろうけれど、そこに行かねば義母に伝わらないような気がする。

義母も義父も世間に対して体裁を繕うとするタイプの人だった。

義父は、自分というものを持っているように見せていたが、本当は、合わないつじつまを隠すことに懸命だったよう。

義父の生い立ちもありだと思えるのは、私がそういう境遇にないから、その苦しみを察する深い暗さがわからないから。

義父の抱えてきた臭いものに蓋をし続けることは、この世ではまかり通らない。

私が、この世での滞在時間を終えた、すでにいない人の苦悩に寄り添ったところでその人が充たして安堵感を得られるとは思えない。

そうかもしれない。私のイメージのなかの故人に対してあくまで私の理解の納得でしかないのかも。

そんな自問自答を繰り返したところで故人に届くわけではない。


2013年11月05日(火)
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