かたほうだけのパンプス
敦子



 片方だけにさよなら

*これは2009から別サイトで書いていたブログからの抜粋です。こちらに記録庫として移項したものです。


これが最後になるかもしれません。
それは、私の苦しんでいた(悩んでいた)ことから解放されていくからです。

私がブログを立ち上げた当初の目的は、
私と同じような病気になった方の情報や経過や普通の生活ブログ
を読みたかったけれどもそういうブログがなかったので、それならば私自身でつくろうと思ったからでした。

もうそれは達成してしまい、今となっては私がこのブログに興味がなく、忘れるぐらいになっています。


先月、病気になった原因、病気や障害を伴って生きる意味を知りました。

心霊現象やサプリメント。思いが叶う、なかなか叶わないことの意味や違いも知りました。

そういうことを研究してそれをいわゆるスピリチャルという言葉でまとめてまやかしや幻想で片付けづに今や科学できちんと証明ができるところまできてしまったのです。

でもそれが全員に知られると一部の特権の方が困るためになるべくガンやエイズなどや難病は治らないこととして棚上げしている事実を知っている方と直接会ってお話を伺いました。



これは、その方とお会いした場で撮った証拠です。これは「ゼロ磁場」を示す磁石です。実際に方位磁石はこのようには示しません。北を一斉に示すのですが、この数個の磁石の示す方角は、横左三つは、左側。横右五つは、右側。
縦に並んだ三つはほぼ上を示しています。

こんなことはあり得ないそうです。北は、北を示すものです。方角を確認するために方位磁石で確かめるのですが、ここは、方位が特定できない、決めることができない、磁場がない「ゼロ磁場」でした。

お会いしたのはゼロ磁場を人工的に作り出すことができるくらいに科学に精通している発明家さんでした。この方のもとへ多くの方が訪れるそうです。また過去には様々な開発でNHKでも幾度となく取材され放映されたそうです。
過去情報の講演会ですが、この方のことや内容が凝縮されているので→音響免疫療法

病気になるのは、感染症や事故によって障害者になってしまった以外のほとんどはその方の心の歪みやまがった根性が原因です。こう書くと宗教みたいですが、それにも原因があります。その原因などをどんどん手繰っていくと色々見えてきます。
そういう様々なコトが先月全部繋がってわかってきました。



病気になってしまう理由・治ってしまうこと
それは、その人の思いが身体を蝕んでしまったこと。
その人がとるべき休養・睡眠などを無視してしまうから。
でも病気にならない人となる人、なりやすい人いますよね。
治りの早い人、ちょっとやすっとでは治らずにひきずって生きる人。

それは、その人が本来の生きる役目からずれた場合に軌道修正という意味で起こるらしいのです。あくまで「らしい」の話です。
こうだ!と断言の確証は得ていませんが私はそう捉えました。

いつまでも何年も狭い場所で同じ毎日をおくり続けていることです。閉じこもっている状態なのです。
病気が治るには、昨日と同じことを繰り返しても変化はありません。
昨日と同じ、今日。今日と同じ明日。
明日とと同じ今日を何年も何年も繰り返していっても治らない日の連続です。そういいう人に私はもう合わせられなくなってきたのです。

私の本音は、病気や障害から解放されたいのではありません。
本来の自分を生きたいだけです
本来の私は、病気でしょうか?
障害者でしょうか?
単なるお母さんでしょうか?
普通に飲食・睡眠・家事労働を単調に済ませるためが私という人間の意味なのでしょうか?

そういうことへの疑問も今というタイミングでこうしている(こういう日々を送っている)意味もわかってきました。

まだお気づきでない方、何年も前から同じ毎日を過ごしているだけの方。
病気や医療。何事もひとのせいにしている方。
解放されましょうよ!

いえ、解放されます。すぐには、簡単には治らなくても治っていく方向へ、
知らず知らずのうちに結構早い時間で向かって行けますよ。

まずは、今の行動パターンを止めること。やってないことをやってみる。
それまで着たことのないデザインや色の服に変えるとか、携帯を思いきってスマホにしてみるとか
あいさつをもっと大きな声で言うとか、嫌いな食べ物に挑戦するとか、
電話してなかった人に電話するとかetc・・・。

本当の自分に気づくとどう行動すればいいか見えてくると病気の意味や治る方向性が見えてくるみたいです。

絶対に宗教に頼ったり、サプリメントに溺れたり、多額を払ってで特別な医療を受けようとしてはいけないそうです。

それは、サプリに、宗教に、医療に「頼る」という何かによりかかる気持ちがダメなのだそうです。
宗教やサプリメントや高額の医療のせいではありません。

何かをあてにしたり頼ったりして自分の心からの思いの行動がはじまらなければ何も変わっていかないし、病気だけではなく肉体と心が得られている素晴らしいせっかくの人生そのものを無駄にしてしまいます。

自然は自然。でも病気は不自然な自然です。

会いたかった、本当の自分になっていきましょう!

もうすぐもう片方のパンプスも戻ってきそうです。
片方だけの靴を残し急いで去らなくていけなかったシンデレラのストーリーの最後は・・・。

どうもありがとうございました。



2012年11月25日(日)



 べストフェチ

先週の土曜日のこと、病院帰りにちょっと東にある大型ショッピングモールに行った。

思わず撮ってしまった。蛍光べスト。


蛍光べスト売り場にて。

「防犯パトロール」ビブス型よりもただ蛍光さえすればいいシンプルのものに注目している。


私が蛍光べストに胸のときめきを感じたのは、東京の西武池袋線の東長崎駅から江古田方面への線路作業をしていた黄色蛍光べスト男子を見かけたとき。

このときなぜか蛍光べスト男子が光り輝いて見えた。
男子といっても西武線の職員の中年層のおっさんなんだろうが。
それを着た味気ない色気を放った男たちがやっていた作業はきっと線路内に落ちたちゴミをつまみ上げる程度だったかもしれないが。

そのときに感じた胸のときめきを忘れられず、以後私は蛍光べストを見るとうれしくなってしまう。

べストにはいろいろあって、よく釣りに行く人が着るやたらポケットが多いべスト。撮影クルー、報道関係、カメラマンが着ているべストは釣りべストと共通したしくみ。
防弾チョッキ。救命胴衣。ダウンベスト。ゼッケンのビブス。
スーツのべスト。よく昔学校の先生が来ていたニットのべスト。江戸時代の裃。中世ヨーロッパの気取った男や王子様が着ているペイズリー柄や過剰に装飾された現在のべストのカタチの原型となったべストなどなど。

どういうわけかなぜ、私はべストに魅かれるのかよくわからない。
男性の正装というイメージなのか。
でもそういうアイコンだとネクタイでもいいわけだ。
だいたい勲章とかマーク。
やっぱジャケットが着た感じが見た目にもよくいいと思われる。
でも私にとってべストなのは、やっぱべストなんだよね。


2012年11月17日(土)



 サーチュイン遺伝子

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生物学者:福田伸一


先週の土曜日通院した。
その前の週の土曜日は文化の日で休診だったため受診者が殺到し駐車場は、満車でなかなか駐車できなかった。
しばらくして駐車できたが車内で待機していた。

診療所から一人、また一人と診察を済ませた患者を見届けてから建物に入った。
それでも先客というか先患者がまだ十人程いて、一時間はないが三十分は待つだろうとひと息の冷めていない待合室に自分の居場所を探す。
読み物が置かれているフリ―スペースから雑誌を手にとり、テレビもほどほどに視界に入り受付の状況も伺える位置の長椅子に尻ひとつがおさまるスペースを見つけると分け入って座った。

雑誌をパラパラめくると特集記事が読んでくれとばかりに大きな写真と記事が数ページにわたって組まれていたが、すっ飛ばし現代のかたくなな恋愛事情の記事を探したが目当てのものはその号にはなかった。

軽く読めそうなコーナーを求めてページをめくり続けるといつもはスル―してしまう生物学者の福田伸一氏の連載ページに留まった。

私が手に取った号の記事の内容はこうだった「カロリー制限によるサーチュイン遺伝子の活性化には関係はない」この文字の羅列が視界に入るやいなやサーチュイン遺伝子ダイエットをしている弟が思い浮かんだ。

そもそもサーチュイン遺伝子ダイエット法なんていうのものはなく、空腹のときに「サーチュイン遺伝子」という寿命が活性化するのを知った弟が不老長寿を意識して独自で始めた生活習慣だ。

実行し続けていたらかなり痩せたので結果ダイエットになった。

ダイエットが目的ではないという主張を繰り返す弟の実践したそれは、炭水化物の摂取をそれまでの三分の一程度に抑えひたすら長時間歩くこと。
とうの昔に喫煙をやめ、もともと飲酒はしない。親元に暮らす独身で定職を持たない弟が食を抑えただ歩き続けるというストイックな生活で長寿を得ようとするのは何なのだろ。

一方、幼少期から病気の連続で早くに結婚し親元から独立した姉の私は、長寿に向かう努力の前に子育てや実生活に追われ、そんな悠長なことを考える暇はなかった。

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消しゴム版画家:ナンシー関


弟は、自宅周辺数キロを数時間かけて歩く。
とくにルートにきまりはなく時間の制約はしない。
よく歩く道は自宅のある世田谷から渋谷に向かって抜ける目黒だ。

渋谷につづく目黒区内のその通りは、栄養過多で太り過ぎのナンシー関さんが食事を終え5分程度の移動も徒歩できずタクシーの車内で気分を悪くして亡くなった道らしい。
消しゴムを彫る版画家コラムニストというジャンルを確立した彼女は、太り過ぎで三十九歳という短い生涯だった。

福田伸一氏がお書きになったサーチュイン遺伝子とカロリーの因果関係の記事は、諸外国の研究チームで研究中でまだ断言できないということを伝えたかっただけで、ナンシー関さんが歩けなくなるほどに肥満死した道を寿命遺伝子の活性化のため小カロリー摂取で歩き続ける弟をけっして否定しているわけではない。






2012年11月16日(金)



 夢の「恋」

その日見た夢はとっても素敵なものだった。
恋の夢なのだ。亭主が居るのにもかかわらず、思いだけは持っている男(ひと)がいる。

これは不倫というよなものではなく、美系アイドルに心を奪われキャーキャーやっている人がいるが、私の場合もこれに少し似ている。
違うのは美系アイドルではなく、キャーキャーはなく対象が身近の成人男性を密かに慕うだけのこと。
それって全然違っていて聞き流すに値しない相当まずいではないか。


その人とはもう何年も会えていなくて今はどこで何しているのかは基本的には知らない。(ことになっている)
最近はあまり意識せず、昔好きだった人化しているが、やっぱり彼のことをまだ心の倉庫に仕舞いきれなくてゆるく現在進行している。
いけないとはわかっているが、どうにも捨てきれない想いだ。だいたい私の周りの女性は、もちろん私を含めてだが、夫のことを単純に「好き」か?てことなのだ。
夫に対しては好き嫌いで判断していたら自分の身は守れない。
居心地のよい守りを実感した男を見い出すことができて「結婚」なのだ。
だから嫌いではないが純粋な「恋」とはいえないかもしれない。
ずるいかもしれないが、結婚は身を守ることとして納得している人がすすめていけるのだと思う。
でも最近の婚活は、金・顔・学歴というKKGだという。

ある女性は、金があり学歴があるという条件にひっかかった男に対して「やっぱり顔が・・・」と容姿だけが要件から大きく外れたので好条件の物件を流した女がいる。
金・顔・学歴がよい男が女を守るのにいいのか。

今の結婚適齢期の未婚女性は、偏差値教育で育っていて自分の満足よりも他者の満足を充たすことを考えての選びなのかもしれない。
学歴は他人に自慢するためにわかりやすく、金持ちはいいものを着せて見たくれを保つための演出費用をねん出しやすいということだし、顔だって他者から見られたときに「あらイケメン」とうらやましがられるための看版なのかもしれない。

うちの亭主の学歴は自慢するには非力でみたくれ演出費用が少なく、うらやましがられる看板は貧弱かもしれないが、身を守ってくれることに関しては充分満足できるのだ。でも、亭主を見て「ときめき」は覚えない。
けっして嫌いということではない。
ただ私のときめきを彷彿させる男性ではないだけのこと。

ところで夢の内容。
私がときめきをおぼえる男がなぜかとある国経由でやって来て飛行場のような宴会会場のような特定できない不自然な場所でばったり出会う。

私は彼が来ることは知らされていないので舞い上がってしまう。
なぜか夢のなかの私は彼と同じ職業を目指し勉強中。

まだ私は彼の職業の資格取得の学生という設定で彼からいろいろアドバイスを受ける。
そこの宴会会場でふたり並んで座ってけっこう長い時間話しをする。
彼は腕時計を覗き、
「あ、ごめんそろそろ行かなくては」
と彼の都合で手を振りまたね!と行ってしまう。

夢が一本の映画の終わりのような形ですっきりと終わり目が覚めた。

夢のなかでも私は夫ある身になっていて彼に対してはこちらの一方的な思いがあるお友達関係でそこは現実に限りなく近い。

目が覚めてから夢辞典を開いて今朝の夢の検証にあたった。
それには、ずらずらと夢の内容から判断できるよい暗示と警告が書かれていたが今回はそれを無視することにした。
それは夢の目覚めがよくてすごい満足感があったから。

2012年11月15日(木)



 11月度女子会

今月の女子会は、韓国料理店だった。



ここはウェィティングルーム。リーザブしてあったのでここは使わなかった。


今日のランチはあっさりしたビビンバ、スープ。

久しぶりに、Kさんが来ていた。Kさんの参加は8カ月ぶり。
以前とは変わって新しくなった名刺をくれた。
Kさんは、もう私たちの街には住んでいないという。
家はまだあるけれど東京郊外の実家に居るという。

今日は、友達の家に泊ったのと言っていた。
地元で就職した娘さんは、今も地元で暮らし勤めているという。

どういうことなのだろうかと疑問に思いながらも、あまり深く聞けなかった。それは私がほかの人と話しているところへKさんが割って入ったカタチでの会話だったから。

ほかの人というのはそろそろ30歳になるきっと参加者のなかで最年少だと思われる女子。
彼女との話が盛り上がってきたところへKさんはちょっとあいさつしておかなくちゃっと割ってきたのだった。確信には触れずに話を終えてKさんはさ、さと退散して行った。



レジの横のディスプレイ。チマチョゴリと韓国シューズ



そろそろ30歳になる最年少と思われる女子は、SNSサイトでスィーツの会をやっているMさん。
帰りの方向が同じだから送ってくれることになった。
Mさんは、自分の現状を話してくれてこっちは聞いてばかりじゃ悪いかなと思ったりもしたが、聞けば、打てば響くかのごとく話が返ってくる。

ずいぶんと話してくれた。でも私にMさんの将来の展望を語ったとしてもそれがどうなるということでもないが、Mさんが普段の生活では思っていることを吐きだす場面がないのではないかと思えてきた。

30歳はまだ若い。でも女という物差しで見ると30歳はもう若くない。
でもまだまだ彼女は女としては未熟な感じがした。

たくさん勉強をしていて、社会に対してバランス感ある考えをもっていてすばらしい。30歳からは若さはこぼれるように失われていくが、でも彼女はまだ満ちていない未熟な30歳。


2012年11月14日(水)



 映画「ひまわり」



*内容で映画の確信に触れることまで書いてあります。ご了承願います*

二十歳の頃(すごい昔)。好きな映画は「ひまわり」という友達が多かった。

最近になって見たが、それがよくわかった(筆者は二倍の二十歳をだいぶ前に迎えている)。

あそこまで愛されたら〜。ということと恋愛という幻想を抱いてしまうのだ。
「ひまわり」を好きと言ったコにはたいてい彼氏はいなくて、ただ恋に恋していた。
 
コツコツと主人公の靴の音が反響するような閑散として寒々しい広い空間を歩く。
徴兵された者の生死、行方を確認しに行く。

ところが、どこでも「ノ―」と冷たくあしらわれ、暗い顔をしながらも我慢ならずに主張を訴える美女・・・。

前半、豊満な肉体のソフィアローレンは、小ぶりのアフロヘアーのような感じで登場。
 
マルチロ・マストロヤンニ扮する後に夫となる恋人と浜辺で寝転んでいちゃいちゃしているシーンからはじまりる。

結婚をしないのか?とソフィアローレン演ずるジョアンナに迫られる。


そのとき、マルチロ・マストロヤンニ演ずるアントニオは、

「俺ら、結婚する気はねーべさ」(べつになまってないと思うけど・・・)ということで結婚は保留。

でも戦争という時代背景のなか、二人は結婚を決断する。

ぱっと結婚式を終えたであろうウエディング姿のジョアンナと軍服を着たアントニオが教会から腕を組んで現れる。

その後、初夜。
イタリアには新婚旅行という習慣はないのか、それとも戦争という時代のなか割愛していたのか?

彼らは、部屋に閉じこもってベッドで愛し合い続け、アントニオは出席するはずだった友達の結婚式をすっぽかす。

気がついた時には時計は6時を指していて、「しまった」と気付いた時には後のまつり・・・。
 

その後、ふたりは起きると(何日間、ベッドでいちゃついていたのか「?」)

窓辺に置かれた籠に山のように盛られた玉子24個を使った(濃い〜)玉子焼きを作り、ワインと共に食した。

その後、戦争に行くのだけども、行きたくないアントニオは、演技でナイフを振り回し小さな街で暴れ、騒ぎを起こす。

そして精神病院送りとなる。(2012現在は、イタリアでは精神病院は廃止)で、精神病院にアントニオに面会に行くジョアンナと二人きりの面会室で抱き合ったり・・・

それを監視員らに盗み見られアントニオの狂言がバレ、戦地送りとなってしまう。
 

この映画の監督のおもしろいことに、戦地へ向かうために招集された駅で電車発車までのたった15分の自由時間をアントニオは、ジョアンナを抱きしめる時間とする。

が、場所がなく、なんと男子トイレで抱き合ってしまう。

そういうところにこの監督の人らしさがあらわれていておかしい〜。
戦地は、極寒のソ連(今でいうロシア)。

砂漠のように何もなく、広大なただ一面雪だけのなか多くの人が戦い、というよりも寒さで命を落とす。

そのシーンは参考シーンのように構成されている。この映画の本題はそこではない(戦いを伝えることではない)ので。

場面は、変わり、冒頭の徴兵された安否確認のところに戻る。

一向に安否がわからず、地味に繕いものなどをして時間の流れをもてあまして暮らすジョアンナ。

近所に住むアントニオの母はあいかわらずに産みたての玉子を籠に持って来る。

でもジョアンナは、あきらめずに夫の安否を確認、いや生きていると信じて立ち上がる!!
 
結局、探しに探しまわるにあたってソ連にまで行き、夫を探し続ける。

でも言葉もわからず、異国の地。

行きついた場はこの映画のタイトルにもなっている、戦場となり多くの兵士が死んだとされる一面ひまわりに埋め尽くされたその場所だった。

そこが、映画のハイライトシーン。現実を受け止めるのかと思いきやジョアンナはあきらめることなく夫の写真を片手にどこまでもどこまでも探しまわる。

とうとう再会できるのだが〜。このシーンで私、不覚にもボロ泣き〜崩れる。

現実を見たジョアンナはショックのあまり発車はじめた汽車に飛び乗り、汽車の座席に座り込み泣き崩れる〜。

場面は変わりその後、髪を長く伸ばし、いい女風に変身して新たの男とつきあい、仕事に就く。

仕事は、人の身体のパーツがぶら下がり、顔、胴体、足に埋もれるなか、胴体にていねいにサンドペーパーをかけるマネキン人形製造工場。(なんでよりにもよってそういう仕事?)

場面は変わり、アントニオは、イタリアのジョアンナに会いに行く手続きをしつづけなんと、アントニオは、イタリアへ。

ところが、戦争で引き裂かれた二人は、もう元に戻ることはできないという現実のなかさびしく、アントニオが乗った汽車を見送る美女がひとりたたずむ・・・終り

この映画上映では、なんと客は私ひとりだった。

贅沢というよりもいかに世の中の人たちは、意義あることには見向きもせず、そうでないことには群がるかという今の日本にちょっと悲観して映画館を出ました。



2012年11月06日(火)



 メルマガ「鈴木いづみ」補足





メルマガ「スパイスレディ」ご紹介したのは、女優で作家「鈴木いづみ」

静岡県伊東の温泉町で育ち文学少女だったいづみは、高校卒業後市役所に勤務。参考*サイト名松岡正剛の千夜千冊

私は、彼女についてはほとんど知らなかったが、二十歳前後の頃、飲み歩き遊んでいた新宿でジャズのライブハウスに友達の影響で通っていたことがある。

今はもうその場所はそこから移動したが、1980年前半の頃の新宿の紀伊国屋書店の裏手にピットインはあった。

あの喧騒の新宿のなかピットインは暗がりで毎夜、いや昼も密かにジャズのライブは行われていた。

ピットインのあった建物の上には、キャラバンホテルという狭いが作りモノの階段があり、その階段にテキ―ラやカクテルが並べてしゃれた外国風なランチカフェがあった。

その頃を思い出して、ネットで検索してひっかかりでてきたのが天才フリ―ジャズアルトサックス奏者の妻でそしてポルノ女優で作家の鈴木いづみだった。

彼女について知りたくて本を探して読んだ。表紙の撮影者はアラ―キ―こと荒木経惟。

さらに本のあとがきは、高校の先輩の戸川純が書いていたのでび、びっくり!すごく身近に感じた。

本の内容は、鈴木いづみが主人公とおぼしき、肌がきれいでやたら男と寝る女がきれいで魅力あるハーフの男と寝る目的

で人を介して会いに行ったり、途中、何人かの男との関係がつづきなんだかよくわからなかったが、またその途中嫉妬深く

感情の起伏が激しいサックス奏者の阿部薫と結婚した壮絶な日々に疲れたことが書かれて阿部が亡くなって魅力のあるハーフの男とついに「やる」という内容の小説だった。


で、今回のメルマガを書くにあたって鈴木いづみと阿部薫のことを小説化しさらにそれを映画化した先月(2012.10.)新宿区内藤町でタクシーにはねられ死亡した若松孝二監督作品の「エンドレスワルツ」を鑑賞した。

こちらは、広田レオナ主演。
広田レオナは、細身なのにかなりの巨乳。

そして天才(?!)フリ―ジャズアルトサックス奏者の阿部薫役はなんと、現在作家で当時はバンド活動中で町田町蔵(以後町田康の名で作家)。

町田氏はあんまりのはまり役というか、演技がうますぎるので、知らない人が見たら普通の役者さんにしかみえないくらいうま〜い!

この人たちの若く生きた頃1970〜1980年半ばくらいは、戦後30年くらいが経過し、日本の若者たちが急激に変化した頃だった。

鈴木いづみや阿部薫は確かにその断片だったのかもしれない。

鈴木いづみと阿部薫のことを小説化した作品をめぐってひとり残されたお嬢さんとは法廷騒動があり死後も彼らは多くの人を巻き込み続けた。

メルマガで取り上げるということは私よりの後世代やまだ彼らをご存じない方にぜひ、伝えたくなった。



2012年11月05日(月)
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