かたほうだけのパンプス
敦子



 バスキア

地元には二か所のシネマコンプレックスがある。

でもそこでは必ずしも私の見たい映画を上映しているわけではない。

そこでは大量生産、大量排出、大量廃棄のように大まかに作ったおおおまかを受け取ることができるだけ。

皆が知ってる情報を共有していないと不安になる。

そんな不安を取り除くための配給所のような空間にみえる。

そこには、私の欲する情報をいつも置いて(公開)いるわけではない。
 
私の見たいと思ったもの。

知りたいと思ったものそれがジャン=ミシェル・バスキア昨年12月に公開されたそうだが、私の地元ではこんな声は聞こえなかった。

有料ネット動画見た。

実は、このバスキアという存在を知らなかった。

絵はきっとどこかで視界には入っていたのかもしれないが、見つめてはいなかった。

27歳で亡くなった彼がもし生きていたとしたら今年51歳。

私とそんなにかわらない。同じくらいの年の人にシンガーの氷室京介。

そして氷室京介の同級生にもバスキアのような人がいた。山田かまち

バスキアは、ブラックピカソと呼ばれていたそうだ。

バスキアの作品がピカソの影響をえたものが多いそうだし、エネルギッシュなところ迷いのないタッチ。

なんともバスキア自身が大好きなで影響をえた作品がピカソのゲルニカ。


この映画は、バスキアの人生を彼の実際のインタビューと生前の彼にかかわった様々な人のインタビューを構成してつくったドキュメンタリー映画になっていた。

彼についてもっと知りたいと本を探しに図書館へ行った。



今読みすすめているが、映画とまったく同じだ。
きっと映画はこの本をなぞったんだと思われる。

この絵画の本TASCHEN(タッシェン)は、十五年くらい前にパートで働こうと思って面接行ったけど雇ってもらえなかった。

でも「お好きならどうぞ」と面接してくれた若い女性が私の好きなサルバドール・ダリの画集を持ち帰えらせてくれたのだったことを思い出した。


バスキアの作品は、絵としてはけっして心地よいものではない。

感情が身体があふれ出してきてそれがキャンバスに触れたときに絵になり文字になりといったこと。

それをアート作品という枠におさめたにすぎないんだと思う。

私は、絵を描いたり、文を書いたりしたいと思うけれども、バスキアみたいに向こう見ず的にはできない。
自分を発散すればいい!ということが私の人生の軸ではないから。

バスキアは、彼自身の軸を折られたから衰退していったんだと思う。


2011年02月18日(金)
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