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■ アナタハン的正当性
ジュゼッぺ ザ ノッティ 12センチヒールの複雑な靴
最近、複雑な靴を描くことに挑戦している。
ブーツのように足くびよりも上まで覆うのに透け感があって靴としての歩行保全等の意味をまったくしてないような。
描いていてちょっと思ったのは、以前マヒした左足の装具にちょっと通ずるところがあるなって。
昨日は、買い物に出かけた。どっさりと買い込んだ。
おかげで冷蔵庫は飽和状態で、あまり空冷がうまくまわらないようで、心なしか食品がぬるい感じがする(あー、こりゃやばい)
夫が仕事が忙しすぎて夫の心情(感情・感知)メーターがやや危険モード。
ちょっと下手なことは言えない。
身体が疲労していて階段をあがるときに一歩が重いそうだ。
本人いわく「足に乳酸菌がたまってるんだよなー」
それをいうなら「乳酸」だと思うが、疲れているらしく頭にぽっと浮かんだワードをただぽんぽんと言っているので、私はその間違いを訂正せずに
「そっかー、乳酸(自分で言うときは、ちゃんと言う)がたまるってそういう感じの状態のことをいうのねー。お疲れさま〜」とあっさり受け答え。
本来、小説やとにかく「書きもの」のためと通信手段としてどうしてもパソコンが必要と障害者の補助金をいただいてこのパソコンを購入したのに最近は、目的どおりに活用されているか「?」というところだ。
小説を書くのは、本来小学校のときから文を書くのは好きだった。というよりも成績で評価の対象として唯一先生が認めてくれたものが文章だった。
だから好きとか得意とかではなく「これしかないんじゃない?!の」という消去法で残ったいわば最期の砦的なワークなのだ。
前は、父親の愛がそれも正しい形の愛が不十分なことについての「父性愛欠落」みたいなものを書こうと思っていたが、ちょっと留め置きにしておく。最近は、身近のお友達の死において感じた、女性の愛の喪失感や云々を書くことにしちゃう!
それは、あまりにも身近過ぎて避けていきたい主題だったが、全国には彼女と同じような苦しみや喪失感を持った人がいるのではないかと思うと、なんかいたたまれなくってそんな人の肩を抱いてあげたいと思ってしまうからだ。
私の友達で悪女になってしまった人がいる。でも彼女は、必死だったから。彼女は、私よりも二歳年下なのに子供は私の子よりも年齢は上、彼女は恐ろしく若く早くに結婚・出産を経験した。
私は忙しくなり、そして引っ越しをして彼女と疎遠になってしまった。そんなときばったりと路上で再会。
でもそのときの彼女は、私の知っていた彼女ではなかった。 名前も変わってたらしく彼女のことをなんと呼べばいいかわからなかった。
まえから呼んでいたようにH田さんと呼んでいたが、彼女の家の表札の名はH田ではなかった。ここにいたる経緯をずっと話してくれた。でも、彼女は度重なる苦労の末、悪女になっていた。そういうと悪い女というイメージだけれども、彼女は二人の子供を守るために知恵をつけたのだった。でもそれは法的には犯してならない「こと」だったし、そのときに同居していた内縁の夫に対してもひどいこと。
でも私は彼女に何も言えなかった。
彼女が悪女化したのは生きる術だったのだ。あの事件アナタハン事件の和子のように。
彼女の生い立ちを聞かされ、彼女が前の夫と離婚に至る経緯を知っているので彼女を責める気になれなかった。それも私たちの会話の一部始終を子供たちの目の前でしていたのだから。
彼女の肩をもつわけではないけど、いや充分もってるとおもうけど、ちょっと彼女がかわいそ過ぎた。そういう女(ひと)を間近にみてしまうと善悪が混乱してしまう。
だからそういう人の気持ちを汲んであげたいということと、社会の片隅に息を殺して生きている様が飛び込んでくるのでそれをペンしたいと思ったのだった。
2010年08月08日(日)
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