無責任賛歌
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| 2002年02月06日(水) |
なんかもー、下血とともに生きる毎日ね/『幻竜苑事件』(太田忠司・大塚あきら)/『よみきり▽もの』1巻(竹本泉)ほか |
急な仕事が目白押し。 貧血は慢性的な状況になっちゃってて、すげー疲れている。 一気に片付けた方が職場の信頼は上がるんだろうけれど、こっちの体力が持つわきゃない。なんとか時間をずらしながらゆっくり片付ける。 トイレに入ると、ふっと意識が薄れて落ちる。 ああ、布団の中で寝たい。 けどそんなに有給ばかり取ってられねーし。 ふと、目を覚ますと、ケツから血がぽたぽた垂れてるのが分る。 ああ、またちょっとパンツ汚しちゃってる。 下を見るとパンツをつたって便器の中にドス黒い血だまり。 薬が利いてる時は収まってるのに、利かないときの出血が激しいのだ。 ここんとこ、この下血のせいで貧血を起こすのがしょっちゅう。 なんか長生きできそうにねーよな、とつくづく思う。
今日で三日連続でしげは迎えに来ない。 なんかもう何を言ってもムダかな。 仕方なくタクシーを使ってるが、おかげで月のタクシー代がどんどん増えている。自転車で通ってたころの方がまだマシだ。 今度から、タクシーで行くことになったときは、その分の代金をしげから返してもらおう。そう決めたぞ。
アニメ『ヒカルの碁』第十七局「追憶の一局」 あっ、先週は気がつかなかったが、シリーズ全体の監督も、西澤晋さんから、かみやじゅんさんに変わってる。 やっぱり、作画の悪い回があったせいで、突き上げでも食らったのかな。 でも実際に、演出、作画が格段によくなったからなあ。 つーか、今日のヒカル、等身が伸びて急にオトナになってやんの。顔つきなんかも、どっちかっつーと、原作の最近のヒカルに近い。おかげで動かすと、やや足が余るような動きになってるけど。 監督変更で、多少、引継ぎがうまくいってないところがあるのかな?
『ウンナンのホントコ』、24時間恋愛を途中まで見て寝る。 何となくヤラセっぽいところが見えてきたので(ヤラセなんだろうけど)、飽きちゃった。
マンガ、太田忠司原作・大塚あきら作画『狩野俊介の事件簿 幻竜苑事件』(秋田書店・540円)。 原作は以前読んでたんだけど、ミステリーとしては、その人間消失トリックが「実は抜け穴があった」という、やっちゃいけない類のものなので、憤慨した覚えがある(私は基本的なルールとして、トリックのバラシはしないが、作者自体がバカで、ルールやぶりをしてる場合は別だ)。 「少年探偵」って設定、小説の中じゃ珍しいけれども(ジュブナイルは除く)、マンガじゃ腐るほどあるから、突出したイメージがなく、個性に乏しい。絵柄もかわいらしくはあるが、硬質な描線で、キャラクターの表情が単調。コマワリも平凡。しかも原作がヘボときちゃ、読んでて高揚感がない。 だいたいこの「俊介」シリーズ、文庫のイラストを末永徹朗さんが担当していて、こちらの方がはるかにうまいのだ。マンガにするなら末永さんに描かせろよな。
マンガ、あもい潤『カスミン』2巻(NHK出版・420円)。 結構刊行ペースは早いみたいだけれど、見つけるのに時間がかかるんだよなあ、NHK出版。 2巻をやっと見つけたと思ったら予告でもう3巻が今月発売だってやんの。 でもおかげでヌケのエピソードも少なく、ダイジェスト版という雰囲気もない。『ムリョウ』もそうだけれど、NHK、アニメのコミカライズについてはすごく良心的なのだ。描かされる漫画家さんは大変だろうけど。 1巻のときにはアニメに合わせようとしていた絵の線も、随分馴れてきてのびやかになってきている。髪を下ろしたカスミンなんか、将来がタノシミなくらいの美しさだし(こらこら、アニメキャラだってば)。 「帽子男」の線の崩れ具合がキャラクターを表しててイイねえ。こういう「ねずみ男」タイプと言うか、『魔女っ子メグちゃん』のチョーさんタイプと言うか、セコいコウモリ男が出てくると、ドラマの起伏が生まれて面白くなるんである。 でも霧の一族と霞の一族って二項対立的な設定は、かえってヘナモンの世界観を単純で狭いものにしやしないか。「なんだかよくわかんないけどいろんなモノがいる」って方が「ツクモガミ」的だと思うんだけど。 第一、霧と霞ってどう違うんだよ。 位置? 高度? 密度? 靄(もや)との違いは? 無理なドラマ作りに躍起になっちゃうと、ありふれた設定に堕しちゃって、つまんなくなっちゃうぞ。
マンガ、竹本泉『よみきり▽もの』1巻(エンターブレイン・756円)。 えーっと、まず、『おんなじかんじW』。ふたごの性格がどっちも同じで、入れ代わって遊んでるうちに自分たちでもどっちがどっちかわかんなくなっちゃう話。ふたごがかわいい。 『まんほ〜るのあう』。え〜っと、まんほ〜るの下には「あうの人」がいて、人が見てないと外を覗いてるらしいです。だから、ついうっかりマンホールを踏むと「あう」と言います。都市伝説でホントにありそうだな。 『あっちの屋根こっちの屋根』。すごく目がいい女の子が校舎の屋上で、向こうの学校の子と手を振り合います。そんだけの話。目がいい人っていいな。 『わらいの園』。美人だけど、「げひょひょ」とか「だひゃひゃ」とか、ヘンな笑い方をする女の子はホントにいます。ウチのしげは美人じゃないけどツボにハマると既知外のように「きゃはははは」と笑います。 しかし笑美子ちゃんが見に行った『フライングハイ13』って……。そこまで続くかっ!(続けてくれたら嬉しいけど、もうコメディから撤退してるそうだからなあ、ズッカー兄弟) 『ゆれる100万ボルト』。忠子ちゃんはメガネを外すと、目が悪いのでウルウル目の色っぽいおねーさんになります。そういう子いるよな。男は自分に気があるのかと勘違いするけど。だから女の子はむやみに男の子に顔を近づけてはいけません。これ、ホント。 『みちのまんなかに岩』。道の真ん中になぜか岩があります。そんだけ。でもスキだな、こんな話。 竹本さん、あとがきで「読み切りシリーズだと、しばりがない分楽だ」、と言ってるが、普通の連載でもシバリのない話ばっかり作ってるように思うが。でも面白いから全部ヨシ。
2001年02月06日(火) 文化はやはり相対的なもの/『NOVEL21 少年の時間』ほか
| 2002年02月05日(火) |
ゴーマンかましちゃ、いけまっしぇん/『コンセント』(田口ランディ)ほか |
なんだか世間は雪印、雪印だねえ。 この牛肉関連の話は前に書いたんで二度も三度も書かんでもいいような気がしてたんだけど、ニュースキャスターがまた世間を洗脳させようって感じで「危険」「危険」ってデマ撒き散らしてるしさあ。 いい加減、世間も諦めて肉食えよ。うちのしげなんか、何も気にせずに肉に食らいついてるぞ(犬の名前ではありません。妻です)。 景気が悪くて消費が落ち込んでるってのに、買い控えしてどうすんだよ。 事件が発覚する前に食ってたんなら、今更買い控えしたって手遅れだし、事件後はかえって検査を綿密にやってんだから、危険はなくなってるといっていい。「何万頭も検査できないからミスがあるかも」なんて、んなこと言ってたらどの食品だって危険だよ。『買ってはいけない』と同レベルのデマ流してんじゃねえやニュース23。 雪印の担当者が、国産牛と輸入牛のラベルを張り替えたんだって、アホが踊らされて肉食わなくなったからだろうが。その程度のアタマなら狂牛病にかかったってたいしてかわらねえって。
田中外相が更迭されて、小泉内閣の支持率が一気に30%だか40%だかに落ちこんだんだそうな。 予想された展開だけれど、政治も所詮、大半の国民にとってはワイドショーに過ぎないってことだよなあ。それで政府に「不景気対策をなんとかしろ」なんて言うなってな。文句つけるヒマがあったらその分働けや。 こんなこと書いてるとまたぞろウィルスを送りつけられそうだが(^_^;)、別に高飛車にモノ言ってるわけじゃなくて、世間は世間、オレはオレ、ってスタンス取ってるだけなんで、余り深く拘らないで頂きたいものである。 だいたい、知人にリストラされて本気で困ってる人もいるのに、こんなこと書いてるのは相当鬼畜なんだが(こらこら)、大局的に見ればその通りなんだから擱筆するつもりはない。 ああ、しかし、新聞によると、わが職業に関してもいよいよリストラの嵐が吹き寄せてくるような気配なんである。自分ではそれほど無能だと思ってるわけじゃないが、上司はまずそうは見てないしな。一年後は私も「政府は何やってるんだ!」なんて叫んでるかもしれないな。
今日もしげは寝すごして迎えに来ず。 「来れるか来れないか分らんものをアテにはできん」と言うのだが、そう文句をつけると、しげは、「何? オレはアンタを乗せさせていただいてありがとうって言わなきゃなんないの?」と悪態をつくのである。 誰がそんなことを言ってるか。 車に乗せてもらうことは素直に嬉しいと思うが、渋々仕方なくされるのは私だっていやだ。 朝、いちいち起こして、帰りもしげは昼寝をしているから、携帯にメールを入れて起こしているのだが、それも、しげがそうしてくれ、と言うからである。「送り迎えをしたい」と言ったのはどこの誰だ。 で、その通りにしたら、「私はあんたの奴隷か」みたいな言い方をするのだから、私が機嫌を悪くするのも当然じゃないか。 こちらもいちいち下らんことで言いあいしたくないので、ぶっきらぼうに言い放つ。 「じゃあいいよ、もう明日から乗らないから」 途端にしげの態度が変わる。 「……なんで。乗っていいよ!」 やっぱり乗せたいんじゃないか!
しげの日記の更新も遅れ気味であるが、これも「もちっと内容が判るように書けよ。オレですら分らん」と言ったら、いきなり拗ねて書くのを中断したんである。 「せめてひらがなで書けば?」と言ったら、ピタッと書くこと自体、やめてしまったのだ。 こんなん、文句というほどの文句か? 仮にケチつけられたからといって、「私は私のスタイルがあるんだから、これでいいの!」と言い返せばいいのである。それが「表現者としての自負」ってもんだろう。 演劇に携わってる者は、日常だって「舞台」と地続きになってると言っていい。常に演技者、表現者の眼で世間を見ることが肝要なのだ。なのに、ほんのちょっと「文句つけられたから書きたくなくなった」とか、おまえは千本ノッコか(←『ラヂオの時間』)。 「なあにい? ジュースは炭酸はダメって言ったでしょ? もういい、今日は仕事しない!」ちょうどこんな感じか。 「気分が殺がれたらやらなきゃならないこともしない」「注文つけられてまで書きたくない」なんて、表現者としての自覚がないと言わざるを得ない。 もちろん、作家にだって、「おだてられないと書けない」なんてタイプの人もいないわけではない。 でもたかが「しげ」が大作家を気取ってどうするのか。 しげは、私の方がエラソウにしてると言っているが、それは書くときのスタイルなのであって、文章を書き続けるということに関しては、私は自分の文章に責任を負ってるつもりなんである。 結局、しげは、自分の書いてるものに自信がないから、傲慢な態度を取って誤魔化しているだけなのだ。こんな、自分の失敗を、さもこちらの落ち度のように責任転嫁し、すり替えてものを言うような卑怯な態度を取っていて、恥ずかしくはないのか。 ……ないんだよなあ。 しげには私が劇団に顔を出さなくなった理由だって、少しも分っちゃいないんだろうな。
もうしげに弁当を買ってきてやるのもやめた。 迷惑かけて悪いって気持ちを起こさない相手に、何かをしてやろうって気にはこちらもなれない。 だいたいメシ代は渡してるんだから、これ以上たからせる必要もあるまい。
アニメ『しあわせソウのオコジョさん』。 帰宅が早かったので、初めてオープニングを見る。 なんと音響監督が『海のトリトン』の塩屋翼。子役から始まって今や監督かあ。人って成長するんだねえ。当たり前だけど(当たり前でないヤツをソバで見てると実感がわかん)。 音楽も天野正道と豪華だが、肝心の監督の山本裕介って人がどんな人なのかよく知らない。新人さんなのかもしれないが、これから頭角を表してくるのだろうか。 内容は原作の3巻あたりか。 への字口の女の子がツチヤにラブレターを渡す話が原作にもあった(いけね。この日記に感想書くの忘れてた)。 あのキャラ、思いこみが激しいタイプで、マンガキャラとしてはスキだ。現実の女ならイヤだが。 続けて『FF』も久しぶりに見てみるが、筋がもーどーなってるのか分らんのであった。
田口ランディ『コンセント』(幻冬社文庫・630円)。 作者の名前自体が気になってて、この人いったい何者? とか思ってたんだが、どうやらネットアイドルみたいなところから作品が人に知られてったらしい。 それにしても謎だね、「ランディ」。 これって男名前じゃないのか? 本名か? ペンネームか? もしペンネームだったら、ちょっとセンスを疑うが。
でも本編はなかなかに面白い。 ヒロインが冒頭からやたらと男とヤリまくって、私のようにマジメ一方な(^o^)人間には、ちょっと感情移入がしにくいのだが、それにもちゃんと意味があるということがラストでわかる仕組みになっている。 というか、ネタはそんなに目新しいものではない。 要するに「コンセント」ってのはオマ○コのことで、一見コミュニケーション不全のように見えるヒロインが実はシャーマンとしての素質を持っていて、男は女につながることによって自らの精神世界とチャネリングする……ということらしいのね。確かに、娼婦=シャーマンってのは古来からの伝統だからねえ。 ある意味ありきたりなこの設定を、ランディさんは魅力的な筆致で描いていく。やっぱり語り口がうまいとネタが普通でも読めるもんなのだ。
孤独な兄の衰弱死、それに遭遇して以来、ヒロインには人間の「死臭」が嗅ぎ分けられるようになる。怯えた彼女は、かつて自分と不倫の関係にあった精神科医の門戸を叩くが……。 この導入が読む者を一気に作品世界に没入させていく。 死んだ兄が踏み切りに佇むイメージが、ヒロインの前にフラッシュバックとして現れる。幻覚? 妄想? それとも兄は自分に何かを語りかけたいのだろうか。 そして自分はなぜ気がついたらセックスをしてしまっているのか(^o^)。
ともかく出会った男と気がついたらヤッているというこの設定がすごいね。 「語り口がうまい」と書きはしたが、文章は粘液質で、キャラクターのセリフも、むだに説明的で過剰である。なのに、印象としてはどこか明るいのは、作者が、逼塞した人間の精神をどこかで解放したいと願ってるからじゃないか。
ランディさんが庵野秀明と対談したのは分る気がする。 要するにこの小説のヒロイン、アヤナミだしね。 けど、女性がアヤナミを描くと、対照的にこんなに男が惨めに見えるようになるとは予想もしてなかった(^_^;)。 すべての男はやはりマザコンなのであろう。
2001年02月05日(月) 恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平)
| 2002年02月04日(月) |
チョコレート一本勝負/『何だかんだと』(ナンシー関)ほか |
職場で新聞を読んでいると、三面記事に曲芸師の海老一染太郎さん死去の報が。70歳、死因は胃がん。 なんだか、「死ぬ」ってことが一番似合わない人が死んじゃった、という印象である。正月には必ず染之助染太郎のお二人の曲芸が見られるものだと思ってた。来年、それがもうないというのは不条理にすら思える。 子供のころは、「正月」と言えば「三波伸介」だった。三波さんが亡くなってからは、染之助染太郎がそのイメージを一手に引き受けていた感がある。これでもう正月をイメージする芸人さんって、いなくなっちゃったんじゃないか。 兄は頭脳労働、弟は肉体労働、というイメージが強くて、染太郎さんは何もしてなかったように思われがちだが、そんなことはない。染太郎さんの方がしゃもじか何かをくわえて、その上にヤカンだのなんだのを乗せる芸を昔は披露していた。 「これでギャラはおんなじ」のギャグが当たったので、あえてテレビではそういう芸を見せなくなってたのではないか。結果的に染之助さんの傘回しと、「いつもよりよけいにまわしております」の囃し声だけが突出して印象付けられることになった。不思議なもので、ホントに余計に回していたら、永遠にまわし続けなければならなくなる計算だが、見ていると本当に長く回しているように見えるのである。これもお二人の芸の力であったのだろう。 似たような芸を見せる人はこれからも現れるかもしれないが、もちろん比較できるものではない。芸人というのはつくづく一代限りのものなのだなあ、と思う。 20世紀の「正月」は、これで終わった。 染之助さん、これからどうするのかなあ。
しげ、行きは送ってくれたが、帰りは電話に応答がない。 仕方なくタクシーで帰って、途中でコンビニに寄って買い物、弁当をお土産に渡す。 散財させられたのに親切にするなんて、理不尽なんだが、少しは私の愛情に気づいてほしいのよ。 むりかな。
日韓共同制作ドラマとかいう『friends』を途中まで見たが、こういう合作映画となると、どうして文化摩擦の恋愛ものにしかならないのか。 発想が『蝶々夫人』のころから一歩も出てないんである。 合作でSF作るとか、ミステリー作るとか、それくらいのことはできんのかい。それにしても、フカキョン、デブったねえ。 走るとチチは揺れるようになったけど、見事なくらいにウエストがない。顎の下の肉は、さすがになんとかしないとマズイんじゃないか。 アイドル脱皮して演技派ってのはまず無理っぽいからなあ。 このへんがもう限界なのかもしれないなあ。……『リング2』でちょっとはいいかなと思ったんだけどもね。
しげ、バレンタインデーに向けて、チョコレートを山ほど買って来ている。 ともかくイベント好きなしげのことであるから、「標的」に対してどんなチョコを贈ってやろうかと虎視眈々と狙いを定めているのだ。 しかも、しげは「かわいくて喜ばれる」チョコを作ろうなどという気はサラサラない。 もらった相手がいかに困惑するか、あるいはしげの「挑戦」にいかに立ち向かってくれるか、その反応を楽しみに、「勝負チョコ」を作るのである。 ちなみに、去年「勝負」を受けた其ノ他くんは、しげが贈った「牛乳パックにチョコ流しこんで固めただけの2リットルチョコの塊」を、一週間くらいかかって食ったようだ。 そして今年、既に冷蔵庫の中には直径20センチを越える「ボウル」が二つ並んでいるのだ。 ……私にはささやかなのでいいからね、ウン(^_^;)。
ナンシー関『何だかんだと』(世界文化社・1050円)。 文庫になるまでいつも待ってるのに、しげがさっさと買っちゃってた『何様のつもり』シリーズの最新第7弾。 うーん、なんだかいつものキレがないなあ、ナンシーさん。 つーか、もうこのテレビの末期的状況に、「何を言ってもムダ」と思ってるんではないか。 例えば「橋田壽賀子」である。 世間には『渡る世間は鬼ばかり』を本気で「おもしろい」と思ってる人が多いのだろう。 毎週、あれを見るのが楽しみ、という方もきっとおられるのだ。 けれど、それでもあえて言うけれど、橋田壽賀子の脚本の実力は全ての脚本家、シナリオライターの最下位に属する。 設定・構成のデタラメさ、キャラクター造型の支離滅裂さ、セリフの非現実性、なにより社会や人間を洞察する力の低さ、何一つとっても誉められる点がない。ヒトコトで言って「幼稚」。それが『渡る世間』のレベルだ。 理由は簡単で、作者がもう年寄りでボケてるからである。 なのに橋田壽賀子は未だに権威であり続けている。 ナンシーさんは、『笑っていいとも』に出続けている(2001年4月当時なので今はさすがにもういないんじゃないか)ことに対して、「つまらないからやめろというバラエティの正義を行使しても無駄であるという意識の共有」と書いている。 ……そうなんだよなあ。橋田壽賀子はひとつの例だけれど、それがえなりかずきであろうと、三原じゅん子とコアラであっても同じことである。 もう、「何を言ってもムダ」な状況で、ナンシーさんが「あれはなんだよ」、と言い続けたところで、どうにもなりはしないのだ。 無理にそこでコトバを重ねようとしても、それは空回りするばかりだ。
「『好きな俳優は渡部篤郎』と言う人たちはなぜ自身満々なのか」。 ナンシーさんのこの問いかけ、つまり渡部篤郎のファンが、「私はそんじょそこらのアホタレのファンじゃないのよ、あの渡部のファンなのよ、だからアタシもエライのよ」と言いたいんだろうと分析する。 「非ミーハー宣言」「私はバカじゃない宣言」「感性に自信あり宣言」。 渡部以外でも、浅野忠信や永瀬正敏のファンはみんなそうだとも。 その分析はまあ、当たってんじゃないかと思う。 でも、エッセイの内容はそれでおしまい。っつーか、それ以上、ナンシーさんも言いようがないのだ。 その「エラソウ」な渡部ファンに何かを言ってやれるのか。 「別に渡部のファンだからって、アタマがいいわけでも、イケてるわけでもないよ? あんたはね、ただのブス」 ……言ったって、しょうがないよね。 つまり、ナンシーさんのエッセイ、もうすっかり「ナゲヤリ」になってるんである。 ナゲヤリの文章を読んだってつまらない。 けれどそういう文章がまさしく今のテレビの最悪な状況の象徴ではあるのだ。
ちなみにしげは、熱烈な渡部ファンです(^_^;)。
2001年02月04日(日) HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)
| 2002年02月03日(日) |
ラーメンファイト!2/映画『ヴィドック』/『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮の皮』1巻(阿部川キネコ) |
頑張って早起き、新番組『仮面ライダー龍騎』『おジャ魔女どれみどっかーん』『ギャラクシーエンジェル』と立て続けに見るが、なんか余り琴線に引っかかってこないなあ。 『龍騎』は「鏡の世界での戦い」ってのがありきたりだし、やっぱりキャストの演技がみんな『アギト』以上にど下手クソで、見れたものではない。もっとも、あのシロウトっぽさがウケてるってんだったら、「演技とは何か」ってことを私は基本的に考えなおさなきゃならんのかも。 でもあのナイトと一緒にいた女の子はまあまあかわいくて好みだ。あれでセリフ回しがもちっとビシッとしてくれりゃファンになっちゃうのにな。 けど鏡の世界に入りこんだのにどうして龍騎もナイトも右利きのままなんだ。ディテールがいい加減だと視聴者はみんな見る気なくすぞ。 『どっかーん』は1話で一気にハナちゃんが嫌いになったので、次も見るかどうかは不明。現実にワガママ女を何人も相手にしてる生活してるのに、アニメの中までワガママを見て楽しくなれるものか。 『エンジェル』はギャグも作画もへタレ。 でもまあ、1話で全てを判断するわけにはいかないから、ちょっと様子見ってことで。
DVD『ガス人間第一号』。 しげから「LD持ってるのにまた買ったの?」と言われるが、なんたって、コメンタリーが八千草薫ご本人だからねー。 撮影当時は、八千草さん、谷口千吉監督と結婚したばかり。 しかもその谷口宅に足しげく通っていたのが『ガス人間』の脚本家の木村武。 八千草さんは当事者だからぼかして喋ってるけどさあ、木村さん、絶対に八千草さんに惚れてこの脚本書いてるんだよねえ。 「あの映画が八千草さんの映画の中で一番です」ってはっきり言ってるんだもの、木村さん。もちろん私も大賛成。女性の可憐さと魔性とを同時に表現したという点で、稀有の演技である。 もちろん、それはひたすら八千草薫を恋慕し、その情熱を捧げる土屋嘉男の名演と相俟っての効果でもある。 人間ドラマがへぼい日本の特撮映画の中で、この『ガス人間』は唯一、主役たちのドラマが“見られる”映画でもあるのだ。 関係ないが、ウチの親父のかつてのマドンナが八千草薫。 なんでまた二代に渡って八千草さんにイカレてるんだか(^_^;)。
アニメ『サイボーグ009』第16話「突入」。 原作の換骨奪胎で、『誕生編』のラストあたりをここに持って来た感じか。 計画の失敗に業を煮やしたスカールが、いよいよ自ら指揮を執るって設定だけど、作画はまあまあいいのに脚本がヘタレ。 なんかねー、セリフが定番過ぎて生きてないのよ。必然的にキャラクターも、人間としての演技がつけられなくなってる。 009が0013のくれた木彫りのウサギを見つめてるってのも、0013のエピソードから随分間をおいてないか? だったら間に番外編やらベトナム編を入れちゃマズイよな。リズムってのが壊れちゃうよ。 しかも009を慰めようってつもりなのか003、いきなり踊り出すし。 そんな百年も前の三文ドラマの演出、今更やるかあ? 動かしゃいいってもんじゃないんだぞ。フランス人だからそれくらいするとでも言いたいのか? そんなフランス映画があるなら言ってみろや。 ……『シェルブールの雨傘』? あれはミュージカルだっ!! それからスカール役の若本規夫さん、好きな人だけどあれはやっぱり違うよう。「ぬわぅあぅあーあにぃぃぃぃ!?」って、歌舞伎じゃないんだからさあ。 大西信介も脚本から離れてるし、紺野直幸が作画監督やったの、第1話だけだ。どうなってんだよ、このスタッフの枯渇ぶりは。
練習から帰ってきたしげを誘ってキャナルシティへ。 晩なら少しはすいているかと、ラーメンスタジアムへ行くと、それでも人気の店は相変わらず長蛇の列。 看板を見ると、1月の投票結果が出ていた。 九州ラーメン三軒VSそれ以外のラーメン五軒、結果は僅差で九州ラーメンの勝ち。しかし、今見た感じでも列が並んでるのは喜多方ラーメンや旭川ラーメンなんだが。 まあ、身びいきはあろうから、初めから3対5の対決にしたんだろうけど、かえって判官ビイキを招いたのかな。
ともかく喜多方や旭川には30分待っても入れそうにないので、「横浜 六角家(ろっかくや)」に入る。 しげは餃子を目当てにしていたが、どういうわけか「都合で餃子とシューマイは中止しています」の張り紙。 都合ってなんなんだ。料理屋でそういう不明瞭なことやってると、即、客足に響くと思うが。 空いてるとは言っても、それでも10分は待たされる。 カウンターにやっと座ると、比較的早くラーメンは運ばれて来る。 豚骨と鶏ガラの醤油スープ、表面にこってり油が浮いているので、どんなに濃いかと思ったら、そうでもなかった。もっとも待たされて結構腹が減っていたので、今日の舌はちょっとアテにならないが。どっちにしろ、麺が細麺なので、私の口には今一つ。 それでも食べているうちに口のなかがもっちゃりしてきたので、カウンターに置いてあったとんがらしを汁に混ぜたら、入れすぎて、臭みはなくなったが舌が痺れた。ちょっと失敗。
「あー餃子食べそこなった」 と、しげが口をとんがらせているので、もう一軒、「熊本 味千拉麺(あじせんらーめん)」に入る。 ここのラーメンは、豚骨スープに、秘伝のタレ「千味油」を混ぜたものとか。いや、これがまたムチャクチャ辛い。さっきとんがらしで痺れた舌が更に痺れるくらい辛い。 しかし、麺には腰があって、スープとまあまあ合っている感触。 しげはとりあえず餃子が食べられて満足のよう。
映画『ヴィドック』。 帝都の平和を守る名探偵・明智小五郎は、世紀の殺人鬼、黄金仮面を追っていた。 ついにある工場で黄金仮面を追いつめた明智だったが、逆に窮地に追い詰められ、奈落の底に身を落とす。 翌日の新聞は、大々的に「名探偵・明智小五郎死す!」の報を流した。 探偵事務所で留守を守っていた小林少年は悲しみに沈む。 そこへやってきたのは、明智小五郎の伝記を書いていた探偵作家、江戸川乱歩。 「二人で明智くんの敵を取ろう!」 乱歩と小林少年は、明智が捜索していた人々を辿り、黄金仮面の正体に迫ろうとする。
事件はもともと、二人の男が落雷で殺されたことに端を発していた。 その奇怪な殺人方法の謎が解けず、警視庁の波越警部は、明智に事件の捜査を依頼する。 明智は落雷した死体の帽子に、避雷針となる銀の櫛が残されていたことに気づく。それは謎の女、緑川夫人のものだった。
乱歩は、緑川夫人に会い、夫人もまた明智とともに事件の謎を追っていたと告げられる。 振り出しに戻った事件。 その間も、事件の鍵を握る人間が次々に殺されていく。 まるで乱歩の行く先々を狙いすましたかのように。 それでも黄金仮面の目的が、人体実験による不老不死の霊薬を作るという悪魔の研究にあることが見えてくる。
そして乱歩、小林少年、緑川夫人、波越警部は、明智の死を見届けた老人を発見する。彼は、まさしく明智が命を落とした工場に潜んでいた。 老人の口から語られる黄金仮面の正体は誰か。 彼は自らの仮面をも剥ぐ。 その姿に驚く一同を尻目に、おもむろに彼は言う。 「犯人はこの中にいる」……と!
え〜、冗談ではなく、『ヴィドック』はこういう筋です。 フランス・ミステリーが江戸川乱歩のルーツだってことが証明されたような映画でしたねー。これはもう、無条件でお薦めです。犯人やトリックはミエミエなんだけど、そんなこと言ってたら、この伝統的な「怪人対名探偵」の古典的ストーリーは楽しめませんな。 なんたって、ヴィドックは、実在の人物であるにもかかわらず、もと怪盗にして後の名探偵、変装の名人、フランス警察はおろか近代警察制度の基礎を作り上げた稀代の英傑。 ジャン・バルジャン、アルセーヌ・ルパンを地で行った……っつーより、モデルになった人物であります。もちろん、本邦においても、明智小五郎、獅子内俊次、多羅尾伴内ほかの名探偵の造型に、多大な影響を与えた。 こんなキャラをただの伝記もののキャラクターとして描いたって面白くない、つまりは遠山の金さんや鬼平が実在してるのに自由に脚色されてドラマ化されたように、ゴシックミステリーのキャラクターとして、最新の技術で映像化したのがこの映画というわけ。 いや、この映画の撮影に初めて使用されたというウワサの24pHD、この映像解析度のスゴサはどうだろう。『写楽』の江戸の町なんか目じゃあない、10世紀パリの頽廃を、抉るように毒々しく描出していく。 新人監督のピトフ、CFディレクター出身だというが、その映像センスが長編映画でも如何なく発揮されている。エロもグロもナンセンスも、見事に映像美として再現したその辣腕に拍手である。 これはもうぜひとも、『ヴィドック2 死美人劇場』とか、『ヴィドック3 奇形人間の妖奇』とか(タイトルはテキトー)、続々と猟奇的かつ妖美な世界を描いていってほしいものだ。 ヴィドックにはうってつけの俳優、ジェラール・ドゥパルデューの勇姿の再現と、謎の鏡仮面・アルシミストとの再対決をもう一度、というのは、誰もが願うことであるだろうから。
マンガ、阿部川キネコ『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮(らっきょう)の皮』1巻(ワニブックス・819円)。 あ、イタタタタタタ! ま、マンガを読んだだけでこんなにグサグサと来るとは……! 先に忠告をしておく。 ココロに余裕のないオタクはこれを読んではいけない。 特にマン研で同人誌作った経験のあるヤツは(^_^;)。 オタクが歩いてきた道、歩こうとしている道、そこで「イタイ」経験をしなかったオタクはいまい。 しかし、それをバネにして、我々は道を切り開いてきた。 言わばその「イタイ」思いは、オタクであるための「通過儀礼」、イニシエーションであったのだ。さながら女性が「ブス」と言われた時から「女」にめざめるように(喩えが外道)、「オタク」は「気持ち悪い」と言われてオトナになるのだ(だから『夏エヴァ』のラストで腹を立てたオタクのみなさん、アナタがたはオタクとしてはまだまだ第一ステージです)。 アニメ『オタクのビデオ』あるいは『コミックパーティ』または永野のり子の諸作。 受難の道を描いた作品はこれまでにもあった。それらは、たとえオタクの「イタイ」姿を描きながらも、最後は「希望」で終わってくれていた。 けれどこのマンガは、某マン研の、現在進行形の物語なんである。ラストがハッピーエンドになるかどうかなんて、まだわからない。 だからイタイ。 ひたすらイタイ。 さあ、オタクはこの痛さにどこまで耐えられるか!
「スキですっ!! つつつきあってくっください!!」 「いやよ 滝沢くんて詩織の抱き枕(通販)抱いて寝てそうなんだもん」 図星だった。
ヒトコマ目からこれだよ。 詩織の抱き枕はないけど……アヤナミの等身大タオルケットなら……。あ、アニメイトで買ったやつ……。 あ、イタタタタタ!
「月子センパイ、イヴって何か予定入ってますか?」 「ん……多分コピー本の原稿をやってると思う……なんかもうすでにテンパっちゃってるんだるんだよねー まあ毎年のことなんだけどぉー(苦笑)」 やっぱそうだよね……わかってた……ボク ホントはわかってましたー!! この時期 破局をむかえる同人女は多いといいます……
これを読んで笑えない女性が、ウチの劇団には数人いる。 高校卒業してウン年になるのに、未だにこの状況つづいてるらしいし。ホントに人生、それでいいのカシラカシラ。
すんません。 今回、細かいストーリーを引用して説明していったら、私自身、すごく痛いんで、ちょっと控えます。修業が足りんなあ。 一応、あと一つだけ、しげの絡みのエピソードを。
「このマンガで、電車の中でコミケカタログ堂々と広げる女の子が出てくるでしょ」 「ああ、あの天然ボケのキャラね」 「でも隣にいた主人公が、『あの分厚い本が何なのか分るのもオタクだけだから恥ずかしくない』って言ってたじゃん」 「ああ」 「あれ、ホントだよね。オタクの行動の意味なんてオタク以外には分らないんだから」 「……それでホッとしたって?」 「うん」 「つまり、お前、自分で自分がオタクだってことを認めたわけだな?」 「……はああああああっ!」
なんか、無差別で読者にキズを作りまくってるよな、この本。 「ボクはオタクじゃない!! ただのアニメファンだ!! ←オタクの言いワケ」 アイタタタタタタタタ……(/_;)。
夜中にしげ、また「どこかに旅だとうか」なんて言い出す。 だからそこで私がホントにコワレちゃって、「いいよ、どこまででも行こう」なんて言い出したらどうするつもりなんだ。 やっぱ、破滅型のヤツとくっついちゃった苦労ってのは一生続くんだろうなあ。
2001年02月03日(土) 笑いの王国/『かめくん』(北野勇作)ほか
| 2002年02月02日(土) |
ファンタジーの地平に/映画『ハリー・ポッターと賢者の石』/『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる) |
朝っぱらから寒い中を出張。 ……と思ってたら、それほど寒くはなかった。外での仕事なんで、寒いとトイレが近くなって困るんである。 半ドンで仕事を終えて、出張先までしげに車で迎えに来てもらう。 携帯の電源を切ってたんで、しげが連絡がつかないやん、と文句を言うが、切ってたのはちょっと周囲の事情があってベルを鳴らされたら困る、ほんの10分程度の間だ。 間が悪かっただけなんだからそんなに怒るなよう。
でも気分はなかなかに高揚している。 今日こそは……今日こそは……、ついに、あのっ! アレを見にキャナルシティに行くのであるよ。 「道がわかんねー」と叫ぶしげに地図を示す。 「……真っ直ぐ行って、一回曲がるだけじゃん」 基本的に「地図を読む」という行為が、しげにはできないのではないか。
キャナルに着いて、映画の時間を見ると、もう少し余裕がある。 ラーメンスタジアムを覗いてみたが、一時期ほどの大混雑ではないが、それでもどの店も結構な長蛇の列。 諦めて、河岸を移して、某和食の店に入る。 しげはカツ丼、私は貝汁定食を頼む。 この貝汁の中のあさりが、どういうわけかやたらと砂を噛んでて、食うたびに口の中でじゃりじゃり、音がする。 しげはこれが嫌いで貝類は一切食べようとしないが、これも一つの味わいなんと思うんで、日頃の私はあまり気にしてない。でも、ちょっと今回のはいくら何でも多過ぎ。何しろ砂の入ってない貝が1個もなかったのだ。 も少し、砂出しに手間かけてほしいよな。ちゃんと一晩塩水に浸しといたのかなあ。
映画『ハリー・ポッターと賢者の石』。 さてさて、やっと見てきた超ヒット作であるが、誉めようと思えば誉められるし、貶そうと思えばとことん貶すこともできる、なんとも困った映画なんであった(^_^;)。 つまり、良くも悪くもファンタジーとしてはスタンダードなんだよね。『寅さん』や『水戸黄門』を今更、貶してどうする、みたいな感じかなあ。
ストーリーを紹介するのは、この日記の趣旨じゃないんで、多少はしょるけど、いじめられてる継っ子が、実は魔法使いの子だと分って、魔法学校に入ってメキメキ頭角を表す、そんでもって、因縁のある悪の魔法使いの復活を阻止するって話。 おお、すごい、数行で『ハリポタ』の全てを言い切ってしまった(^.^)。 『ハリポタ』否定派は、この余りに単純過ぎる設定にあきれかえったってところも大きいのだろう。 この、大ヒットはしているが、徹底的な批判者もいるという状況、“あの時”と実によく似てる。状況が似てるのは当たり前なんだよね、だって、その「映画」自体、この『ハリポタ』と内容がそっくりなんだから。 お気づきの方は多かろう。ネットを検索してないのでよく知らないが、同じ指摘をしている人も多いのではないか。『ハリポタ』は、その構造において、1977年の『スター・ウォーズ』と全く同じなんである。 ともかく、映画公開前の情報がやたら飛び交ってて、「すごい、おもしろい、革新的!」などと煽りに煽られ、いざフタを開けてみたら……「なにこれ?」という状況まで同じってのはなんだか悪夢的ですらある。人間って、何十年経っても全然進歩しないんだよなあ。 もちろん、『スター・ウォーズ』を否定するつもりで言ってることじゃない。あれはSFじゃなくてファンタジーだというのは、公開当時も言われてたし、ルーカス自身も近年そう主張していたことで、今更そのSF性とかを否定したってしかたがない。 この「なにこれ?」というのは、「ファンタジーとして余りにもスタンダード」いう謂にほかならない。けれど、定型には定型の価値はあるので、それを一概に否定していいものではないってことはあるんだよねえ。
ハリー・ポッターは『みにくいあひるの子』であり、『シンデレラ』である。 預けられたダーズリー家では、徹底的にこき使われ、いじめられる。 しかし、11歳になった時、「魔法学校」からの案内状が来る。彼は悪の魔法使いヴォルデモートの魔の手から唯一助かった、伝説の男の子だった。 この「実は高貴の出」というのは、厳然たる身分社会において、一つの理想物語として描かれつづけてきた、貴種流離譚の定型である。 どんなに努力したって、身分の壁がある限り、報われることは決してない。もしあるとすれば、実は自分が高貴の出であるという、自分でも知らない運命が発覚した時だけだ。そんなはかない夢にしか、かつての西欧の人々は希望を託せなかった。 この「努力よりも血」という発想、民主社会が現実のものとなった現代ならば否定されてるかというと、そんなことはない。やっぱりいくら努力したってある程度以上にはいけないという「限界」はちゃんと残ってるんである。 だからなんとゆーか、『ハリポタ』つまんねーぞ、とは簡単には言いにくいのよ。だって、だれだって、「こんなに苦労してるのに、生涯報われる日なんて来ないんだ」って思って生きてたくはないじゃん。たとえ根拠なんてなくっても、「いつかは僕にも」「いつかは私にも」って、希望をもって生きてたいのよ。 努力して努力して苦しんで悩んで、そんな物語なんて、自分と重なりすぎてて見てたくもない。映画は夢でしょ? 自分の夢が努力せずに叶えられた方がいいじゃない。だって、これまで散々苦労はしてきたんだから。これ以上、苦労なんてしたくない……。 だから、ハリーがいじめられるのは10歳まで。 あとはもうトントン拍子である。ルーク・スカイウォーカーも、たいした努力なしにあっという間にフォースを使いこなしちゃったけど、あんなの見てると、宮本武蔵の終わりなき求道がバカみたいである。 最後には努力タイプのハリーの女友達、ハーマイオニーに、「私はただの優等生、本当に便りになるのはアナタよ、ハリー」なんて言わせちゃうんだから。 こんな「努力したって無駄」「なにもしなくても力が手に入ったほうがいい」的な物語に熱狂してしまうほどにアチラの人々の精神は疲弊しきってるんである。
映画が公開されて、一部のクリスチャンが、「魔法の肯定はキリスト否定である」と、『ハリポタ』を焚書したような報道があったようだが、日本では「アホか」みたいな記事でも、アチラじゃ結構深刻な問題ではなかろうか。 神様を信じても救われない、直接自分が力を持てた方がいい、ってとこまで人々の心が変化しているのだと見たら、そりゃ、クリスチャンにとっては脅威だろう。
そういうキリスト教社会の限界が実感できない私にしてみれば、『ハリポタ』を完全否定まではしないけれど、もちっと「努力」の方にウェイトを置いた展開にならなかったものかとは思う。でないと労働者諸君は、ホントの意味で報われはしないじゃん。おいちゃん、悲しいよ。 どこぞの書評には「努力した者も報われる展開がある」とか書いてるものもあるようだが、「も」であって「が」でないサビシサに、自分で書いてて気づいてないのかね。
じゃあ、振り返って見て、日本でのヒットはなんなのか。 やっぱりみんな、「努力なんてしなくて力が手に入ったほうがいい」と考えながらあの映画を見てるのか。 ……無意識的にはもう少し複雑な気がする。 もちろん、『堤中納言物語』や『山椒太夫』のような貴種流離譚が日本にもないわけではないけれど、それよりも我々庶民の生活に密着している日本のスタンダードは、「高貴なものに救ってもらう」パターンなんである。 マジメに努力してれば、いつかは「水戸黄門」や「遠山の金さん」に助けてもらえるってことだね。 だから日本人が感情移入するのは、初めはハリーでもじきにロンやハーマイオニーのほうに移って行くんじゃないか。 いや、私はハーマイオニーに同情しちゃったよ。 一番努力してるのに、結局おいしいとこはハリーに持ってかれちゃうんだもの。なんかねー、『エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレーがさあ、どんなに努力してもあのバカシンジに届かないときの口惜しさっつーか、『ガラスの仮面』で姫川亜弓が「所詮私は努力してるだけ、天才なのはあの子、北島マヤ」と歯噛みしてるシーンを思い出してさあ、少しはハーマイオニーに気を使ってやれよ、せめて最終対決のシーンでは、ハリー、ロン、ハーマイオニー、三人揃って悪い魔法使いに対抗させろよ、と言いたくなっちゃったもんね。
この三人の間柄も定型だよなあ。 トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンとベッキーというか、コナンとジムシィとラナと言うか。するってえと、ハグリッドはダイス船長か。 となると、宮崎駿がこの『ハリポタ』を見てどんなことを言うか、ちょっと聞いてみたいように思うが、おそらく『スター・ウォーズ』をこき下ろした時と同じようなことを言うんだろうな。 曰く、「人種差別映画」と。 メタファー変えれば、これ、「ボクは黒人だけど実は白人だったらいいな」物語だもんね。ディズニーがそうであるようにね。 しかし、その宮崎駿が大っ嫌いなタイプの映画を見にいく人間は、おそらく『千と千尋』に行く人間と、大半が重なってると思うんである。宮崎さんも、「『ハリポタ』ヒット」の報には複雑な心境かも知れない。
しかし、ファンタジーなんて見たこともない、という初心者には、この程度のスタンダードであった方がとっつきやすかろう。 「『ハリー・ポッター』おもしろかったあ!」という女の子がいたら、「もっとおもしろい本、教えようか?」と言って、ル・グィンの『ゲド戦記』を読ませてコマすっちゅう手はあるし(と言いつつ完結編、まだ読んでねーや)。 あ、もちろんJ.R.R.トールキンの『指輪物語』や、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』『別世界物語』、ジョージ・マクドナルドの『リリス』などてもよいです。 リリアン・スミスが主張するように、ファンタジーは作品の構造なのではなく作者の思想・人格とイマジネーションに起因するものなのだ。多分、ローリング女史よりは彼ら・彼女たちのほうがより深い洞察を人間に対しているとは思う。 帰宅して間もなく、宅配便。 しかも結構かさばる大きさ。 んなもん、何も注文した覚えがないので、なんじゃらほいとラベルを見ると、「エアーベッド(ダブル)」の文字。 ……何、これ? 思わず、しげの方を見る。 「通販で買っちゃった、てへ(はあと)」 「『てへ(はあと)』……って、いくらしたんだよ!」 「高くないよ、○○○○○円」 「高いわあ!」 全く、人にDVDだのなんだのとムダ遣いするなと、散々うるさく言ってやがるクセに、自分が買い物する時は相談もなしかよう。 あ、あの、一つ注意しておきますが、しげが「ダブルベッド」を買ったからと言って、そこに「深い意味」を感じ取ってはいけません。 しげはただ単に、「自分が広い布団で寝たい」。それだけです。 それだけなんですよ。 とほほ。 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルルル……。
マンガ、水木しげる著、京極夏彦 監修・装幀、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎 GeGeGe−no−Kitaro』(講談社・998円)。 一時期、マンガの英語訳が流行ってたが、ああいうのは実際に海外でどの程度出版されたんだろうか。士郎正宗なんかが海外でもカルトな人気、とか聞いたりはするけれど、「ほかのに比べりゃ」みたいなレベルらしいし。 日本のマンガはやはり独自の発展を遂げて独特の文化を作り上げている。それに直に触れる機会が多くあって、馴れていなければ、読んで楽しみ、正当に評価することは難しいだろう。 それが、いきなり『鬼太郎』である。 水木しげるがアメコミ調のマンガを描いてたのは貸本時代までだ。『鬼太郎』を少年マガジンに描くころには、もう、あの独特な飄々としたセンにかなり近くなっている。
英訳されたのは『ゆうれい電車』に『大海獣』。 妖怪退治ものをあえて外したのは、鬼太郎の多彩なイメージを初めから海外の読者に固定されたくないという配慮からだろうか。でもこの二作、ねずみ男と鬼太郎の仲がいい作品なので、キャラクターどうしの絡みよりも話の面白さで選んだというところなのかもしれない。 英訳本となれば、日本語独特の表現がどう訳されたかということが気になるところだが、『鬼太郎』の場合は当然「お化け」「妖怪」である。 『ゆうれい電車』では“ghost”、『大海獣』では“goblin”と、訳し方を変えている。 京極夏彦の解説では、更に、“monsters(怪物)”、“spirits(精霊)”、“ghostlike creatures(幽霊のようなもの)”、“demons(悪魔)”、“godlike entities(神様のようなもの)”という解説を加えている。……確かに、砂かけ婆あや塗壁を外国人に説明するのは難しそうだ。
ほかにも、「ほうほう」と頷く訳、首を捻る訳などあって面白い。 「線香」は“bearning sticks”。でも、この訳だけじゃなぜ棒が燃えてるのかわかんないんじゃないかなあ。あれってもともとは死体の腐臭をごまかすためだったんだね。 「お守り」は“good−luck charm”か。でも向こうじゃ蹄鉄みたいなもんじゃなかったっけ。携帯用の「お守り」ってのとはこれもちょっと違う気がするが。 「ねずみ男」は“Ratman”。当たり前だけど、ちょっとカッコよく聞こえちゃうなあ。夜の町で正義を守ってそうだぞ。 「大海獣」が“leviathang”というのは、なるほど、ではある。 単に“sea monster”なんて訳すより、気が利いてる。このマンガでは鯨の先祖「ゼオクロノドン」(正しくは“zeuglodon<ゼウグロドン>”であることが今回の英訳で分った。水木さん、結構こういう用語の転記ミスは起こしてるんである)ということになっているが、もちろんその造型は実在したそれよりも、はるかに「妖怪」的である。 けれど、これまでに発表されたイラストやゲームに紹介されている「レヴィアタン」あるいは「リヴァイアサン」のイメージと大海獣とでは、かなり隔たりがないだろうか。私が見たことがあるのは、巨大魚、怪竜、海蛇、あるいはタコである。……と思って、念のためネットで調べてみたら、「くじら」とい説もあるのね。つまりは伝説性が高く、固定されたイメージというのはないということなのだろう。
広告でほかの英訳マンガも掲載されてるが、そのタイトルが結構凝ってるんだねえ。 感心したのは、『ひみつのアッコちゃん』。“Akko−chan’s Got a Sectet!”だと。原タイトルより「どんなヒミツなの?」と聞きたくなるね。
2001年02月02日(金) ゆっくり休もう/舞台『人間風車』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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