無責任賛歌
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2001年02月05日(月) |
恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平) |
元来、記憶力はないほうなので、その日あった出来事をその日のうちに書いておかないと、翌日に持ちこした日にゃあ、昨日のことなどスッパリ忘れていて、何を書いたらいいのやら解らなくなってしまう。 勢い、日記を書き始めるのが11時、12時なってしまうわけで、翌日が早出の仕事だと、睡眠時間が4、5時間ということにもなりかねない。しかも寝惚け眼で書くものだから、あとで読み返すと文章がヘロヘロ、ということも多々あるのである。 体調崩すもとにもなるので、今日から早めに日記を書くことにしようと思う。書き終えたあとで起こったことは、覚えていれば翌日付け足して書こう。この日記を毎日ROMしてる人は(数は少ないでしょうが)、前日の日記も読み返すようにしてみてくださいね。
私の風邪が移ったらしく、今日は女房が熱を出してダウン。腹も壊している模様だが、まさか昨日の味の薄いカレーのせいではあるまいな。鈴邑夫妻は無事であろうか。
吉岡平『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』読む。自分の書いた小説をりメイクするというのは珍しい行為だが、アニメ化され、登場キャラクターのイメージが膨らんだ今では、かつての原作があっさりしすぎていて、新たな顧客を呼べない、と判断したのではなかろうか。しかしキャラ設定がガラリと変わったものもあって、ハルミなどは旧作ではお色気で売るキャラだったのに、今回はロリコンキャラ……(^_^;)。これを時代の趨勢というのだろうか?
『日本国語大辞典・第2版』第二巻をめくっているとついついハマって時間を忘れてしまう。辞書は魔窟だ。 恵比寿様の正体、昔から気になっていたのだが、あのイザナギ・イザナミが海に流した蛭子だったとは。知らないことって多いよな(私だけかもしれんが)。おお、そうか! それで蛭子能収を「えびすよしかず」と読んでいたのだな! ……そう考えながら見てみると、あの人の顔、エビスにもヒルコにも見える……ってヒデエなあ。同じ海からの渡来神、ということで混同されていったものらしいが、そうなると、海から来て大国主を助けたコビト神、「少名彦名」もまた蛭子の後の姿、と解釈した安彦良和の説も信憑性があるような気がしてくる。 ふと気づいたが、恵比寿様が常に座像で描かれているのは、あれが足萎えだからである。よくパレードなんかで着ぐるみの恵比寿さんが歩いている姿を見るが、あれはやはり神輿に乗せて担いでいかねばならんものだろう。差別的かもしれんが、柳田國男も指摘していたとおり、「欠損」は神の一条件であったとおぼしい。妖怪と神はもともと同一のモノであったのだ。 もっとも私ゃ、ヒルコと聞くと、どうしても諸星大二郎の『妖怪ハンター』を思い出しちゃうんだけどね(^_^;)。ヱビスビールをヒルコビールだと思って飲むと、より味わい深いことであろう(^o^)。
第一版との違いもいろいろと目立つ。 「おきうと」は初版では「エゴノリの寒天」としか書いてなかったのが、「福岡の名産」と記述が付け加えられていたし、「おばいけ(尾羽毛)」も「鯨の尾肉」とあっただけなのが、「さらしくじら」と注がついている。全体的に方言の記述が充実したような印象である。 もちろん新たに加わった記述も多く、「O-157」は当然旧版にはない。でも読み方が「おおいちごなな」ってのはどんなものだろう。大抵の人がこれは「おおいちごーなな」と長音で読むのではないか。同様に「H」の読みを全て「えっち」に統一しているが、例えば「HIV」などは「えいちあいぶい」と正確に発音している人も多いのではないか。熟考して欲しい表記もいくつか散見された。
携帯電話に間違いメールらしいものが入る。メールの見方が解らんので、パソコンのポスペを開くと、 「携帯のメルアドは番号じゃないよ。またメールします。」とだけ。 記名はkaoruさんとあるがいったい誰だ。困ったなあ、こういう時、どう対処したらいいか解らんから携帯はあまり持ちたくなかったんだが。 これくらいなら何ということもないが、「今夜いつものところで待ってるわ、ウッフン」なんて間違いメールが入ったらどうしてくれるのだ。いくら間違いだと言っても、疑いの目を向けるのがウチの女房の性癖なのだぞ。家庭争議は必至である。 メンバーの諸君に予めお願いしておくが、私の携帯にこの手のイタズラは絶対にしないように。シャレになんないから(結局間違いメールはそのままほったらかしときました。さして重要なメールでもなさそうだったし)。
一昨日あたりから女房がチョコレートを懸命になって作っている。と言っても市販のチョコを溶かして混ぜ合わせ型に嵌めるだけなんだが、その量が半端ではない。糖尿で大量には食えんので、私用でないことは確かなのだが、そうなるとターゲットは誰だ。 いや、別にヤキモチを焼いているわけではなく、ただ「被害者」の身を案じているだけなのであるが。
横になって寝ながら、マンガ、波津彬子『雨柳堂夢咄』1巻を読む。 怪談・奇談には「骨董屋もの」と言っていいような設定のものが多い。つまりは、骨董屋に預けられた品物に、かつてそれを持っていた人の思いが宿っていて……と言うアレである。 もちろんその最も代表的な例は小泉八雲の『怪談』や『骨董』であるわけだが、文芸として完成される以前から、民間に「付喪神(つくもがみ)」の伝承は多々伝えられていた。「もの」に宿る、人の「思い」を日本人が大切にしてきた証拠だろう。それを称して「もののけ」と言う。 ストーリー的には荒削りの感が強く、八雲や岡本綺堂の怪談にあるような闇の深淵が静かに広がる感覚はない。都筑道夫のモダニズムともほど遠い。話によっては「雑」という印象すら受ける。 しかし逆にそれが原初的な、切なげでいて強い情熱を感じさせている。主人公の美少年があくまで狂言回しに徹しているのもいい。
読みながらウトウトして、変な夢を見たような気もしたが忘れた。今日は10時には就寝。ひさびさの早寝である。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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