無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年02月06日(火) 文化はやはり相対的なもの/『NOVEL21 少年の時間』ほか

 朝、4時に目が覚める。
 早寝したら早寝したで、熟睡できずに目覚めちゃうというのは、私のカラダ、どうなっちゃってるんだ。
 居間を覗くと、女房がまたぞろパソコンの前でパコパコやっている。ホームページの改装、新企画を練っているもののよう。私もいろいろ企画協力したいのだが、ホトボリが覚めるまでは無理だしなあ。で、そのホトボリがいつごろ覚めるかは皆目見当がつかないのである。
 女房、自分の文章がぶっきらぼうではないかと気にしている。もともとの性格がぶっきらぼうなんだから仕方ないと思うんだが。

 日航機のニアミス事故も有明海のノリ不足も、我関せずでのほほんと毎日を過ごしているが、「ホーカ」シリーズをポール・アンダースンと共著していたSF作家、ゴードン・R・ディクスンの死亡記事が朝日新聞だけ異常に遅れて報道されたのには憤りを感じている(オタクだなあ)。今朝の新聞でやっと報道ってなんなんだ。読売は3日の夕刊で報道してたぞ。
 (ついでに言えば、朝日の『ののちゃん』、町内会長のナベツネが「ワンマンマンはワシがアレに似てるのではなく、アレがワシに似とるんじゃ」と言い訳してたが、つまりホンモノのナベツネとも他人の空似と言いたいわけだな(^o^)。あのヒトもそれで納得して訴えないでくれりゃいいがなあ)

 『地球人のお荷物』を読んだのはもう20年以上前、高校の文芸部の読書会で先輩が課題に出したのが初見だった。もうひと昔前だと、『共産党宣言』あたり読まされていたかも知れず、更に時代が下ると「あかほりさとる」ばかり読まされていたかも知れず、つくづくSFの時代に生まれついたことを神に感謝したい。
 何しろ「課題」で無理矢理読まされた本がメチャクチャ面白い、なんて稀有のことだったのだ。テディペアそっくりの宇宙人、ホーカたち(『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』の「イウォーク」あたりを想像してみて下さい)は、大の地球マニア。地球人のマネをすることが最高の文化、と信じて疑わない。しかしかわいいくまちゃんたちに星をあげてB級西部劇ゴッコされてもねえ……地球人たちは自らの恥部をマネされているようで、頭を抱えてしまうのであるが、ホーカたちの趣味は次から次へと移っていき……。
 気づいた人は気づくだろうが、竹本泉の『ねこめ〜わく』、完璧にこの「ホーカ」のマネである。いや、そればかりでなく、この宇宙人が地球人のマネをする(ことで地球の文化そのものをからかう)やり方、小説・ドラマ・映画に多大な影響を与えている。
 女房愛するところのダン・エイクロイドの『花嫁はエイリアン』には、地球人の映画のマネをして、キム・ベイシンガー扮する宇宙人が、ダンに、軽いキスからディープなキスまで、ありとあらゆるキスをするシーンがあるし、果ては地球最高の文化はジミー・デュランテという(この人の映画、クリップでしか見たことないんだよなあ)……(^_^;)。
 「スター・トレック」オリジナルシリーズにも宇宙人がシカゴギャングになるエピソードがあるとか(情報元・エロの冒険者様。多謝)。カーク船長も眉根をあげて困ったことであろう。
 他にも似たようなネタはたくさんあったような気はするがパッと思い出せん。すごく有名なやつを忘れてる気もするけどな。この日記読んでる人で、「アレがあるじゃん!」と思った人、メールでもホームページの掲示板でもいいから教えてくださいな。

 デュアル文庫『NOVEL21 少年の時間』、最初の二編だけ読む。
 上遠野浩平『鉄仮面をめぐる論議』、これも「虚空牙」シリーズの一編、というよりついに……。いや、これを書くとネタバラシになるな。別の角度から書くことにしよう。
 この「虚空牙」シリーズ、宇宙戦争や地球上の内戦を描いているが、登場人物の戦争に参加している感覚が、異常に希薄なのである。死にゆく者すら、それが戦争であることを自覚せずに死んでいくように見える。それは、書き手が戦争を知らない世代であるからというよりは(それを言えば今の作家は大抵そうだ)、結局ヒトはたとえ戦争のさなかにあろうと、自分が感じることのできる範囲内の世界しか理解し得ない、ということを作者が直観しているからであるように思う。……でなければ戦争の中での恋なんて有り得ないではないか。もっとはっきり言えば、どんな時代、どんな国、どんな文化の中にあろうとヒトは孤独であり、ゆえに未来は閉じていて開かれている(禅問答か)ことをこの作家は常に語りつづけているように思う。
 しかし講談社に書いたり徳間に書いたり、上遠野さんはもう「ブギーポップ」シリーズは書かないのかなあ。映画のできがアレだったし、メゲたのかもなあ。
 菅浩江『夜を駆けるドギー』、パソコン内のサイト及び<実現した>ロボットペットを題材にしたSFというのは初の試みだろう。「パソコンの中は匿名性が高く、日常から切り離された本当の自分が棲息できる気がする」という主人公、もちろん「本当の自分」なんてものがどこかにあるように思っているのは少年らしい甘さだろうが、この設定が作品のアイデアに密接に絡んでいるから、モラリスティックにこれを非難することは、批評としては不当だろう。
 「逝ってよし」「オマエモナー」など、どこぞの掲示板でやたらと目にするタームが作中に散見するあたり、作者も相当ハマっているらしく、見ていて微笑ましい。パソコンネットの世界は確かに悪意に満ちた世界ではあるが、人間の悪意から目を逸らし、キレイなものだけ見ていたって、人や世界は見えてこない。作者の悪意を優しく見つめる視点はかえって清々しいのである。
 ……って、菅さんってガイナックスの人だったのか。なるほど納得(^o^)。

 ちょっと気になることがあって、『聖書』を調べる。
 何でも今度の『仮面ライダーアギト』、「アギト」って、てっきり「顎」の意味かと思ったら、「αにしてΩ」という意味だそうな。どこをどうひねくったらそんな意味になるのかよく分らんが、これ、確か「神」のことだよなあ、と思って見てみたら、『ヨハネの黙示録』の冒頭と最後にその記述があった。やはり神の自称、「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」……あはは、『鴉』だ『鴉』だ。もちろんこれは同時に「ウロボロスの蛇」でもある。誰でもこのネタ、使いたくなるんだよなあ。ハンパに使っちゃつまんないから、私ゃ自分の芝居では全編このテーマで押したんだが、『仮面ライダー』でこのネタやるか? どうせやるなら「009」の方だろうに。
 1・2話録画しただけで見返してないけど、続けて録画しようかどうしようか。

 帰宅するとまた女房は寝ている。飯は一応カレーの作り置きがまだ残っていたのでなんとかなったが、さすがに明日あたりは酸っぱくなるのではないか。簡単なものでいいから作っておいてよ。

 CSで『あんみつ姫 妖術競べの巻』見る。
 あんみつ姫は雪村いづみ。当然歌もたっぷり、日本のミュージカルはやっぱり時代劇でやるのが一番華やかでいい。敵の妖術使いに益田喜頓、おお、しかも殺陣まで見せる! こりゃプログラムピクチャーとは言え、結構拾いものだった。
 三人娘って、今見るとかわいくはあるけれど、まるで美人とは言えない。やはり庶民的なところが受けてたんだろうなと思う。よく、「昔のスターは憧れの対象で、まさしく手の届かない『星』だった」、なんて言うヤツがいるが、高峰秀子だって、庶民的で親しみやすいところが人気の元だったのだ。高嶺の花じゃ人気は出ないよ。
 『あんみつ姫』の原作もそろそろ復刻してくれないかなあ。もちろん竹本泉じゃなくて倉金章介の方ね。昔、講談社マンガ文庫で出た時、『てんてん娘』は買ったんだが、『あんみつ姫』は買い損ねていたのだ。

 女房、こちらがそろそろ寝ようか、というころになってやっと起きてくる。で、いきなり「トンカツ食いたい」。……さては『浜かつ』の「990円シリーズ」のCMに惹かれたな。
 「そんな贅沢をする金はねえ」とつっぱねる。自分の食費は自分で賄えと言うとるのにこいつはしょっちゅう私にタカってくるのだ。
 「ワリカンなら考えてやってもいい」
 「ワリカンだとお互い少しでも余計に食おうとするから、かえって損するからいやだ」
 ……それはお前だけだ。自分のイジマシイ基準で人を判断するんじゃねーや。
 結局外食はなし。第一カレーがまだ残っているのだ。それを先に片付けんかい。

 寝がけに風呂に入って、波津彬子『雨柳堂夢咄』2巻読む。一編一編が短くて、寝ながら読むのに丁度好い。長期連載になると、どうしてもキャラクターを増やして次の展開を図らねばならないが、いかにもライバルっぽいニセ骨董作りを登場させたのはどうか。この手の悪漢キャラは魅力的なだけに下手をすると物語世界自体を壊しかねないくらいに動いちゃうものなのだ。作者はストーリーテリングがうまいとは言えないだけに、今後が大変そうだ。

 就寝は12時過ぎ。できればもう1時間は早寝したいものだ。



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