無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月23日(日) 幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか

 今年最後の『コメットさん☆』第39回は、「サンタビトになりたい」の巻。
 打ちきり(多分全46話)が決まったってのに、作画陣が手を抜かずに作ってるのが嬉しいなあ。
 しかし、これだけ「近年稀に見る良質のアニメ」と言われつつも、結局『どれみ』に勝てなかったってのは(直接の裏番組じゃないけど) 、所詮「オトナが子供に見せたがる」アニメであって、子供はさほど魅力を感じなかったってことなのかなあ。

 ゲームギャザの別冊で『OTOMEX』というアニメ雑誌(女の子向けというキャッチフレーズではあるけれども、中身は実質、美少女アニメ専門)が発刊されたが、その第1号、既に『コメットさん☆』を「名作」として特集している。
 なんと12ページを割いて、名場面集、スタッフインタビュー、関連グッズ紹介などなど、既発のアニメ誌がおざなり程度にしか紹介して来なかった『コメットさん☆』の魅力を細部に渡って披露。メテオさんの小特集まであるんだから、これは嬉しい(あ、ちなみにウチのしげは、目を半開きにして悪巧みの微笑を浮かべているときのメテオさんに、顔がソックリです)。
 しかも、前田亜季のインタビューだけで見開き使ってるし。
 でもやっぱり人気がイマイチなのかなあと思えるのは、未だにムックが1冊も出てないってことなんだよねえ。この特集でも、「ムックが出来るかもしれないのでお便り下さい」なんて欄外に書いてあったりするんで、相当内部事情は苦しいのかも。
 ……人気が出てればなあ、スペシャル版で九重祐三子・大場久美子・前田亜季三人揃い踏みの実写版コメットさん復活編が見られるんじゃないかと期待してたんだが。

 「メテオさん恋の行方」編もクライマックス。
 てっきり、イマシュンの心はコメットさんが本命で、メテオさんは哀しい思いをするんじゃないかと思ってたけど、そうはならなかったのでホッとする。
 ムークから、イマシュンに作ってもらった曲が、実はコメットさんのためのものだった、ということを聞かされたメテオさん、いったんは彼とのイブの食事会を、コメットさんにゆずろうとする。けれど、どうしても彼に会いたい思いが募って、遊覧船のレストランに姿を見せる。
 悲しみをたたえた瞳のメテオさんに、イマシュンが言うのだ。
 「コメットさんは憧れの人。今度は君のために曲を作らないと」
 ……ああ、ガキのクセして女殺しなヤツ! オレだってそんなセリフ言ったことないぞ!(言ってたら気色悪いが)
 でもなあ、私がしげに似たようなこと言おうとしても、何を作ってやればいいと言うのか。歌は作れないし(作ったとしても自己陶酔的なものしか作れねーし)、「君のためにエロマンガを描いて贈るよ」じゃバカだし。
 ああ、考えてみたら、恋愛の引き出しが極端に少ない男なんだよなあ、オレって。


 今日はゆっくり日記の更新が出来るかなあと思っていたら、昼過ぎ、いきなり練習に出ていたしげから電話があって、「今日、よしひと姐さまがお泊まりするから部屋片付けといてね」だと。
 何でも舞台用の小道具の作成が間に合いそうにないので、急遽泊まりこみで作ることにしたのだとか。
 ったって、ほとんど床面積の見えないこの部屋をどう片付けろと言うのか。
 ブツクサ言ってても仕方ないので、チビチビと片付けているとあっという間に夕方。


 『サイボーグ009』第11話「幻影の聖夜」。
 部分的に原作の「赤い靴編」のイメージを取ってはいるものの、基本的にはオリジナル。
 初期の原作には各サイボーグキャラクターの人間性を掘り下げた話は少ないから、放浪編にかこつけて、後期の短編からそれらしいエピソードを取り出してきて、先に紹介しようってんだろう。新らしい視聴者にサイボーグキャラに親しんでほしいという措置かな。
 でもまあ、フランソワーズにライバルがいるってのと、「いつまでも踊っていたいという幻想の中にいる」(原作ではフランソワーズではなくライバルの方)というエッセンス的なものしか原作からは取り出してない。
 フランソワーズの兄のジャンも、原作で登場しているのは「誕生編」と「時空感漂流民編」の2編のみだが、今回のキャラデザインは「誕生編」をベースにしている。

 フランスの港に立ち寄ったドルフィン号から降り、つかの間のクリスマス・イブを楽しむフランソワーズ。
 生き別れた兄・ジャンや、バレエ団からブラックゴーストに誘拐された過去を思い出しているうちに、フランソワーズは、何者かの気配を感じ取る。そして彼女は、かつてのバレエのライバル、ナタリーに出逢う。
 数十年が過ぎているというのに変わらぬ姿の彼女に。
 この「変わらない姿」って設定も、石森の短編『昨日はもうこない、だが明日もまた……』からのインスパイアだろう。
 原作のあちらこちらから設定を抜いてきてツギハギして、結局、『009』とは別の物が出来あがったという印象だ。
 しかも、第2話ほどひどくはないけれど、やっぱり作画が間に合ってないし。
 幻影のナタリーに向かって、レイガンを撃つフランソワーズ。
 でもレイガンから光は出てないし、ナタリーもそれを避けるんだけれど、体を横に動かすだけで、光の軌跡はない。言葉にするとちょっと伝わりにくいと思うけど、相当マヌケな映像だぞ、これ。
 ……DVD発売のときには第2話ともどもちゃんとリメイクするんだろうなあ。してもらわないと困るよなあ。
 ちなみに『009』DVD情報は以下の通り。

 DVDサイボーグ009『バトルアライブ1〜誕生〜』LIMIT(仮)
 (完全初回生産限定板)AVBA-14296 定価7000円(税抜)
 2002年3月27日発売予定
 特典として「サイボーグ009島村ジョー」アクションフィギュア(ADI限定カラー)を封入。

 ……まさか、30分1話で7000円取る気か……?
 フィギュアなんぞ要らんから、適正価格で売ってくれ……って、多分、DVD制作も間に合わないから、時間稼ぎなんだろうなあ。


 7時過ぎにしげとよしひと嬢、迎えに来る。
 せっかくだから、みんなで映画を見に行こう、ということになったのだ。
 ところが、何を見に行くかがなかなか決まらない。
 「『スパイキッズ』か『シュレック』にしようかと思ってたんだけど……」としげ。
 「で、どっち?」とよしひとさんに聞いても「うーん、どっちでも」。
 で、どっちにするのかが、決まらないんだな、これが。
 ハッと思い出して、「そういえば『アメリ』見たがってなかった?」とよしひと嬢に聞く。時間を調べるとなんとか間に合いそうだ。
 キャナルシティに行く予定を、急遽博多駅に代えるが、さっきまでしげたち、博多駅で買い物をしてたそうなんである。
 なんだ、だったら迎えに来てもらうんじゃなくて、私の方が出かけて行けばよかった。

 シネリーブル博多駅は、拡大上映で1・2、2館とも『アメリ』を上映中。
 そんなに期待されてたのか『アメリ』。
 ジャンピエール・ジュネ監督作品を『エイリアン4』でしか知らない人はちょっと不幸かも。ああいうハリウッド・メジャーに飲みこまれちゃうと、どんな個性派監督だって、その持ち味を減殺されてしまう。できれば『デリカテッセン』あたりを見て評価してほしいものだ。
 アメリカ製のコメディと違って、フランスのコメディは同じようなストーリーであっても、キャラクターの描き方が相当違う。ひとことで言えば、アメリカ製のには作り物めいたワザトラシサがあるんだけれど、フランス映画には、どんなにヘンなキャラを描いてもどこかに「生活感」が感じられるのだ。
 出だしの小気味よさといったら、ここ十年私が見てきた映画の中でも出色の出来だ。
 冷たいお父さん。
 好きなことは工具箱をひっくり返して、中の道具を全部きれいに磨き上げ、また元に戻すこと。
 神経質なお母さん。
 好きなことはバッグをひっくり返して、中に入ってるものを全部確かめて、また元に戻すこと。
 そんな二人の間に生まれたのが、空想好きなアメリ。
 好きなことは、不思議な動物とお話しすること。
 金魚の“クジラちゃん”と仲良くすること(たまに自殺未遂するけど)。
 両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べること。
 クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すこと。
 サンマルタン運河で水切りすること。
 そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。
 つまりはアメリはフランスの“不思議ちゃん”なのである。
 こういうコミュニケーション不全の不思議ちゃんのリアリティを創作するってのはなかなか難しいものだけれど、フランス映画はそういう「ちょっとヘンな人」を描くことにかけては世界一なんじゃないかってくらいに上手い。
 それはもしかしたらフランス人はヘンなやつばかりってことなのかもしれないな(^^)。

 だから、アメリの周囲の人たちもみんなヘンな人たちばかり。
 モンマルトルのカフェ“ドゥ・ムーラン”のマダムは元サーカスの曲馬乗り。
 煙草売り場のジョルジェットは鬱病気味。
 骨をポキポキ鳴らすのが好きなウェイトレスのジーナ。
 ジーナにふられて嫉妬でストーカーになった常連客のジョゼフ。
 夫が浮気相手と南米に逃走して事故死しているアパートの女管理人。
 アーティチョークを宝石のように扱う食料品店のノロマなリュシアン。
 一生をルノワールの贋作製作に捧げる“ガラス男”デュファイエル老人。
 もう、こいつらが次から次へと紹介されるたびに、ワクワクしてくるんだよなあ。

 「群像劇」というジャンルがある。
 ゴーリキーの『どん底』あたりが代表的なヤツだけれど、特定の主役を作らず、特定のドラマも作らず、ただある特定の場所、ある特定の時間の中での人間模様を描く。
 ただたくさんの人間が出てくるってだけじゃないのね。それぞれの人物にそれぞれ別々のドラマがあるのが特徴。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、キャラクターが全てが橋田壽賀子の傀儡でしかないような駄作は「群像劇」じゃないのだ。
 一本筋を通すキャラがいたっていいんだけれども、ともかく出てくるキャラは全員が主役。そうでなきゃならない。黒澤明の映画は(特に山本周五郎原作のは)、『赤ひげ』も『どですかでん』も見事な群像劇だったねえ。
 で、『アメリ』なんだけれども、ふとした偶然で、アパートの秘密の場所に隠されていた40年前の玩具の小箱を発見したアメリは、それを元の持ち主にこっそり届けてやる(このコッソリってところが、いかにも対人恐怖症なアメリらしいところ)。
 持ち主が「奇跡が起こった!」と大喜びしたことで、アメリがすっかり勘違いしちゃうんだね。自分の人生の使命は、不幸な人々に奇跡の幸せをこっそりもたらしてあげることだと。
 もちろん、それは一般的な感覚で行けば、「おせっかい」でしかないんだけれども、そのことにアメリは気付かない。そしてそのことが、かえってアメリの心を傷つけちゃうことにもなるんだけれど……。

 何がいいって、このアメリを演じるオドレイ・トトゥ、この新人さん(モデル出身だそうな)が実に不思議ちゃんの雰囲気出してんのよ。
 ショートボブの髪に長身の猫背。
 美人……かもしんないけど、基準からはちょっと外れた感じの彼女が、首を突きだして、ニコッと笑う(しかし、全編通してこの子が喋るシーンがムチャクチャ少ない。このへんもリアルだよなあ)。笑うだけで、次の瞬間、「何かが起こるかもしれない」という予感を感じさせるんだよなあ。

 さて、「人を幸せにしよう」というアメリにも気になる男の子が出来た。
 遊園地のお化け屋敷とセックスショップで働くニノ(実は幼馴染)。
 しかも彼には、スピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真を集める趣味がある。
 こんなヘンテコな設定、よく思いつくなあ。
 つまりは、ニノって、フランスのヘンなオタクなんである。
 ……セバスチャンか(^_^;)。って、ホント、セバスに雰囲気似てんだよ、細くて地に足がついてない感じで、演じてる俳優さんもそのまんま。
 向こうのオタクって、やっぱり日本の「メガネデブ」みたいに、オタクになりやすいパターンってのがあるのかなあ。
 さて、彼に告白できないアメリは、偶然手に入れたニノのコレクションブックを使って、彼との奇妙な鬼ごっこを始めるんだが……。

 その顛末はぜひ劇場で(あるいはビデオで)御覧頂きたい。
 特にオタクな人々には「オタクにだって、オタクな恋人が出来る(ことだってある)んだ!」というささやかな希望を持たせる映画になってます(^^)。
 あ、なんだ。しげのことか。

 よしひと嬢も、『アメリ』はお気に入りのご様子。
 滅多にパンフを買わないよしひと嬢が帰りにしっかり買っていた。
 しげはというと、疲れていたのか珍しくも上映中はほとんど爆睡。
 どっちかっつーと、予告編で流れていた三池崇史監督のミュージカル・コメディ『カタクリ家の幸福』(あの『クワイエット・ファミリー』のリメイクね)の方に興味が移っていたのだった。


 帰宅して、よしひと嬢に、先日プレゼントに貰った『耳に残るは君の歌声』のブランデーを差し上げる。
 私は酒が飲めないので、こんなふうにたまにお酒が手に入ったりしても、たいていは死蔵しちゃうことになるか、お客さんに振る舞うことになる。
 しげも、宴会だと際限なく飲みまくるが、ウチでは一適も飲まない。
 おかげで、いったい何年前のか分らないワインとかもウチにはあるんだが、ホントにああいうの、腐ったりしないのかなあ。酒には詳しくないんでわかんないんだけども。


 よしひと嬢、『サイボーグ009』をしばらく御覧になってなかったというので、7話あたりから連続で見る。
 原作ファンの立場からすればちょっとどうかな、と文句つけたくなる出来の作品も多いんだけれども、意外と『深海の悪魔』『オーロラ作戦』なんかもウケたりしている。
 もう、若本規夫さんが「ザァァァァンブロウゾ!」なんて思いっきり溜めて演じてるのなんか、笑われちゃったものなあ。
 まあ、笑うのも仕方ないけど。


 マンガ、森永あい『あひるの王子さま』2巻(角川書店・420円)。
 まー、なんちゅーか、救いよーがない展開になってるねー。
 ギャグなのに。
 チビでブサイクでオタクだった麗一くん、魔法で美少年になりはしたものの、憧れのゆみこちゃんに告白できないまま、顔の不自由なリカコ先輩には言い寄られるわ、お祓いされてゆみこちゃんには近づけなくなるわ、挙句の果てに、実は血の繋がりがないと判った蘭ねーちゃんに犯される始末。
 ……ギャグのはずなのになー(^_^;)。
 これで蘭ねーちゃん(どーでもいーが『コナン』と紛らわしいな)が妊娠でもしたらどうするんだろう。
 よくある少女マンガのパターンなら、素直にブサイクに戻った麗一とゆみこちゃんがカップルになるってハッピーエンドがセオリーなんだけれども、どうもそう簡単にはいかないような感じなんだよなあ。
 さて、この先どんな悲惨な状況が麗一くんを待ち受けていることか。
 ……「なし崩しに、リカコ先輩とも関係持っちゃって、そのことがゆみこちゃんにバレる」に千点(^o^)。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』3巻(講談社・440円)。
 えーっと、作中に登場する暗号文書、「暗号技術も発達してない戦時中の超単純な暗号」とかタワゴト言ってるけど、いくらなんでも「いろは」を置換しただけの小学生にも解けるようなものは採用してません。
 この天樹とかいう原作者は、戦時中の知識がないのか、それとも読者のレベルを低く見積もってるのかどっちかわからんけど、こんな「有り得ない」暗号なんか持ち出された日には、「この暗号そのものが偽文書である」なんて穿った見方しちゃうじゃないか。
 この一歩間違えば詐欺に近いトリックに先鞭をつけたのは、あの高木彬光だったりするんだけれども、森博嗣や藤岡真も実は似たようなことをやっている。しかもずっと下手な形で。彼らのミステリをマトモなミステリとしては評価できないのは、この「現実的には有り得ない」ことを「小説の上では有り得ること」としてキチンと展開してないせいだったりするんだよね。いっそのことSFミステリにしてしまえばスッキリするのにどうにも中途半端なんである。
 で、『Q』に話を戻すと、「神隠し」のトリックもどうも大坪砂男の『天狗』のパクリっぽいんだよなあ。どっちのトリックも4巻で真相が明らかになるんだけれど、私の予想がいい意味で裏切られることを望みたい。
 まあ、ムリだろうけど(^^)。


 マンガ、高円寺博原作・永井豪とダイナミックプロ漫画『まぼろしパンティ』(笠倉出版社・1890円)。
 すみません、こんなもんまで買ってます(^_^;)。
 『けっこう仮面』の続編で、月刊少年ジャンプに連載されてたのは1981年のこと。ギャグ漫画家としての永井豪はもうこのころは半死半生の状態で、「枢斬暗屯子男」なんて、当時だってトホホなギャグでしかない。
 ドカベン、がきデカ、パタリロ、ブラック・ジャック、リンかけ、翔んだカップル、ダッシュ勝平などのパロディも、これで笑ってくれってのはちょっと読者に難行を強いるようなもの、と言いたいくらい芸がなくてつまらない。
 にもかかわらず、当時ついつい読んでしまっていたのは、ひとえに私が若かったからなんである。
 ……いいじゃんかよう、恥ずかしい過去の一つや二つ、だれにだってあるってばよう。
 しかし、イマドキの若い人には、このもとネタになってる『まぼろし探偵』ってマンガ自体、わからないんだろうねえ。つーか、作者の桑田次郎の名前すら知らないんだろうなあ。
 隔世の感あり。

2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』


2001年12月22日(土) 夢診断/映画『耳に残るは君の歌声』/『冬の角川アニメ』/『蛇神さまといっしょ』1巻(桑田乃梨子)ほか

 朝方ヘンな夢を見たので、面白がって某サイトの某掲示板に書きこむ。
 (なんで「某」かっつーと、そこでは私は自分の職業とかも全部バラシちゃってるからなのだ。私の正体知ってるヒトは、そこんとこご留意ありたい)

 私がいるのは近所の公園である。
 突然、尿意を催した私は、どこか公衆トイレはないかとあたりを探した。
 しかし、公園のクセにトイレが影も形も見当たらない。
 えい、しゃあねえや、立ちションですましちまえ、と、適当な場所を物色する私。幸い人影はない。丘の陰にかくれて、そこの芝生に向かって、今まさにナニを出したところが……。
 「あら、有久さん、こんなところでナニしてるんですか?」。
 なんじゃ、いきなり! さっきまでだれもいなかったじゃんかよう!
 職場の同僚の女性たちがゾロゾロと、そこにピクニックにやって来たのだ。
 あまりに唐突だったので、ナニをしまうヒマもなかった。
 私はどうしようもなく、ナニを出したまま、その芝生の上にうつ伏せに倒れこんだ。
 でも、ホントに慌てていたので、ナニが私の頭の上からはみ出てしまったのだ!(なんでそんなに長い)。
 更に慌てた私はそのはみ出たナニを右手で隠した。
 その結果どうなったかというと……。
 芝生の上で私は「UFO」のポーズを取っていたのである。

 バカな夢だね〜。
 でもネタ的に面白いかなと書きこんだら、速攻でぞろぞろとレスがついた。このサイト、シモネタ好きが結構揃っているのである。
 曰く「ナニが大きくなればいいという願望ではないのか」。
 ……それ、唐沢なをきのマンガにあったぞ(^_^;)。
 つまり、うざったい夢を話したがるヤツを敬遠する方法として、なんでも「それはフロイト的に言えばオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」と言うという、ムチャクチャ陰険なイタズラである。
 「オレの目の前に道があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その道を真っ直ぐ行くと塔があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その塔の上からお姫さまがオレに手を振ってるわけよ」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 ……殴られねえか、この意地悪。

 まあ、今回のこの夢、二十四万五千六百七十三歩譲って、私のナニが小さいということを認めてもいいのだが(^^)、なんで「UFO」のポーズを取る必要があるのか、そこんとこも納得いくように説明してもらいたいものだ。
 

 今日から正月映画が一斉に公開。
 今年は見たい映画が軽く10本くらいはあるものだから、効率よく見て行かないと、打ちきりにあうヤツは下手すりゃ見そこなってしまう。
 で、今日は一気に2本をハシゴすることにして、まず、KBCシネマ北天神に向かう。
 ところが、車で行くのは初めてなので、しげ、パーキングを見つけられずにぐるぐるぐるぐる同じところを回っている。
 時間には余裕を持って出て来たのに、だんだん間に合うか間に合わないかギリギリになってきて、気があせってくる。
 しかも尿意は催すし。
 仕方なく、いったん車を降りて、目の前の公園に公衆トイレを探しに……って、おい、今朝のはこれの正夢かあ?!
 でもまあ、UFOのポーズは取らずにすんだが。


 映画『耳に残るは君の歌声』。
 初日と言うことで、ブランデーのボトルのプレゼントが先着100名さまにという、なかなかイキなはからい。
 この映画、前売券にも「この映画を見て流したあなたの涙を溜めて下さい」というキャッチフレーズで、小さなガラス瓶、その名も「涙瓶」というのをオマケにつけている。これはちょっと恥ずかしいけど、ロマンチストなお客さんへの宣伝方法としてはなかなか妙手ではないか。

 『オルランド』『タンゴ・レッスン』も見ていないので、サリー・ポッター監督の映画はこれが初体験ということになる。
 第2次大戦期、ロシア系ユダヤ人であるために、名前を奪われ、歌うことを奪われた少女フィゲレの、生き分れた父に再会するまでの物語……と、あらすじだけ書いちゃうと、今までにこれと似たような題材の映画やドラマは腐るほどあるわけで、何か今更だなあという印象である。
 けど、じゃあなんで見に来たかというと、主演女優があの、クリスティーナ・リッチなのである!
 故・淀川長治風に言えば、「はい、おわかりですか、このヒロインのお嬢さん、どこかで見たことありますねえ、かわいらしいですねえ、まあ、あの『アダムス・ファミリー』のウェンズディ、ウェンズディが、こんなに大きくなっちゃったんですねえ」てな感じなんである。
 『アダムス』のころから、「役柄を掴む」ことが抜群にうまかったリッチ嬢であるが、今回もその抑制の利いた演技を見ているだけで、「映画」を見ている感覚に浸れるから不思議だ。
 まあ、私は、女優さんは額が広くて、眉と目の間が狭い、童顔だけれどもちょっとケンがあるってタイプの顔が好きなんで、リッチ嬢、まさしくそこんとこに敵中しちゃってるもんだから、映画の出来は二の次でついつい評価が甘くなっちゃうんだけれども。
 いや、でも映画の出来が悪いってことは決してない。
 画面ごとの描写が実にしっかりして落ちついていて、破綻がない。キャラクターの行動もいちいち納得がいくのだ。

 例えば、自分になびこうとしないフィゲレに腹を立てたオペラ歌手ダンテが、フィゲレがユダヤ人であることをドイツ将校に伝えるシーンがある。
 ダンテの車の前に立っているドイツ将校が、フィゲレを見て「知り合いか?」と聞く。
 車の中には、ダンテの恋人、ローラがいる。ローラはフィゲレの親友でもある。そして、ダンテがフィゲレにも言い寄っていることを知らない。
 ダンテはしばらく言いよどむ。
 車から少し離れ、しかしローラにも聞こえるハッキリした声で「ジプシーたちと仲がいいが、彼女自身は違う」と言う。
 次の言葉が出て来ないので、ダンテを見る将校。
 更に間を置いて、車に背を向ける。そして静かに、つぶやくように言う。
 「ユダヤ人だ」
 そして、車中のローラの顔が蒼白になる。
 つまり、ダメな演出と、そうでない演出との差がどこにあるかっていうと、この「間」なのだね。
 ダンテをただの悪役にするのなら、この「間」は要らない。
 彼を激昂させ、卑屈な表情でチクらせて、ユダのように金をもらう演出をすればいいのである。
 しかしこの逡巡の間は、自らがユダになることを自覚したダンテの苦しみと、ローラとの決別を覚悟した間の両方を表現している。こういう細かい演出、ハリウッドのエセエンタテインメント作品には見られないんだよねえ。
 最初、私は勘違いしてて、「これ、ホントにハリウッドで作ったのかなあ」なんて考えてたんだけど、全然違ってて、英仏合作映画だったのだ。

 劇中、オペラ曲を初めとして、いくつもの歌が流れるが、残念ながら全てプロの歌手による吹き替え。クリスティーナ・リッチ本人の声は聞けない。
 それは仕方ないんだけど、しげは「生まれて初めて『暗い日曜日』が聞けた。別に聞いただけで自殺したくなる歌じゃないね」と喜んでいた。……いや、ちょっと興味の持ち方、違ってないか(^_^;)。いい曲だぞ、これは。


 キャナルシティに回って、食事をしようと思ったけれど、今月オープンしたばかりのラーメンスタジアムは長蛇の列で入れない。
 福家書店を回って、「ラ・ブーン」のリンガー・ハットでちゃんぽんを食べる。しげが社内割引券を持っているので、ちょっとした節約にはなる。
 この程度でも年末で出物が多い時期には助かるのだ。


 映画『冬の角川アニメスペシャル』。
 半分の2本は短編とは言え、4本立てとは往年の『東映まんが祭り』を髣髴とさせる。けど中身は完全にオタク向けだけど。 

 『あずまんが大王』。
 5分ほどだがよく動いている。
 動きすぎてるせいで、間が詰まりすぎてて、笑えない。……やっぱ、10分は要るでしょ。

 『デ・ジ・キャラット 星の旅』。
 なんか、にゃ〜にゃ〜鳴いてたみたいだけれど、それだけで鬱陶しくなったんで寝た。

 『スレイヤーズぷれみあむ』。
 映画では初めてメインストーリーのガウリィ、ゼルガディス、アメリア、ゼロスが登場するけれど、はっきり言ってストーリー上必要なのはガウリィだけで後はいらん。特にゼロスなんか、いつものように「それは秘密です」って言ってるだけで、ここにいる必然性、ないし。
 こういう「映画版だから顔見せ興行」的なハナシって、よっぽど才能がないとキャラが死ぬんだよね。
 でも、「すぺしゃる」の後もちゃんとナーガが生きてるってことが分ってよかったよかった……って、『スレイヤーズ』シリーズを読んだことない人には何が何やら分らんアニメだろうなあ。

 『サクラ大戦 活動写真』。
 広井にあかほりに藤島にと、思いきり美少女萌え〜なオタク向けなゲームがルーツだから、どんなにシリアスにやったって、基本的にはバカアニメ。
 けれど、「太正十五年」という架空の日本の設定は実は結構いいんじゃないかと思っている。ただ、スチームパンクな世界設定は、唐沢商会の『蒸気王』の方が早いから、やっぱり「二番煎じ」的印象は拭えない。
 他にも欠点は数々あって、ラチェットというキャラクターを出しておきながら、このキャラ設定がどうもイマイチ魅力的じゃなかったりする。
 クール・ビューティで、効率優先の合理主義・完全主義者。
 だからこそ、最後の最後で、事件が全て終わった後で、自分の主義を崩されたと感じた彼女がサクラを殺そうとするのも納得できない展開ではないのだが、それを舞台公演中に演技に紛れてやるってのは、ちょっと「イッちゃって」ないか。
 だからどうもラチェットに感情移入できないんである。しかも、結局みんなの掛け声で凍りついていた心が溶けていくなんてあまりにも適当な結末のつけ方で、ちょっと恥ずかしくないか。
 でも何より納得できないのは、外人なのに全然巨乳でないところだろう。
 ……オタク向けにアニメ作ってる自覚があるんだったら、『トップをねらえ!』のユング・フロイトみたいな演出くらい考えろやい。
 けど、オープニングのミュージカルシーンは、CG使ってヘンテコになった『ミニハムず』よりはるかにハイレベルだ。更にラストが泉鏡花の『海神別荘』とはなんて通好みな。
 メインストーリーはどうでもいいから、最初と最後だけ楽しもう。
 ……煙管かい(^_^;)。


 帰宅して、買いこんできたマンガやらDVDやらを片っ端から見る。
 世間では不審船がどーのこーのと喧しいが、こんな解りきった事件まで、遠回し遠回しに報道してるのを見るのは腹立たしいので無視。


 マンガ、桑田乃梨子『蛇神さまといっしょ』1巻(白泉社・410円)。
 今更だけれど、桑田さんのマンガがこれだけほのぼのした雰囲気なのにどうしょうもなく切なくなるのは、恋する男女の間に横たわる壁というか溝が、ほとんど乗り越えることが不可能に思えるくらい、高かったり深かったりしてるせいなのだ。
 『恐ろしくて言えない』の女の子は二重人格で、これはなんとかハッピーエンドになったけれど、そこまでにものすごい紆余曲折があったろうことは想像できる。
 私の桑田マンガベスト1『ほとんど以上絶対未満』は、相手が女に変身しちゃったかつての親友だ。いくら恋したって、愛することが友情を裏切ることになるんだから、この恋、成就するはずがない。
 ほかにも相手がホモだったり幽霊だったりと、もしも作者が内田春菊だったら、『南くんの恋人』よろしく、どっちか一方を殺すしかないってくらいに、恋する二人の仲は常にカタストロフを予感させている(幽霊はもともと死んでるが)。
 で、今度は「神様と人間の恋」だものなあ(蛇神だけど)。
 ……永遠に存在する神様と、年老いて死ぬ人間とじゃなあ。結末見えてるじゃん。
 「オレとずっといっしょにいてくれ」
 と千沙の手を握る蛇神さま。
 「逆だよ蛇神さま」と答える千沙。
 「蛇神さまがあたしたちといつもいっしょにいてくれてるんでしょう? だからみんな、そういう思いでここに手を合わせに来るんだよ。それこそずっと……この先、あたしの子供や孫やその子供まで」
 千沙にしてみれば、いっしょにいることはできない神様への最高に優しい愛の告白の言葉だ。
 けれど、蛇神さまにとって、どうしようもなく残酷で絶望するしかない言葉でもある。
 だから神様は記憶を自分で封印する。愛の記憶を。
 こ、これで私に泣くなというのはムリだ。毎回私は桑田さんのマンガ読んで、ギャグに笑いながらラストで泣いているのだ。
 そして、千沙にソックリなひ孫の千奈が蛇神さまの前に現れる……。
 わあ。またなにかどうにも切ない終わり方しそうな設定だ。ムネが苦しくなるようなラストはこのトシになるとツライのよ、頼むから、ハッピーエンドにしてくれよう、桑田さん。


 マンガ、山田風太郎原作・石川賢作画『柳生十兵衛死す』3巻(集英社・530円)。
 どうやら無数のパラレルワールドが存在しているらしい世界設定が明らかになる。これなら、前作『魔界転生』ともちゃんとリンクできそうだな。
 宮本武蔵と佐々木小次郎の設定が『魔界』と違ってたのも、「忍者小次郎に剣豪武蔵が破れた」世界からやって来たってことのようだから。
 ついに、もう一人の十兵衛、室町時代の十兵衛満厳が顔見せ程度だけれど登場。時空の漂流民となった十兵衛三厳は、栄禄三年、信長が覇権を得ようと台頭して来た時代に流れ着く。
 スケールが原作をとっくに越えちゃってるので、このままだと10巻、20巻じゃ収まらないんじゃないかって雰囲気まで漂ってきてるが、うちきりにならないよう、「ビジネスジャンプ」読んでる人はアンケートをよろしく(^^)。
 いや、そこそこ人気はあるんじゃないかな、今回巻頭にカラーページまで収録されてるし。


 マンガ、島本和彦『吼えろペン』3巻(小学館・560円)。
 女性キャラが少ないからって、「仮面編集女」ってのはちょとやり過ぎという気もしないでもないが、熱血野郎の島本さんだから、なんでもアリなんだろう。
 しかし、さいとう・たか……もとい、ジャイ藤キック先生の「うわっはっはっはっ! その原稿なら来週から取り掛かるからやってない!」(シメキリが来週なんだよ)というセリフのリアルなこと(^_^;)。
 やっぱりモデルがいるキャラはギャグも爆裂してるなあ。
 でも「サブリミナル鷹」って、誰のパロディだ?


 DVD『スタイルズ荘の怪事件』。
 『名探偵ポワロ』BOXの第11巻。
 以前、テレビ放映されてた時に見ているが、改めてDVDで見ると、いろいろと発見がある。
 制作が後回しになったので、巻数は後ろの方にあるが、もちろんこれがアガサ・クリスティーのデビュー作にしてエルキュール・ポワロ最初の事件である。しかし、ある程度短編シリーズで慣れた後でのドラマ化というのが結果的に良かったんじゃないか。デビッド・スーシェのポワロのちょこちょこチマチマトした仕草も堂に入ったものだが、ヒュー・フレイザーのヘイスティングスも実に当たり役である。ただ、今回の話では、ヒロインに振られるあたりがちょっとあっさりしすぎてたキライがあったが。
 処女作にはその作者の原点が詰まっているとはよく言うが、実際、この作品の設定や、トリックは、手を変え品を変え、後に書かれた作品に流用している。ドラマ化にあたっては、実に原作に忠実にトリックを描いている。
 忠実過ぎて、犯人が犯人っぽい演技しすぎるおかげでトリック丸わかりってのもどうだかなあとは思うんだが。
 画質はDVDのわりにはそれほどよいというほどでもない。暗い画面だと、特に演出ってわけでもないんだろうけれど、何が映ってるんだか全然分らないときがある。テレビドラマだからってことなのか、それがちょっと残念な点だった。
 BOXは全3巻、ドラマ自体まだ制作され続けているので、現在までの分のみということになる。
 したがって、元旦、二日に放映される予定の『メソポタミア殺人事件』と『白昼の悪魔』はBOXには入らない。『白昼』はピーター・ユスティノフの『地中海殺人事件』と同じ原作なので、見比べてみるのも楽しそうだ。

2000年12月22日(金) 祝、大ヒット/『封神演義』23巻(藤崎竜)


2001年12月21日(金) オトナ買いってコドモしかやらねえよな/アニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻

 どうもここんとこ、しげとケンカすることが多くなっている。
 原因は昨日も書いたが「しげが寝てばかりいる」ことにあるのだが、そうしょっちゅう怒ってばかりいるのもナニなので、ちょいと優しくしてやろうかと思って、仕事を1時間早く引けることにする。
 ところが、携帯に連絡を入れると、やっぱり反応がない。
 帰るとやっぱり寝ているのだ。
 どうしてこいつは人のタイミングを全部外してくれるかなあ。
 「おい、一緒に食事でも行くか?」
 「ふにゃへこふー」
 「買い物があれば付き合うぞ?」
 「ひらふぇん、んはー」
 どうやら、「今は眠たいから、アンタ勝手に行ってきていいよ、ただしお土産は買って来てね」と言ってるらしい。
 なんでそんなん判るんだと言われる方もおられようが、まあ、フィーリングってヤツ?(^_^;)
 でもこれで我々夫婦がツーカーだとか、「以心伝心」だなどと考えてもらっちゃ困る。少なくとも私の意志がしげに伝わったことなんて、この十年全くと言っていいほどないことは断言できる。
 断言できるのが虚しいが(T-T)。
 仕方がないので、ほったらかして一人で出かけることにする。
 いつまでも宇宙人と会話してたってしゃあないし。


 一人での買い物も久しぶり。
 しげを気にする必要がないから、ゆっくり自分のペースで回れるんだが、こういうことを書くと、しげは必ず「私と一緒じゃヤなんだ」などとヒガむんだよなあ。
 男女のジェンダーを差別に結びつけるような物言いはホントはしたくないんだが、あえて言わせてもらうと、こんなセリフ、男にはそうそう言えない。
 なぜって、恥ずかしいのよ。
 想像していただければわかると思うが、男が「オレと一緒じゃイヤだろう」なんてヒガんで言ったりしたら、こりゃもう「情けない男」の典型みたいに言われるのを覚悟しなきゃならない。
 ましてや、「オレみたいなヤツと付き合わない方がいいぜ」とか「どうせオマエだってオレのことをいつか嫌いになるさ」とか「所詮オレはこんなヤツさ」とか言って嘯いてるヤツ。本人は自虐的なポーズ決めて、カッコつけたつもりになってんだけど、これがもう、見てるだけでイタくてイタくて(-_-;)。
 誰のことを言ってるかってーと、劇団メンバーの藤田くんのことなんだが、つまり男だろーが女だろーが、ヒガむって行為はただただみっともないだけなんだってことが言いたいんだよね。
 だから藤田くんレベルにまで人間の程度落としたくなかったら、ヒガむのをやめなさいってんだよ、しげさんや。


 天神、福家書店で本を買いこんでいると、偶然ばったりAIQのしおやさんに声をかけられる。
 私は目が頗る悪いもんだから、街中で知人とすれ違っても気がつかないことが多いのだが(で、恨まれたりするのな)、人から見つけられることはよくある。相手の目がいいのか、私が目立ちやすいのかよく分らないが、世間に埋没して生きていたい私にしてみれば、なにか自分に落ち度があったかと、ビクビクしてしまうのだ。
 ましてや今日は一人だし。
 もし、しおやさんから「奥さんはどうしたんですか?」と聞かれてたら、私はとっさにウソがつけないから、「最近ナカが悪くって」なんてつい言っちゃってたろう。そこまでは聞かれなかったので、ちょっとホッとする。
 その時点で既にマンガを十冊ほど買ってたのだが、文庫本を何冊買おうか丁度迷っていたところだった。
 しおやさん、無責任に「迷ったときは買うんだ!」と煽ってくれるので、ついまた5冊ほど買う。最近、文庫本も高くって、1冊千円近くするものも多いんだよなあ。
 実を言うと、職場の内情が苦しいので、今月から減給措置が取られてるんである。「据え置きはしますが減給だけはしません」と何年か前に約束してたのはどうなったのかなあ、と思いつつも、やっぱり買いたい本は買っちゃうのだ。
 「いやあ、人がムダ遣いしてるの見るの楽しい」
 と、しおやさん、本当に楽しそうである。
 「これからDVDも買いに行かなきゃならないんですよ」
 と言うと、更に喜ばれる。でも考えてみたら「買わなきゃならない」ものではないんだよな。「好きで買ってる」ものなんだから、安月給に文句言ってちゃいかんのである。

 ベスト電器LIMBで、『名探偵ポアロBOX』vol.1ほかを一気買い。
 さあ、今日一日で何万使ったか。でもその分生活必需品は切り詰めてるんだから、ゼイタクとは言われたくないんである。オタクであるってだけで、やっぱりゼイタクなのかもしれないけど。


 DVDアニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻。
 前巻で死んだかと思ってたシャドウナイト、一応生きてたらしい。
 昔の実写版ではザダムに引き継がれたけれど、原作じゃ途中でどうなったのか消えちゃったから、そこんとこもキチンと描いてほしいものである。
 今回は前半がビジンダー、後半がガッタイダーとの戦いで、もう原作を短い尺数で消化しようってんだから慌しいことったらない。
 作画レベルも、ひどいと言うほどではないが、ちょっと物足りないところは多々ある。どうも『009』第1話のレベルと比較しちゃうから、ちょっとやそっとの演出じゃ満足できなくなってるんだよねえ。
 それでも、原作以上にダサダサなデザイン、デカイばかりで役立たずのガッタイダーは置いといて、ビジンダーのアクションはなかなか見せる。ちゃんと原作の01の「オカチメンコ」発言もあるし。
 ナニより、堀江美都子さんの声が涼やかで、ああ、これ聞けただけでも買って正解だったかな、と、とりあえずは満足。ビジンダー=ミエ子が、リエ子を襲えないって設定は確か原作にはなかったと思うけれど、伏線の張り方としては悪くない。その理由のつけ方によっては腰砕けになりそうな心配はあるけど。
 でも一番の改変は、キカイダーOO=レイの製作者が、ジローではなく風天和尚になってることだろう。するってーと、原作のイチロー一人の放浪編は全部カットで、次回はいきなりOO登場ってことになるんだな。とすると、ザダムも出るのか。下手したらワルダーももう出してくるかもしれない。
 けど、それくらいのペースじゃなきゃ、全4巻じゃ終わらないよなあ。
 おかげで中身が随分薄味のダイジェスト版って感じになっちゃってるけど。

2000年12月21日(木) 北野武は先生役が合うなあ/映画『バトル・ロワイアル』ほか


2001年12月20日(木) ゴメンね、素直じゃなくってっ/『名探偵コナン』35巻(青山剛昌)ほか

 今日もしげは迎えに来ない。
 しげに連絡を入れようとしたら、携帯の電池が切れている。
 使った覚えはないから、何かの拍子にロックが外れたらしい。仕方なく公衆電話で家に連絡を入れたが、全然応答がない。
 こりゃ、しげのやつ、また寝過ごしてるな、と思って、タクシーを拾って帰宅したら、家にしげの姿がない。
 もしやと思ってしげの携帯に連絡を入れる。
 「……今、どこにいるんだよ」
 「アンタの職場」
 「時間通りに迎えに来てないやん」
 「だって携帯に連絡入れてくれんし……」
 「携帯の電池が切れてたんだよ。ここんとこずっと迎えに来てないし、今日もてっきり寝てるんだと思って帰って来ちゃったよ」
 「……オレが悪いん?」
 このモノイイで、ムカッと来た。
 「オマエが信頼できるんだったら、俺も待つけど、ここんとこずっと寝過ごしてばかりだろうが! カラダの具合もよくないってのに、寒い中待ってられるか! なんで先に『ごめん』が言えないんだよ!」
 遅れた理由を聞いても要領を得ない。自分では遅れたつもりはない、なんて言ってるけど、少なくとも5分以上は遅れてるんである。車内に時計はあるから、これは確実にしげがウソをついているのだ。
 失敗したことは仕方ないけど、どうしてそれを見え透いたウソで誤魔化そうとするのか。そこんとこがしげの根性がネジクリ曲がっているところなんである。

 昨日のビデオ録画の件だって、「ゴメン」のヒトコトがやはり出なかった。
 私が怒る前に、「ああ、ごめん」と言える謙虚さがしげにありさえすれば、こちらも「いいよ、俺も気がつかなかったし」と言って、コトは丸く収まるのである。なのに、しげには「先に謝る」ことに対して歪んだ防衛規制が働いていて、素直に謝ることができないのだ。
 「申しわけないことをした」という感情がしげの心からは欠落している。
 これは別にしげを悪く言っているのではなくて、しげ自身が自認している心の欠陥である。つまり、しげは生まれてこのかた、誰に対しても「反省」したことが一度もない人間なのだ。あるいは、「反省」という感情の動きが理解できない人間だ、と言ってもいい。
 欠落があるなら埋めればいい。
 どういうときに、人は「悪かった」と反省するのか、ということを今までにも何度もシミュレーションさせてみたのだが、やはり「反省」という感情はしげの心の中に育たない。
 例えば、「人のものを借りてなくしてしまった」ときに、どういう感情がしげの中に生まれるかというと、「申し訳ない」ではなくて、「失敗した、叱られるかも」という相手に対する恐怖心だけなのである。相手が優しい人間であったとしても、「ああ、これで相手に嫌われるかも」と思うばかりで、「悪かった」とは思わない。
 この心理は尋常ではない。
 普通に成長していく過程で、ここまでのトラウマを抱くことは普通、有り得ない。しげの過去において、何かが(あるいは誰かが)、しげの心をひどく歪ませたに違いないのだ。
 ここまで強固な恐怖心を植え付けたのはいったい誰なのか。
 私は、しげ本人よりも、そこまでしげの心を歪ませた「何か(誰か)」を本気で憎んでいる。
 そして、しげに「反省」の気持ちを生み出させ得ない自分自身がもどかしくてたまらない。
 ここで私がしげにキチンと反省させないままでいるせいで、しげは周囲から「卑怯な人間」だと思われることが多いのだ。これが口惜しい。どう弁解しようと、客観的に「悪い」のはしげということになってしまうのだから。
 でも私は、しげの夫ではあっても保護者ではない。
 しげに「バカヤロウ」「アホンダラ」「ヘチャムクレ」「スットコドッコイ」「テレスコステレンキョウ」と罵倒する以上のことはできないし、しちゃいけないことだ。
 「自分が悪いと思われるような状況を作るな」「もしそれでも悪いという状況になったと判ったら素直に謝れ」。
 それこそが、しげ自身の「身を守る」ことになるんだけれど、しげはもうずって、「守り方」を間違えたままだ。
 でも、それは私にも治せないことだ。結局、しげが自分自身の心を「治す」意志を持つようにならない限り、どうにもならない。
 私の思いが、いつかしげに伝わる日が来ることを祈るばかりである。
 もう十年、祈ってんだよう(T∇T)。

 しげ、眉間に皺寄せ、仏頂面のまま帰宅。
 ああ、やっぱりセルフコントロールができていない。
 結局、しげは自分のチカラではヒステリーを治められないのだ。
 それって、ぶっちゃけた話、ココロが幼児のままってことなんだけれど、自分でオトナになろうとする気がしげにない以上は、私がフォローするしかない。
 ……泣きたいなあ(T-T)。ってもう泣いてるけど。
 で、私の方から「いつまでも怒っちゃいないよ」というポーズを見せなきゃいけないので、ことさらしげを食事に誘うことにする。
 ここでしげが私の腹立ちを抑えようと行動してくれたら嬉しいんだけどなあ。
 ホントに、そんな気遣いをしてくれたことが一度もないぞ。
 ああ、愛のない家庭(T.T)。
 これで私が浮気一つしないってのは、我ながらすごいモラリストだと思う。つーか、私の心の中の「女」的部分がそれを許さないんだろうなあ。もちろん、そういうトラウマを私に形成させたのはお袋である。
 こっちのトラウマを外すのもなかなかできないんだよねえ(^_^;)。
 
 倒産したはずなのになぜかまだ建ってる近所の積文館書店で、マンガを物色したあと、モスバーガーをテイクアウト。
 しげの機嫌、すぐによくなる。
 ホントに、肉だけ食わしときゃおとなしくなるやつなんだよなあ。
 ……なんだか、一昨日見た「ハム太郎」に、いやにしげがダブって来るぞ。
 主題歌を替歌にしたら、そのまんましげのテーマソングになりそうだな。
 「と〜っとこ〜、走るよしげたろ〜、だ〜い好きなのは〜、肉と肉〜と肉〜♪」
 ホントに延々、それだけだもんな。


 アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 011「惜別のミッションを少女のまごころと共に」。
 ナジカもあと1話で終わり。
 ということで、ついにリラが「私はナジカが好き……でも、ナジカの考えていることが分らない」と、マスターへの「疑問」を抱くようになる。
 マスターに対する反逆ってのは、もう、『メトロポリス』(←フリッツ・ラングの方ね)以来というか、それこそ『R.U.R.』以来というか、『人形の家』以来というか(「そりゃちゃうやろ」ってツッコミが入りそうだが、実は構造は同じだ)、定番ではあるんだけれど、そのフォーマットに「スパイアクション」を持ってきたってとこがこのシリーズの秀逸なところだったと思う。
 いや、決してパンチラだけでなく(^_^;)。
 ともかく、ナジカというキャラクターが、感情移入しにくいキャラになってるってのは、これは多分、監督の「故意」だろう。男を見下してるそぶりがアリアリだし、スパイにしては冷静さを欠いているし、どうやら麻薬もやってるっぽいし、こんな女、早いとこ抑えつけてヒイヒイ言わしたれ弦人、とか思ってたファンは多分、私を含めて三人くらいはいたであろう(^^)。
 その分、注目はどうしてもリラに回る。
 マスターを守るために、あえてマスターに「ウソをつく」ヒューマリットもいるというのに、リラの精神的成長は異常に遅い。それはやはりナジカが心のどこかでヒューマリットを拒絶しているからだ。
 愛されることを知らない「コドモ」の心が、いつまで経っても一定の「殻」の中から抜け出せないのは必然である。しかし、「殻」の中に閉じ込められた心は、いつか歪んだ形で爆発するだろう。
 最終回って、そんな感じになるんじゃないかなあ。
 

 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』35巻(小学館・410円)。
 光彦の謎の行動の理由を探ろうと少年探偵団が追いかける話、ネタはバレバレだけれども、伏線の張り方、解決の仕方に基本的にムリがないのは評価できる。
 けれど、またぞろ「黒の組織」ネタをかぶせてきたおかげで、話がスッキリまとまらなかった。別にミステリーは殺人事件だけじゃないんだから、光彦のエピソードだけで押していってもよかったと思うんだがなあ。黒の組織を出したおかげで、かえって、光彦の影が薄くなって、哀とのカラミも全然感動的でなくなってるんである。
 ……もう、デビューして随分経ってるけど、このドラマツルギーをまるで理解できてないってこと、ひょっとしたら致命的なことなんじゃないか。今んとこ『コナン』が受けてるけど、次回作は厳しいものになるかも。
 今度の映画、野沢尚の脚本だってことだけど、コナンがタイムスリップするのか夢オチにするのかは分らないが、シャーロック・ホームズと対決するらしい。それくらいぶっ飛んでるとかえって面白くなるかもなあ。まあ、間違っても夏目漱石は出さないでほしいが(^^)。
 

 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』24巻(小学館・410円)。
 「七人隊」なんて味気ないネーミングはちょっとなあ、という感じだが、「グループ」が敵になってるってのは、「霞谷七人衆」「根来十三忍」(←もちろん『赤影』の敵キャラ)とか、「黒之巣四天王」(マジメに考えるとアホなネーミングだよな。悪いのは広井かあかほりか?)とかと同じで、キャラクターを際立たせるにはいい手だ。
 この手ので私が一番好きだったのは永井豪の『イヤハヤ南友』の「イヤハヤ・ハテサテ十人衆」だったけれども(^^)。
 それはそれとして、夢骨に蛇骨、なかなかいい味出している。特に蛇骨のヘンタイぶりがいい。しばらく『犬夜叉』にも飽きてきてたけど、これがクライマックスへ向けての伏線のネタだとしたら、なかなかよく考えたものである。
 映画もやっぱり行きたくなってきたなあ。


 マンガ、原作尹仁完・作画梁慶一『新暗行御史』2巻(小学館・580円)。
 マンガ自体は面白いんだけど、「文秀(ムンス)」って主役の名前、どうしても忘れちゃうなあ。ヒロインも「山道(サンド)」って、日本人の感覚だったら、絶対可憐な(けれど滅法強い)美少女だとは思わないし。
 しかし、普段、山道はいったいどこに隠れてるんだろう。
 てっきり、山道は実はとうの昔に死んでいて、幽霊となって文秀を守ってる……ってことなのかなあと思ってたら、「曼陀羅華」のエピソードでそのネタをしっかり使ってったし。
 今回は文秀の過去がチラッと垣間見える話だったけれど、恐らくは最後の敵となるだろう「阿志泰(アジテ)」が、「奇跡」を使って民衆をペテンに引っ掛けてきたやつらしいということは判った。それは「柳義泰(ユイテ)」のように、死者を生き返らせる能力なのか、それとも……。

2000年12月20日(水) 敵国降伏/CGアニメ『ポピー・ザ・パフォーマーのひみつ』ほか


2001年12月19日(水) 厳密な計算/『透明な季節』(梶龍雄)/『コータローまかりとおる!L』2巻(蛭田達也)ほか

 会議で帰りが遅れて、時間は午後7時。
 てっきりしげを駐車場で待たせているものと、慌てて外に駆け出したが、車は影も形もない。
 携帯で呼び出してみたら、しげはしっかり家で寝ていた。
 しげ本人は「そんなに寝てないよう」といつも言い張っているが、現実にこうやって寝過ごして迎えに来れないことが、ここんとこ慣習化している。
 夜道を自転車で通う私の身が心配で車の運転覚えたんじゃなかったのか。
 なかったんだな。ああ、愛が風化していくってこういうことなのね……って、しげの愛が濃かったことなんて一度もなかった気がするが(-_-;)。

 しかし、よくもこれだけ毎日毎日寝ていられるものである。
 具体的に見てみると、しげが仕事から帰ってくるのが、午前3時過ぎ、それから1、2時間ほどして寝るので、就寝は午前5時頃。
 当然、私が出勤する7時には熟睡していて起きない。たまに寝ないで起き続けていることがあるが、週に一日か二日、下手をしたら全くない週もあるのだ。
 じゃあ、帰りは迎えに来てくれるかと言うと、これも週に二、三日くらいのもの。4時に起きてる時もあれば、私が帰宅しても、仕事に出かける直前、午後9時くらいまで寝ている時もある。
 これを具体的に計算してみると、朝晩とも寝つづけて、最大14時間くらい寝ている日が週に一日か二日ある。
 続いて、朝送って夜迎えに来ない、あるいは逆に、朝寝ていて夜迎えに来る日が二、三日。これは10時間ほどの睡眠になる。
 そして頑張って朝も夜も迎えに来てくれる時は週に一日あるかないかだけれど、6、7時間ほどの睡眠の計算になる。けれど、帰宅したあと1時間ほど仮眠を取ることも多いから、やっぱり8時間くらいは寝ているのだ。
 つまり、どう少なく見積もっても、しげは一日平均9時間から10時間は寝ているのである。これを「寝過ぎ」と言わずしてなんと言おう。
 これでも「自分は寝てない」と言い張るのなら、ちゃんと睡眠時間を日記に付けておけよな。「暗号」ばかりじゃなくて。もう日記の内容、なにが書いてあるんだか全然判読できんぞ(ーー;)。
 結局、タクシー代を使っちゃうことになるので、おカネは出て行くばかりだ。
 愛はないないおカネは減る減る。
 ああ、風がココロを吹き過ぎる。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。 

 それでも「ボナペティ」に寄って、しげの晩のおかずを買ってやる自分が健気である。
 ここは毎日少しずつメニューを買えてくれているのが嬉しいなあ。できればつぶれずに長く営業してほしいものだ。
 しげの好物のカツトジは今日はなかったので、豚の角煮・スパゲティ・茄子の肉詰め・肉じゃがと、できるだけしげがヨダレを垂らしそうなモノを選ぶ。

 買い物をしているとどうしても『ヒカルの碁』の時間には間に合わない。
 しげにもう一度携帯から連絡を入れる。
 「あ、7時27分から『ヒカ碁』録画してくれる?」
 「ええ〜? そんなんワカラン」
 「テープは新しいの使っていいから。ケーブルで10チャンネルに仕掛けて」
 「……失敗しても怒らん?」
 「怒らん怒らん」
 しげは寝起きだし、脳ミソ足りんなしげのことだから、ちゃんと記憶しているかどうか気になったが、これはもう、わが妻を信頼するしかない。

 で、信頼ってやつは必ず裏切られるのだ(-_-;)。
 帰宅してみると、しげ、テレビを点けていない。
 悪い予感がして、「ちゃんと7時27分から録った?」と聞いたら、「え? 半からじゃないの?!」
 ……今まで、いつも早めに始まってたのも忘れて、こちらの言ったことも聞き漏らして、録れてるかどうかの確認もしなくて、結局本編の初め数10秒が切れた状態で録画していたのだ。
 ああ、なんてお約束なやつ。
 「怒らない」と約束したし、こんなことはしょっちゅうなので、今更怒る気にもならないが、こう連続して失敗を繰り返せるというのもちょっとあるこっちゃないぞ。
 でもまあ、これで「『ヒカルの碁』のDVDを買うぞ」と言っても、しげは断れまい。転んでもタダでは起きんぞ。くくくくく……(T-T)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十一局「最も卑劣な行為」。
 ダケさん、本格的に三谷を攻めるの巻。
 作画も安定していて、まあ、悪い出来ではない。
 よく見ると、ヒカルの学生服の影の付け方が最初のころよりも原作に近くなっている。さて、こういうところも原作ファンがクレームつけて変えさせたのかな。でも、中学生編になって間がないから、自然とスタッフの中に「原作に忠実に」という思いが広がっていったのかもしれない。
 大胆な演出を望むか、原作への忠実さを望むかは一概には言えない問題なんで、せいぜい「慣れない表現のし方で、作画が乱れなきゃいいがな」くらいしか言えないなあ。
 梅沢由香里さんの「GOGO囲碁」のコーナー、ごく初歩的な石取り問題らしいのだが、既に全然解らない。お袋にもっと囲碁も将棋も習っとくんだったなあ。母親が死んだ時に一番心残りだったのは、実はそのことだと言ったら、バチアタリなやつと思われるかもしれないが、事実だからしかたがない(^_^;)。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』2巻(講談社・410円)。
 敵のアメリカ忍者、名前がみんな実在、ないしはマンガの忍者の名前をもじってるんだなあ。
 トビー・ケイトーは「飛び加藤(加藤段蔵)」だな。小島剛夕の『半蔵の門』では、家康に自分を売りこんで、自在に涙を流す技を見せていたが、史実の加藤は武田信玄配下になろうとして失敗、殺されたらしい。忍者ファンには人気の高いキャラを敵ボス(中ボス?)に持ってくるあたり、蛭田さん、なかなかわかってらっしゃる。
 オーザ・ルイってのは「大猿」のことたろうな。言わずと知れた白土三平の『サスケ』の父ちゃんだ。えらくあっさりやられちゃったが、「分身」はいないのだろうか(←『サスケ』読んでないとわかんないネタ)。
 ちょっとわかんないのがくノ一のシーノ・タッカー。
 もしかして、これ、マンガ家の「椎名高志」のモジリか? ちょうどこないだまで「忍者マンガ(『MISTERジパング』)」描いてたし。


 梶龍雄『透明な季節』(江戸川乱歩賞全集11/講談社文庫・1250円)。
 最近、ミステリというか推理小説は、50歳……せめて40を過ぎた人間が書かないとまともなものは書けないんじゃないかという気がしている。
 紋切り型の「人間が描けていない」という評価はしたくないから表現を変えるけれど、どの小説を読んでも「行動が不自然で説得力に欠ける」人物がやたら多いのだ。
 トリックに拘るあまり、そんな結末があるかい、と本を投げ出したくなることが多々ある。
 しかし、じゃあ、老練な作家によって書かれたミステリが面白いかというと、今度はミステリとしての発想が陳腐で、読後感は「それで何が面白いの?」とこれまた作者に問いかけたくなる。
 江戸川乱歩賞を取った作品であってもそれは同じで、本作はどうやら後者に属するもののようだ。
 なにしろ「人間が描けている」ために、出てくる人物に聡明なヤツが一人もいない(^_^;)。しかも「戦時下に起こった事件」ということで、警察もあまり捜査に積極的ではない。
 だからこの事件が「迷宮入り」になったのは(なっちゃうのだよ!)、「時代」のせいなんであって、つまりはこの事件の真犯人は「戦争そのもの」とも言えるのだ。
 ある意味、そのこと自体、非常に特異なトリックと言えるかもしれないが、いささか卑怯ではある。だって、事件そのものは単純というか謎らしい謎もなく、多分、「現代であれば」迷宮入りになるような事件ではないのだもの。

 戦時下の旧制中学校で、軍国主義の権化のような配属将校・諸田、通称「ポケゴリ」が射殺される。
 主人公の少年、芦川高志(作者自身をモデルにしていると思しい)は、犯行時刻、現場近くで、「スパイ」の疑いのある教師・北上、通称「アオセビ」を目撃するが、彼が自分の憧れの女性、薫(ポケゴリの妻)の隠れた恋人であることを知ると、複雑な心情にとらわれはするものの、その事実を証言せずに沈黙を守る。
 ポケゴリの死は戦時下においては「不祥事」と見なされ、やがて捜査も打ち切りとなる。しかし、未だに事件に疑問を抱く刑事・時川が高志の身辺に近づいてくる。アオセビも謎の行動を取り始め、高志の疑惑も次第に深まっていく……。

 設定は多分に魅力的だ。
 戦争が次第に悲惨の度合いを増してきて、学生たちの日常もどんどんときな臭くなっていく描写、しかしその中にあって、年上の未亡人、薫に寄せる少年・高志の思いが行き場を失い、少しずつ壊れていく様は読んでいてやはり切ない。
 だからこそ、事件の真相が「犯人の遺書」だけで語られる結末はあまりに安易だし、拍子抜けだ。もう一つくらいどんでん返しを見せてくれないと、ミステリを読みなれた読者は納得してくれないのではないか……と思っていたら、佐野洋以下、受賞の選評もみんな「推理小説的骨格の弱さ」を指摘している。
 要するに、他の作品が「カス」なんで受賞したってことなんだね。
 で、他にはどんな作品が予選を通過したのかとリストを見てみたら……。
 斎藤澪『この子の七つのお祝いに』
 岡嶋二人『くたばれ巨像』
 井沢元彦『大沢家の崩壊』
 各氏の名が(^_^;)。
 斎藤さんの横溝正史賞作品、乱歩賞落選作だったんだなあ。この人もこの一作で消えたし、岡嶋さんは二人に分裂するし、井沢さんは言霊使いになるし(^^)、やっぱり受賞する人と落選繰り返す人とじゃ、資質に差があるのかもね。

2000年12月19日(火) 多分、ココロが病んでいるのです/『名探偵コナン』30巻(青山剛昌)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)