無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年11月28日(水) ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか

 体調は(っつーか、主に腹具合なんだけどさ)今んとこ小康状態。
 日記の更新がずいぶん遅れているので、なんとか片付けたいのだが、オタアミ前後のことはあまりにネタが多すぎて、何を書いて置くべきか、結構迷ってしまうのだ。
 何度かこの日記にも書いていることだが、私は「面白いことを書こう」とは思っていない。それどころか、「いかにつまらないことを書こうか」と迷いながら書いてるんである。
 朝起きて歯を磨いた、実はこれだけ書いても「日記」は成立しちゃうんである。ただし、「歯を磨いた」という行為だけを書いても実は意味がない。
 その人が使ってる歯磨き粉はなにか。どんな味がするか。ハブラシは何か。ハブラシはタテに使うかヨコに使うか。一回のハミガキにかける時間はどれくらいか。
 そんなできるだけ瑣末な、どーでもいいように思えることを書き残しておくことこそが大切なのだ。百年後の人間、千年後、一万年後の人間にも「歯を磨く」という習慣は残っているかもしれない。しかし、21世紀人と比較すれば、それはトンデモナイ変貌を遂げているんなじゃなかろうか。
 だって、今から百年前には、私たちが使ってるような「練りハミガキ」なんてものだってなかったんだもの。たいていの人は歯を磨くのに「塩」を使っていた。それで充分だったのだ。
 だから、今、我々が使っているものや習慣、当たり前だと思って見逃していること、これを書いておくことの方が実は後世の人たちにとってはとても大切なことだったりするのだ。
 AIQのエロの冒険者さんの日記を私は毎回楽しみにして読んでいるのだが、一番スバラシイと本気で思ってるのは、あの一連の「ウ○コ」の描写なのだ。……下らないと言うことなかれ。継続は力なり。あれを書けるのは(書こうなんてことを思いつくのは)日本広しといえどもエロさん一人であろう。
 広瀬正の『もの』を思い出していただきたい。「こんなありふれたもの」と記録することを怠っていると、我々は、日本は「フジヤマゲイシャの国」、アメリカは「ヤンキーの国」、中国は……おっとっと(^_^;)。……てな、ステロタイプな姿でしかその時代が見えなくなってしまいかねないのである。

 高橋葉介のマンガに『たった一人の日本人』ってのがある。
 なぜか地球上から、たった一人を残して日本人が絶滅してしまう。日本人は最後の一人ということで希少動物扱い。憤懣やる方ない日本人は悲鳴を上げるが、ほかの地球人たちは、そんな彼の叫び声に耳を傾けようとさえしない。
 最後に、地球上からそのたった一人の日本人を残して、地球人全員が滅亡してしまい、その一人残った「地球人」は宇宙人に命を助けられる。その瞬間、その「地球人」は気付くのだ。地球の歴史は全てその「日本人」の手で「創作する」ことができるのだ、ということに。

 何が言いたいか、賢明なる読者諸兄にはもう、おわかりであろう。
 もし、私が「ハブラシは横に引いて使うのが正しい」と書き、「そんなつまんないことなんか誰が書くか」とみんなが「ハブラシの使い方」について誰一人書き残さなかったとしたら、私が書き残した文章が、ハブラシについての唯一の文献、つまりスタンダードになっちゃうのである。
 いや、別に唯一でなくとも構わない。
 この時代、一番美味いラーメンは何か。
 それについては、いろんな人がいろんな意見を書き残しているだろう。その意味では一人一人の情報としての重要性は低いように思える。しかし、そのデータを分析しようと本気で考える人間が後世現われたとしたら、ちょっとした意見でも、「傾向」を調べるための貴重なデータの一つとなるのである。

 情報に優劣を付けてはならない。
 しかし一回に書くことの出来る文章の量と時間は限られている。
 私が苦労しているのは、どんな基準をもってしても、「どちらの情報の方を選択すべきか」の決定的な根拠にはなりえないというじじつがあるからなのだ。
 ……オタアミのネタ、まだまだカットしたもの多いんだよなあ。もったいないよなあ。


 なんだか世間ではウィルスが大流行らしい。
 「エンピツ」の日記を覗いても、知り合いや有名人のサイトを覗いてみても、「ウイルスメールが来たよー」という話題がしきり。
 以前私のサイトを襲ったウイルスメールはどうも私個人を狙った可能性が高かった(一日の間に何10通も連続して来たのである)。しかし今度はどうやら不特定多数。
 話によると、クリスマスが近くなったり、お正月が近くなったりするとウイルスメールが流行るんだそうだが、これってまんま「他人の幸せがニクイ」パターンのような気がするがどうだろうか。

 私「謎の添付ファイルが送られて来たけど、どうすりゃいいの?」
 しげ「削除しなよ」
 私「どうやって削除すんだよ」
 しげ、ムッとした顔で添付ファイルをゴミ箱に入れ、削除する。こんなん自分でやれよって顔だ。
 今のところ実害はなくてすんでるし、私自身はそれほど痛痒も感じちゃいないんだが、しげをイライラさせただけでも、犯人の意図(まあ愉快犯だってことは間違いないことだろう)は果たせたことであろう。


 職場近くの「ボナペティ」という総菜屋でおかずを買う。ヤキソバ・かつとじ・肉じゃがコロッケなどなど。
 ウチに持って帰って食べる時間はないので、車の中で二人で食べる。何となくピクニック気分になるのか、しげは結構喜んでいる。
 いや、なぜそんなに慌てているかというと、今週末から始まる映画のチケットを博多駅のチケツトぴあまで買いに行くつもりだからだ。仕事が長引いたりしたらあっという間に店が閉まっちゃうので慌てているのである。
 慌てすぎたんだろうか、しげ、おかずの入った袋の底を押さえながら、
 「汁がこぼれた汁がこぼれた」
 と、オロオロしている。
 かつとじみたいな、つゆだくなものを買うからだ。ピクニックなら、つゆものは避けるのが常識じゃんか。

 博多駅のデイトスで買ったチケットは、『おいしい生活』『ピストルオペラ』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の三本。
 『ハリー・ポッター』もホントは買いたかったのだが、キャナルシティの分は売りきれ。直接キャナルまで行かないと売ってないらしい。しかも、まだここで扱っているトリアスなどのチケットは既に写真印刷のものが売りきれていて、コンピュータの券売機のもの。こりゃ相当ヒットしそうな気配だ。
 帰りにメトロ書店にちょっと寄る。
 本を物色していて、ふと気がつくとしげの姿が見えない。
 どこへ行ったか、あのフーテン女が、と慌てて本屋から外に出たところに、しげが向こうから、ニヤニヤしながら歩いてくるのに出くわした。
 「どこうろついてんだよ。また迷子になってたのかよ」
 しげ、「プレゼント」と言って、いきなり紙袋を渡す。
 「……なんだよこれ」
 「開けてみて」
 「開けてみないよ」
 「……つまんないよう。開けてみてよう」
 開けないとそこで泣くか踊りだすかしそうだったので、仕方なく中身を見る。 「……あ、サイフか」
 そう言えば、今、私が使っているサイフ、チャックが緩んでバカになっていたのだ。
 「うれしくない?」
 「いや、うれしいけど」
 「うれしそうな顔してない」
 「もとからこんな顔だ。悪いか。それよりなんでいきなりこんなものを?」
 「……誕生日のプレゼント」
 「オイ、オレの誕生日、今月末だぞ。早過ぎるじゃん」
 「いいんだよ、当日は忘れてるから」
 「……」
 「それと結婚記念日のプレゼントも兼ねてるから」
 「……ただの手抜きじゃんかよ!」
 喜んでいいのか悪いのか(+_+)。

 しげが、「オレの日記なんか誰が読んでんだ」とかブツブツ文句を言っている。
 相変わらず暗号で書いてるんで、解読するのに骨が折れるが、意外とこういうの、面白がってるヒトも多いんじゃないか。
 今日の日記も読み解くのにちょっと時間がかかる。だんだん、主語も目的語も省略されて、俳句よりも短くなってきているのだ。

 で。(「出」らしい。「出かけた」と言うことか)
 ね。(「寝」かな。昼はずっと寝ていたってことだろう)
 雪、バカ。(「雪」は私のことだろう。なぜ私に悪態をついているのか、理由は謎だ)
 む化。(「ムカツク」か? だからなんで怒ってるんだよう)
 置かず。(「おかず」を買った、と言うことだろう)
 駅再府県。(「博多駅で、サイフと、映画の券を買った」ということらしい。いくらなんでも省略し過ぎじゃ)
 痴愚と。(「仕事」らしい)
 巨いく。(「新人教育をする」ことらしい)

 一緒に暮らしてる私にまで分らないことも増えてきたなあ。


 DVD『マジンカイザー』2巻。
 第1巻でたいがいの有名機械獣はつかっちゃったと思ってたけど、まだキングダンX10やアブドラU3とかが残ってたか。でもホントに見せ場もなくどんどんコワしていくなあ。たとえヤラレメカでも大事に使わないと、ドラマ自体が死ぬぞ。
 Zを失った甲児が新たにカイザーに乗り込むって展開になるのはわかる。けれど前巻のラストで、カイザーのあまりのエネルギーに堪えきれず、甲児は気絶してしまい、カイザーは暴走したはずだ。
 なのに、今回は特に特訓してカラダを鍛えたわけでもないのに、甲児は「効きやがるぜ!」とヒトコトで済ましてカイザーを乗りこなしてしまうのだ。いくらなんでもこりゃ簡単過ぎるんじゃないか。
 でも、Zもグレートも、原作同様、手をもがれ、カラダを貫かれて、まるで血しぶきのように油を飛ばす、その描写は今見ても充分ショッキングだ。
 特に、今回四肢を裂かれるのはアフロダイA。メカなのにメカなのにメカなのにセクシーだよぉぉぉうぉぉぉう。
 設定は変われど、基本的なストーリーラインや部分部分での描写は原作に忠実。これはやはり『マジンカイザー』という新たなブランドを作る必要があったとしても、最も永井豪マインド、マジンガースピリッツを反映した映像化ではないか。
 ラストで、傷ついた剣鉄也と炎ジュンはシリーズからリタイア。
 ということは、今後はZもグレートも出てこない、カイザーだけが機械獣軍団と戦い続けるってことなんだな。
 そして次巻はついにアレが出る。原作ファンよ狂喜せよ、初めて映像化されるぞ、ガミア三姉妹が!
 あらゆるものを切り裂く金髪を持つ、美しき殺人アンドロイド、ガミアQ1・Q2・Q3。兜甲児の命をギリギリまで追いつめたあしゅら男爵の娘たち。旧テレビシリーズじゃ、ただの機械獣にされてたけれど、原作の『マジンガーZ』中、最も人気の高かった名キャラクターだ。
 まさか生きてるうちにあの艶やかな姿を見られることになろうとはなあ。まさに感涙。
 今回、「片目のつぶれた」兜十造(声・納谷悟朗!)もちゃんと映像化したのだ。多分、シリーズが進むにつれて、ブロッケン伯爵もピグマン子爵も登場してくる可能性が高い。
 いや、今まで一度も映像化されなかった機械獣ドグラマグラや、マジンガー軍団、そして原作通りのドナウα1や美しきローレライ、フォン・シュトロハイム博士も登場するかもしれないのだ。
 多少、シナリオがいい加減でも、こりゃもう期待しちゃうからな、オレは!


 DVD『キカイダー01』第1巻。
 わっ、たった25分間しかないぞ。
 前の『キカイダー』が全12話、6巻だったから、てっきり全4巻なら8話だと思うじゃないの。
 それが25分って……わあ、のっけからアーマゲドン・ゴッドの発動だ。もうビジンダーが出てきた。シャドウナイト、たった1巻で退場かよ。するってえと何か、たった100分の中に、あと、OOもザダムもワルダーもガッタイガーも出してくのかよ。普通の感覚じゃ出来るこっちゃないぞ。
 ……よっぽど前のキカイダー、売れなかったんだろうなあ。シリーズが中断する危険もあったのを、監督を変え、巻数を少なくすることでやっとGOサインが出たんじゃないかなあ。
 まあ前作は地味っちゃ地味だったし、テコ入れも仕方ないことなのかもしれないけど、私は好きだったぞ。
 特に母親を出したとこなんか(原作には回想シーンにチラッとしか出て来ない)。
 どちらかと言えばゆったりしたイメージのあった前作に比べて、ハイスピードな印象のある今シリーズ(おかげで作画もザツだ)、その路線変更があまり吉とは出ない気もするけど、ファンは見守っていくしかないのがもどかしいなあ。
 ……オイ、予告編もついてないよ! ホントに大丈夫なのか?!

2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか


2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』

 体調は昨日からぐずつき気味。 
 外は小雨で鬱陶しい。
 溜まっている仕事をチビチビと片付けながら、自分でもココロが病んで来ているなあ、と自覚する。
 自分で言いたいことではないが、私の仕事ぶりは決して有能だとは言えない。かと言って、自ら無能だと言いたくないのは、私の基準値から言えば明らかに「無能」と言いたくなる同僚が、自分はいかにも有能という顔をしてふんぞり返っていたりしてるからだ。
 あ、これ、別に「私の方が有能なのにキィ、悔しい」とか、自分にプライドがあってそう言ってるわけじゃなくて、ウチの職場、たとえ謙遜ででも冷静な判断であっても「オレって無能だなあ」なんてことを口にしようものなら、確実に引きずり降ろされかねないところだからなんですね。いやあ、砂漠のような人間関係(^^)。
 だからみんな有能なフリをする。
 マジメにマジメに仕事をして、キレイごとだけ言っていて、仕事にアソビ心を持ちこもうなんてもってのほか。そのくせ、一朝コトあらば責任を取らないように取らないようにと立ちまわる。
 なんだかなあ、ホントにドクター・スミスかネズミ男ばかりが跳梁跋扈してるとこなのな。
 でも、そんな余裕のない環境じゃ、当然のように職場になんとなーくギスギスした感じが漂ってくる。
 いつもだったらねえ、私も「まあなんとかならあ」みたいな感じで悠長に構えてるんだけどさあ、体調が悪いときだと、とてもそのムードに抗しきれなくってねえ。つい巻きこまれちゃって、どんどん気分がずーんと落ちこんでくるのよ。
 ぼ〜っとして仕事が進まない、トイレに篭るとどうもウ○コのキレが悪くていつまでも出てこられなくなる、まあ、壁に白い虫が這ってるのが見えたりこそしないものの、これはちょっとなにか気分転換をしないとマズいなあ、という感じになってきているのだ。

 で、なにげなしに、こないだ見返してたLD『火宅』のパンフレットを職場に持ってきていてね(なぜ持って来ていたかはヒミツだ)、それを同僚の女性に見られたのよ。
 「あ、……これ……」
 その人はウチの職場では珍しく、キレイ事をあまり言わないほうなんで、まあ、会話をするのはつらくはないんだけれども、こういう気分が落ちついてないときは、「これ、なーに?」程度の質問でも返事するのが億劫になっちゃってるんだよね。
 正直言って、なに聞かれても返事したくないなあ、てな気分だったんだけれども。
 「有久さん、川本喜八郎が好きなんですか?」
 一瞬、アタマん中に風が吹きぬけたのを感じたね。
 ちょっと間が開いて、思わず上ずった声をあげちゃった。
 「は、はい、大好きです!」
 「私も、『火宅』、好きなんですよ。上映会があった時にわざわざ見に行って……」
 やっぱり、ココロが病んでいるなあ、と感じたのは、その瞬間、ちょっと泣きたくなってしまったからだ。
 あのさあ、“川本喜八郎”って名前が、職場の同僚との会話ん中で交わされることがあるなんてこれっぽっちも期待してなかったからねえ。そりゃ、アニメ関係で「名前知らない」なんて言ってたら、「お前はそれでもアニメファンか」って言われるくらいメジャーな名前だけどさ、世間一般の人で、たとえ『三国志』や『平家物語』見てた人だって、スッと川本さんの名前なんて出て来ないんだよ。
 アンタ、私が15歳若くて独身で、向こうも独身だったら、絶対デートに誘ってるよ。オタクはちょっとでもオタク的知識を共有する人間に出会っちゃうとすぐ、舞い上がってしまうのだ。……私以外にも身近に実例をいくらでも挙げられる気がするがあえて言うまい(^^)。
 残念ながら相手も既婚であった。ちっ。
 仕事中だし、その程度の会話しかしなかったが、それだけで気分が高揚してしまうのだから、私のメンタリティーはやはり相当単純にできあがっているようなのである。

 その同僚の女性、そのあと、別件でなにか気に入らないことでもあったのか、いきなり、「ぶりぶりざえもん」と呟いた。
 私が思わず「ぶりぶりざえもんがどうかしましたか」と聞いたら、「……そういうのは聞き流してください」と照れられる。
 「いや、私も好きですよ、『ぶりぶりざえもん』」
 「私は強いものの味方だ」×2
 ……ここでハモるか(^o^)。
 この程度で、気分がスッと晴れちゃうのだから、アニメの力は偉大だ。
 いや、相変わらず、咳は頻繁に出てるんだけども。 


 ウチの近所に相次いでできている焼肉屋、先日からしげに行きたい行きたいとねだられていたのだが、仕事帰りの迎えの車の中で、しげが「腹減った腹減った肉食いたい肉食いたい」といつものピーチクを始めたので、そのうちの一軒を覗いてみることにする。
 本屋に寄ったあと、目的の「一番カルビ」到着。
 ……なんだありゃ。
 小雨が降ってるってのに、店の前に4、5人の店員がノボリを持ってチャンピオンフラッグのようにぶん回している。
 「えらっさいまっせー! えらっさいまっせー!」
 ……呼びこみかい!
 しかし、いくらなんでも気が入りすぎてないか。
 細い補導を占拠してるものだから、よけて通ろうと思ったら、車道に思いっきりはみ出すか、そのまま店に入るしかないぞ。
 「ここね、開店後一週間くらいはすごかったらしいってよ」
 「スゴイ感じはするけど……どうすごかったの」
 「半額セールやってたんで、満席状態がずっと続いたって」
 そりゃ、店がすごいんじゃなくて、客がすごいんじゃないか。狂牛病騒ぎのせいか、安い輸入肉に、今まで飢えてたチマタの人間が群がってったらしいな。
 しげは肉は好きだが混雑は大嫌いなので(だから私が誘っても居酒屋のたぐいには絶対に入らない。劇団やAIQや職場の宴会のときだけが例外)、開店当初は来たがらなかったのだ。

 店内は全て座敷席だが、テーブルの下がホリになっていて、足が投げ出せる。コレだけでもしげのポイントは高い。
 正直言って、食欲はあまりなかったのだが、しげの「肉肉肉肉肉肉肉ぅぅぅぅぅぅ!」という言葉を毎日聞くのも面倒クサイので、食う覚悟を決めて、ロースにカルビにハラミにホルモンと頼みまくる。
 と言っても、赤身は殆どしげの腹の中に収まる仕組みになっているのだ。私はおもにホルモン専門。脂身が多いとハラに持たれるので徹底的に焼く。脂が落ちてぼうっと燃えるところにサッと野菜を乗せてこれもキャベツがシナシナになるまで焼く。しげは焼き野菜を一切食べないので、野菜だけは食い放題だ。
 赤身の肉も一つ二つは味見程度につまむ。ハラミが特にソフトで、多少焼きすぎていても、柔らかさを失っておらずウマイ。どうやらコレがこの店の目玉のようだ。
 しげ、デザートにアイスクリームみたいなのを頼むが、焼肉と一緒にそんなの食べたら、覿面に腹を壊しちゃうんだよなあ。
 腹コワしてでも好きなものを食いたいという、本能に対する忠実さは、ある意味感心するんだけどよう。
 たらふく食って、二人で三千円程度。まあまあ良心的な店と言えようか。

 もちろん、風邪引いててこんな暴食をしていたら(っつーほどでもないが)、胃に来るのは確実で、帰るなりトイレでげろげろ今食ったばかりのホルモンを戻す。
 ……よし、ダイエット完了。
 って、こんな生活繰り返してたら、確実に命縮むな(^_^;)。


 DVD『ウルトラQ』6・7巻(完結)。
 仕事の関係で、『あけてくれ!』に登場した天本英世さんにお会いした時、「『ウルトラQ』の思い出は?」とお聞きしたことがあるが、「もう覚えてないよ。一杯そんなのに出てたんだから」と言うことだった。
 『デビルマン』の『妖獣ゴッド』と並んで、この「再放送の時だけ流れた」エピソードについては、実際に見た人間が少なく、当時の子供たちの間でも、「そんな話はない」いや「あった」、とケンカになったものだったが、もちろん私は見ていて、頑固に「ある」を唱えて、「ない」派のガキ大将に殴られていた。
 今思い返すと、そこでオタクとオタクでない人間が区分けされていたような気がする(ホントかよ)。
 なんにせよ、『あけてくれ!』は、そういった経過もあって、子供のころは全話中、最も好きなエピソードだった。

 今ベスト5を選ぶと、必ずしもこれをベスト1に持って来るのか迷うのだが、完結記念に現在の私のフェイバリット5を挙げておこう。
 1、『バルンガ』青野平義の奈良丸博士の演技は120点!
 2、『悪魔っ子』子供の目ってどうしてこんなに怖いんだろう。DVDの映像で見ると恐怖は倍増!
 3、『あけてくれ!』実は、淳と由利子の恋が描かれる唯一と言っていいエピソード。多分、これが『エヴァ』の列車シーンのルーツ。
 4、『カネゴンの繭』昔嫌いで、今、好きになったエピソードとしては最たるもの。テーマソング聞いただけで泣くし。中川晴之助監督の少年を見る目はどれも優しい。
 5、『1/8計画』。最後の1本はどれを入れるか迷った。今でも通じるSFの代表作と言うことでチョイス。でも、どうして由利子はこんな妄想を見たんだろうか。そっちの方が謎だ。

 映像特典の最新インタビュー、佐原健二・西條康彦・桜井浩子の三氏は、当然おトシを召しておられて、すっかり括舌も悪くなっているのだが、「『ウルトラQ』が今も生きている」と断言してくださっているのは嬉しい限りだ。


 DVD『ギャラクシー・クエスト』。
 おおお! 特典の未公開映像が一杯!
 劇場で見た時、シガニー・ウィーバーの前チャックはいつから半開きになってたんだろうと思ってたんだが、こんな肝心なシーンをカットするとは!
 お子サマも見るかもとカットしたんじゃないかって穿った見方をするヒトがいるかもしれないけれど、他のカットシーンを見てもわかるが、これは単に上映時間の尺と、映画のリズムを考えたための措置であろう。
 アタマの中で、未公開映像をもとのシーンにはめ込んで行けばわかるが、ギャグの質がかぶったり、間が空いたりして、そこで映画のリズムが途切れちゃうのである。
 言い替えれば、映画として『ギャラクエ』が非常にスッキリとした出来になってるってことでもあるんだけれど、あまり「破」がないと、その映画はカルトにはなりえなかったりする。
 見返して思ったのは、一同中のおミソの「ガイ」の出番を、もちっと増やしてうまく使えてたらよかったのにな、ということである。だってあいつだけキャラが立ってないんだから、艦長たちのように「役を演じなければならない」必然性ないんだもの。もっと自由に、ヤケな行動とらして、『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスみたいな、半裏切り者的キャラにしたりしてたら面白かったのになあ、と思うんである。
 日本語版の吹替えはまあ、悪くはないかな。
 サーミアンの口調を声優さんたちも原音と似せて、「か゜ぁ〜んちょだけが、た゜ぁ〜よりです」なんて喋ってるのはなかなかウマイ。
 ああ、しかし、ティム・アレンに誰の声を持ってくるかと思ってたら、艦長は艦長でも、ブライト艦長だったとは(^o^)。いや、いい加減な感じが結構ハマってるんだけどね。ちょっと『パトレイバー』の時の内海さんみたいな雰囲気もあるし。
 だったら、シガニー・ウィーバーには小山茉美じゃなくて、白石冬美を持ってきてほしかったな。……んじゃ、アラン・リックマンは玄田哲章か井上真紀夫かい。……もう、このネタのわかるヒトも少なくなってきたなあ。

2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか


2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか

 オタアミもひとまず終わったことだし、日記のタイトルを、もとの『無責任賛歌』に戻してもいいいのだけど、公演終了後も「オタクアミーゴス」で検索かけて覗きに来てくれてるお客さんがいるみたいなんである。
 しかも結構。
 舞台裏の状況などを知りたい人もいるかもしれないし、お三方のご動向などをこまめにチェックされてるマニアな方もいらっしゃるかもしれない。
 いや、言いませんよ、「なんて○○○な人たちだ」なんて(^^)。
 こんな貧相な日記に来てくださるようなせっかくの貴重なお客さまがただとゆーのに、そんな天にツバするよーな、自分を棚に上げたよーなことは口が裂けても言えませんって(言っとるもどーぜんだがな)。
 というわけで、まあ、あと1ヶ月くらいはこのタイトルで行きます。
 今回の公演の上映会が終わるときくらいまでは。
 でもって、また来年の販促が始まったらまた“オタアミ”をタイトルに入れるとゆー、そんな展開で行こうかなーと。
 でも、もし「コロコロタイトル変えるな! 判りにくいわ!」というご意見の方が多かったりしたら、このままでいくかもしれません(←優柔不断)。いや、実のところタイトルにはあまりこだわってないんですよね。ちょいとした事情で30秒で決めなきゃならなかったタイトルだったりするもんで(そのへんの事情を知りたい人は、2000年8月3日のFirst記事をお読みください)。


 ノドが痛い。
 咳が止まらん。
 昨日からの体調不良がノドに来てるぞ。風邪っちゅーより気管支炎か。
 アメ飲んで押さえるが5分と持たん。
 たしか、昔、医者でもらった風邪薬のあまりがあったなあと探して飲むが、効いた気がしない(よいこはマネしないでください。古い薬はかえって危険な場合があります。……知ってんなら飲むなよ)。
 おおいおい、熱が出て来たぞ、知恵熱か?(壊れているのかもしれない)

 体調を崩しているのは私ばかりではない。
 しげも、昨日帰ってきてそのまま寝てから、もう16時間経ってるってのに、泥のように沼のように、浅瀬に打ち上げられたリュウグウノツカイかサッコファリンクスのようにノテッとして起きあがってこない。
 死んでんじゃねーのか。
 ともかく、普段は「オイ朝だぞ」とか声をかけたら、「ううん、ネムネム♪」とか、とか「起こすなボケが(`´メ)」とか、何らかの反応を示すのだが、今朝はそれもない。
 疲れてるのはわかるが、それにしたってここまで眠り続けるというのは尋常じゃない。やっぱりカラダにどこか疾患があるんじゃんいかって常々思っちゃいるんだけれど、「ウチの妻は眠りすぎるんです」なんて、何科にかかりゃいいんだ。どこでもいきなり眠るってわけじゃないから、ナルコレプシーとかじゃなさそうだしなあ。


 腹もシクシク痛むので、トイレに行くと、まあ、ナニがとってもキレイな紅色♪(あからさまな表現は自粛いたしました)
 うふっ、内壁のどこかが切れてるのね。
 もうこんなことはしょっちゅうなので、カネもかかるし、いちいち医者には行かない。しばらく安静にして寝てりゃ治るだろうってんで、職場に電話を入れて遅刻して行くことにする。
 とりあえず、こういう時、一食や二食抜いても平気な糖尿体質は便利だ(便利化?)。でも、のびのびになってる仕事を片付けるのにはえらく手間がかかっちゃうんだけどねえ。

 結局、昼から仕事に行って、帰りはしげを携帯で呼び出す。
 あのあともしげは更に寝続けて、18時間睡眠の記録を達成したのであった。
 ちなみに、今までの最高は16時間くらいだったかな?
 あまり騒がないし、ペットにしとくにゃいいじゃん、という人もいるかもしれないが、起きたらこいつは寝てた分のエネルギーを取り戻そうと、ヒトの3倍は食うので、結局コストがかかるのである。
 その間、当然家事は進まない。
 誰かしげの嫁になって(T_T)。


 マンガ、唐沢俊一編、好美のぼる著『あっ! 生命線が切れている』(二見書房・1449円)。
 タイトルロゴにオドロ線を付けたい感じだけど、そういうこともHTMLが上達するようになったらできるようになるのかなあ。
 「好美のぼる」については、唐沢さんが前書きで「曙出版の怪奇シリーズの大看板作家」と紹介しているが、実際、作品点数から行けば、手塚治虫に並ぶほどの大量生産をしていたのではないか。
 にもかかわらず、私は好美作品を子供のころ殆ど読んではいない。
 信じて頂けないかもしれないが、私は子供のころ、ムチャクチャ怖がりだったのである。だから怪奇もの、ホラーものの名作と言われるものでも、マンガファンを標榜しているわりには、案外読んではいない。
 いや、読もうとは何度もしたのだ。
 ところが読んでるうちに駄目になる。怖くなって途中を飛ばして結末だけを見る。あるいは結末も見ずに放っておく。
 多分、私が小学生のころ読めた怪奇モノは、楳図かずおの『猫目小僧』ぐらいのものであったろう(あれは一生懸命「これは妖怪モノで怪奇モノじゃない」とココロに言い聞かせて読んだ)。
 そんなんだから、未だに私ゃ楳図かずおの『黒いねこ面』も『ヘビ少女』も『赤んぼう少女』も読んじゃいないし、日野日出士の作品集も1冊として買わなかったし、ましてやズラリと並んでた好美さんのホラーシリーズだって、その黒々とした背表紙と気持ち悪いタイトルロゴだけで圧倒されちゃってて、手に取ってみようともしなかったのだ。

 それが、今、こうやって読めるようになっている。
 それどころか、読んで笑っている。
 いや、これはスゴい変化だ。
 恐怖と笑いは紙一重というが、その“紙一重を遊ぶ見方”を教えてくれた唐沢さんの紹介の仕方には、異論を持たれてる方もあろうが、素直に感謝したいのである。

 と言いながら、唐沢さん、この作品集に関しては、『まんがの逆襲』などで使っていた、欄外にツッコミを書きこむ手法を一切排除している(これは80年代の少女マンガから始まった欄外書きこみブームのパロディにもなってて好きだったんだが)。
 そんなツッコミ(言わば解説)は不要との判断からだろう。実際、表題の『生命線』を読んでると、なにも言われなくてもツッコミ入れたくなる描写が続出である。
 無実の罪を着せられて自殺した息子の復讐を図る母親の物語って設定は、別に珍しくもなんともないが(和田慎二あたりがしょっちゅうやってた)、その方法として“人間の手相を切り刻んで運命を変える”ってのを思いついたってことがもう、尋常じゃない。
 感情線を切られた実直な刑事がいきなり笑い出して「おめでとう!」なんて言うかフツー。おまえは碇シンジか。
 頭脳線を切られた検事は、当然アホになる。「ここはどこですかァ 天国ですか!? 地獄ですか!? ヒハヒハー」。アホになるのはいいけど、この「ヒハヒハー」って笑い声はなんなんだよ。思わずあとに「パパパヤー」と続けたくなっちゃうぞ。
 太陽線を切られた医者は、金の計算ができなくなって、無料で患者の治療をするようになる。……って、別に助手雇えば金は取れると思うけど。
 いや、こういう設定やセリフのいい加減さもさることながら、脱力するのはやはり好美さんの絵である。怖がらせようと思って演出過剰になり笑っちゃうというのは、こないだ見た映画『陰陽師』の鬼のシーンでもそうだったんだけど、いくら手相が変わったからって、工事中のビルの鉄ワクの上で踊るなよ。
 このへんは江戸川乱歩の『踊る一寸法師』とかのイメージを絵にしてるのかなあ。でもあれは文章だからいいんで、絵にすりゃホント、バカバカしくなっちゃうんだけど。

 『死のハンドバック』は絵的に楳図かずおを相当意識している。
 多分、出版社から、「楳図さんの絵で」と頼まれたせいだろうなあ。
 好美さんに対する作家としての扱いがどの程度のものだったか、この一事をもってしても見当はつくのだが、それは決して好美さんにとって不名誉なことではあるまい。
 山中恒のウケウリになっちゃうけど、大衆作家には大衆作家として、読み捨てられるくらいの通俗的な面白さを追求していく使命のようなものがあるんである。そしてその価値を読者だって、ちゃんと認識してかなきゃならない。
 妙な選民意識持ってマンガを評価しちゃいかんよなあ、と思うんである。「名作」ばっか読んでるやつにそんなのが多いのは、経験上、よく知ってるし。
 しかし、ハンドバッグから足が出て来て寝ている女の子を蹴り殺すシーンの恐くないことったら。
 ……いや、子供のころにこれを読んでたら、やっぱり怖がったかなあ、とも思うんである。現実にありえないことが身の回りで起こるってことは、オトナにとってはバカバカしくても、子供にとってとてつもなく「怖いこと」に違いないからだ。
 好美さんの視点、やっぱり小さな女の子に絞られてたのかなあ、とも思う。

 と思ったら、巻末の『変身妖怪七変化』、SFヒーローものだよ。
 絵柄が今度は一峰大二風になってるよ。確かにSFヒーローものの代表作家と言えば一峰さんなんだけどさあ。
 多分、好美さんにしてみれば、あれだけ多作してるんだから、いろんなマンガ家さんのスタイルを取り入れたいと思ったのかも知れない。「よし、今度はSFヒーローものでいこう!」。けれど、出版社の関係から、「少女もの」「怪奇もの」というワク自体は外せない。
 そこで、少女ヒロインが、「変身ヒーロー(♂)」に変身し、更に「妖怪」に変身して、世界各国から送られてくる「超獣妖怪」(このネーミングからすると、『ウルトラマンA』以降のマンガかな?)と戦うというトンデモナイ設定を考えだしちゃったのだ。なんで「妖怪」が「セブンマン」なんて名前してるんだよ。全部ごった煮にすればいいってもんでもないだろう(^_^;)。
 ……この節操のなさって、初期のつげ義春によく似てるよなあ。というか、それが昔の貸し本マンガの流れを汲むヒトたちのエネルギーでもあったのだ。
 たとえば、あれだけ独自の絵柄を築いている水木しげるが、その初期においてアメコミヒーローものの絵柄を駆使してマンガを描いていたことなど、今や誰が知るだろう。
 多分、好美さんにはほかにも「水木しげる風」「さいとう・たかを風」「手塚治虫風」といった作品が数あるに違いない。「赤塚不二夫風」や「藤子不二雄風」はちょっと想像がつかないが(^^)。
 そういうマンガも、唐沢さんやソルボンヌさんにもっと紹介していってもらいたいんだけど、引き受ける出版社がどれだけいるかなあ。
 

 マンガ、好美のぼる『UAライブラリー8 うわっその子きれい殺す』(日本貸本漫画保存会・送料コミ810円)。
 唐沢俊一解説、ソルボンヌK子&エロ上(誰?)ツッコミによる同人誌。纏め買いして、一冊の値段が分らないので、送料コミの値段を書いておきました。
 値段や出版社名を明記してるのは、単に記録上のことを考えたてるだけなんで、現物をご注文されたい方は、ソルボンヌK子さんの宛先を自分でネット上で探してください。

 タイトルは収録作品中に登場する既知外の女の子のセリフから取ったもので、実際には『魅せられた乙女』『幸うすき星』『テレビスター』の三本が再録。
 デビュー当時は、好美さんが怪奇マンガ家としてではなく、ごく普通の(当時としては)少女マンガ家として出発したことがわかる。
 初期の少女マンガは詳しく読んでないんでよくわからんのだが、絵柄的には矢代まさこに似ているような気がする(ソルボンヌさんは「わたなべまさこ入ってます」と指摘)。このへん、昔の女の人で(失礼)、少女マンガに詳しいヒト、よかったら教えてくれませんか(ってそんなヒト全国にどれだけいるんだ)。
 あ、表紙絵は明らかに中原惇一のパクリだね(^^)。

 しかし、昭和40年でもこの絵柄は既に古くないか。
 多分作者は「絵の古さ」なんてことは当時微塵も考えていなかったのだろう。ともかく好きなマンガを真似する。それが読者へのサービスになる。そう信じていて、パクリじゃないかとかそんなことはアタマのすみにカケラもなかったのだろう。マネされたオリジナルを越えた低俗パワーみたいなものを生み出しているのだから、簡単に「パクリだ」なんてことは言えないのである。
 実際、いろんなマンガを参考にしているために、大胆なポーズやアングルが駆使されていて、見ているだけでビックリさせられるカットが連発。これを文章でどう表現したらいいのか(^_^;)。階段の手すりが折れて、ヒロインの母親が落ちていくカットなんか、ソルボンヌさんは「まるでイタリア映画のようなダイビング!」と評しているが、こんな歪んだ水泳飛びこみみたいな落下、一体どんな映画に出てきたんかね。
 ともかく、えらく繊細でウマイ絵と、ナゲヤリでヘタレな絵が混在しているのだ。それを作者が全く気にしていないらしいのがともかくスゴい。
 少女マンガと劇画のごった煮はこんな初期作品から始まっていたのだ。
 不幸な女の子が運命に翻弄され、最後にハッピーエンドになるという、少女マンガと言うより、『落窪物語』以来の日本女流古典文学の定番パターンを、臆面もなく展開させている当時の資本漫画のパワーには圧倒されてしまう。自殺しようとする少女をカモメが助ける、なんて超自然的な展開も当時はよくあったんだよなあ。
 あっ! とすると、こんなところにも『オトナ帝国の逆襲』のルーツが!
 ヽ(^。^)丿


 唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!』(アスペクト・1365円)。
 2000年7月から、2001年7月までの1年間に起こった事件を、鬼畜なお二人が(^^)言い放題に論ずるというもの。
 でも実はこの手の会話、酔った勢いであちこちの居酒屋じゃ誰でもが言ってるレベルのことなんだよねえ。いや、だから珍しくもなんともないと言いたいわけじゃなくて、こんな誰でもが感じることすら、出版物としては出しにくくなっている状況、日本人を「偽善」の中に閉じこめて現実逃避させようという風潮が蔓延していることに対して、なんとも腹立たしい思いをしているのである。

 「17歳どもは『こんな平和でだらけた世の中なんか、何十年生きていたってもう大したことも起きやしない。自分で犯罪でも犯すくらいしか、刺激的なことなんかないんだー』とか妄想していたんだろうが、ちゃあんとガマンしていれば、米国同時多発テロのようなステキなものも見られ、日本もテロの標的になるかアメリカの報復戦争に巻きこまれるかというスリリングな経験をすることができるんだから、あせってはいけないのである」
 内藤泰弘の『トライガン』を読んで、ビデオ屋を爆破した17歳についての唐沢さんの言葉だが、さて、これを「不謹慎」と本気で怒る人間が現実にいるのである。
 いわく、「テロではたくさんの無辜の人間が死んでいるのに、その死を悼まず、ショーでも見るように楽しむのは人間としてどうか」とか。
 どうかもなにも、アンタも「ショー」として見てるからそんな発言が出るんじゃねーか。自分の痛みとして感じるんだったらさっさとニューヨーク行って、瓦礫一つでも取ってこんかい。
 戦争の恐怖は、ヒトの命が失われるからではなく、人間の意志が一つの線にまとめられて、他の意見が認められなくなる点にある。それはヒトを心から殺していることに他ならない。
 「ショーとして見るな」とか「人間として」とか言ってる本人は、自分が戦争屋どもと同じ「他人を自分の意志で支配したい」と考えてるってことについて全く無自覚なのである。
 彼らは、自分を「善人」側に置くことによって、「悪人」を糾弾することができるようになったと自己暗示をかけているのである。恐怖政治を行った皇帝が、自らを「天子」と呼んだように、「強権を発動する」資格を手に入れた気になっているのだ。

 私はあのテロ事件が起こった時に、この日記で、「対岸の火事を決めこんどけ、哀悼の意だって表明する必要はない」と書いた。
 実際、「死んだ人間に届くはずもない哀悼の念を、巷で表明する」ことに、「自己満足」以外のなんの意味があるか。それは、「おお、すげえコトやってくれたな」と楽しんで見たり、「別に私に関係ないしい」と知らんぷりを決めこむエゴイズムと、なんの違いもない行為なのである。
 もっとキツイことを言えば、「死んだヒトを悲しむ気持ちを表しとかないと、人非人ってコトでサベツされる」という保身のためにやってることであろう。本気でやってるなら、自分の偽善性に気付いてないただのバカだ。
 いや、保身に走るっての、気持ちとしてはわかるよ。誰だって自分の身はかわいいし、「安全圏」からもの言ってりゃ、少なくとも自分が攻撃されずにすむしねえ。
 けどさ、それって、自分がサベツする側に回ってるってことなんだよ? 恥ずかしくないのか、人間として(^o^)。
 はっきり言うが、無視決め込むよりよっぽどタチが悪い。積極的に加害者として振る舞ってるんだからね。
 現実に、あの事件の直後に「テロは許さない」と言ってた連中、報復戦争が始まった途端、「日本が参戦していいのか」とか矛盾したこと言い出して、それでいて自分が矛盾したこと言ってることにすら気付いてないぞ。なんだい、結局、自分が死にたくないだけじゃねーか。そういうのを卑怯者って言うんだよ(こう言うとまた、「じゃあ、おまえは命が惜しくないのか!」とかバカなこと言い出すやつらが現れるが、そこまで論旨すりかえてることに気付いてないドバカな連中をまた論破するのは時間のムダなんで、誰かヒマな人がつきあってやってあげてください)。
 自分が関われもしないことについて、意見を言えたような気になってんじゃね〜!

 村崎さんと唐沢さん、この本を出したことで、また偽善者たちの中に敵を作ってないかなあ。お二人は鬼畜かも知れないが少なくとも卑怯者ではないよ。
 私はこの本を読んで、ただの1ヶ所も不快感を感じなかったのだけれど(こういうことも珍しい)、でもまあ、実際に読んでみて、「やっぱり私は唐沢さんたちの考え方にはついて行けません」ってヒトに対して、考え方を変えろなんてことは言いませんよ。私ゃ善人みたいに心狭くないし(^o^)。
 善人なおもて往生をとぐ、いわんや惡人においておや(『歎異抄』)。

2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州


2001年11月25日(日) オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか

 実は昨日の続きです(^^)。
 いや、書いてたら規定容量(原稿用紙20枚)越えちゃったもんで(^_^;)。

 昨日の内容を読まれて、私が、AIQに批判的なのかとお感じの方もいるかもしれませんのでちょっと注を。
 私は自分が身内だと思う人間に対するほど、容赦しません。
 職場を貶すのだって私ゃ自分の職場が好きだからだし、きらら博を貶したのも「同じオタクなのになんだアレは」という怒りからだし、何より妻のしげを無慈悲なほどに斬って捨ててるのは、それはその、はっきりと書くのはシャクに触るんで書きたくないんだがアレだからです。

 表現が過激である(らしい)せいで、誤解を招くこともしばしばだけれど、どんなに気を遣ったって、誤解したがるやつは勝手にします。
 なにしろ、ウチの劇団の中にも、いくら言葉を尽くしても誤解しかできないアホウがいるくらいですから。
 だからと言って、「誤解されるから」と語りかけることをやめるわけにはいきません。
 歯に衣着せぬ物言いは、相手に期待しているからです。
 今回のミスは、どうにも仕方がないという類のものではありません。全て、事前の準備さえあれば回避できるはずの些細なミスの集積でした。いや、実はトラブルが起こること自体に対して批判をしようとは思ってないのです。こちらの予測を越えた事態が起こることだっていくらでもありえるんですから。
 要は一点、「要領を知らない」。
 何に気をつけなければいけないか、それを考えていかねばならないというだけのことです。
 AIQのみなさんがその期待に答えられない方々だとは、私は思っていないのです。

 実際、昨日の宴会、別にAIQのみなさんと諍いになったわけでもなく、私が壁の花になったわけでもなく(イヤな宴会だと私はすぐそうなります)、楽しく過ごさせていただいたのであります。
 しげもひたすら肉を食い続けてたし(^^)。

 毎回、宴会となれば話題の中心となるのはぴんでんさん。
 眠田さんとのやりとりも踏まえて、アブない話をしまくっている。
 ご本人は「日記にいくら書いてもいいですよ。ホントに書いて困ることは喋ってませんから」と仰っているのだが、あそこまでハデな話をどこまで書いていいものやら。
 だいたい、あの岡田さん、唐沢さんを爆笑させてるネタを連発しているのである。どうしてご自身のHPを立ち上げるなり、○○ライターになるなりしないのか。二束のワラジ履いたっていいと思うのに。

 しげもぴんでんさんやZUBATさんと話していると楽しいらしく、ついくっつきたくなって困るのだそうだ。
 「私、本番するんじゃなけりゃ全然OKなんだけど」なんてことをしれっと言うので、さすがのZUBATさんも引く引く。……もちろんしげは自分の言ってるコトバの意味がわかってない。
 私「あのな、おまえ、その本番前っての、どんな意味で使ってんだよ」
 しげ「……ん? 手をつなぐ」
 ZU「それは、言葉の使い方、間違っとるよ!」
 念のために言っておくが、しげは決して作為的にこんなこと言ってるわけではない。「天然」なのである。信じられないかもしれないが。

 みんなでスタッフの特権とばかりに会場で取ったアンケートに目を通す。
 手厳しい意見もままあり、やはり開場の不手際は何人かに指摘されている。でもこれは来年には確実に改善されるはずのものである。
 「寒くて環境も悪かったけど、アミーゴスのお三方との距離が近かった去年の方がよかった」という意見は、「会場が変わって見やすくなった」という意見のほうが多い中では無視されかねないが、傾聴に値しよう。
 そうだよなあ、ある種の「創世」に関わるような瞬間の熱気っちゅうか、オタクシーンの「つながり」というか、舞台と客席の「絆」を演出していく方法も考えていかなきゃいけないんだよなあ。
 客席から登場してもらうってのもちょっとクサイし、お三方は嫌いそうだけれど、何かいいアイデアはないかな。

 岡田さん、アンケートを読みながら、山口県を悪し様に書いたものを見つけて笑う。
 「『山口の悪口はどんどん言っていいです』って、どうしてみんなそんなに山口嫌いなの?」
 更にそのアンケート、佐賀の悪口も書いてある。
 福岡県民の感覚から言えば、単にどっちも「田舎」って思ってるだけじゃないかと思うな。

 福家書店さんに、今日の本の売れ行きを聞く。
 なんと一番売れたのが夏コミ同人誌の『オトナ帝国の興亡』で、28冊だとか。
 次いで、ソルボンヌK子さん編集の好美のぼる作品集、『うわっその子キレイ殺す』、唐沢さんの新刊『社会派くんがゆく』、岡田さんの『フロン』と続く。
 やっぱり新刊が売れるのとと同時に、日頃は目にすることが少ない同人誌に興味が集中したみたいだ。
 この日記見てるヒトで、当日、『オトナ帝国』買った方はいますか?
 実はエロさんが巻頭評論、私が別名で小説1本書いてます。ご感想など頂ければ幸いです(^^*)。

 宴会、10時過ぎにお開き。
 岡田さんは一足先に帰られたが、唐沢さんはホテルの直前まで我々とおつきあい。
 道すがら、ぴんでんさん、お友達の女の子と「今、カラサワシュンイチと会ってるんだよ」と携帯でやりとり。そのお友達、唐沢さんの熱狂的なファンらしい。
 ぴんでんさん、唐沢さんに「口を利いてくれませんか」と携帯を渡す。
 ああ、そんなことをしたら……(・・;)。
 ぴんでんさん、相手が並木史郎か筑紫哲也かと間違えてないか。
 受け取った途端、唐沢さんのマシンガントークが始まる。
 「やあやあやあ、ぴんでんさんのお友達の方ですか。なんですか、聞くところによると、ぴんでんさん、○○○が○○○○○○だそうで。え? ○○? ○○○が○○で○○。ほうそれはそれは……」
 もう周囲は大爆笑である。
 私も思わずぴんでんさんに、「いいんですか? 今のも日記に書いても」と言ってしまう。
 そのときだけは、さすがのぴんでんさんも立往生、箒を持った観音像になっていたのであった(←元ネタはわかるね)。

 ゴクウ君ことロプロス君、カメラマンになりたいとかで、唐沢さんにアドバイスを受けている。
 しかし、果たしてどこまで「本気」で相談してるのかな、と気になる。
 多分唐沢さんにこういうことを話かけてくるファンとかも多いのだろう。「どうしたらライターになれますか」「どうしたらマンガ家になれますか」「どうしたら」「どうしたら」……。
 「運と実力」っていう、わかりきった答えがあるのに、別の答えを求めてしまうのは、その時点で自分に運も実力もないことを認めてしまうことになっちゃうんだけどな。
 もし本気で自分の実力認めてもらいたいなら、まず自分の作品を作って、それを発表していくこと以外にない。自分の作品が作れて初めて、唐沢さんに見てもらうなり、どこかの編集者を紹介して見てもらうなりすればいいのだ。
 プロの世界は「何となく○○になりたい」程度の意識しか持ってない甘えたシロウトを相手にするほどヒマじゃなかろう。

 ホテルでの別れ際に、「別にオタクアミーゴスでなくてもいいからさ、また九州に呼んでよ。落語家何人かと朗読会もやってるから」と仰る唐沢さんに、福家書店さんやZUBATさんが大喜び。
 何となく来年はイベントがまたひとつ増えそうな気配であるが、果たして、みなさん、時間は捻出できるのかね。


 で、やっと今日の日記(^o^)。
 しげはもう二日酔いか気疲れか、「アタマが痛い」と言ってクルマを出してくれない。無理に起こすつもりはないので、久しぶりに一人で職場へ休日出勤。
 実は正月休みも今年はないのだが、なんとかそれだけは避けて休もうと画策している最中である。不況の影響なんだよねえ、これも。

 昼あたりから、咳が出て来て止まらなくなる。どうやらまた風邪を引いたらしい。体調がまた入院前の状態に戻ってきたのかなあ。


 唐沢俊一著・ソルボンヌK子漫画『すごいけど変な人×13』(サンマーク出版・1365円)。
 いわゆる「奇人伝」の類だけれど、初心者向けという感じで、研究者の目で見れば物足りなく感じる部分もあろう。一人あたりに費やしている原稿もごく短い。
 冒頭のコナン・ドイルなどは、自伝や伝記の類を何冊も読んでるので、ドイルが実はホームズものを書くことを嫌ってたことも心霊研究に没頭したことも周知のことで、特に「そうだったのか!」と驚いたりすることはない。
 むしろこの本に取り上げた人々のチョイスの仕方に唐沢さんらしさが現れていて、そこが面白いのだ。
 北大路魯山人、宮武外骨、快楽亭ブラック、ウィルヘルム・ライヒ、岡本かの子、近衛文麿、ジョージ・アダムスキー、長谷川海太郎、白鳥由栄、エド・ウッド、力道山、岸田森。
 いやもう、なんとバラエティーに富んでいることか。
 『丹下左膳』の作者、林不忘こと牧逸馬こと谷譲次(ペンネームを三つ持ってたんである)を「長谷川海太郎」として紹介しているところも、唐沢さんのスタンスがよく解る。このヒトの「デタラメさ」は正しくその本体である「海太郎」自身にあるという見方だ。
 私ゃ牧逸馬名義の『世界怪奇実話』シリーズ読んだおかげで、「マリー・セレスト号事件」を何十年もホントの話だと信じ込まされてたんだよなあ。この人の筆致、とても昭和初期に書かれたものとは思えないくらい、モダンでリズミカルで今も全く色褪せていないのである。それだけの筆力を持っていたからこそ三つのペンネームを使い分けるなんて離れ業もできたんだろう。
 唐沢さんなら、彼に、作家・地味井平造と長谷川四郎という二人の弟がいることも知っていただろうが、限られた紙数ではとてもそこまで触れられない。もっと紙数を与えて、文庫化してほしいなあ。
 圧巻はラストの岸田森。
 彼の蝶好きは実相寺昭雄監督の思い出話の中にもよく出てくるが、ソルボンヌさんの漫画は、その一点に視点を絞って描かれており、わずか6ページの紙数にもかかわらず、まるで夢のような岸田さんの一生を描出することに成功している。
 蝶の標本の部屋で一人、酒瓶を片手に虚空を見つめて孤独に過ごす岸田さんのカットが、都合、三度ほどコピーで登場するが、これがもう、たまらないくらいに切ない時間と空間を生み出しているのだ。私が今まで見てきた漫画の中でも、これは最も美しいコピーの使い方であると断言したい。コピーって、決して手抜きのための道具なんかじゃないんである。
  

 アニメ『サイボーグ009』第7話「見えない敵を撃て!」。
 脚本構成、演出、ともに第1話以来の傑作である。
 原作のストーリーをなぞりながら、その後の009シリーズが内包していった、「神とはなにか、人間とはなにか」といった重厚なテーマもその中に織り込んでしかもちゃんとエンタテインメントとして昇華している。これほどハイレベルな脚本は、ここ十年のアニメを通してみても『エヴァ』など数本しか思いつかない。
 冒頭で、008が東京を俯瞰しながら語る、神に関するモノローグは、『天使編』を予告するものだろうし、003が「雑音が多すぎて聞こえない……」と苦しげに呟くのは、肥大化しすぎた街そのものが「黒い幽霊」と化しているような不安さえ感じさせる。
 それだけ「重い」テーマを孕みながら、鼻キズのヤスとノロマな少年のやりとりのシーンでは、しっかりアニメチックなギャグを飛ばしてくれていて、脚本家がドラマとしての緩急をよく心得ていることが判る。
 009を育てた神父が実はブラックゴーストの一員だったという新たな設定は、『怪人島編』の伏線だろう(あの神父さんのキャラクター、『多羅尾伴内』からの流用なんだな)。009の苦しみはこれから始まるのだということをも予感させる。
 いや、至れり尽せりの演出とはこのことだ。
 0013が透明ロボットだったという設定は原作にはない。手塚治虫の『電光人間』あたりからインスパイアされた設定かとも思うが、石森さんのほかのマンガにもあったかもしれない。なんにせよ、0013が船に激突し転覆させるシーンなど、荘重な音楽とも相俟って怪獣映画を彷彿とさせる迫力である。
 ただ残念なことは、これだけすばらしい傑作にしあがっていながら、原作では唖で知恵遅れの少年が、多少たどたどしい口調ではあっても、ごく普通の少年に置き換えられていることだ。
 身障者をアニメに登場させたら何かと問題があるとの判断だろうが、それは結局、差別事象を隠匿しているのと変わりがない。原作は身障者差別を告発するために描かれたようなものなのになあ。
 だから、視聴者のみなさんには、少年が呟くシーンのセリフを、心の中で原作どおりの「ウヘ……」というコトバに置き換えて御覧になることをお薦めする次第である。


 『こち亀』『ワンピース』を斜め見。
 『こち亀』は悪徳セールスの話で、『ワンピース』はワポルがぶっ飛ばされるあたり。
 ネットなんかでは、ヒルルクの死をずいぶん感動的に紹介してる記述が多いけど、この辺、尾田栄一郎はまんま、なかいま強とかをパクって描いてるんで、私はちっとも感動できないんである。
 これでしばらく原作の方だと「感動編」はお預けなので、これから先、話をどうひっぱって行くかだなあ。またぞろオリジナルエピソードを差し挟むのかなあ。 


 DVD『金田一耕助の冒険』。
 公開当時、小林信彦が「日本にはパロディをキチンと作れる監督がいない」と言ってたが、半分首肯し、半分は失笑した。
 「パロディ」というコトバにただの駄洒落やモジリ以上のものを求めるならば(別にただの駄洒落だって構わんと思うが)、それはその通りかも知れない。
 しかしそう言ってる小林信彦だって、「ただの駄洒落」を『オヨヨ大統領』シリーズや『唐獅子株式会社』でやってるのだ。
 メイキング・インタビューで、監督の大林宣彦が「パロディ映画ってのは、お客さんが自分から楽しもうとするかどうかで面白さが変わる」と語っていたが、実際、私は、このギャグセンスのカケラもない低レベルな駄洒落に満ちた、しょーもない映画が公開当時も今も大好きなのである。
 いや、確かにしょーもないギャグも多いが、金田一耕助の内面にこれほどせまった映画もほかにはないのだ。

 冒頭、物語はいきなり「戦後の」岡山を走る蒸気機関車の中から語られる。
 女学生のクロスワードパズルを見事に解いて見せる金田一。
 「その答えはインディアン・ライラック。百日紅です」
 女学生は感嘆し、金田一の名を尋ねる。照れながら名乗る金田一。
 「ああ、あの有名な……! 言語学者の!」
 金田一、メゲて「……とるに足らぬ男です」と呟き、振り返る。
 ここで、金田一京助と勘違いしたギャグだけを取り上げて、しょーもない、と断じた目の見えぬヒョーロンカのいかに多かったことか。
 しかし、このギャグの秀逸さは、そのあとの「取るに足らない男」の方にあることを見逃してはならない。
 これは実は、原作にある『百日紅の下にて』のラストでの金田一のセリフなのである。自分で自分のことをこんなふうに芝居がかって言うヤツをみなさんは信頼できるだろうか。
 一般的には純情ではにかみやの印象を持たれている金田一が(そのイメージは石坂浩二が作ったものだ)、実は自己顕示欲の強い俗物であることを、この映画はいきなりファーストシーンで暴露し、揶揄しているのだ。
 列車は、東京に到着する。
 そこは、「現代の」東京だ。待ちうけている等々力警部は「岡山の磯川さん元気? 金田一さんも相変わらず快刀乱麻を断つ名推理みたいね」と磯川警部に比べて自分に人気がないことを僻み、羨んでいるかのように皮肉っぽく言う。
 金田一シリーズが戦後の岡山を舞台にした作品に傑作が多く、作品数から言えばはるかに数の多い「東京モノ」にさっぱり人気がないことを揶揄するセリフなのである。
 当時の横溝正史作品の読者は、「現代の東京」になんかロマンを求めてはいなかった。現実に幻滅していたからこそ、土俗的な横溝ミステリーに惹かれていたのだ。言い返れば、それくらい現実の犯罪にはロマンがなくなっていたのだと言える。
 犯罪にロマンを! 不謹慎なセリフだろうが、ミステリーの魅力はまさにここにあるだろう。この『金田一耕助の冒険』は、懐かしき探偵小説にロマンを求めるミステリファンの「自分探し」の物語であったのだ。
 そのことを大林監督は、よく判っていた。だから、原作小説だけでない、監督が愛してやまない数々の映画やCMやその他もろもろ、岸田森の吸血鬼が、三船敏郎の初代金田一が、片岡千恵蔵のホントの初代金田一が、峰岸徹の瞳の中の訪問者が、引退した山口百恵が、東映時代劇からは東千代之介が、高木彬光や横溝正史本人が、考えるゴジラが、星の数ほどのキャラクターたちがただ単に顔見せ程度に出てくるだけ出て来たのだ。
 パロディに名を借りた、これは監督の「お遊び映画」だったのだろう。

 実際、こんなに監督の一人よがりで作られた映画も滅多にない。
 金田一耕助にビリー・ザ・キッドを、等々力警部にパット・ギャレットを重ね合わせて撮ったと大林さんは言うが、そんなん誰が気付くか。しかし言われてみればまさにその通りで、この映画の中での金田一耕助は、大好きなキャラクターや映画たちの間を駆け巡る、まさにイタズラ好きの少年だったのである。
 最終的に夢のない犯罪に飽き足らなくなった金田一自身が、真犯人に変貌して行く過程、このへんには『熱海殺人事件』で犯罪にロマンを求めたダイアローグライターのつかこうへいのアイデアも反映されていると思うが、少年がイタズラに走るのは、つまらない現実をぶち壊し、革命を願うココロの現れにほかならないのではないか。
 ああ、そうだ。
 この映画の金田一って、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』のケンにそっくりなんだ。回りにあるのはただそこにある懐かしい、いつか見た風景たち。だから、トシを追うごとに私はこの映画が大好きになっていくのだ。ギャグの元ネタが判らなくなるくらい古くなれば古くなるほど。

 アニメオタクには、オープニングの和田誠のアニメーションも一見の価値ある傑作だと紹介しておきましょう。
 欲を言えば、せっかくのDVDなんだから、ついでにテレビ放映時の改訂版音声も収録してほしかったなあ。百恵ちゃんにそっくりの不二子像に江木俊夫がキスするシーンで、テレビ版は百恵引退の直後だったんで、セリフが「どうして引退しちゃったの!?」に差し換えられてたリしてたんだけど。


 疲れが取れず、咳も止まらないまま、泥のように眠る。
 明日は起きれるかなあ。

2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会


2001年11月24日(土) オタクアミーゴス in 九州 2001

 夕べ私はこてんきゅう、と寝たが、しげは寝つかれずに朝の3時か4時くらいまでゲームをしていたらしい。
 だからどうしてオマエはそう、自分で自分の首を締めるようなマネを(ーー;)。
 正味三時間ほどしか寝てないしげを起こして、バスと地下鉄を乗り継いで天神Z‐SIDE(発音が「ジーサイド」なんで、つい「G‐SIDE」って書いてましたがこっちの綴りが正しいです。すみません)へ。
 しげから「髪が立ってる」と言われるが、そんなん気にする余裕はない。

 到着は8時半、一応一番乗りだが、間もなくエロさんとZUBATさんもやってくる。
 「夕べは眠れましたか?」
 「ええ、ぐっすり。ぴんちゃんなんか『横になる』と言った次の瞬間、もう寝てましたよ」
 やっぱり、「次の日がイベントだと眠れない」なんて、遠足に行く前日の小学生みたいなこと言ってやがるのは、しげだけなんである。
 搬入口は9時ちょうどにならないと開けてもらえない。エロさん、「9時に集合でもよかったな」とボヤく。

 時間つぶしに向かいのミスタードーナツで朝食を取ることにするが、私は打ち上げでたらふく食うことを考えて(考えるなよ)、ホットティーのみ。少し落ちついて外を見ると、天気は上々、これなら「雨が降ってるから」ということで出かけるのを取り止める人もそうはいまい。
 会場が、昨年の小汚い西新某所からこざっぱりしたNTTホールに移ったことも、果たして吉と出るか凶と出るか。いろいろ懸念はあるが、泣いても笑っても今日が本番当日なんである。やれることをやるのみだ。

 9時になって、AIQのスタッフもほぼ全員が集まる。
 しかしここで最初のトラブルが発生。NTTホールからZ‐SIDE側に連絡が伝わっておらず、機材を詰め込んだぴんでんさんの車が駐車できずにしばらく立往生するハメになったのだ。
 仕方なく、会場と連絡が取れるまで、路上駐車(天神は違反者だらけなんで、警察に出くわすなんて間が悪いことにならない限りは全然平気)して、どんどこ荷物を運び出す。

 入口で通行証代わりの名札を受け取り、台車でモニターなんかを運びこんで行くが、通路がやたら狭く、ちょうど出勤してくる職員なんかとすれ違いまくるものだから、危なっかしくて仕方がない。
 これも、路駐した職員入口から運び込んでいるためで、正規の駐車場からならこんな苦労をせずにすむのである。Z‐SIDE、意外と裁けてない。このへんで違約金少しはふんだくれないものか(アメリカならこの程度でも確実に訴訟ものだ)とかチラッと思うが、まあ、「和」の精神を重んじる日本人としてはそれもままならないであろう。

 会場に入ると、思っていたより広い。
 初め、公演終了後のサイン会、舞台上でやってもいいのではないか、なんてことをみなさんに話してたのだが、現実に会場を見てみると、何10人か並んでもなんとなく閑散としそうな気配である。
 それに機材の配置と、搬出を考えれば、会場に人が残っている状態は避けた方がいい。
 会場入口前のロビーも見て、こちらの方がサイン会には適当であろうと判断。しおやさんから、会場に向かって正面の壁で福家書店さんがお三方の著書を売って、受付側の壁でサイン会を行えば、ちょうど列が作りやすいことを説明される。
 こういうことも実際に会場に足を運んでみないと判らない。というより、目で見れば一発で納得できることなんである。事前にいろいろ心配していたのは全くの杞憂であった。
 ああ、もう少し早く正式スタッフになってたら、少しは時間が取れて、下見にも行けたのになあ。

 けれど、ちとここで苦言を提しさせていただければ、会場見取り図を事前にスタッフ全員に配っておくことくらいは、演劇ならば基本中の基本、常識みたいなもんである。それは演劇というものが役者もスタッフも一体、舞台のことは全てみながアタマに入れておかねばならない必要性があるためなのだが、さて、イベントの場合、そういうことは必要ないのであろうか。
 今回の私やしげの役割はロビーの警備ということになっているのだが、ならばホール内のことはよくわからなくてもいいのであろうか。
 そうではあるまい。
 昨日の日記にも書いたが、どんな突発事故が起こるか解らないのがイベントなのである。スタッフの人数が少なければ少ないほど、誰もが臨機応変に対応できる状況を作っておかねば、トラブルを回避することなどできなくなる。遠方から来ているスタッフもいて、周知徹底なんてことは望むべくもないことは解るが、それをフォローするための手立てが誰によってなされるのかすらハッキリしてないと言うのは、組織としては欠陥なのではないのか。
 実は、あとでこの甘さがあるトラブルを呼ぶのだが、それはまたあとで述べる。

 しおやさんから、受付の段取りについて伺う。
 警備なんかの張り番や、買い出しなんかのパシリならなんということもないが、お金の計算や引継ぎとなると、根っから文系のアタマにはちと苦労である。懸命にやり方を聞くが、さて、私はちゃんと理解してるんだろうか。
 呆れたことに、受付にキャッシャーが用意されていない。
 アンケート用のエンピツも10本程度。しおやさん、「たいていみんな書くもの持ってますから」と仰るが、男性はともかく女性はそうでもないのではないか。それに、サイン会用のマジックも用意されてなかったから、別にそんなの必要ないと判断してそうしたわけじゃなくて、単に「忘れてた」だけのことだろう。
 しげ、「言ってくれてたら、家にキャッシャーもエンピツも、一式あるのに」と、不満げ。昨日からずいぶんイラついていたが、段取りの悪さにそろそろしげがキレかけている。
 「キャッシャーの代わりにタッパー買ってきてくれないかな」
 タイミングよくしおやさんがそう言ってくれたので、しげ、買い出しに出かける。ここらで少し、外の空気でも吸ってアタマを冷やしておかないと、キレたしげが何をしでかすか分からない(^_^;)。

 チラシをぺたぺたと会場案内の代わりに貼りまくって、公演前の仕事はひと区切り。
 今のうちにと福家書店さんのところに行って、まだ買っていない唐沢さんの旧作・新刊などを物色。『年金入門』なんて、そんなのまで出していたとは気付かなかった。新刊もこの一月ほどのあいだに何冊も出ていることを発見。たいていのファンは旧作は持っているだろうが、新刊があるということは、結構売れ行きが伸びる可能性もあるのではないか。ソルボンヌK子さんの同人誌も積み上げてあるが、これは便乗販売か(^^)。
 岡田さんのはほぼ全冊を買っているので、あとは単行本を持ってはいるが、文庫で再版になったのを買うことくらいしかできない。岡田さんのサインも欲しいのだが、「ぜひともこの本に」と思うものがないので、今年は見送ることにする。
 去年はなかった眠田さんの単行本、今年は『オトナ帝国の興亡』も含めて数冊置いてある。
 福家書店さん、「眠田さんのサイン会も開いてほしいんですがね」と仰るが、「ちょっと難しいでしょうね」と答える。やはり著作の数が大きく違っているので、眠田さんだけ早々とサイン会が終わってしまうことは目に見えているのだ。。イラストやゲームもいいけど、眠田さんには昔みたいにパロディマンガをたくさん描いてほしいんだけどなあ。
 
 舞台の方はどうじゃらほいと思っていたら、ぴんでんさんたちが「モニターが映らない」と騒いでいる。ウチで貸し出したデジタルビデオカメラがコードをつないでも映らないというのだ。
 あいにく、しげは今しがた外に出かけたばかりだ。私はもうずいぶんカメラを扱っていないので、操作のしかたなんか忘れている。
 戻ってきたしげがカメラを確認してみると、コードの差し口を間違えていただけだった。
 しげがブツブツと呟いているのに耳を傾けると、
 「……前日に酒飲んでチェックしてないからだよ」
 ……ああ、目が据わっている(・・;)。せっかく外の空気を吸わせて、アタマを冷やさせたのに、一気に元通りだ。
 もうしげのやつ、いつ爆発してもおかしくないぞ。

 11時に唐沢俊一さん、いちろうさんに案内されて到着。今朝5時までトークだったと聞いているが、一見するとそうは見えない。これがプロ根性というものか。
 会場に入るなり、唐沢さん、あたりをぐるりと見まわして、「ほおお」と嘆息。これくらいのホールで公演することだって珍しくはなかろうから、この感嘆は「去年の会場よりずっと立派なところに移ったな」という意味であろう。控え室もただの楽屋ではあるが、去年よりは椅子がいい。少しは満足していただけたであろうか。
 「お二人はもう?」
 唐沢さんにそう聞かれて、
 「11時半に来られるそうです」と答える。
 ところがどっこい、岡田さんと眠田さん、ホテルは真向かいなのに12時近くになってもまだお見えにならない(^_^;)。
 やっぱり博多の町をうろつかれているのかなあ、と思っていたらその通りであった。
 11時50分ごろ、岡田さんは、ファンの人とご同伴でご到着。
 眠田さんはもっとごゆっくり、開場後、12時を過ぎてダイエーホークスのバッグを片手に堂々の御凱旋であった。眠田さん、ご出身は関西なのに、ホークスタウンにまで足を伸ばすほどの大ファンである。これって、案外珍しいんじゃないかな。
 しかし、いったい何をお土産に買われたのやら。

 時間をちょっとだけ元に戻して、開場前。
 機材トラブルはひとつだけに留まらず、接続コードが実は長さが足りなかっただの、そのコードを買いに行ったら、間違えたコードを買ってくるだの、ミスが連発する。
 あれやこれやで、気がついたらもう12時。開場の時刻だ。
 なのにまだセッティングは終わっていないというテイタラクである。
 仕方なく会場前のロビーだけを開け放して客を入れる。
 客もてっきり、座席に座れると思っていたのだろう。なのに入口前で待たされるのだからたまったものではない。福家書店さんがアミーゴスお三方の著書を売っているので、それを買って時間つぶししている人もいるが、10分も経てば到底おとなしくしていてはくれない。あとからあとからやってくるお客さんで、ロビーは満杯。予想以上に前売り以外、当日のお客さんもあるようだ。ありがたいありがたい。ありがたいけど、冬だというのに熱気が漂って、明らかに空気が悪くっていくのが判るのがなんともはや。
 警備で立ちんぼの私に「まだですか」と何度も聞いてくる人も出てくる。こちらはもうアセをかきながら(ホントに)、「もうそろそろだと思います」を繰り返すばかりだ。
 この階自体は本屋のスペースなのだし、これなら開場を30分遅らせて、本でも読んでいてもらってたほうがマシであったろう。

 開演15分前になって、ようやく準備が整い、本開場。
 入口は右と左に2箇所あるのだが、同時に開かねばならない。開場が遅れたので、そんな段取りはもともと組んでいない。いったん中に入って、エロさんに内側から同時に開けてもらうように頼む。

 お客さんが入って、ようやく一息つくが、何となく、トラブルがこれで終わったようには思えない。
 今のうちに、昨日約束を取りつけた眠田さんのサインを頂こうと、『オトナ帝国の興亡』を2冊握りしめ(いや、握りしめたらシワクチャになるってば)楽屋に押しかける。1冊は私のだが、もう1冊はよしひと嬢にである。
 よしひと嬢、ずいぶん昔からの眠田さんのファンで、単行本も持たれているとかいう話を聞いていたので、勝手にサインをもらっといてあげようとたくらんでいたのである。
 名前は明かさないが、よしひと嬢、本名はとても難しい、恐らくは日本中でもそうとう珍名な部類に入る人だ。
 案の定、よしひと嬢の本名を書いた紙をお渡しすると、眠田さんとご一緒に唐沢さんも驚かれて、「……これ、なんて読むの?!」
 読み方を告げると、眠田さん、「……ひらがなで書くからね。漢字だと書き間違えるから」。
 よしひとさん、サインがひらがなだったのはそういうわけだったんです。日付けを書き間違えられてたのも謝られておりましたので、どうかそういった事情もお含みおきいただけますよう。

 会場を走りまわって、トークネタのリクエストを集め、お三方に届ける。
 楽屋裏でのおしゃべりなんかもちょっとキキミミ立てたい誘惑に駆られるが、ガマンして配置に戻る。
 いよいよ開幕である。

 会場はアミーゴス登場とともに一気に盛りあがる。最初からトークで飛ばしまくり、それがまたどんどんウケるので、ネタのビデオにいつまで経っても移らないくらいだ(唐沢さんの日記に「20分ほどトーク」とあるが、これは全くの勘違い。優に1時間10分、喋り続けだったのである)。
 ただ、私は今回一切笑ってない。
 交替でスタッフも会場の中に入れるのだが、客として見ていた去年までとは気分が違うのは当然だ。正式スタッフになっている以上、見ているのはアミーゴスの芸だけではない。
 会場の雰囲気、音響その他の演出効果、そういうものに気を配りながら「観察」しているのだ。……笑ってられねえって。

 ホールは確かに立派になった。
 客席が傾斜しているので、フラットな床にパイプ椅子を置いただけの昨年の会場に比べて、お客さんがぐんと見易くなったことは間違いない。
 音響も映像もずっとよくなっている。
 ただ、会場の全員がラポールを起こす(狭い空間で興奮が伝播していくこと)には、せめてもう20人、人がいないと今ひとつ効果が薄い。一部の客が「無理して笑っている」状況も見えるのである。

 オタクアミーゴスのネタについては、これもお約束で、詳細に紹介することができない。
 新作ゴジラについても、公演ではそのストーリー、唐沢さんはかなり詳しく紹介してくれていたのだが、裏モノ日記ではあえて肝心なところはこれから見る人のために伏せてある。
 従って、その内容については、眠田直さんがレポートをアップするのを待って、そちらを読んでいただきたい。
 ……でも、これくらいはいいかな?
 『パワーパフガールズ』が映画になるってよ!
 会場でも女の子が「ええええっ!」て喜びの悲鳴を上げてました♪
 
 案の定、トラブルは続く。
 音の調整がうまくいかないのか、会場の外まで大音響が響き渡って、ホール係の人が走り回ったり、デジカメをオートフォーカスにしたままだったので、画像のピントがやたらとブレたりする。
 しげ、「何で昨日のうちに」をブツブツ繰り返しながら、機材の調整にロビーとホールを行ったり来たり。
 こりゃもう、私の手には負えまへん(T△T)。

 休憩に入って、来場してくれたよしひと嬢にようやくお会いする。
 サインつき『オトナ帝国の興亡』をお渡しして、警備中で見られなかった映像ネタの感想などを聞く。
 「○○人ってバカですね」
 あああ、よしひとさんまで、そんな公開日記にUPできないような発言を(^o^;)。

 段取りの悪さ、最後の最後まで途切れることがない。
 公演が終了し、アミーゴスのお三方が挨拶しても幕が降りない。
 ……このときになって、初めて気付いた。
 AIQには舞台監督がいないのだ。
 プロデューサー兼演出はエロさんだろう。各部所の責任者はいる。
 しかし、現実の舞台を運営するに必要不可欠な舞台監督がいない。
 舞台監督は普通、公演中は舞台袖にいて、インカムを使って、配置しているスタッフにいちいち指示を出す。ここで幕を下ろさなければならない、と判断したら、そこに配置している者に指示を出して、すぐに幕を降ろさせる。それが仕事だ。
 たとえブタカンがいなくとも、スタッフが臨機応変に動けばいいじゃないか、と言われるかも知れない。しかしそのとき、私はその場で動くに動けなかった。他のスタッフも同様だろう。
 だって、幕の上げ下ろしがどこで行われるのか、舞台袖でか、それとも調整室のボタン操作か、それすらも事前に知らされていないのである。動けるはずがない。
 舞台上で岡田さんの声が響く。
 「こういう時は幕を下ろすんだよ。……いないの?」
 仕方なく、お三方、自ら舞台を降りていく。
 ブタカンがいないということは、当然配置されるべきスタッフもいなかったということだ。臨機応変も糞もない。我々はその瞬間、みな、ただのデクノボーと化していたのである。
 ちょっとしたミスに過ぎないよ、気にするな、とかばってくださる人もいるかもしれない。
 しかし、ミスはミスでも、こんな低レベルな(と言って表現が悪けりゃ、基本的な)ミスは、普通、起こりえることではないのだ。恥ずかしくて、「ウチにはブタカンいません」なんて言えやしない(言ってるけど)。
 公演中に、しかも舞台上で岡田さんにこんなセリフを言わせた時点で、私個人の意識の中では、この公演、完全な失敗である。

 あ、日記タイトルページの「無事終了しました」ってのの「無事」ってのは、「コトナカレ」と読みます。

 このとき、ロビーではもうひとつ問題が発生していたらしい。
 しげと何人かのAIQのスタッフがそこにはいたらしいのだが、閉幕と同時に出て行くお客さんを裁くために、ドアについてた方がいいんじゃないかと動き出したと言うのだ。
 受付の売り上げ放っといて。
 しげが慌てて、売り上げを楽屋の方に移動させたものの、どこの世界に売り上げほったらかしてほかの仕事するアホウがいるのか。しげにとっさの機転が働いてなかったらどうなってたか。
 もっとも、しげもこのときドジをやらかして、サイン会のために用意しておいたマジックをうっかり一緒に片付けちゃって、あとで往生したんだけれども。

 しげは「AIQの指揮系統が全然分らない」と言ってたが、多分、そんなものはないのだ。まずもって、組織としての体をなしていないと批判されても仕方なかろう。

 お三方はホテルにお戻り、片付けも昨年よりぐっと短い時間ですむ。
 荷物の搬出をしながら、ZUBATさんに「ウチは段取り悪いですね。舞台監督はいないんですか」とボヤくと、「キッチリ決めても崩れちゃうんですよ。アバウトにやるのとたいして変わらないし」と言われる。
 一理あるとは思うが、さて、本当に以前はキッチリやっていたのだろうか。
 「舞台監督、有久さんにお願いすることになるかもしれませんよ」と言われるが、私もやれるものならやっている。多少の暗闇でも状況を判断しなければならない舞台監督の仕事は、視力が極端に悪い私には物理的に不可能なのだ。
 自分で自分が恨めしくなるのはこんなときだ。

 しげの体調、ますます悪くなる。
 ただでさえ寝不足、イライラに持ってきて、空気の悪いところでずっと緊張していたので、腹痛を起こしている。
 打ち上げまでやや時間があるので、天神中央公園でしばらく休む。この時間帯だともう真っ暗なので、家族連れもカップルも痴漢もいない。
 しげはすっかりしょげてブツブツ言っている。
 「段取り組みたいよ。そんなに動けないってわかってるけど、あんなんじゃ……」
 AIQの状況は判ったから、なんとかしようはあるだろう、としげをなだめる。

 打ち上げの飲み会、岡田さん、唐沢さんたちと喋るとついいらないことを言いそうなので、離れて座る。
 すき焼き鍋、モツ鍋は美味かったのだが、つい食用酒をそれと知らず飲んでしまい、酔っ払う。
 頭痛はしたが、キバラシにはそれもよいか。晴れてないけど。

 なんだか長々と批判めいたことを書いてしまったが、もちろん、このままで終わらせるつもりはない。
 来年はこんな失敗は起こらない、それをここに誓うために書いたことだ。別にエロさんの胃に穴をあけ、円形脱毛症に追いこむことが目的なのではない(^^)。
 それはAIQのみなさんも、きっと同じ気持ちであろう。

2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)