無責任賛歌
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2005年01月26日(水) |
チャボなんぞ知らん。/DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』ほか |
総合病院で検査。 というか、精密検査が受けられるかどうか、レントゲンとかの検査。病気持ちはそういうところから始めないといけないので面倒臭いことこの上ない。半日かかって一応、「悪い“ガス”も出てないみたいだし、検査は可能なようです」という結果。なんか“ガス”が出てたら検査できないのか。つか“ガス”ってなんの“ガス”よ。 ともかく精密検査は受けられることになったけれども、またまたケツカメラを入れられるのである。昨日も今日も医者から指突っ込まれちまったし、ホモでもねえのにケツばっかやられまくりでいいのか、オレ。「気持ち悪くなったら中止しますからね」と先生は仰っていたが、気持ちよかったらどうしよう(T∇T)。 次回また半日かけて検査しなきゃならなくなったんだけれど、入院ってことにならなきゃいいなあ。血便がどうか痔でありますように。……って痔になることを期待する心理ってのもどうにかしてるよなあ。
水曜日は出かけることが多くて久しく見ていなかった『トリビアの泉』。もしかしたら半年くらい見てなかったが、これが面白い。いや、ネタのレベルとか、演出のダサさとか、そんなのは全然変化しちゃいないんだが、こちらの意識が変わってるんだね。もう映画『デビルマン』見たあとなら何見ても許せちゃうってやつだね(^o^)。 スーパーバイザーの唐沢俊一さんが、以前、『トリビアの泉』に間違いが多いことを指摘されて、「テレビで語られていることを本当だと信じちゃいけない」とトンチンカンな答弁をしていたが(それはただの原則論で、具体的な問題の指摘にまで敷衍していいものじゃない。第一、この番組のコンセプトは“おもしろけりゃいい”からといって「デタラメ」まで許しちゃいかんものだろう。痩せても枯れても「知識」番組なんだから。製作に関わっている人がこういう放言をしちゃよくないよなあ)、番組のコーナーで「ガセビアの泉」というのができていたのには笑った。番組に送られてきたネタの中にはガセも多くて、それを検証して「正す」ものである。今日は「爪楊枝の溝は折って楊枝置きにするため」というガセビアを、製造している会社に尋ねに行って、「アレはただの飾り」と回答してもらっていた。「デタラメでいい」と強弁していたのが明らかに方向転換されているわけで、よっぽど非難が強かったんだろう。「ズボン」の語源説についても「いくつかの説のどれか」なんて曖昧なことを言わずに明確に「履くとき『ズボン』という音がするから」という説が正しいと“真実”に拘っていた。 ここにきてようやく、雑学ブームが一般化したことで、「検証番組」が増えて俗説が駆逐されていく風潮が生まれてきたようである。そこまでいかないと雑学は「面白い」レベルにまでは到達しない。「ウソでもおもしろけりゃいい」という感覚はある意味必要だと思うけれど、それもTPOを考えないと、誰かに被害を与えることはあるし、つまらないだけに堕する。マトモな批評ではない根も葉もないウワサやデマが、人の立場を危うくすることはよくある。 人を騙す快感に酔い痴れちゃってる人は(オヤジギャグ飛ばすやつに多いよな)、自分がどれだけシラケルこと、あるいは“危険なこと”を言っているのか気がつかないから、回りのトモダチが「それギャグになってないよ」と言ってやる必要があると思う。でないと自分も「被害」に巻き込まれかねないぞ。
ホームページ移転、少しずつ進めてはいるが、どうも一月中には終りそうにない。つか、うまくいかーん(T∇T)。ニフティの契約、2月まで延長したので、まだもちっとだけ間がありはするのだが。しげの劇団ホームページの移転はほぼ終わっているので、手が空いたら手伝ってもらおうっと。
さて、その新しい劇団ホームページ、既にしげ、加藤くん、穂稀嬢、桜雅嬢、よしひと嬢のプロフィール、日記が新規登録、どいつもこいつもオタクなことばかり書き散らしている。それは毎日楽しく読ませて頂いているのだが(更新いい加減な人もいるが)、今日(1/26)のしげの日記を読んでのけぞった。
> 夫が、以前我が家に連れ込んでいた女の飼っていた「チャボ」が、我が家の開かずの部屋となっているところで増殖。 > そして、押入れの天袋で死屍累々。悲鳴を上げる。 > 恐怖!
読んでビックリした人もいると思うが、これはしげの見た「夢」である。現実の話ではない。なのにヒトっ言も「これは夢です」って書かないんだもんなあ。 しげが夢と現実の区別がつかなくなるのはしょっちゅうで、この夢を見たあとも、起き抜けに「あんた、この部屋の中に入っとったやろ!」と責めたてて来たのである。「開かずの部屋」というのは、以前、うちで宴会をするために部屋を片付けた時に、しげが入口に本を積み上げてしまった部屋のことで、壁抜け男でもなきゃ中に入れるはずがないのだ。 「どうやったらこの部屋に入れるんだよ。だいたいオレ、浮気なんてしたことないだろうが」 「そうだった。アンタ、浮気しないヒトだった」 「浮気しないことが悪いんかい。それにチャボってなんだ、チャボって。事件記者か」 ……いや、昔、水谷豊主演の『事件記者チャボ!』ってドラマがあったんですよ。 こういうやりとりをしたあとだから、当然しげもこれが夢だということはハッキリと認識していたのだが、それを日記に書くときに全然注釈をつけないというのはどういう神経か。頭がイカレてるやつのことだから、その理由を問い質したところで全く無意味なのは分かっちゃいたのだが、一応「なに考えてるんだ」と聞いてはみた。案の定、しげはにやつくだけで返事をしない。つまりは確信犯なのである。 しげが問題を起こすのは、要するにヘンなことを言って「構ってほしい」だけなのである。構ってほしいならそれを素直に言えばいいのに、必ずこんなヒネクレた手段を取る。他人に対して優位に立ちたいという欲望だけは強いから、自分が悪い、自分がバカだ、自分が間違っていたとは絶対に認めたがらない。他人をダシにしてからかったり、わざと意味不明な文章をつづって相手を混乱させるという卑劣な手段を取るのだ。これまでも何万遍、「普通に文章を書け、それが読む人に対する礼儀だ」と口を酸っぱくして注意してきたのだが、性格が腐っているから聞いたタメシがない。しげの日記にはこれからもこの手の妄想、意味不明な文章が散見すると思うが、読まれた方はいちいち相手にしないでいただきたい。しげのバカは一生直らんのだ。 でもなあ、もう充分しげの性格知り抜いてると思ってた鴉丸嬢から、しげに「死屍累々ってどうしたの!?」と問い合わせのメールが入ったそうだ。しげは「アレは夢」と返事したそうだが、しげは内心、「わあい、引っかかった引っかかった」と喜んでるのだ。鴉丸さん、4月1日じゃないんだから、ここは怒っていいとこだよ。それとも分かっててしげに「構ってあげた」の? バカに同情しちゃダメだって。 トラブルメーカーの自覚がないやつはこれだから困るのだが、しげは私の方こそトラブルメーカーのように言うのである。どの口で言うか。おまえの不適切発言の尻拭いをどれだけやらされた(あるいは、しきれなかった)と思ってんだ、このどぐされは。(^_^メ)
「現実と夢の区別がつかない」と言えば、一昨日発表された次のニュース。 長崎県佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、長崎県教育委員会が県内の小中学生を対象にして、「生と死のイメージ」に関する意識調査を実施した。加害女児(12)の少年審判の決定が、女児の特性について「自己の経験や共感に基づく『死のイメージ』が希薄」と位置付けたことを受けて行われたもので、対象者は県内公立校の小学4年と6年、中学2年の計約3600人。抽出方法としてはほぼ妥当な数字だと言える。 衝撃的だったのは次の質問に対する回答。 「死んだ人が生き返ると思いますか」との問いに「はい」と回答した子供たちが、小学4年では14・7%、小学6年では13・1%、中学2年18・5%。だいたい500人以上の子供が「死んでも生き返られる」と考えたということになるのだろうか。 私は「アンケート」にはある種の誘導尋問的な性質が必ずつきまとうと考えているので、その結果にはあまり信用を置いていない。それが子供を対象にしたものだとしたらなおさらである。例えば、大人であっても「人間は死んでも生き返られると思いますか?」と聞かれた場合、“それがどういう相手からどういう意図で発せられた質問か”そのときの状況判断によっては回答の仕方が変わるはずだ。親や兄弟、親しい身内を亡くしたばかりの遺族から「ねえ、人って死んだらやっぱり消えてなくなるのかなあ」と泣きながら聞かれたとしたら、「きっとこの空のどこかから君のことを見ていてくれてるよ」なんて言って慰めることはあるだろう(もちろん「人は死んだらそれまでさ」とあえて現実を突きつけて故人を忘れさせる場合もあるだろうが)。質問の意図を読めない、状況判断が未分化である子供たちだと、そういう場合もひっくるめて「死んだ人が生き返る? あるよ」と答えてしまうケースは充分ありえるのである。 理由として挙げられた筆頭の回答は、「テレビや映画などで見たことがあるから」で29・2%、「ゲームでリセットできるから」が7・2%だが、これは子供たちが現実と夢の区別が付いていないかどうかの証明には全くなっていない。回答した子供たちが「テレビやゲームでは人は生き返るけれど、現実の人間は生き返らないよ」と判断している可能性もあるからである。……あのね、こういう質問で浮き彫りにされることはね、子供たちに「現実と非現実の区別がついているかどうか」じゃなくてね、「質問の意図が理解できているのか」、「他人の話を理解しようと務める能力が低下しているんじゃないか」っていう「学習能力」のほうになっちゃうのよ。質問の仕方は充分精査しないといけないんだけど、今回はそれがかなり雑だね。 例えば質問の頭に「現実に」と付けて、こう質問してみたら、回答の内容もかなり変わってくるのではないか。「現実問題として、人間が死んで生き返ることがあると思いますか、次の中から選びなさい。1、絶対にない 2、滅多にないがたまにはある 3、あると聞いたことはあるが信じられない 4、信じられないが、あったらいいと思う 5、しょっちゅうあるし、自分もきっと生き返られると思う」 大人に聞いても1より3、あるいは4を選ぶ人は多いと思うが、だからと言って「現実と夢の区別が付いていない」と判断されはしないだろう。それどころか1と回答すれば「夢がない」「冷血漢」と判断されかねない。子供たちも4の場合を含めて「ある」と答えた可能性もあるのである。その証拠に、自由記述では「人は死んでも心の中で生きている」「医学や科学が進歩すれば、生き返ることも可能」などの意見もあった。問題はあるが「脳死を人の死と認めない」立場の人間なら、後者の回答であってもおかしくないとも言える。 中2の生徒に「殺人や傷害での罰や法律制度を知っているか」と聞いたところ、47%が「知らない」と答えた、という結果については「夢と現実」問題とは何の関係もない。単純な知識の問題で、「知らない」と答えたからと言って、生徒たちに「判断力がない」と即断することもできない。「法律は知らないが、人を殺すことはよくない」と考えている子供たちだっていて当然だろう。さらに言えば、大人だって、本当に「知っている」かどうか疑問だ。あなたは「どの程度の殺人なら死刑になると法的判断を明確に示せるか?」と質問されて「具体的に答えられるだろうか? 新聞の「社会科の授業で裁判制度を教えるが、刑罰や社会的責任について教える機会はない」というコメントも、現代の子供たちが教育の場で常識的な判断を培うことができなくなっているというイメージを読者に与えるようにミスリードしている。 子供たちの回答に問題が全くないとは言わない。「夢と現実の区別がついていない」「生と死のイメージが希薄」という分析は眉唾ではあるが、「質問の意図が正確に受け取れない」「自分の回答がどのように受け取られるか想定できていない」という、“学力不足”と“コミュニケーション不全”の問題は歴としてあるからだ。その点で「親は子供のことをちゃんと理解してコミュニケーションを図っているのか」と批判するのならば納得はできる。しかし、この「お互いの気持ちが伝わり合わない」問題は、単純に親と子の会話を増やせば解決するようなものではない。 「夢と現実」の問題ならば、「サンタクロースって本当にいるの?」「いないんだよ」でケリが付く。しかし、「信仰や思想、人間はなぜ“虚構”を生み出し、それにすがろうとするのか」を子供に理解させることは極めて困難で、親も学校もそこからは常に眼を背けてきた。現代の日本人が子供はおろか大人でもコミュニケーション不全に陥っているのは、根本的にはそこに原因がある。みんな、「相手と共同幻想を共有できるとは限らない」時代に生きているという自覚がないから、自らの信じる「正義」やら「主張」やらをぶつける形でしか相手と接することができず、その結果、「拒絶」ないしは「対立」しか生み出さなくなっているのである。しかし、そんな個人間での拒絶や対立が生じても、総体としての社会は機能するように、組織を、自治体を、急激に肥大化させていったのが戦後の日本ではなかったか。そのツケがここに来てあちこちで吹き出しているのではないのか。 「親と子のコミュニケーションを密に」と言いつつ、「ゆとり教育を見直せ」と言い、その二つの意見に矛盾があることに気がつかない。いや、子供に「ゆとり」を与えると同時に親にも「ゆとり」を与えなければ無意味であったということに気がつかなかった大馬鹿野郎な施策に対して「改善を」と言うのであれば、最も効果的な解決方法は、子供の勉強時間を元に戻して増やすことではなくて、親の勤務時間を減らして、家庭にいて子供と接する時間を増やすことではないのかね(ともう何度も言ってるんだが)。そんなことは非現実的だという批判をしたい人もいるだろうが、知ったこっちゃない。それができなきゃ(そして親にその決意と覚悟がなきゃ)、子供の学力はこれからもどんどん下がっていくだろうし、非行だってどんどん増えていくだけだ。子供の残虐な犯罪の下地を作っているのは、「親が家庭にいないサラリーマン社会、共働き社会の増大によるものだ」ってこと、みんな気付いてて無視してるんだろう? そこから眼を背ける気なら仕方がない。あとは「増え続ける少年の凶悪犯罪を社会が受け入れる覚悟」「自分がいつか子供から殺される可能性を親が受け入れる覚悟」をして頂くしかあるまいよ。覚悟がなくても現実はそうなるだけなんだが。
さてまた来ちゃったよのスパムメールだけれど、文面は変わったが、引き込もうとしてるサイトのURLは似ている。足がつかないように、刻々とURLを変えてるってことなのかな。全く違ったものに変えてないのは、面倒臭かったからか。そういう手抜きばっかやってるからマトモな文面も作れないのであろう。
> 幸 > 今でも?
> まだセフレ募集してますか?私も今探しててメールしたんですが・・・ > 今年30になる8歳児のママしてます。今の旦那と付き合って > 直ぐに子供できちゃったからあまり遊んでなかったんです。 > 今まで子供の面倒見ないといけなかったから我慢してたんですが > ようやく一人になる時間も増えました。もっと男の人と遊びたいし > エッチもしたいです。できればあなたとそんな関係になりたい。。。 > 私のセフレになって下さい。一日10万円お渡しします。その代わり > 私とは秘密の関係で居て欲しいんです。 > 私はあなたと体だけの関係を望んでいます。約束守って頂けるなら > http://www.xxx-*********/~totoro/secret.php?pr=777888 > の掲示板に来てください。会う日と時間決めたいです。 > 名前は幸です。場所は私がそちらに行きます。 > 無料登録なのであなたに迷惑はかけません。
しげの夢じゃ浮気男にされてしまうし、どこの誰かも分からんやつには「セフレ募集中」のレッテル張られるし、なんか脱力。世の中には独身の変態でホントにセフレがほしい男もごちゃまんといるから、そっちに回ってくれ。ただいくら彼らが女に飢えてるからとは言え、こんなメール、相手にしないとは思うが。
DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』。 別に大地真央に勧められたわけではなく、この映画は昔から大好きだったので購入。お前、ディズニー嫌いじゃなかったのかと言われそうだが、私がつまんねえと思うのは「ディズニーアニメ」なんであって実写は別。それにそもそもP.L.トラヴァースの原作のファンなのである(原作での表記は『メアリー・ポピンズ』)。……ああ、大丈夫、今日は長ったらしいウンチクは語らないから(^o^)。 ディズニーチャンネルなどでも流れているから、買うかどうかは迷ったのだが、やはり3時間に及ぶ充実した映像特典に惹かれた。 メイキングやゲームなどは定番だが、特筆すべきは、リチャード・シャーマンが演奏する未発表曲『チンパンズー』と、このスペシャルエディションのために製作された“続編”『王様と猫』だろう(原作は『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』)。40年ぶりに同じ役に挑むジュリー・アンドリュース、さすがにもう70歳になろうというお年では往年と同じイメージでは見られない。けれども4、50歳くらいには見えるくらいに若い。たとえ『メリー・ポピンズ』と名乗らなくても、もう歌は歌えなくなっているとしても、それでも彼女はやはりメリー・ポピンズなのである。
2003年01月26日(日) 短いほど分らない話/DVD『帰ってきたウルトラマン』4巻/『プリンセスチュチュ』2巻ほか 2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか 2001年01月26日(金) 夢の通い路
2005年01月25日(火) |
げほぐほがほ/『第4回日本オタク大賞』後編ほか |
「めぐみ」からのメールがまた来やがったぞ。しかもまたURLを変えてだ。 ……あのね、そんなに精子がほしいならね、ネットでエッチの相手を探さなくても、病院に相談すればいくらでも手段を教えてくれますよ(+_+)。
体調もとに戻らず、仕事休んで病院に行く。薬もらって一日寝て過ごす。 DVDレコーダーの修理ができたとの連絡が入ったのですぐに持ってきてもらう。一応調子はよくなったようだが、保証書をなくしていたので、ちょいと費用がかかった。悔しいがいたし方がない。 夜、父から気分のよくない電話あり。親戚から1300万円貸してくれと頼まれたというのだ。しかもなんでそんな借金ができたのかは教えないというのだ。「そんな申し出は断って、親戚と縁を切れ」と返事する。 箇条書き的な文章で素っ気がなくて申し訳ないが、疲れているのである。諒とせられよ。
DVD『じゃりン子チエ』(劇場版)。 「ジブリがいっぱいコレクション」からこれまで出るとはちょいとビックリ。高畑勲監督の隠れた名作であるが、別に公開当初は全然隠れちゃいなかった。「えっ、高畑監督、『チエ』の監督もしてたの?」と驚く若い人も多いが、単にモノシラズなだけである。でも、1981年製作ということはもう24年も前の作品である。私なんぞ、劇場公開時、いきなりゲタが『スター・ウォーズ』のスター・デストロイヤーのように飛んでくるオープニングに場内が大爆笑していたのを昨日のことのようにはっきり思い出せるというのに。昭和は遠くなりにけりというか、『チエ』の世界は81年よりもさらに10年くらいは昔の感覚だから、今の人が見てどれくらい共感できるものか。 しかし話題作りのためとは言え、声の出演に非声優、関西喜劇人をこれだけ使ってしかもほぼ成功していると言える作品は珍しい。 中山千夏(チエ)、西川のりお(テツ)、上方よしお(ミツル)、芦屋雁之助(社長)、三林京子(ヨシ江)、京唄子(おバァ)、鳳啓助(おジィ)、桂三枝(花井渉)、笑福亭仁鶴(花井拳骨)、島田紳助(マサル)、松本竜介(シゲオ)、オール阪神・巨人(テツの仲間)、ザ・ぼんち(カルメラ兄弟)、横山やすし(アントニオ/アントニオ・ジュニア)、西川きよし(小鉄)。……名前を並べたのを見てるだけでもクラクラしてきそうだ。この映画を見たことない人、ちょっと見たくなりませんか? 紳助・竜介のように、小学生の声をアテさせていてムリなものもあったが、総じて漫才師たちの「声の演技」がいかにハイレベルかを証明してくれたという点でも貴重なアニメなのである。……しかしもう3人も亡くなった方がいらっしゃるんだと思うとそぞろ寂しい。 この劇場版が好評を博して、テレビ版でも中山千夏、のりお・よしおは続いて起用された。西川のりおは本職の漫才よりテツの演技で歴史に残ると言ってもいいくらい堂に入った演技である。オープニングでウグイスが「ホーホケキョ」と鳴いているのも声アテは西川のりおだけれど、これは当時の彼の持ちネタ。こういうことも今の若い人には解説しないと分かんないね。同様に分かりにくくなってるネタは、オール阪神演じるテツの友達が、テツに殴られて「キタロー!」と叫ぶシーン。これも阪神の当時の持ちネタだった「鬼太郎の親父の声マネ」なんだけど、それを知らないとてっきり田ノ中勇さんが出演していると錯覚するかもしれない。
MONDO21で、『第4回日本オタク大賞』。 後半の盛りあがりはやっぱり『DEVILMAN』に『ゴジラ FINAL WARS』になるか(^o^)。 どうして『DEVILMAN』があそこまでひどい映画になったか、裏事情もいろいろ語られていたけれども、「那須博之監督は社長とゴルフ仲間で、その関係で監督に起用された」とか「もともと監督は肉体アクション映画として作る予定だったのが、東映アニメーションが『俺たちも参加させろ』と横ヤリを入れてきたので製作現場がゴタゴタした」とか、そう聞いても「それだけかよあの映画の問題は」と思ってしまう。 こないだ、大学センター試験の国語問題が、第一学習社の教科書に載ってた大岡信の文章と全く同じだった、という事件の時にも思ったことだが、一つの作業にそれこそ数え切れないほどの人間が関係しているというのに、「誰も何とかできなかったのか」と腹立たしくなる。何ともできなかったんだろうけれども。 はっきり言うが、センター試験だって、200人以上の人間が問題をチェックしているのである。それで「気付かなかった」なんてことがあるわきゃないんで、結局「チェックなんかしなかった」やつ、「ミスには気付いたけど、“そのことを指摘すると内部で誰かが責任を取らなきゃならなくなる”と思って見逃した」やつがいるはずなのである。外部に指摘されて問題化するよりゃいいだろう、と仰る人は、「組織」というものを知らない人だ。外部からの指摘なら、責任の所在をウヤムヤにして誰も処分されないですむ可能性の方が高いのよ(-_-;)。 『DEVILMAN』の場合も、脚本が何人もの人間を経て改稿されまくったそうだが、それでできたのがアレなら、途中で「もうオレは知らんもんね」とみんなで投げまくったのだと判断するしかない。那須博之監督、現在どんな心境でいることか。 『ゴジラ FINAL WARS』についてはドリー・尾崎氏の「北村龍平殺したらあ」発言で大いに溜飲が下がる。いや、実際、アレの監督が北村龍平で、余計なことさえ言わなければ誰もあの映画に腹立てやしないのだ。ゴジラファンはもう30年も昔からゴジラの「いじめる?」も「シェー」も「幸せだなあ」もその他もろもろの眼も当てられない映画を許してきたのである。それを考えれば、『FINAL WARS』は面白い部類に充分入る。けれど、あれを「ハリウッド映画に比肩する大作」なんて監督が嘯いてるから「ふざけんなボケ」ということになるのである。あまつさえ、ドリー氏の「なぜジェット・ジャガーが出ないんですか?」の質問に対して「オレの映画の世界観に合わないから」とはなんだ。ジェット・ジャガーだってメガロだってショッキラスだって大ダコだって出て全然おかしくないだろうがよ。『怪獣総進撃』のリメイクなら、ちゃんとバランもバラゴンもファイヤードラゴンも出してやれよ。つか、敵が宇宙人ならどうしてドゴラが出ないんだよ。 間違っちゃいけないが、『FINAL WARS』は分別のあるいい大人が見る映画じゃない。『冬ソナ』見てヨン様ヨン様言ってるおばはんとか『セカチュー』→『イマアイ』→『東京タワー』と流れていってるような恋愛中毒症とは縁もゆかりもない映画である。あれを楽しめるのは、「怪獣だいすき!」な子供か、大人になっても幼児性引きずってる馬鹿なオタクだけである。「大人の鑑賞にも堪えうる」なんて口が裂けても言うつもりはない。私は「幼児性」の部分であれを大いに楽しんだのだ。だから、普通の大人にあれを勧めようとはこれっぽっちも思わない。北村龍平はもっともっと叩かれなきゃいけないと思う。自分の資質が「大人の映画」には全く向いていないことを知って、その上で堂々と「子供向け映画」を作れば、誰も文句は言わなくなると思う。 ……おっと、やっぱりこの手のオタクネタになると、ついうっかりムダ話が増えちゃうなあ。あとは賞の結果にだけ触れとこうと思うけれども、唐沢俊一さんが個人賞で『ベルヴィル・ランデブー』を挙げておられたことには狂喜してしまったが、「一部のマニアには『これはすごい』と評判」とか「私しか賞を挙げようという人はいないだろうから」と仰っていたのにはフクザツな心境。そうなんだよなあ、本当に“一部”の人間しか評価しようとしてないんだよなあ。いくら私が「あれは面白いぞ!」と言っても、私の周りは殆ど無反応。「それ、なに?」ってなものである。オタクの浸透と拡散がいくら進んでいるとは言っても、「自分の見知っている範囲のものしか面白いと思わない」偏狭な態度はいくらなんでも悲しすぎる。もちっとみんな映画見ようよ(+_;)。 ちなみに、『オタク大賞』では「フランス映画だけれど、製作は殆どカナダで行われた」とコメントされてましたが、正確にはオーストラリアです。シルヴァン・ショメ監督本人が広島アニメフェスティバルでそう言ってたので。 大賞の「擬人化ブーム」については、かなり昔からありはしたけれども、昨年はそれが一般化した、ということ。鶴岡法斎氏が「“鉄道”“擬人化”でググってみてくださいよ、すごいものが見られますから!」と仰っていたが、確かに(^_^;)。 ……このあたりはまだおとなしい方かな。→ http://rail-g.net/rail-g/rail-g.html 「びんちょうタン」をその代表に、と言われると「ええっ、そんなのが?」と首を傾げる人もいるだろうが、「ほかに大賞を挙げるものが見当たらないから」という消極的受賞だし、本当にオタクの浸透と拡散は激しいから、もうこれからは万人が納得する大賞というのはまず生まれないだろうと思われる。私にしてみれば、マンガだろうがアニメ、特撮、ゲーム、なんであろうと、そこに“SF(スコシ・フシギくらいの意味に捉えてください)”的要素が感じられないと面白くは感じないので(つか、昔のオタクはみんなそうだった)、もう「萌え」系の作品には付いていけない(と言いつつ『まほらば』見てるけど)。 『アニメージュ』と『宇宙船』の2誌を読んでる若い人だって、今は絶滅してしまってんだろうなあ(T∇T)。
『DEVILMAN』については、今週の『週刊文春』で、最低映画ワースト10「文春ラズベリー賞」の堂々1位を獲得している。まあ、全てのサイテー賞で1位は当然だろうけれど。
1 デビルマン(那須博之監督) 2 CASSHERN(紀里谷和明監督) 3 海猫(森田芳光監督) 4 ハウルの動く城(宮崎駿監督) 5 ヴィレッジ(M・ナイト・シャマラン監督) 6 ゴジラ FINAL WARS(北村龍平監督) 7 サンダーバード(ジョナサン・フレークス監督) 8 2046(ウォン・カーウァイ監督) キューティーハニー(庵野秀明監督) リディック(デヴィッド・トゥーヒー監督)
1位を除くと、映画そのものよりも、監督に対する反感のほうが強いようにも思うが(例えば『ハウル』を貶したくなる気持ちは分かるが、かと言って、「ワースト」に入れてよいかどうかということになると逆に躊躇してしまう。部分的には「世界最高の技術」と絶賛すべきところは多々あるからだ)、世間の反応はこんなものなのだろう。こういう読者投票もあまりアテになるものではなくて、そもそも国民が平均して一年に一本も映画を見ない状況では、『ハウル』しか見てなくてそれをワーストに投票した、ということも充分ありえるのである。だからたいして客が入ったわけでもないのにワーストに名を連ねている『キューティハニー』がいかに世間から嫌われていたかが分かるのだが、オタク間での映画の評価は必ずしも悪くなかったってのになあ(T∇T)。
2003年01月25日(土) 海馬って記憶中枢のことだよ/DVD『ガリバーの宇宙旅行』/『わんわん忠臣蔵』/『あずまんが大王』三年生(完結)ほか 2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』 2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか
2005年01月24日(月) |
ぐほげほがほ/『第4回日本オタク大賞』前編 |
故障中のDVDレコーダー、連絡があるにはあったんだけれど、「27日になります」とのこと。「一週間で」ってのウソじゃん! この間、録画し損なう番組がどれだけあるか。おかげで「あとで見りゃいいや」って番組が減って、毎日テレビの前に張りつきになっちゃってるんで、体力も消耗気味なのである。……なら見るなよ、オレ。
昨日から風邪気味だったんだけど、今日は鼻水と咳が止まらなくなる。それでも週明けなのでいきなり休むとまた巨大な迷惑をあつちこっちにかけてしまいかねないので、頑張って出勤。けど、仕事が終わった時点でヘタレた。今もこの日記書きながら、がほげほぐほ、と咳してゲロ戻しているのである。そういうわけで、今日も読んだ本や映画のかなりを省略。話題がどんどん少なくなるなあ。
MONDO21で『第4回日本オタク大賞』前編。 現在のようにオタクの浸透と拡散が続いている状況の中で、たとえ“面白半分”であろうとも「オタク大賞」を選ぶというのはかなり至難のワザであろうと思う。何が選ばれても、「なんでそんなのが?」と疑義を呈する人間は(しかもヒステリックに)いくらでも現れるだろうと思われるからだ。 実際、岡田斗司夫さん、唐沢俊一さん、氷川竜介さんほか、審査員の方々をして「あいつらオタクのメインストリートなんか歩いてないじゃないか」とか「まだまだ薄い」「ダメダメ」とこき下ろし、非難しているWEBサイトも散見している。けれども、「じゃあ、何がオタクのメインストリートで、何をどこまで知っていれば『こいつは濃い』と評価されるのか」と聞き返せば、それに答えられる人間など、誰もいないに違いない。出演者の方々は口々に「20年以上前からオタクを世間に認知させようとしてきたが、いざ認知されてよかったかと言うと、『悪いことをしている』快感がなくなった」「オタクの敷居を高くして、誰も入って来れないようにしたい」「オレたちはドブネズミでいいんだ」「『げんしけん』みたいなのがオタクだっていう見方もあるしね」などと喋っているのは、オタクとしての立ち位置がみなさん揃って「微妙」になってしまっているからである。「オタクの定義とは?」ってなヌルいことやらなくて、もう定義も呼称もどうでもいいじゃないの、という気すらしてくる。 いちいちこの番組についてコメントしてたらキリがないから、いくつかピックアップするだけにしとくけれど、今回初めて聞いて驚いたのは、岡田斗司夫さんの「『DEATH NOTE(デスノート)』の原作者の“大場つぐみ”って、ガモウひろしだよ」発言。岡田さんは何しろ根っからの大坂人だから、人を喜ばせるためならホントもウソも無関係ってなところがあって、情報のかなりを割り引いて聞かなきゃならない部分はあるのだけれど、こうしてデンパに乗せたってことは、「もうバラシちゃっていいよな」ってなホントにホントの事実なのかもしれない。周りのみなさんも「それはただのウワサ」と否定はしなかったし。イメージとしては『とっても!ラッキーマン』と『デスノート』とではギャップがありすぎてちょっと信じがたくはあるのだが、みなさんの話によれば、“大場つぐみ”という名前は、ジャンプのアンケート競争で巻末ボロページに回されるマンガを編集部が“大×組(おお×ぐみ)”と呼んでいたところからつけたのだとか(こちらは「確証がない」とコメントが付いたが)。ガモウさんが「どうせこんな連載すぐ打ち切られるだろう」と斜に構えて付けたペンネームだとしたら、なるほど、いかにもそれらしくはある。 まあ「現れる秘密は必ず現れる」のが自然の流れだから、いつかは分からないけれど、待ってりゃそのうち真相は公式に発表されるでしょ。私としては特に『ラッキーマン』と『デスノート』を見比べてそこに何かの共通点があるのではないかなんてしちめんどくさい分析をするつもりはない。つか、誰も要請しないように(^_^;)。 オタク大賞の収録自体は1月8日なので、ネット上ではもう殆ど確定的な事実のように語られているけれど、こういうムーブメントを起こして早く集英社に真相をゲロさせようって算段なのかな、岡田さんは。。 あと、「びんちょうタン」(参照→http://k-tai3.com/file/bincho2.jpg)の元ネタである「備長炭」はみんな「びんちょうたん」と読んでるけれど(ヘタすりゃ売ってる店がそう読んでる)、それは誤りで「びんちょうずみ」が正解だからね。けれど、oogle検索すると「びんちょうずみ」の千倍も「びんちょうたん」が多いのな。漢字変換も「びんちょうたん」と打ちこまないとできないし。ここまで誤読が多いと、いずれ「びんちょうたん」も正式の読みとして公式に認めざるを得ない日も近いとは思うけれど、学校のテストとかではまだペケ扱いなので、気を付けようね。
来月2月26日に放送予定のテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』、『明智小五郎vs金田一耕助』になることが正式に発表。これ、同タイトルの芦辺拓の小説とは何の関係もない完全オリジナルなんだそうな。一応、芦辺さんにタイトル借用の義理立てしなくていいのかなあ……って言う前に、乱歩と正史のご遺族に了解は取ったんだろうか。そんなの常識だろう、と言われそうだけれど、『金田一少年の事件簿』のように「無断」ってこともあるからねえ。 役者がまた、明智小五郎が松岡昌宏で、金田一耕助が長瀬智也という、これもまた期待していいんだか悪いんだか分からない布陣。まあ、お二人のファンの方は嬉しいんだろうけれど、ドラマとして面白くなるかどうかは期待薄かなあ。
なんか立て続けに同内容のスパムメールが来てるんだけど、よく見ると文面は同じなのに、アドレスや呼びこもうとしてるURLは違っているのである。以下の二つを比較して見て頂きたい。
[A] 〉めぐみ 〉お願い。。。 〉Sun 01/23/2005 18:06:21 JST 〉真剣なお願いがあります。貴方の精子をください!子供が出来なくて困ってます。 〉絶対迷惑はかけませんので中出ししてください。一回10万円で、 〉妊娠できたら50万円お礼として払います。詳しくはすぐに連絡先を教えます。 〉出来れば本日中に返事をください。 〉いちよプロフィールも載せておきますね。 〉29歳、157cm-45kg、スリーサイズ《88・60・87》写メ有ります。 〉引き受けて頂けるならここに登録してもらえますか? 〉掲示板で待ってます。名前はめぐみです。 〉http://pink.jp.*******/secret.php?pr=777888 〉お互いの事は知らない方が後々いいと思うし、 〉妊娠した後は連絡を取り合いたくないので 〉ここを利用する事にしました。
[B] 〉めぐみ lovely_********@alpha-net.ne.jp 〉真剣なお願い 〉Mon 01/24/2005 02:24:15 JST
〉真剣なお願いがあります。貴方の精子をください!子供が出来なくて困ってます。 〉絶対迷惑はかけませんので中出ししてください。一回10万円で、 〉妊娠できたら50万円お礼として払います。詳しくはすぐに連絡先を教えます。 〉出来れば本日中に返事をください。 〉いちよプロフィールも載せておきますね。 〉29歳、157cm-45kg、スリーサイズ《88・60・87》写メ有ります。 〉引き受けて頂けるならここに登録してもらえますか? 〉掲示板で待ってます。名前はめぐみです。 〉http://pink.jp.*******/secret.php?pr=klklkl 〉お互いの事は知らない方が後々いいと思うし、 〉妊娠した後は連絡を取り合いたくないので 〉ここを利用する事にしました。
タイトル、ただの「お願い」だったのが「真剣なお願い」に変わったのがミソか(何がミソなんだよ)。 これはつまり、あちこちの「その手のサイト」が同時に、どこぞの「メール作製業者」に文面を依頼したら、その業者が手を抜いて「同じ文面」をそれぞれのサイトに教えたってことなんだろうな。サイトの連中も詐欺師だが、メール作製業者もとんだ悪党である。さてさて、こういう猿どもに騙される連中ってのは、どれだけ猿度が高いんだろうね。 え? この「めぐみさん」が本当に精子を望んでいて、あちこちのサイトに登録してる可能性はって? あるか、ぼけえ(~_~;)。 このメール、しげのパソコンにも届いてたんだけど、「……答えられーん!」と絶叫してたぞ(^o^)。
2003年01月24日(金) そのうち隔離されるかな/アニメ『ユキの太陽』(宮崎駿)/『カルト王』(唐沢俊一) 2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか 2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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