無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2003年01月25日(土) 海馬って記憶中枢のことだよ/DVD『ガリバーの宇宙旅行』/『わんわん忠臣蔵』/『あずまんが大王』三年生(完結)ほか

 体調崩したままなので、映画見に出かける予定だったけれど中止。
 気がついたら、今年はまだ映画館に一度も足を運んでない。こういうのも珍しいなあ。もっとも相変わらずDVD買いまくりはしてるんで、映画見てないわけじゃないんだけど。
 朝、ウッカリ早く起きちゃったので、昨日買ったばかりのDVDを立て続けに見る。東映動画系の長編作品はできるだけ全部揃えたいんだけど、量が多いのでチビチビとしか買えない。
 それにしても、版権の関係なんだろうけれど、アニメ版『ひょっこりひょうたん島』が未だにソフト化されてないってのは、歴史的損失だと思うぞ。権利関係には厳密に、って各方面の意向が分らないわけじゃないけど、作品ってそもそも誰のものだ。客のものじゃないのか。


 DVD『ガリバーの宇宙旅行』。
 昭和40年制作の東映長編動画シリーズ第8弾にして、初の宇宙冒険モノ。
 本公開のときには見に行ってなくて、3、4年後にどこぞの公民館かどこかで巡回上映やってたのを見たのが初見。おそらくは昭和43、4年頃。幼稚園か小学1年生くらいだったろう。
 今、これを見た人がテンポがたるいなあ、とか感じるかもしれないが、当時の小学生の感想でもそんなもんだった。名作『長靴をはいた猫』を見たあとだったから、余計にそんなふうに感じたのかもしれない。
 だいたいタイトルに『ガリバーの』と付いているが、ガリバーは脇役で、主役は孤児のテッド少年なのである。「カンバンに偽りアリじゃん」と、小学生からバカにされていたのだから、やはり子供をナメたような映画造りをしちゃいけないのである。

 いや、「子供騙し」なのはタイトルだけの問題ではないんだね。
 夢をなくして心の荒んでいる孤児・テッド(なんだかありがちだけれど、決して非現実的な設定ではない。戦後20年が経ってはいたが、まだまだ駅前の靴磨き少年などがギリギリ生き残っていた時代であった)は、警察に追われて、遊園地に逃げこむ。
 花火に乗って脱出するテッドだったが、あえなく墜落した転がりこんだ先は、なんとあのガリバーの家。すっかり老人になってしまっていたガリバー博士だったが、冒険への夢は捨てていなかった。宇宙船ガリバー号に乗って、未知の世界へと旅立つ。
 ……と、ここまでで、小学生当時の私はもうすっかり萎えてしまっていた。
 それまでの東映動画は一種のおとぎ話だったから、多少荒唐無稽な描写が出てきてもたいして文句はない。けれど花火でそんな高く人間が飛べるかよ、とか、ガリバーがまだ爺さんで生きてるって、時代離れすぎじゃん(『ガリバー旅行記』の出版は1726年である。当時そこまで正確に年月を知ってたわけではないが、当然、その風俗描写からガリバーの時代がはるか過去であるくらいのことはわかる)、第一、元船乗りがなんで科学者になってて、しかも宇宙船をたった一人で作れるんだよ、とかツッコミどころが満載だったのである。
 ……小学生にそんなとこまで突っ込めるなんてヘンだって思いますか?
 当時の小学生はみんなそんなもんだったんですよ。それくらい、「大阪万博」前のコドモたちは「科学の子」で、「宇宙」に対してはおとぎ話とは違う「リアルな夢」を見ていたものだったんです。
 『オトナ帝国』での「万博」への拘りに涙する気持ちが、昭和40年以後に生まれた人間にはわかるまい、というのは偏屈なことを言ってるわけでもなんでもなく、そういうことなんです。
 もちろん、このトシになった今なら、小学生の自分に向かって、「いいじゃん、それくらい眼をつぶってやっても」と言ってやりたくなりますが。それに、今のオトナの眼で見ても、宇宙空間の静謐な描写や、時間の逆流、宇宙船の牽引ビーム、地平線を埋め尽くすロボット兵の恐怖感など、SF的描写のオモシロさを全く探せないってわけでもない。

 なにより、例の「アレ」。
 紫の星の住人たちが、ロボットを作り出した末に、自らもロボットの中に身を包むようになってしまった、というのは、いささかストレート過ぎる嫌いはあるにしても、鋭い文明批評である。何よりそれを過剰なセリフで説明することを避け、ロボットの王女がパックリと避け、そこから生身の少女(描写されてはいないが当然ヌードである)が現われるという衝撃の展開で見せる演出のスバラシサは、やはり「天才的」という言葉ででもなければ表現しきれない。
 裸の王女(少女と言ってもいい)は、テッドに優しく上着をかけられる。
 「寒いわ……」と呟く少女は、確かに冷たい風を感じていたのだろう。しかし、それは夜明けの風であり、彼女がこれから踏みしめて行くであろう、苦悩と希望の両方を象徴するものでもあるのだ。また、ヌードは当然「性」の謂であるが、これがまた「生」を表すものであることも容易に理解できよう。
 この設定は、脚本にはなかった。
 監督や作画監督の変更でもない。
 当時、原画マンですらない、ペエペエの一動画スタッフが、「勝手に」そのシークエンスを作画し、それを通してしまったのである。
 侃侃諤諤の言い合いはあったらしい。しかし、誰が見ても、王女をロボットのままにしておくより、その動画マンの主張する設定に変更したほうが圧倒的に面白かった。生意気を通りこして不遜とも言える動画マンのこのゴリオシを通した監督の黒田昌郎もエラいが、やはり称賛すべきは、その動画マンの一頭地を抜いた才能のヒラメキであろう。
 彼の名を、「宮崎駿」と言う。
 ……まあ、当時からいささか説教臭かったとは言えるかな。同時にスケベでもあった(^_^;)。

 けれどやっぱりこれはちょっと……と首を傾げたくなるのは、そのオチなんだね。
 これを書くのはややしのびないんだが、この物語、実は全部テッドの「夢」なんである。……これだけドラマ盛り上げておいて、今さら夢オチかよ! と、当時も今も叫びたくなりますね。テッド本人は自分の勝手に見た夢で気持ちよくなったのかもしれないけれど、客は現実逃避の他人の夢に1時間半付き合わされただけじゃん(ーー;)。
 脚本は東宝特撮映画シリーズの重鎮、関沢新一である。
 ……そう言えば、やっぱりたった一人で豪天号作った『海底軍艦』とか、苛められっ子が現実逃避して怪獣島の夢を見る『オール怪獣大進撃』とか書いてたな。宮崎駿がいなければ、ホントに腑抜けた駄作になっていたとこだ。

 内容的にはあまり誉められたもんでもないんだけど、それでもこの映画は簡単に見逃していものではない。宮崎駿が最初にその才覚を表した記念碑的作品であると同時に、今や考えられないほどに豪華なのは、その声優陣なのである。以下を見ていただきたい。

 テッド少年 ........... 坂本 九
 紫の星の王女 ......... 本間千代子
 ガリバー博士 ......... 宮口精二
 ノラ犬マック ......... 堀 絢子
 人形の大佐 ........... 小沢昭一
 夢の使者キューピット . 岡田由紀子
 紫の星の王様 ......... 大泉 滉
 紫の星の科学者たち ... ダニー飯田とパラダイスキング
 青い星のロボット ..... 今西正男
 からすのクロー ....... 伊藤牧子

 ……ウソみたいである。
 長いアニメの歴史の中でも、これだけの豪華キャストに匹敵するのは『もののけ姫』くらいのものであろう。
 いやアナタ、坂本九がこの映画の中ではパラダイスキングに復帰してるんですよ! ってなんのことだかわかんない若い人も多いかなあ。「こっの世っでいっちばん、たっのしぃこぉとは、すってきなタイミングっ♪」って、知らない?
 でも、残念ながら、坂本九の声は少年の声には全く合っていない。当時も今もそう感じていたが、しげもやっぱりそう感じたそうだし、多分同じ意見の人は多いだろう。
 劇中、歌を歌ってもらうための起用だろうが、残念ながらたいした名曲はない。メロディーラインに「キモ」がないのである。音楽の富田勲、この映画ではあまり本領を発揮したとは言えない。坂本九のファンならばともかく、普通の音楽ファンにはちょっと音楽シーンは特にタルく感じちゃうんじゃないか。
 主役の演技より、ワキの人々の渋い演技を堪能したほうがいい感じである。

 予告編を見ると、これだけの声優のクレジットが全くなく、声もアテられていない。どうやらキャストのスケジュール調整に時間がかかったものと見える。いい宣伝になったろうに、もったいない話だ(坂本九は子どもにも人気があった)。
 

 DVD『わんわん忠臣蔵』。
 昭和38年制作、『ガリバー』の前作で、東映長編動画第七弾。
 本公開は私が0歳のときなので、さすがに劇場に間に合ってはいない。
 最初に見たのはテレビ放映のときで、昭和47年、系列はNET(現テレビ朝日)、福岡では九州朝日放送(1チャンネル)での正月放映である。
 ……なんでそんなに細かく覚えてるかっていうと、前年までやってた三船敏郎主演の『大忠臣蔵』の最終回で、『わんわん忠臣蔵』の予告が流れたからなんだね。しかしNETのスタッフ、『大忠臣蔵』のファンが『わんわん』も見ると考えたんだろうか(^_^;)。

 クレジットにはないが、東映動画に入社したばかりの宮崎駿が、動画マンとして初参加。つまりこれが「宮崎駿デビュー作」である。
 オープニングで犬たちが横一線に並んで行進するのを見てニヤリとする人は多かろう。後に『どうぶつ宝島』、『アルプスの少女ハイジ』のエンディング、『となりのトトロ』でも見られたイメージだからである。
 この映画の原案構成は手塚治虫。構成とは絵コンテのことだから、このオープニングのアイデアも手塚治虫の手によるものかもしれない。「しれない」、と微妙な書き方をしたのは、前々作『西遊記』で、手塚さんのコンテは、現場スタッフに「使いモノになるか」と、散々「直し」を食らっているからである。
 けれど、手塚さんは『マリンエクスプレス』などでも「キャラクターの行進」を使っているから、やはりこれは手塚さんのアイデアそのままか。となると、手塚さんの没後、「手塚治虫がアニメでやってきたことは全て間違いです」と痛烈な批判をした宮崎駿も、やはり「アトムの子ら」……手塚治虫チルドレン的要素はあった、ということになるか。
 なんにせよ、本作が唯一無二の「手塚治虫と宮崎駿の同一スタッフ作」である。あまり意味はないが。映画公開時には手塚治虫は既に東映動画を離れて「虫プロ」を設立し、『鉄腕アトム』をテレビに送り出していた。

 冒頭、キツネの赤耳が小鹿のロンを追いかけるシーン。ワンカットだけだがここでなんと水彩画をそのままアニメーションにするという(しかも奥への動き!)モノスゴイことをやっている。当時の東映動画スタッフの気概が伺われるシーンだ。
 『忠臣蔵』とタイトルにあるが、筋立てはシンプルなもの。
 森の動物たちを食い殺しまくっている寅のキラー(^o^)に、母親を殺された少年犬ロック(「大石」ですな)が、野良犬四十七匹とともに敵討ちをする、という話。ロックの恋人のスピッツがカルー(「お軽」だね)というほかはあまり忠臣蔵キャラクターとの類似性はない。
 まあ、客観的に見て傑作とまでは言えないが、私は悪巧みをするキツネの赤耳のキャラが大好きなので、これから本作を見ようって人には、声をアテてる加茂喜久氏の憎々しい名演を堪能してもらいたいものである。……この人、モノクロ版『パーマン』で初代パーやんの声もアテてる人なんだけど、恐竜のイラストレーターで有名な「かもよしひさ」氏とは別人だよねえ?
 あ、もちろん、キラーの声アテをしている西村“水戸黄門&マモー”晃氏にも注目。実写とアニメの両方で吉良上野介を演じたのは西村さんだけであろう(^o^)。


 DVD『あずまんが大王』三年生(完結)。
 ちよちゃんたちも卒業である。ボックスに3巻まとめて入れると、各ケースの背に描かれたちよちゃんが、冬服、夏服、卒業の和服(あの昔の女学生がよく来てた長いスカートの和洋折衷服、なんて名前なんだ?)とオトナになって(?)いくのがわかる仕掛け。ちょっとしたことだけど、これだけで書架に並べておくと楽しく感じる。
 更にケースの裏表紙は残る五人の体操服・文化祭の衣装・修学旅行の私服のお色直し(^^)。

 テレビシリーズとしてはよくまとまってるし、好きな演出も多かった。
 おーさかのなんかいつもふらついてるような不安定な動き、リアルだなあ、と感心しちゃうんである。靴を履こうとして倒れそうになってちよちゃんに支えられる描写の「重み」の描写や、神楽が校庭でストレッチしているときの筋肉の「緊張と弛緩」の描写のうまいことよ。
 原作が4コマだと、アニメ化した場合に空間表現が単調になることも多いんだけど(昔の『タブチくん』とかね)、微妙にアングルを変えたカットの積み重ねがちゃんとドラマを紡ぎ出している。
 原作にはなくて、付け加えられたシーン、例えばちよ父がアメリカでギャングのタマをはね返すシーンなんか、まさか『あずまんが大王』でこんな爽快なアクションシーンが見られるとは思わなかった、という楽しい出来である。なんたって、若本規夫さんの「いつもの」ハイテンション演技、ただひたすら「イイ!」としか言えない(^o^)。
 「待て〜い!」
 「フ〜ン!」
 ……これだけで笑わせてくれるというのは、若本さん以外にできる演技ではあるまい。

 けど、原作で気に入ってるエピソードのアニメ化では、ここはもうちょっと演出に凝ってほしかった、ってとこも結構あるのだ。特にヤママヤー関係のところでは、最初の出会いのところも、榊さんが手をかざしてマヤーが出てくるまでの間が長過ぎるし、東京にやってきたマヤーが榊さんを守ろうと飛び出してくるあたり、BGMが過剰だ。あそこは音楽をダラダラ流すんじゃなくて、メリハリの効いたSE(効果音)だけでやってほしかった。作画自体はいいんだけどなあ。
 プラスマイナスで、まあまあの佳作ってとこかなあ。

 ちなみに、ちよちゃんは「イリオモテヤマネコ」と「ヤマピカリャー」と「ヤママヤー」は同じものだと言うが、地元の人の中には「ピカリャー」と「マヤー」は別物、と考えている人もいるらしい。つまり「ヤママヤー」は普通の山猫だけれど、「ヤマピカリャー(山で光るもの)」は、体長1メートル以上の大型動物で、未だに得体の知れぬ、未発見のUMA(Unidentified Mysterious Animal=未確認動物)だそうな。まあ、どっちゃでもよろしい。

 あずまさんの新作、『よつばと!』も『電撃大王』で連載開始。ホームページ「A−ZONE」もリニューアルである。ギャグのわかんないアホがトラブルを起こして消えていたFAQも復活。数は少ないけれども、新しい質問も付け加わっている。
 「メールの返事がきません」に対して、あずまさんの返事は、ともがよみを殴るカットで「軟弱者!」。
 いいなあ。あずまさんの今後にはまだまだ期待しちゃうんだけど、これでまたトンデモさんが「読者を殴るような返事の仕方はよくないと思います」とか苦情のメールを寄せたりしないか、それがちょっと心配である。。あほとほもはどこにでもいるからねえ(ーー;)。

 
 少し調子がよくなったので、今度は天神まで出かけて行って、予約していたDVDを取りにいく。用事がそれだけだと、しげも外出をしぶるので、本屋にも誘う。ちょうど探したい本があるということだったので、都合がいい。
 LIMBとジュンク堂を回ったあと、久しぶりにインド料理専門店の『ナーナック』で夕食。お高いけれど、やはりそのへんのカレー屋とは味の深みが段違いである。以前はこの店のCM、映画館に行くと必ずといっていいほど流れてたんだが、最近はついぞ見ない。もっとも、一番よく流れてた東宝系の映画館に足を運ぶことが少なくなったせいかもしれないが。
 あのCM、福岡限定だと思うんだが、怪しいインド人がでっかいバーベキュー持って「お待ちしてマ〜ス!」とにこやかに微笑みかけてくるんで、子供のころはマジでちょっと怖かった。街中で外人さんを見かけることも珍しくなくなった福岡の街だけれど、30年くらい前は、インド人が街にいるだけで異空間がそこに生まれたような錯覚を覚えていたのである。……って、そんな昔から「ナーナック」、続いてるんだよなあ。あのインド人、トシいくつだ。

 すっかり満腹してアタマがほんやらや〜になっちゃったせいか、買ったばかりのDVDの袋を店に忘れてしまう。100メートルくらい歩いて気がついたんで、慌てて取りに帰るが、しげに「ここでちょっと待ってて」と言うと、あからさまにイヤそうな顔。
 まあ、夜の天神の町に、ほんの数分とは言え、女一人ほったらかしにしようってんだから、夫としてはちょっとヒドイ行為ではあるんだが、かと言って、一緒に付いて来いって言うと「横暴だ」とか「めんどくさい」とか言い出すに決まっているのである。
 それに、まかり間違っても、天地が裂けようと恐怖の大王が今ごろ降りてこようと、しげが(以下自粛)。
 袋を取って戻ってくると、しげが「一回戻って損した?」と聞いてくる。
 「……損って何が?」
 「距離が」
 「……別に。よくわからないんだけど、そういうのって、損得で考えるのか?」
 なんだかなあ、10年一緒に暮らしてても、未だにこのしげの間をはずした質問には戸惑うことが多いのである。「帰る時間が遅れちゃったわね」とか、その時間のロスを確認する、というのならまだわかるのだが(それにしたってたいした時間じゃない)、わざわざそれを私に質問するというのはどういう心理であるのか。
 よくしげが私に聞くのは、「ねえ、オレはこれからどうすると思う?」という質問なんだが、そんなことわかるわけがない(ーー;)。おそらくしげは、些細なことでも「これって正しい行動なのかな?」と迷ってしまって、自信が持てなくなるのであろう。
 自分の取るべき行動を、まず私に確認してもらった上で、「よし、これからしようとしてることが間違ってないんだな」と自分でも納得している様子だ。
 あいつどうもねー、今、何をしようとしてたのか、本気でしょっちゅう忘れているらしいんだよねー。本気で3秒前のことも忘れてたりする。
 今回の場合も、「自分はここに待たされて、時間が損した気になってるけれども、それは確かなことなのかそれとも気にしないでいいことなのか」とかなんとか迷っちゃって、上記の質問になったものだろう。
 まあ、こんな不安に駆られるのは、トリアタマかトコロテンアタマ(懐かしのドクター・カオス♪)のしげだからこそであろうが、日頃から海馬にはちゃんとエサをやってほしいものだ。肉ばっかり食ってるからだよ、馬には草だ。
 ……とか言いながら、気がついたら私も、渡らなくていい信号を「青だから」とうっかり渡っていた。エサをやり過ぎると、海馬も働いてくれないようである。


 字数オーバーになっちゃったので、続きはまた翌日。(2003.2.17)



<訂正>
 宇津見様より以下の指摘がありました。誤った情報を書いてしまったことを謹んでお詫び申し上げます。
 ……「轟天」の漢字も間違えてるものなあ(^_^;)。
 論旨そのものにはさほどの影響はありませんので、本文はそのままとさせていただきます。


> 海底軍艦が建造されたいきさつは、終戦時に、神宮司大佐率いる、海底軍艦轟天号の開発建造の轟天建武隊が、丸ごと脱走し、鉱物資源豊富な無人島に拠点を構えて、20年かけて建造したというものです。
> 実際の作中にも轟天建武隊の隊員は、建造スタッフや轟天号のクルー、白兵戦部隊、日本本土の視察に派遣した部下など多数登場していますので、「たった一人で豪天号作った」というのは、もうしわけないですが完全な間違いでしょう。

2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』
2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)