無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか

 今日もケツから血がジョビジョバ〜♪
 で、仕事はまた休み。全く、正月早々そんなに有給食いつぶしてどうすんだか。
 腹が落ちつくまで、昼はひたすら寝る。
 さすがに今日はちょっと医者に具合を診てもらわにゃなるまいと、午後から近所の内科に行って、薬を貰うことにする。
 しげと二人で診察してもらったのだが、診断は風邪。少なくともインフルエンザではなかったので、ホッと胸をなでおろす。
 もらった薬は全く同一。病原菌が同じなんだから当然と言えば当然なんだが、そんなんでもしげはうれしそうに「薬がおんなじ」とか言ってやがる。
 だから、風邪移したのはてめーだろうがよ。~凸(-~~- )

 積文館を回って、何冊か本を買ったあと、ガストで食事。
 私は腹のことを考えて雑炊と豆腐サラダを頼むが、しげは遠慮もなくハンバーグかなんかを頼んでいる。それでまた腹痛起こしても、わしゃ知らんぞ。


 アニメ『七人のナナ』第3話「七人みんなで一人のナナ?」。
 神社で行われるフリーマーケットに行きたいナナたちは、町内会長さんが持ち込んできた特撮ヒーロー・ナナレンジャーのコスチュームをちょっと拝借して(おいおい)、「これなら顔がバレない!」と、神社へ向かう。
 けれど何を間違ったか、ナナたちは、イベントショーに出演させられてしまった!
 ……まあ、予想出来た展開かな。
 ナナが七人に増えても、家の中に閉じこもってるだけじゃ話の広げようがない、そのための「ナナレンジャー」の設定なんだろうけれど、かといって日常、コスプレして街中をうろつくやつってのもあまりいないぞ(^_^;)。
 「同じ顔のやつが二人以上いる」というのはコメディの定番だけれど、実はそう汎用が効くネタではないのだ。結局、「入れ代わりギャグ」でしか使いようがないからねえ。
 チャップリンが『独裁者』で、床屋とヒンケルを一人二役で演じながら、入れ代わりネタをラストにしか使わなかったのは、そのネタでドタバタをやってもたかが知れてる、と判断したからだろう。けだし、慧眼である。
 結局、同じ顔なのに顔を隠すことでしかキャラを動かせないというのは、設定の生かし方を思いついてないからじゃないのかなあ。
 ちょっと今後の展開が心配になってきたぞ。


 DVD『名探偵ポワロ』1巻「コックを探せ/ミューズ街の殺人」。
 先に長編ものを見ていたので、ようやく第一巻、テレビシリーズの第1・2話を見る。
 言ってみれば番組が成功するか失敗するかという試金石的なエピソード、相当力が入ってるんじゃないかと思ったが、そうでもない。

 『コックを探せ』。
 アポも取らずにいきなりポワロの探偵事務所に飛びこんでくたクライアントは、なんだか日本のざーます婦人みたいに高慢ちきなオバサン。依頼は「宅の行方不明になったコックを探してほしいんざーますの(吹替えはぜひ「ざーます言葉」にしてほしかったなあ)」という平凡なもので、ポワロを落胆させる。
 それどころか、このオバサン、ポワロをためつすがめつ、「あなた本当に名探偵? 新聞社におカネ積んで記事書かせたの?」と失礼この上ないことったらない。ポワロが怒りを抑えつつも依頼を断ると、オバサン、「優秀なコックの失踪は、国家的重大事並の大事件なのよ!」とヒステリーを起こしてむりやりポワロに依頼を受けさせる。
 あとで、ポワロ、ヘイスティングスにこっそりと、「私がこんな事件を引きうけたなんて、ジャップ警部にだけは言わないでくださいよ!」と念を押す。
 でも当然のごとくジャップ警部は「なんでもポワロさんともあろうものが、コックをお探しとか……ま、根も葉もない噂でしょうがね」とどこからか情報を手に入れているのである。
 まあ、ニュースソースはそのオバサンだろうけど。ヘイスティングスだったらヤだな(^^)。
 ……でも、えーっと、ポワロってコメディだったっけ……(^_^;)。
 トリックはチャチだ……というより、ある有名なミステリー短編のトリックの流用で、特に濃いミステリファンでなくても、犯人やトリックは一発でわかるだろうって程度。
 ということはだ。このシリーズ、ミステリーとしてどうのこうのってことじゃなく、やっぱりキャラクターの掛け合いでドラマを作っていこうって趣向なんだな。本格ミステリって、地味で映像化には向かないから、こういったアレンジについては、あまり文句はつけられまい。……そう言えば、ピーター・ユスティノフの映画版ポアロシリーズも、後半、どんどんコメディ化して行ったな。
 
 『ミューズ街の殺人』
 「ミューズ」って、てっきり“Muse”(ギリシャ神話の学芸の女神たち。『ガンダム』に「ムサイ」って巡洋艦が出てきたけど、あれはこれのこと)のことかと思ってたけど、“mews”(厩舎)のことだそうな。……そんな単語、そのへんの英和辞典にゃ全然載ってないぞ。 
 この話のポイントは何と言っても「ポワロのゴルフ」だろうな。
 「大陸ではならしたものです」って、そんなすぐバレるウソをポワロがつくとも思えないけれど。見事にポワロの打ったボールはスライスしてどこかに行っちゃったのであった。
 今回のトリックはもう、ミステリーでは使い古された「左利き」もの。
 被害者が右利きだったか左利きだったかってのが推理のポイントになるのだけれど、今やそういうトリックが提出された時点で、ネタはバレてしまうので、やはり往年の古典を現在映像化することは、なかなか難しい。
 ネットを検索してみると、このテレビシリーズ、必ずしも好評を博してばかりじゃないようだが、もはやクリスティーだって充分「古い」んである。多少、ハメを外したようなコメディ演出があっても仕方ないんじゃないか……という気になってきちゃったよ、私も。


 山本弘『山本弘のハマリもの』(洋泉社・1365円)。
 ご一緒に同人誌まで作ったと言うのに、まだ山本センセイとは面識がない(夏コミ行きたかったな)。
 もっとも中年オヤジがわざわざ会いに行ったところで喜ばれるわけでもなし、ネット上だけでの知り合い、というのはよくあることである。AIQのみなさんとお知り合いになれたのも、エロの冒険者さんからお誘いがあったからなわけで、そうでなければ、今でも私はぼうっとネットサーフィンしてるだけで、そのうち飽きてこうして日記を書き続けることもなくなっていたかもしれない。
 まさしく、縁は異なものである(例えがちと違うな)。生きる活力というものは人から与えられるものである。

 「ハマりもの」というものも人から与えられた活力なんだろう。
 子供のころはみんな娯楽が少なかったから、友だちも含めてみんな同じものにハマっていた。マンガ、アニメ、特撮、怪獣、etc、etc……。
 逆に言えば、みんなが同じものにハマっていたから、わざわざ自分たちの知識を確認するための作業をする必要もなかったと言える。
 バイブルは大伴昌司の本だけで充分だった。
 けれど、今やわれわれの世界はたくさんの「オタク」たちで占められるようになった。今でも覚えているが、初めてAIQの会合に参加した日のこと、「あなたはどちらの方面に詳しいんですか?」と聞かれて返事に窮したことがある。
 自分が何かに詳しい、あるいはどちらの方面の趣味がある、ということについて、深く考えたことなどなかったからだ。大学のゼミで児童文学を専攻してはいたが、これとて、専門家というほどではない。……自分に得意な分野などあるのか? AIQのみなさんの濃い濃いオタク話を聞くにつけ、「自分はオタクじゃないなあ」という気がしたのも事実である。
 この日記の中で自ら「オタク」と名乗っているのは、もっぱら「私はオタクでない」という言葉が一般においては差別的に使われる場合が多いので、肩書きを背負うのに吝かではない姿勢を示すためのものである。
 濃い薄いで言えば、私はまだまだ薄いヤツで、原稿が書き溜まらず、未だに自分のホームページを立ち上げられないでいる。
 もっとも、こういうことを言うと、たいてい人から慰められたり叱られたりするんだよなあ。「充分スゴイですよ」とか、「謙遜したフリだけしやがって」とか。前者はよしひと嬢で、後者はしげだったりする(^_^;)。

 オタクは基本的に「知識」ではない。
 要はものを見る目、つまりは自らの「判断」に従って生きるかどうかだ。
 そうわかっていても、自分の「知識」や「判断」を人に披露するというのはかなり勇気が要る。どんな批判・ツッコミがあるかどうか分らないからだ。
 「知ったかぶりやがって、こんなところがオマエにはわかってないじゃないか」とか。
 でも、もちろん、そういうことを恐れていて、「語る」という行為、引いてはコミュニケーションが成り立つはずもない。勇気を奮い起こしてオタクは自らを語って行かねばならない。

 なんでこんなこといちいち書いてったかというと、この本、随所に「間違い」「勘違い」じゃないかと思われる表現が散見しているからだ。
 日頃、山本会長のトンデモ本批判を憎らしげに思ってる連中にしてみたら、ツッコミどころ満載のこれは、格好のターゲットになるのではないか。
 それをここで指摘するのは簡単だ。けれど、その場合、単なる揚げ足取りではないことを示さねば、個人が「語る」ことを封殺しようというファシスティックな行為と何ら変わりはあるまい。

 一例を挙げると、『悪魔の人形/THE DEVIL DOLL』の項目で、「二体の人形がテーブルの上でダンスを踊るシーン。踊る役者の姿をテーブルの上に合成してあるんだけど、何がすごいって、テーブルの表面がつるつるで、人形の姿がちゃんと反射して映ってるんである。どうやって合成したの、これ!? 分からん!」と書いてあるのだが、「あれ?」と思った方も読者の中にいるのではないか。
 私はこの映画見てないんだが、同じトッド・ブラウニング監督の『魔人ドラキュラ』や『フリークス』を見る限り、合成のような特撮技術は当時ほとんど使われていない。
 これ、単に巨大なテーブルをセットで作っただけじゃないのか。だったら姿が反射してても全然不思議じゃない。
 それとも「合成」だとわかる明確な要因でもあったのだろうか。
 その実体と反射の姿がズレてるとか。でもだとしたらそれは技術的にはたいしたことないってことにならんか。
 説明が不足しているせいで、山本さんの言いたい「すごさ」がこちらに伝わってきていない。

 つまり、ネタが多すぎて、一つ一つの印象がかえって薄まってしまっているのである。
 「戦隊サブタイトル文字数の法則」などはまあまあうデータが多めに紹介されているために「なるほど」と思わせるものがあるが、「NHK教育番組ウォッチング」などは、タイトルとあらすじだけの紹介で物足りない。スチール一つ載ってないし(転載許可が降りなかったのかもしれないけれど)。
 山本さんもそれを自覚しているのか、コラムの最後で、教育テレビの内容紹介をしているサイトのアドレスを参考に挙げている。でも、そういう他力本願な行為って、「ああ、そんなにおもしろい番組があるなら、私も見てみたいぞ!」という読者の気持ちをかえって萎えさせはしないか。

 私自身、ダラダラと下手な文章を書き散らして、「こんなモノがあるよ!」と紹介しながら気づいたことなのだが、「あたり障りのない文章」というのは、人に訴えかける力がないのである。
 「この本(あるいは映画など)、いいとこもあるけど悪いとこもあるしまあまあかな」と思ったとしても、そのことをそのまま書いたって、人は「まあまあの本か」としか思わないし、手には絶対取らない。
 ある意味、誉める作品は徹底的に誉める。
 貶すものはとことんまで叩きのめす。
 他人と意見が全く違っていてもかまわない。そのバトル自体が、作品自体の「強さ」の証明なのだ。……オタクの本とはそうでなければなるまい。


 マンガ、椎名高志『MISTERジパング』8巻(完結/小学館・410円)。
 途中をぽーんとすっ飛ばしていきなり本能寺。
 もちろんその前に本筋は一応終わっているわけで、破綻のないところに着地して、一応のまとまりはついたと言えなくもない。
 まあ、このマンガの秀吉が、朝鮮出兵したりするような秀吉になるはずもないとは思ったけれど、正直なところ、パラレルワールドネタを余り安易に使ってほしくなかった。
 何人も天回が出てくるのはちょっとシバリがなさ過ぎる。SFは何でも自由に書いていいってんじゃなくて、やはりある一定のセオリーを作っとかないと、物語自体がどんどん御都合主義的でフヤケた方に行っちゃうんである。
 最後はみんなして時空を越えて大陸に渡るらしいが、これはつまりジンギスカンネタってことか? ちょっと今時それをオチに持ってくるのはセンス的にどうもねえ……。


 夜、CSファミリー劇場をダラダラ見る。
 丁度『仮面ライダー(スカイライダー)』の最終回、第54話『さらば筑波洋! 8人の勇士よ永遠に…』をやっていたので、見てみたが……。
 いやね、この『スカイライダー』、本放映時は「ライダーの原典に回帰!」とか言っときながらどんどん脚本がスカスカになってったんで、最終回なんて見ちゃいなかったのだ(『ストロンガー』までは追っかけてたのになあ)。
 というわけでこれが実は初見だったりするのだが、本放映時に見てたら、腹立てて、テレビを投げ捨ててたかもしれん(しないって)。
 8人ライダーが集結ったって、一文字隼人(佐々木剛)と城茂(荒木しげる)以外の先輩ライダー、全部、声アテだけじゃん。しかもいきなり脈絡もなく登場するし。『ストロンガー』の最終回で全員が集まったのとは雲泥の差だ。
 ……予算のないテレビ番組の哀しさが見えてて、淋しいったらない。
 しかも敵首領の正体、巨大なドラゴンタイプの宇宙怪獣。……センスねー。ストロンガーの時の岩石大首領もセンスなかったけどさあ、一番強い敵だから巨大なんだって安直な発想、スタッフの誰か、イシモリを止めるやつはいなかったのか。まだ最初の『仮面ライダー』に出て来た、ゴーゴンみたいな一つ目のような、謎の存在であった方がずっと納得が行ったなあ。
 しかもこいつ、「足の裏が弱点」で、スカイライダーを踏み潰そうとわざわざその弱点をライダーの目の前に晒しちゃったもんだから、撃たれて瀕死になってやんの。……バカ? いや、もちろんこの場合バカなのは脚本家なんだろうけど。
 あまりに頭がぽかーんとしちゃったんで、夜はぐっすり眠れました。はい。

2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』



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