無責任賛歌
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2004年03月18日(木) |
口にパンをくわえて、曲がり角で誰かにぶつかりはしなかったが。 |
今朝、初めに目が覚めたのは6時頃だったのだけれども、テレビを点けて漫然と見てるうちにウトウトしてしまい、気がついたら8時10分だった。 思わず「わはは」と笑ってしまったが(人間、本気でビックリすると笑うものなのである)、まさしく「笑いごっちゃない」のだ。始業時間まであと20分。しげの運転だと、普段は25分かかっているから、間に合うわけがない。2分で着替えて、表に飛び出し、タクシーを捕まえた。「大至急お願いします!」 ネクタイや背広は手に掴んだままだったので、タクシーの中で着る。自分でもまるでマンガだとは思うが、なりふりかまっちゃいられない。運がいいと言うか、偶然にもタクシーの運転手さん、以前、私を乗せてくれたことのある人だった。「山越えの道ですね?」とスイスイ進んでくれる。これが道に不案内な人だと、やたら信号に引っかかったり小道を曲がり損ねたりするのだ。ホントに超特急で、変わりかけた信号をすっ飛ばし、3人ほど人を撥ねて(いやウソウソ)、職場に着いたのが8時27分。てことは、15分しかかかっていない。いつもしげが超安全運転で走ってることが分かるなあ。 こういう心臓に悪い朝はもう二度と迎えたくないけれど、人間、トシを取ってどうなるか予測のつくものではない。私はいったい寝起きがよくなるほうか悪くなるほうか。
今年度最後の例の部署での会議があったのだが、例のちょっとイッちゃってる方、やっぱり欠席。最近は、被害妄想がかなり強くなっていて、何か質問をしても「それは○○さんがやったことかもしれません」と、何の関係もない人の名前を挙げたりするようになっている(個人的に気に入らないことがあったらしい)。そして、社内のある一室に引きこもって、トイレと食事以外では全然出て来なくなってしまっているのだ。……って、会社で「引きこもり」ってあるのかよ。その部屋の中でパソコン仕事だけはやってるようだが、それ以外のことは全くしようとしない。これって、かなり「給料泥棒」だと思うのだが、放置してていいのか。引きこもるなら普通は家だろうよ、……と突っ込みたいところだけれど、もちろんみんな怖くて、そんなことは何も言えないのである。辞めさせられないのも、人権なんたらが絡んでるんだろうなあ。 そういう事情で、社屋内に昼日中から「開かずの間」ができてしまっているわけである。こんな気味の悪いこともないのだが、そこに出入りできる人間が、私を含めてもはや数人しかいない。上司も、その人にしてもらわなければならない仕事を、私から伝えてくれるように頼んでくる。……だから私はパシリとちゃうって(+_;)。
帰宅したら、しげは起きたばかりであった。「昨日からずっと寝てたのか?」と驚いたら、「朝ちょっと起きてたよ」と言う。だとしても、合わせて15〜6時間は寝ているわけで、やっぱり寝過ぎだろう。薬使わないと眠れないと言うし、寝たら寝たで今度は起きて来ないし、ちょうどいいコントロールができないものかな。
唐沢俊一氏の16日(火)の裏モノ日記での『アヴァロン』評、誉めてるような貶してるような微妙な表現だったのが面白かった。 北川れい子みたいに、押井守を観念的なテツガクかぶれと勘違いしないで(押井守ファンを自称している人間にもこの勘違いは多い)、あれを「抜群に面白いハードボイルドアクションの定番もの」と評価しているのはさすがなんだが、そこで「ハードボイルドものの定番設定の持つ、完成された魅力を押井守がついに壊し(再構成し)得なかったという、作家としての失点になるのではないか」とヒトコト付け加えなければならなかったのは、まあ、「オタクは押井守をあまり誉めちゃいけない」流れができちゃってるせいもあるだろう。オタクって権威嫌いだからねえ。かつてマイナーだったころにはみんなこぞって褒め称えていた宮崎駿を、現在扱き下ろすオタクのいかに多いことか。まあ私も「今の」宮崎駿は好きになれないけれども。 普通はその作家が「定番通り」のものを作れば、それでヨシとされるのだが、「それ以上のもの」を求められてしまうのが現在の押井守の立場なのである。でも求められたからって、それにまるで左右されずに、相変わらず「犬」を出すことに熱中している押井さんの飄々とした態度が、見ていて気持ちがいい。何か言われたからって激昂するような鬱陶しいオタクは他山の石とするがいいのだ。
久しぶりに某氏のホームページの日記を覗いてみたら、「古いオタク」を自称する(若い人なのでどこが古いのかと思ってしまうのだが)その人、昨日の『トリビアの泉』の藤岡弘、のあのどうしょうもない演出を激賞していた。そのギャグセンスの無さ加減にも呆れるのだが、文章がテンから藤岡弘、氏を馬鹿にしていて頗る悪意的であるのに、自分ではいっぱしのファンのつもりで、どれほど失礼なことを書いているのか、自覚もないようなのである。よくそんなことで「オタク」などと自称できるものだと情けなくなった。オタクのイメージが悪くなるばかりじゃないか。くだらんゴタク垂れ流してあっちこっちにメイワクかけるくらいなら、オタクの看板降ろしてくれ。Y(>_<、)Y でも、この程度のレベルの人間性しか持ちえぬ人間が、現在では実体としてオタクの普通レベルになってしまっているのである。もう岡田斗司夫さんの提唱していた「オタクエリート論」は完全に雲散霧消してしまったと実感せざるを得ない。今や「オタク」は一般人以下の、知見(知識ではない)のないことを開き直って傲慢になることしかできない人間しかいなくなってしまっているのだろうか。実際、一時期はそれほど嫌われなくなっていたオタクが、最近は宅八郎のころのように毛嫌いされつつあるのである。特に女性たちから。 その人、もともと悪人ではなかったと思うのだが、周囲の人間が卑劣漢ばかりなので、相乗効果でとことん馬鹿に成り下がってしまったのだろう。親友として親身になって忠告しようという人が全くいない。表向きだけはそう言ってのける輩はいるかもしれないが、陰では全く逆の悪口を平然と言える二枚舌野郎ばかりなのだ。その人がおだてられていいように利用されているだけなのに、有頂天になっている様子は哀れだけれども、それも当人の撒いた種である。類は友を呼んだのだ。落ちるところまで落ちて恥を晒していくしかないのだろうが、それとて恥と思わぬ鈍磨な神経に成り下がっているのであれば、脳天気でかえって幸せかもしれない。 私も人からオタクだオタクだと言われて、頑強に否定するのも相手に悪いので受け容れてきたのだけれども、あんなのと同列に扱われるとなると段々気が滅入ってくるのである。もともと岡田さんの「オタクエリート」という言い方にビビって、「いや、私はそんな立派なものではありませんから」と萎縮していたのだけれども、今度は「オレをオタクと呼ぶな!」と否定しなくてはならなくなるのである。こんな悲しいことはない。その馬鹿に向かって何を言おうが、「バカの壁」をつくっちゃってるんだから、どうせなにも理解できはしないだろうと諦めながらもあえて言うが(ただし、これは押しつけがましい「忠告」でも「諫言」でもない。だいたいその人はこの日記を読んでないだろうという前提で書いてんだから。これはただの「祈り」である)、頼むから、もちょっと人としてマトモなことを書いてくれ。隣りにいる人の皮かぶった糞の言に耳を貸してる限り、人の心をなくしてくぞ。
14日、神奈川県立厚木高校のダンスドリル部の2年生チーム「IMPISH」(=小悪魔のような、いたずらな、お茶目な)が、日本の高校生チームとしては初めてフロリダ州オーランドで開催されたNDA「全米チアダンス選手権’04」に出場、総合グランプリを勝ち取るという大快挙をなし遂げた。 ……ってニュースをCSで知ったんだけど、新聞でもネットでもあまり話題になってないなあ。テレビ見てて久しぶりに「そりゃすげえ!」と思ったんだけど。 特にチアダンス(チアリーディングと違って、スタンツはしない)に詳しいわけではないけれど、たまにテレビで選手権やってるのを見ることもあるから、向こうのレベルの高さには舌を巻いていた。高校生でもブロードウェイのプロダンサー並の激しい踊りやってのけてるんだものなあ。層が厚いってのはこういうことを言うんだろうか。その、アメリカ全土から集まった選りすぐりのチアダンサーに伍して、優勝したっていうんだから、こりゃ驚かない方がどうかしている。新聞の一面にデカデカと載ったっていいと思うんだが、なんか日本のスポーツ界のメジャー、マイナーの色分けって、偏向があり過ぎると思うんである。野球とサッカーとマラソンしか頭ん中にないんじゃないのか。
これもバグダッドテロなんかどうでもよくなるような(こらこら)大ニュース。 水野晴郎が、『シベリア超特急5』(こないだ『4』のあとにいきなり『7』を作って、再び『5』に戻ったのね)の撮影現場で転倒し、背骨と左手首を骨折する大けがをした。 13日の午後、水野監督は東京・調布市の日活撮影所で、万里の長城のセットからの階段落ち、走る列車の屋根での乱闘シーンの撮影中に、前のめりに転んで床に左手をつき、激痛が走った。15日になって病院でレントゲン撮影したところ、左手首骨折と診断。さらにその約1週間前に転倒した際にも背骨を圧迫骨折していたことも判明したとか。……って、一週間、骨折に気がつかなかったってのが凄くないか。しかも背骨だよ? 当然撮影中止かと思いきや、スタッフに「ライフワークなのでやめたくない」と執念を見せて、現在、ギプスとコルセットで固定し、痛み止めの注射を打ちながら撮影に臨んでいるとか。その執念はすばらしいと思うけれども、「ライフワーク」だったのか、『シベ超』。いや、確かにライフワークだよなあ。ライフワークにしなきゃ作れないものなあ。
6月5日に公開予定だった那須博之監督の『DEVILMAN デビルマン』が「デビルマンの世界観をよりスケールアップするため、予定になかったシチュエーションを映像化すべく100カットの追加撮影を決めた」との理由で公開延期。 100カットってだけじゃ、ドラマ部分が増えるのか特撮部分が増えるのかも分からないし、分数も見当がつかないないけれども、なんたってハルマゲドンまでちゃんと映画化しようってんだから、完成度が高くなるのは歓迎ではある。 けど、『ハウル』『スチームボーイ』に続いて『デビルマン』もか。それだけ、力入れてる企画が多いってことだから、決して、リメイクだからって、最初から馬鹿にしちゃいけないよ。ともかく、映画は「見てから判断すべし」は基本なんだから。 だから私ゃ、『SAMURAI7』(『七人の侍』のGONZOによるアニメ版リメイク)にも期待しちゃうぞ♪(マジかよ)
女優のマーセデス・マッケンブリッジさんが、今月2日、サンディエゴで死去していたことが判明。享年85。詳しい死因は不明。 『オール・ザ・キングスメン』(1949年)でアカデミー助演女優賞を受賞した後、『ジャイアンツ』(1956)『武器よさらば』(1957年)などに出演したが、60年代以降は低迷した。 起死回生を狙ったのが『エクソシスト』(1973)での悪魔に取りつかれた少女リーガン(リンダ・ブレアー)の声の吹替えだったが、ウィリアム・フリードキン監督はマッケンブリッジさんの名前をクレジットすると約束していたのに、それではリンダ・ブレアーがアカデミー賞を受賞できなくなると判断して、クレジットから外してしまった。ショックを受けたマッケンブリッジさんは、その事実を暴露し、これがスキャンダルとなって、『エクソシスト』はノミネートされていた各賞の殆どで落選した。これこそ「『エクソシスト』の呪いだ」と当時は世人の口の端にのぼったものだったが、実際には「アカデミー賞の夢をもう一度」と願った老女優と、「初めてのアカデミー賞を」と欲にかられた監督の、どちらも「アカデミー賞の呪い」にかかっていたのである。……とは映画評論家・川本三郎氏の説。 私にはこのエピソードはただただマッケンブリッジさんがかわいそうに思えるだけである。ちなみに、現在流布しているDVDソフトには、オリジナル劇場版のものにも、先年公開された追加シーンを含むディレクターズカット版のクレジットにも、マッケンブリッジさんの名前がちゃんと追加されている。しかし、マッケンブリッジさんの花がもう一度咲くことはなかった。
2003年03月18日(火) 第三セクター救済企画(^o^)/『ルパン三世 ある雨の日の午後(前編)』(大塚康生) 2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか
2004年03月17日(水) |
『文春』のほかの連載が読めないのは困るなあ。 |
田中真紀子さんの娘のプライバシーが暴露されてるとかで、「週間文春」が裁判所命令で発売禁止とのこと。いったい何があったのやらと、朝と夕方、コンビニに寄ってみたが、福岡ではまだ荷物が届いていないのか、それとも売り切れちゃったのか、もう回収してしまっているのか、一冊も置いていない。 現物を見ない限りは裁判所の措置が正しかったかどうか判断できないし、かと言って、その措置が妥当性のあるものなら、そんな下らん記事は見ないほうがいいのである。アンビバレンツとはこのことだ。 でも、実際に手に取った人たちの感想は「これで発禁?」てなものだったらしいね。たいしたプライバシーの侵害でもなかったってことなのかなあ。 どっちにしろ、コトが分からぬ現時点ではコメントのしようもない。多分、2ちゃんねるとか調べれば内容アップしてるとこもあるんだろうけど、そこまでして知ろうって気はないしなあ。 文藝春秋社は異議申し立てをしたそうだけれど、要求がマットウなものとして通ったなら、記事内容がハッキリわかる日も来るだろう。けれど裁判所が「マットウ」で無かったら、まさしく表現の自由は侵害されてしまうわけだ。こうなると、裁判所に「常識」があることを祈るしかないんだけど、それがどうにも歯痒いよねえ。
毎年、この時期になると高校入試の合格発表の様子がテレビで報道される。無論、テレビカメラは、合格してVサインを出してる子を中心に撮っちゃいるんだが、どうしたって全体を俯瞰するシーンはあるから、落ちて呆然としてる子も映しだしてしまうのである。これって結構残酷なことしてるんじゃないかと思うんだけど。 夕方、テレビを見ていたら、ある県立高校の合格発表で、何の間違いか、一番手前でまさしく「私は落ちました」って顔のメガネの子をカメラがどどんと映し出してしまっていた。それ見たとき、なんというか、胸が凄く締めつけられちゃってね。こういう「うっかり」はどうしたって避けられないと思うんだが、それでもいちいち合格発表を取材しに来なきゃならないものなんだろうか。高校生が合格しようがすまいが、全く興味のない私には、これにいったいどんなニュースヴァリューがあるのか、見当も付かないのである。……みなさん、毎年のこの合格ニュースを楽しみにしてるんですかね? ……しかし今時の中学生って、みんなカメラ付き携帯持ってるのな。みんな金持ちじゃん。いったいどこに「不況」があるんだ? ついでにずっと昔から思ってることなんだけれども、高校入試の問題って、県下全部同じなんでしょ? だったら、最初に希望校を受けさせるんじゃなくて、受けたあとで第一希望、第二希望ってアンケート取って、成績ごとに振り分けていけば、あぶれる受験生も減ると思うんだけど、何かそれができない事情でもあるのかね?
『トリビアの泉』、三週間ぶりに見る。 まあ、面白い演出とつまんない演出が半々といったところか。 つまんなかったのは、「第2次世界大戦中、アメリカではこうもり爆弾が作られていた」の紹介イラストに、ローワン・アトキンソンのキャラを使っていたこと。全く意味がない(もちろんナンセンスという意味ですらない)。 「藤岡弘、の事務所の隣りにはマムシ注意の看板がある」を紹介するのに、「藤岡弘、探検隊」風に紹介するのは、別にネタでもなんでもないものを無理矢理面白く見せようってところがいやらしい。猫が出た、ハクビシンが出たからって、それがどうした。藤岡さんは真剣に「マムシが出て危険」と思ってるから看板立てただけなんだよ? それを鼻先で笑うような演出されて、特撮ファンは悲しくないのか? そのまま普通に紹介することがなぜできないのか。これで怒らないようじゃ、ファンでもオタクでもマニアでもないぞ。 それとは別に気になったのは、「藤岡弘、」の芸名が読点つきだったこと(正確には「藤岡弘」ではなくて「藤岡弘、」なのである。ホントの読点と紛らわしいので、こういうのは書くほうは困るんだけど)を、ゲストのみなさんが知らなかったらしいこと。それとも知っててわざと「へええ」と言って見せてたのかなあ。タモリのようにつまんないときは「へえボタン」押さなかったり、「そんなの知ってらあ」って顔してもらわないと、反応に信頼がおけないのである。まあ、もともとビビる大木を信頼する必要は全くないんだが。MEGUMIは素直に「へえ」と言ってると思いたいな(←意外と役者として買ってるのである)。 逆に、ネタ自体はつまんないんだけれど、演出で面白く見せていたのは「お寺にある仏具は全て通販で買える」。実際に通販紹介風に演出してたのがマル。「お求めやすい値段」とか言っときながら、木魚が「1000万円」の、仏像が「370万円」のって、なんなんだかねえ。これをニコヤカに“本当に安い品物であるかのように”紹介できるんだから、テレビの営業マンはやっぱり素晴らしい。生の営業マンで、あんなにセールストークの上手い人間に会ったことなんてないぞ。番組見てたら、般若心経デザインの腕時計、私もほしくなっちゃったんだよなあ(^_^;)。 純粋にネタだけで受けるのはやっぱり地域ネタだけれど、「鳥取県境港の住民票を透かすとゲゲゲの鬼太郎が浮かびあがる」を確認するためにスタッフが本当に境港市に引っ越したのには笑った。いや、区役所の人の「えっ!?」という反応がいいわ。しかも、住基ネットが施行されているので、わざわざ引っ越さなくても境港に行くだけで住民票は手に入れられる、という落ちの付け方もいい。もちろんスタッフは、そんなことは承知の上で、「わざと」引っ越したのだろうけれど、この「ヤラセ」は許される範囲内である。だって、ネタ自体を歪めているわけではないからね。 金の脳だった「ツタンカーメンの墓を作った人々の出席簿がある」は、誰ぞのコメントにもあった通り、「サソリに刺された」とか、その理由とセットでないと、さほど面白くはないものだった。 「トリビアの種」は堅実にアンケートもの。「日本の電話で一番多く使われている保留音は( )」というもので、結果は以下の通り。 1.グリーンスリーブス 2.エリーゼのために 3.峠の我が家 4.LET IT BE 5.ミッキーマウスマーチ 6.バッハのメヌエット 7.パッヘルベルのカノン 8.森のくまさん 9.メリーさんの羊 10.あなたがほしい(エリック・サティ) 「耳障りでない曲」にするってのが第一義って感じだね。ディズニーがもう、一、二曲くらい入るかと思ってたけど。童謡や唱歌が一曲もないのが淋しいなあ。ウチの電話にはこういう待ち受け音楽の設定は多分してないと思うけど、するなら映画音楽にしちゃうだろうな。でも、『犬神家の一族』とか『七人の侍』、あるいは『第三の男』とか『ピンク・パンサー』なんかの音源、あるんだろうか。 ……ウチの職場の待ち受け音楽は何だったかなあ。
そのままダラダラとテレビを見てたら、ネプチューンの番組で、鈴木杏の『花とアリス』の舞台挨拶の様子が流されていた。もちろん「秋葉カンペー」のコーナーで、鈴木杏は「ウンコが三つ」とかのネタに笑わされていたのだが。だもんで、映画の内容はあまりわからなかった。……宣伝になってないんじゃないか。 メインのトークコーナーでは、『牡丹と薔薇』の大河内奈々子と、小沢真珠がゲスト。小沢真珠、ドラマでは殴るわ蹴るわのエキセントリックないじめを大河内奈々子に対してしているのだけれど、このドラマに出演して以来、小沢真珠の携帯に電話をかけてくる友達が減ったそうである。逆に、大河内奈々子には「大丈夫?」と激励の電話が増えたとか。……現実とドラマの区別がついてない人間って、いつまで経っても減らないのだねえ。
糖尿病についての新発見ニュース。 筑波大内科の島野仁講師らが、血糖値を下げるホルモンのインスリンがどうして肝臓で効かなくなるのか、そのメカニズムを世界で初めて解明し、イギリスの科学誌『ネイチャー・セル・バイオロジー』に発表した。 過食によって、肝臓で糖を脂肪に変える遺伝子を制御する指令物質(SREBP―1c)が働きすぎること、その結果、肝臓でインスリンが作用するのに必要なたんぱく質の合成が抑えられ、インスリンの効きが悪くなることを突き止めたという。 糖尿病者以外の人には、何のことやらわかんないと思うけれども、この「どうしてインスリンが出ているのに、血中の糖分が分解できないのか」ってのは、これまでずっと謎とされていたことなので、おかげで適切な治療法がなかなか見つからないでいたのである。 これまで、糖尿病の治療には食餌療法、運動療法、薬物療法の三つで対処されていたのだけれど、この中では「薬物」が一番弱かった。「過食がよくない」とは分っていても、我々糖尿病者は、普通の人と同じ量を食べたって「過食」になってしまう。食わないのにだって限度はある。絶食しつづけるわけにはいかないから、仕方なくカロリーを控えて食べているのだけれど、それでもストレスだの他の要因が働いて結局、体重は減らないし、血糖値は上がってしまうのだ。酒もタバコも肉食もやってねえってのに、なんで痩せねえのか、全くどうすりゃいいのよって感じだったんだけれど、この“SREBP―1c”の研究が進んでいけば、新たな治療薬も開発されていくかもしれないのである。 いやホント、素晴らしい朗報なんですよ、これは。ただ、朗報ではあるのだが、さて、現場に反映されるのがどれくらい先になるのかはまだわかんないんだよね。再検だってまだまだあちこちの医療機関でされてくだろうし、仮に実験が正しいと証明されたその後、薬が開発されても、その使用認可が降りるのにまた時間がかかってしまうだろうから。それでも数年の辛抱だろうとは思うんだけれど。 何週間か前のこと、塾頭さんが肥満を抑えるのには血液型によって摂取する食べ物がどうのと掲示板に書かれていた。糖尿病の肥満については、今までの日記にも何度か書いてたことだし、今回の研究成果でも分かるのだが、基本的には遺伝子レベルでの病気なのである。抗原(アレルゲン)の違いを示す血液型とは直接の関係はない。いろんな医学書や研究書を付き合わせていけば、そのあたりの事情は見当がついてくることなのである。 トンデモ科学、擬似科学に人がどうして引っかかりやすいかと言えば、どんな理論であっても最初から誤り、ということは滅多になく、その出発点はごくごくマットウであることが多いためだ。それが思考を進めていくうちに、途中からヘンな脇道に入りこんでしまう。なぜかと言えば、初めから終着点をこれと思いこんでしまっているために、途中の論理の矛盾に気がつかなくなってしまっているからだ。 どんな科学だって、基本的には「仮説」の集積に過ぎない。「絶対」を過信するのは危険である。「SREBP―1c」だけが、肥満の原因と短絡的に考えてしまうのもマズかろう。薬だけに頼ってもよくはない。やっぱりカロリーの過剰摂取は控えた方がいいし、運動だってした方がいいのである。 こないだの入院中の関西人がどうにも腹立たしかったのは、新米の栄養士にわざと答えにくい質問をしておいて、それに答えられなかったからと言って、だから自分が過食したって構わないような、論理のすり替えを行っていたことである。自分のからだのことなのに、そんなズルをして、なんか得でもあるのか。それが患者のために話をしている医者、看護師、薬剤師、栄養士さんへの礼を失していることになぜ気付かないか。 自分の思考方法に、どこか「ゴマカシ」がないかどうか、それはいつだって丹念に見ていかなきゃならないよな、と思うのである。
ハリウッド版『ザ・リング2』の監督だけれど、第1作を監督したゴア・バービンスキー、CMディレクターのノーム・ムロウと、二人続けて降板したあとで、現在交渉中というのがなんと日本版『リング』の監督である中田秀夫だとか。本家返りか。けど、中田監督にも一家言はあろうし、「他人に改変されたもの」の続きを従容として引き受けられるものなんだろうか。 主役のナオミ・ワッツと息子役のデビッド・ドーフマンの復帰は決定ずみだが、脚本の方は日本版『リング2』のリメイクではなく、前作に引き続いてアーレン・クルーガーによるオリジナルのものだとか。となるとますます「オレの作りたい『リング』とは違う!」ってなことになりゃしないか。 でも、日本版『リング2』は主役交代させたせいでつまんなくなっちゃったから、アチラの脚本がよければ、中田監督の画面造りと相乗されて面白いものになる可能性はあると思うんである。「ハリウッド進出」ことを喜んでもいいんだけど、あまり有頂天にはならないで、堅実な映画造りをしてもらいたいものだけど。
2003年03月17日(月) 納豆の光に!(ねば〜)/『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』(古川登志夫) 2001年03月17日(土) 嫌煙権を振り回す気はないけど/『風雲ライオン丸』(うしおそうじ・一峰大二)ほか
2004年03月16日(火) |
ヤキモチを焼くという心理がよく分りません。 |
昨日の日記にちょいと艶っぽいことを書いたものだから、しげから「抱きついてきたって、誰!?」と追求される。別に隠すことはないので、正直に全部話したのだが、全く予想通りの反応をするやつだなあと笑う。 「書いてた通りだよ。別にあとは何にもなかったんだから、ヤキモチ焼かなくてもいいの」 「……なん、そういうことしょっちゅうあると?」 「しょっちゅうじゃないけど、たまにあるよ」 「あんた、もてると?」 「もてる男じゃなくても、そういうことは男には結構あるの」 「なんか、うそくさーい」 「ちゃんと正直に書いてるんだから、文句つけることないだろ? 秘密にして隠してた方がおまえはいやだろ?」 「そうだけど〜」 しげ、不満そうな顔をしてはいるが、私がケロリとしているので、渋々頷いている。それでも昔ほどにはヤキモチでヒステリー起こすほどじゃなくなってきてるようではある。 女房がヤキモチ焼くとわかってるのに誤解を招きかねないことを書くこともなかろう、というのは冷静な判断ではあるが、それは妻への不実となる。「あったことはできるだけ書く」「自分に都合が悪いことだからと言って隠さない」というのが私の日記のスタンスであるから、その日思い出せることは書くしかないのだ。 じゃあ、もしも本当に浮気したら、そのことも日記に書くのか、と突っ込まれたら、「当然書く」と答えるのに躊躇はしない。たとえそれで夫婦の危機が訪れようと、そういう覚悟もなしに日記をウェブ上で公開なんてできやしないのである。 まあ、それ以前に私が本気でモテるわきゃないから、心配なんてもともと要らないのだが。だいたいしげがヤキモチ焼くシチュエーション自体が、端から見ればギャグでしかない。「女房がヤキモチ焼くほど亭主モテもせず」とはよく言うではないか。もうかなり恥ずかしい思いはしてるんだから、いい加減でジェラシるのはやめてくれ。
職場の若い子が、江戸川乱歩の『孤島の鬼』を読んでいるのを見つける。普段は誰かが本を読んでいても声をかけるようなことはしないのだが、モノがモノだけに、思わず「それ、面白いよ」と言ってしまった。 テレビドラマの『乱歩R』のおかげで、江戸川乱歩を読み始めた、という人が増えている。必ずしも原作に忠実なわけではないけれども、これまでの乱歩の映像化の中ではまずもって第1級と言っていい完成度のシリーズになっていただけに、これをきっかけに「同好の士」が増えてくれることは嬉しいことである。 昨日の『乱歩R』の最終回についても話が弾む。 「あの、推理がひらめいたときに、明智さんの眼の中にキラッていろんな映像が浮かぶのがいいんですよね」 「昨日のもよかったね、最後の瞬間に『仮面』がキラッと……」 「……二十面相、死んだんですかねえ」 「二十面相は死なないよ、二十面相は明智小五郎自身なんだから」 「そうですよね! ……続き、作ってくれませんかねえ」 続編が作られるかどうか、あるいは映画化されるかどうかはDVDの売り上げにかかっているのである。当然私は予約した。さあ、みんなも買おう(^o^)。
夕方、しげと買い物。今日は仕事がないと言うのでゆっくり回れる。 「積文館」を回って、「レッドキャベツ」で水の補給とサラダの買い込み。 どこかで食事をするかどうか、しげに聞いたら、またまた「うどんがいい」。まーねー、作るのがラクでいいんだけど、そればっかりというのも張り合いがねー。俺としてももうちょっとレパートリーを増やしたいんだけどねー。 つか、その前におまえもたまには料理作れ(`□´)。 具を少し変えてみて、豚のステーキを小切りにしたものと、目玉焼きなんかも入れてみたのだが、「辛い」と評判悪かった。だから自分で作れってば~凸(-~~- )。
夜、『刑事鬼貫八郎16 死のある風景』。 ……誰か、ちゃんとした脚本と役者で鮎川哲也を映画化してくれ(T.T)。
昨15日、マラソンの高橋尚子選手が、アテネ五輪のマラソン代表選考で、落選。 14日の最終選考レースを回避した時点で、私は「ああ、これは落ちたな」と思っていたので、意外でもなんでもなかったのだが、本人や小出義雄監督、それからマスコミも世間の人々もかなり意外だったらしい。……なんでかねえ。 高橋選手本人は「自分で決断したことで後悔はない」と言ってるが、これは「決断」じゃなくて、過去の実績を鵜呑みにした「甘え」だろう。でなければ「走れなくて残念」なんてセリフは出てこない。小出監督の「名古屋で走らせていれば」という発言も、「何を今更」である。 それどころか、今日16日になって、日本陸上競技連盟事務局には、約150件の抗議の電話が殺到したとか。中には「爆弾を仕掛けるぞ」といった過激な内容も目立ち、選考過程の詳しい説明を求めて、1人で3時間以上も続けて抗議してきた例もあったとか。 こういう既知外が今の高橋選手を支えているのなら、落選してホントによかったんじゃないかと思う。周囲の過剰な期待や、偏執狂的な情熱が、才能のある選手を狂わせ、潰してきたことはこれまでにもいくらでもあったことだ。マイペースを貫いているように見えた高橋選手ですら、「過去の実績」という幻想に踊らされてしまった。ここで少し冷静になって、自分の判断がただの傲慢だったことに気づいてもらったほうがいいし、もしも選ばれた選手たちが芳しい成績を残せなかったとしても、「私が出ていたら」なんて腐れた思いは持ってほしくない。でもどうせ世間の「ファン」と名乗るただのハイエナは、そんなふうに思うのだろう。自分の「応援」が人を「殺す」こともあるという可能性を考えもしないで。 東京五輪の銅メダリスト、円谷幸吉選手の自殺を、もうみんな忘れてしまってるのだろうか。スポーツ界がクリーンだったことなど一度もない。
声優の神山卓三氏が、昨15日、敗血症で死去。享年72。 この人も、声を聞いただけで分る、声優さんの一人だった。『チキチキマシーン猛レース』のケンケンが代表作のように言われているが、声質はもともと飄々とした温かみのあるもので、今風に言えば「和み系」であった。温かみのある声だからこそ、そこにペーソスを感じさせることもできる。言わば日本の喜劇人の伝統を忠実にたどる演技を得意とされていたのだが、そういう演技のできるベテランの声優さんは、これであと富田耕生さんや緒方賢一さんなど、数えるほどしかいなくなってしまった。 『機動警察パトレイバー』「視聴率90%」で、“顔の出ない”「クマ五郎」の悲哀を声だけで演じていたのが印象深かった。
2003年03月16日(日) 出来ない要求/アニメ『ヨコハマ買いだし紀行』/『ななか6/17+』(八神健)/『オタクのピンクサロン』(筋肉胸毛)ほか 2001年03月16日(金) ワーオ、なんてこったい!/DVD『シックス・センス』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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