無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年08月31日(日) 充実の休日。シャレかい/映画『乱れからくり』/『チキンパーティー』1巻(金田一蓮十郎)/『よつばと!』1巻(あずまきよひこ)ほか

 連休最後の日なんで、朝からテレビに張りつき。全部感想書いてたら、枚数がいくらあっても足りないので、ごくサワリだけを。


 アニメ『鉄腕アトム』21話「湖の怪物」。
 環境破壊の調査のために、恐竜が住むという伝説のあるドラゴンレイクを訪れた夕子とアトム。そこで二人は森林管理員のサラと出会うが、実はサラこそが金儲けのために不法投棄を重ねていた犯人だった。
 一方、アトムは、湖を調査中、恐竜を探し求める青年、沼田と知り合う。彼は冒険家である父の遺志を継いで、このドラゴンレイクにやって来ていたのだった。そこにやってきたサラの操る巨大ロボット。夕子を人質に取られ、アトムはどうすれば……。
 ありきたり過ぎる展開で、なんか話題にするのもなあ、という気がしてくる。サラが3人組のグループで「やっておしまい!」ってセリフを口にするのもちょっとねえ。


 日本映画専門チャンネル『乱れからくり』。
 泡坂妻夫の日本推理作家協会賞受賞作を映画化、作者本人も冒頭に焼鳥屋のオヤジで出演という、当時のミステリファンが待ちに待った作品だったんだけれど、原作を下手に改変したおかげで、グタグタの駄作になってしまった悲しい一作。まあ、一応ネタバラシはしないけどよう、あのネタはミステリじゃ「やっちゃいけない」禁じ手なのは常識なんだぞう。古典的なロマン小説、時代モノとかにはよく使われてたけど、現代ミステリでアレやったのって、横溝正史の少年モノくらいのもんだ。
 主演の松田優作が「こんな映画やってられるか!」と台本をひっちゃぶいて、脚本家に謝ったってやつがこれ。でも松田優作正しいよな。
 まあ劇場で見たときはまだ私も若かったら、今見りゃ少しはいいとこ見つけられるかと思ったけど、なんだかテレビ的で安っぽい繋ぎのカットや、安易なドラマ展開にますますダレちゃったのだった。


 チャンネルNECO『ちゃっきり金太』『続ちゃっきり金太』。
 山本嘉次郎監督による1937(昭和12)年製作の『エノケンのちゃっきり金太』(本作同様前後編だが、現在は総集編しか残っていない。助監督が黒澤明!)を三木のり平でリメイク、ということになってるけれども、ミステリファンならご存知の通り、これは『快傑ゾロ』の作者、ジョンストン・マッカレーの『地下鉄サム』シリーズを下敷きにしている。スリのサムが金太で、クラドック刑事が岡っ引きの倉吉に置き換えられている。
 榎本健一&中村是好のコンビを、三木のり平&有島一郎が演じているわけだが、エノケンのあとがまに起用された当時の三木のり平の「位置」がわかって面白くはあるけれど、まあ、エノケンほどの軽妙さがないのは如何ともしがたい。走りが違いすぎるし、のり平さんが歌を殆ど歌わないのもどうもね。声質がどうにも重いのである。後に森繁喜劇のワキに回ってしまうのも、主演作に恵まれなかったせいもあるのだろう。


 『ぬかものがたり』『お伊勢参り』『恋の羊が海いっぱい』。
 珍しい広告映画三本立て。最初の2本は『冗談音楽』の三木鶏郎グループ(三木鶏郎・丹下キヨ子・三木のり平・小野田勇)がナレーションを担当している。と言っても知ってる人少なくなったろうなあ。「ワ・ワ・ワ、ワが三つ」「明るいナショナル」「キリンレモン」他、数々のCMソングを作った人、と言えば若い人でも少しは見当がつきましょうか。三木のり平がブタの声当てをしているのには笑っちゃいました。
 三本目は羊毛のCM映画だが、歌の作詞が寺山修司で、歌手がペギー葉山。よくもまあ、こういう珍品を探し出してきて放送してくれたものと感心。
 ついでだけど、9/18に東芝EMIからCD『エノケン ミーツ トリロー ENOKEN MEETS TORIRO』が発売されるぞ。みんな買え。


 『忘れ得ぬ人』『夜霧に消えたチャコ』。1時間もののミニ映画。『忘れ得ぬ人』は「第1部」とあったから、てっきり2本目が続編かと思ったら何の関係もなかった。筑波久子はあまり好みではない。


 『LAST SCENE』。
 『リング』シリーズの中田秀夫監督による、昭和30年代と現代の、両方の映画界の内幕を描くロマン映画。ホラーではありません(^o^)。
 
 日本映画の黄金期、俳優、三原健(西島秀俊)はスターとして活躍していた。だが、青春映画の相手役としてコンビを組んでいた女優・吉野恵子(麻生祐未)の引退後、彼は会社から見限られ始める。「映画の時代は終わるのよ」。かつて愛人関係にあった恵子の別れ際の言葉が、三原の胸に突き刺さる。荒れる彼を更に直撃する妻、千鶴(若村麻由美 )の不慮の死。彼は酒に溺れ仕事を失い、人々から忘れ去られていった。
 35年の後、今やテレビの劇場版映画しか撮られなくなった撮影所に働く小道具係のミオ(麻生久美子)の前に、年老いた三原建(ジョニー吉長)が現れる。ほんの端役であったが、彼はまさに命がけの演技をミオに見せようとしていた……。

 映画を愛する中田監督の思いがヒシと伝わってくるような映画。年老いた三原を演じるジョニー吉長さんが絶品。これで役者が本業じゃないんだから参っちゃうよね。

 
 マンガ、金田一蓮十郎『チキンパーティー』1巻(秋田書店/プリンセス・コミックス・410円)。
 昔、マンガの単行本には必ず著者近影ってのが載っていて、赤塚不二夫はバカボンパパのコスプレなんかしてたものだったが、最近は自画像描いても写真をナマで載っける人は随分少なくなった。女性のマンガ家さんとなると昔から殆ど写真を載せない。で、描かれる自画像が誰も彼もメガネ掛けた丸顔だったりするから、区別つかないのね(^_^;)。
 金田一さんは珍しくも写真を載せ続けているが、いったい何でだろうと疑問に思っていたのだけれど(ペンネームが男名前なので女であることを主張するためかとも思ったが)、折り返しのコメントに「私はえらいポジティブシンキンです」と書いてあるのを見て、ああ、これかいな、と何となく納得した。勝手な憶測も入ってるけど、金田一さん、自画像なんかで自分を隠したり美化して見せたりするのがイヤだったんじゃなかろうか。読者だって、別にマンガ家さんのプライバシーを何もかも知りたいわけではないけれど、妙に隠されちゃうと、こいつもしかして後ろぐらいことやっとんちゃうかとか勘繰りたくもなるのである。露出を嫌うのもほどほどにしといてもらわないとねえ。

 また悪いクセで本のナカミとたいして関係ない話をしてしまったけど、別に内容を説明したくないわけではないよ。それどころか全く逆で、久々に大笑いが特盛のギャグマンガである。掲載誌は『月刊プリンセス』だそうだけど、こういう毒のあるマンガを読んで今の女の子は育っていくのだねえ(^o^)。
 一人暮らしの女子中学生、吉田毬央のマンションに突然押しかけてきた「トリ」。『オバQ』以来の「ヘンなやつの押しかけ居候」パターンではあるけれど、こいつのハタ迷惑さは尋常ではない。いやさ、普通こういう「押しかけ」パターンには「きっかけ」ってものがあるじゃないの。卵を拾ったとか地球の運命を賭けた鬼ごっこに勝ったとか。
 それが何にもないのである。
 「君が淋しそうだったから来てあげたよ!」
 惹句に「ウルトラポジティブシンキン」とあるが、単に勘違いなお節介野郎だ。つか、なんで「トリ」? 着ぐるみ着てるのか、それとも……。
 ともかく「地には平和を人には愛を」がモットーのこのトリさんが、毬央ばかりでなく、ご近所さんを巻きこんで、余計なお世話をしまくるのがこのお話。
 デパートの屋上から飛び降り自殺しかけたOLのお姉さんに、トリさんがかけた言葉が以下。
 「死んじゃうことに逃げ道を見ないで、もっと楽しいことに目を向けようよ! たとえばお家でマンガ描いたり気になる声優のCDを聴いて一人照れながら微妙な気分になりつつもほくそ笑むとか…どう? いや〜面白いよ声優。なんかクセになるからね! みやむーとか」
 どうと言われても、トリでオタクなんである。みんな次の瞬間に、こいつに殺意抱くだけじゃなかろか(まあ私はみやむーは好きですが)。ああ、愛は地球を救わない(^o^)。
 トリさんはすっかりご近所のウワサの的。おかげで毬央の部屋は、殴られ蹴られたトリさんの血飛沫で染みだらけ♪ もちろん殴っているのは毬央である(^o^)。
 しかし金田一さん、絵が上手くなったなあ。『ポンキッキーズ』か『セサミストリート』のキャラかと思うようなトリさんと、普通の女の子である毬央たちのキャラが自然に一つの画面で馴染んでいるのである。今時のマンガの一つの完成形って気すらする。『ハレグゥ』も随分キレイなアニメになったけれど、これもアニメ化することにでもなったら、アニメーターの技量が試されるな。単純そうな線に見えるけれど、単純だからこそ、ほんのちょっとした「歪み」が大なしになりかねないのである。
 いや、ホントにアニメにしてほしいぞ。でもって、トリさんの声は山口勝平か岩田光央がやってくれないものか。このお二人なら、思いきりぐーで殴りたくなるトリさんを心地よく演じてくださると思うのだが。


 マンガ、あずまきよひこ『よつばと!』1巻(メディアワークス/電撃コミックス・630円)。
 『あずまんが大王』のあずまさんの、4コマではない本格的ストーリーマンガ。一応、シチュエーションコメディにするつもりなのかな?

 新しく引っ越してきた小岩井さんちには、ちょっとヘンな、小さい女の子が一人いた。その名も「よつば」(「その名も」なんて言うほどではないな)。見るもの聞くものが初めてで、ブランコに乗って大ジャンプはするし、電柱に昇ってセミのマネはするし、クーラーを地球の敵と思い込むし(地球を温暖化してしまうからである)。いったいどんな環境で育ってきたのやら。
 お隣さんの綾瀬三姉妹、あさぎ、風香、恵那はいきなりよつばに振り回されて右往左往するけれど、真っ直ぐで衒いのないよつばのかわいらしさにどんどん惹かれていく。

 『あずまんが』もそうだったけれど、マンガマンガしたキャラで、誇張だって当然あるけれど、なぜかすごく身近に感じるのは、作者のあずまさんにキャラ造詣に関する一家言があるからだろう。
 あずまさんのHP『A−ZONE』に、そのへんの「思い」が語られてるので、ちょっと引用しよう。

 あずまんが大王の時もそうですが、私はいわゆる「○○系」といった型にはまったキャラメイキングはしたくありませんでした。そういう作り方をすることでその「系」が好きな人達がとっつきやすくなるというのはあると思うのですが、そういうキャラってなんか人形っぽくて嫌なんです。読んだ人が後で分類するのはいいですが、作るほうが分類で作っちゃキャラは生きてこないと思う。大阪はいわゆる「天然ボケ系」にカテゴライズされるんでしょうが、天然ボケ少女として描いていたキャラではありません。
 「よつばと!」はその辺を受けつつ、例えて言えば少し化学調味料を減らしてみた感じです。あずまんが大王とは違う調理法に色々とまどったりしていますが、必ずおいしいものを作ろうと思います。


 なんだか泣ける言葉だなあ。つか、あかほりさとる当たりに聞かせてやりたいぞ。
 『よつばと!』にだって、パターンに則ったキャラ造型はされてはいる。「三姉妹」って設定だって、これまでどれだけ描かれてきたことか。けれどあさぎはウルドでもかすみでもないし、風香はベルダンディでもなびきでもないし、恵那はスクルドでもあかねでもない。似て非なる造型が施されていることは誰でも気づくだろうが、さてそれがどんなのかと言われるとうまく言葉では説明できないところにリアルさがあるんである。説明になってないな(^_^;)。
 まあ、さりげないけど、風香が自転車停めるときに「よ」って声出すあたりとか。とーちゃんがバンツ頭にかぶって「パンツマーン!!」って叫ぶとことか。そういうのってありそうな気がしませんか? こういう「表現」が描けることが、このマンガを「強く」してると思うんである。
 リアルだけれども理想。「無敵」なよつばちゃんは、読者にとって一番、「隣にいてほしい」女の子なのではなかろうか。

2001年08月31日(金) おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか


2003年08月30日(土) ネットではみんな「役者」だ/DVD『恋人よ帰れ!わが胸に』/映画『ゲロッパ!』

 気がついたらヒグラシが鳴いているのである。つい一週間ほど前に夏が始まったって感じなのにもう残暑か。この分だと秋がなくていきなり冬になっちゃわないかな。あるいは暖冬か。年に一回くらいは雪を見たいと思うんだけれど。


 ビリー・ワイルダーボックスから、DVD『恋人よ帰れ!わが胸に』。
 ワイルダーも昔から全作見てやろうと思いながら、未見だったものの一つ。
 ワイルダー作品の中では比較的評価が低いが、それはまあ、ワイルダーにしては、と思って見るからであって、単独で見たらそう悪い出来ではない。なんと言っても、ワイルダーの晩年の作品の中ではほぼ唯一と言ってよいオリジナル脚本(I.A.L.ダイアモンド共同脚本)作品なのである。よかれあしかれシニカルな「ワイルダーらしさ」の横溢した佳作であることは間違いない。
 『七年目の浮気』で起用する予定だったウォルター・マッソー(まだ新人だったマッソーをMGMが嫌った)がようやく出演、ここに初めてジャック・レモンとの名コンビが誕生する。このマッソーのアカデミー助演男優賞演技を見るだけでも充分楽しめる。
 こういう有名な作品の筋を紹介するのは気が引けるのだが、まあ私にとっては初見だからってことでご容赦。

 フットボールの試合中、事故で黒人選手のジャクソン(ロン・リッチ)にタックルされて脳震盪を起こしたテレビカメラマンのハリー(レモン)。義兄で悪徳弁護士のウィリー(マッソー)は、ハリーの脊椎が子供のころ屋根から落ちたのがもとで損傷していることを利用して、チームから莫大な損害賠償を騙し取ろうと目論む。根が善人なハリーはいったんは断るが、別れた女房サンディー(ジュディ・ウェスト)が心配して飛んで来ると知って、ついウィリーの計画に乗ってしまう。ところが罪の意識に苛まれて献身的に看病に日参するジャクソンの姿を見て、ハリーは自分のほうが罪悪感に悩まされる羽目に……。

 タイトルの「恋人よ帰れ〜」は一応レモンの気持ちを表現したものだろうけれども、本編のイメージには合わない。だいたい別れた女房を「恋人」とは呼ばんだろう。原題は“The Fortune Cookie”。お御籤入りの中華せんべいのことである。入院中のレモンのところに運ばれた中華ランチの中に、フォーチュンクッキーならぬ医者の眼を誤魔化すためのクスリの注射器が入っているというシーンがある。運命はどう転がるか、といった暗喩だろう。
 全体が16章の構成になっていて、各章の初めにいちいちタイトルが出るのだが、これがなかなか人を食っていて面白いものが多い。

 1.The Accident(不慮の事故)
 2.The Brother-in-law(義理の兄)
 3.The Caper(悪だくみ)
 4.The Legal Eagles(すご腕弁護士)
 5.The Chinese Lunch(中華ランチ)
 6.The Snake Pit(蛇の穴)
 7.The Gemini Plan(ジェミニ計画)
 8.The Torch(愛の聖火)
 9.The Goldfish Bowl(注目の的)
 10.The Return of Tinker Bell(ティンカー・ベルのご帰還)
 11.The Longest Night(一番長い夜)
 12.The Other Blonde(もう一人の金髪)
 13.The Indian Giver(分け前に群がる人々)
 14.The Taste of Money(金の味)
 15.The Better Mousetrap(巧妙なネズミ取り)
 16.The Final Score(最終結果)

 最初はごく普通に見えるけど、5章なんかいきなり「中華ランチ」である。いや、そりゃ確かに中華ランチは出てくるけれども。
 7章の「ジェミニ計画」って何を大層なタイトル、と思ったら、レモンを監視する探偵が“二人”体制を取るってだけのことだった。
 9章の“The Goldfish Bowl”はもちろん「金魚ばち」のことで、探偵に監視されてるレモンの自宅マンションの部屋のこと。まあ確かに金魚ばちはいつまで見ててても飽きない。たいした変化はないのにね。
 12章の「もう一人の金髪」、なんか謎の女の登場かと思ったら、ただのチョイ役で話の本筋とは何の関係もない。こういうタイトルのつけ方するあたりが人を食ってるというのである。
 13章の“Indian giver”、最近の英語事情には(もちろん昔のにも)詳しくないけど、この「インディアンの贈り主」、差別語には引っかかってないのかな。アメリカの俗語で「贈った物をあとで取返す人」「返礼を期待して贈り物をする人」という意味があるそうである。なんか聞いたことあるなあと思ったらアレだ、かんべむさしの『ポトラッチ戦史』。
 ※「ポトラッチ」(potlatch)〔チヌーク語で「贈与」の意〕北太平洋沿岸の北米インディアンにみられる贈答の儀式。地位や財力を誇示するために、ある者が気前のよさを最大限に発揮して高価な贈り物をすると、贈られた者はさらにそれを上回る贈り物で返礼し互いに応酬を繰り返す。(大辞林第二版)
 劇中では、ジュディ・ウェストがいけしゃあしゃあとレモンに近づくのを皮肉ってますね。

 このペテンが最後にどうなるかってオチが今一つスッキリしないところがドラマとしては恨みはあるんだけれども、必ずしもハッピーエンドにしないところがワイルダーらしいと言えば言えるのかな。


 夕方、しげとよしひと嬢と博多駅で待ち合わせる。先週は前売券をウチに置き忘れてしまったが、今日はちゃんと持ってきていた。よしひと嬢の分はポイントカードが溜まっていたのでタダ。
 開演時間まで時間があるので、オムライスの専門店で食事しながら駄弁り。

 いよいよ公演が近づいているのだが、練習の方、なんだか煮詰まっているようで、よしひと嬢が愚痴ること(^_^;)。
 芝居作ってるときに、段取り通りに行くってことはまずない。たいてい何かのアクシデントが起きる。いや、不慮の事態ならばともかくも、誰か一人でも「やる気あんのかテメエ」といった態度を取るヤツがいると、空気が殺伐としちゃうんである。誰とは言わんが穂稀嬢のことな(^o^)。
 話によれば、演技がうまくいかないと、すぐに「そんなのできませーん」とか駄々をコネちゃうらしい。……わしゃそんなに演技し難いようなムズカシイ脚本書いたっけ。(^・^;) ?
 穂稀嬢がもともと不器用で無知でワガママのはわかってんだから、それを前提にして使うってのも演出の一つなんだがなあ。「そんなことないよできるよ!」って類のハゲマシは、「今はできてない」って責めることになっちゃうから禁句。下手でも「いいねえ、今の。もう一回やってみようか?」と聞いてやらせてみる。するとまず十中八九前の演技と違ってくる。どう違ったかそこで自覚させると伸びる。そういう手もあるのだ。
 でも本番になると役者ってものは意外に何とかなるものである。それに台本渡した以上は、作者ってのはもうそれをどう弄くられようが文句を言っちゃなんないものだ。
 仮に穂稀嬢の演技が眼も当てられないものだったとしても、演出次第ではそれが芝居として成立してしまうのが舞台の不思議なのである。

 よしひと嬢の言動については、日記でも結構突っ込んだところまで書いてるので、気にしちゃいないか、もしかしてかなり立腹されたりしてはいないかと思っていたのだが、「何でも書いていいですよ」とありがたい言葉を頂いてホッとする。
 実のところ、ネットにおいてその人のことを誉めたか貶したかってのは、受け手はあまり忖度する材料にはしていないものだ。感想も批評もそれは書き手の勝手であって、受け手が見ているのはあくまで紹介したその人のナマの思想なのである(そのことに気づいていない受け手も多いみたいだけれど)。その点で言えば、よしひと嬢の思想・信条については、かなりヤバいところまで私は紹介してしまっている。それを知ってなお「いくらでも」と仰る彼女の度胸には、素直に感嘆しているのだ。
 もちろん、彼女のキモが座っているのは、もともと「役者」だからなんであって、普通の人にそれを要求することは、本来酷なことである。私も誰彼ナシに人のコトを突っ込んで書いているいるわけではない。
 でも、ネットってのがこれだけ開かれていれば、参加者は勢い自分もまた大舞台に立たされていることをホントは自覚してないとマズいのではないか。自分の言動がどんな批判をどこから受けるかも覚悟しなくちゃならない。簡単に怒っちゃう人ってのは、そもそもネットに向いちゃいないよなあ、と思うんだが、そういう人々をも広く包含して、ネットは日々ぐちゃぐちゃのどろどろのへねもねのブラウン運動を見せ続けている。
 「要するにネットに参加してるってだけで、バカなんだよ」
 職業上、ネットが必要な人が多数いることも承知の上で、あえてそんな言葉を口にしたが、実際にそう思わないではいられない。例えば、学校や病院など、各種施設のホームページだが、堂々と掲示板を載っけてるところが多い。アレ、荒らされる覚悟でやってんのかな、と思う。どこぞの学校で事件が起こったときに、非難の書きこみが殺到して閉鎖になった、なんて話をよく聞くが、自校の宣伝のためにホームページ立ち上げたんなら、そこでそういうみっともない対応をしたらますます評判が落ちるだろう。最初から掲示板なんか用意しないか、メールフォーム作るだけにしときゃよいのだ。
 この「バカ」ってのには当然、私自身も含まれてるので(と何度もハッキリ書いてるのに、それを読めねえバカが多いんだ)、全く何でこんな芸のないホームページを作ってんだと思っちゃいるんだが、成り行きというものはどうにもこうにも仕方ないと言うか、まあそういうものなんである。
 ウチもささやかな掲示板を設置しとりますが、荒らしさんにも誠実な対応をさせていただいとります。宣伝以外は問答無用で削除したりはしませんので、まあ文句も悪口もご遠慮なくどうぞ。
 

 『GAMERS』を回って、新刊のコミックスを物色、そのあとシネリーブル博多駅にて、映画『ゲロッパ!』。
 「つまらない映画を撮ることが許されない男」というのがCS日本映画チャンネルでの井筒和幸監督のキャッチフレーズになってるが、実際に批判されながらもそれなりの佳作を作ってきてるんだから、立派なもんじゃないかね。
 だいたいこの映画、好みという点から言えば全然好みじゃないのである。
 主人公ヤクザだし、演じてるの西田敏行だし、話は親子の和解モノで「また『父帰る』かよ」だし、出て来るキャラみんなバカばっかだし、とりあえず歌うシーンがあるらしい、くらいしか興味を引くところがない。
 ところが見ている間これが全然飽きないのだね。

 収監を数日後に控えて、羽原組組長の羽原大介(西田敏行)は、25年前に生き別れになったままの娘、かおり(常盤貴子)に一目会おうと決心する。
 新幹線の中で、羽原と舎弟の金山正男(岸辺一徳。名前はもちろんあの方から取ってるんでしょうね)が、昔話にジェームズ・ブラウンのコンサートを思い出して、いきなり『イッツ・ア・マンズ・ワールド』を二人で踊り出すのがおかしい。しかもそこに雪崩れるように芸能人そっくりショーの役者さんたち、森進一やらマリリン・モンローやら双子の美空ひばり(^o^)なんかが押し寄せてくるのである。このへんなんかはマルクス兄弟的感覚ですな。
 で、そのプロダクションの社長やってるのが実は羽原の娘のかおりで、それと知らずに二人はすれ違っているのだ。このあたりの演出は『君の名は』なみの古い演出だが、物語のセオリーをキチッと抑えているということでもある。そのセオリーをこういう雑然とした状況で描いちゃうのが大阪人の感覚なんだねえ。「キレイなねーちゃんやなあ」と羽原が身もだえするのがコッテコテなんだけれど、ああ、これが伏線になってんだな、ということが見えるので、決して鼻につく感じにはならないのだ。
 羽原組も解散する、と思い出の金のJB像も金山に渡してしまう羽原。金山は何としても羽原に元気を取り戻してもらい組の解散を食い止めようと、子分の太郎(山本太郎)、晴彦(桐谷健太)、健二(吉田康平)たちにトンデモナイ計画を命令する。
 「おまえら今すぐ、ジェームス・ブラウン、攫いに行って来い!」
 JBが誰か分らない子分に、金山が『セックス・マシーン』を踊ってみせるのだが、さすがはサリー、実に腰が決まっているのである。もちろんそんなことしたってJBが何者か子分たちに分るはずもないのだが(^o^)。

 これからあとの展開はかなりネタバレに引っかかるので省略。
 一つ二つ、付け加えておくと、西田敏行が舞台で『セックスマシーン』を歌うことになるまでの展開が自然で「よく出来てるよなあ」と思わせる。
 ラサール石井扮する政務秘書官が暗躍する設定は、オチをつけるためには必要だったということはわかるのだが、やや不自然だった。でもこれとても、ムリヤリハッピーエンドにしたおかげで『父帰る』モノに特有の「お涙頂戴」の辛気臭さが消えて、バカバカしさの方が優先される結果になったのだから、必ずしも欠点とは言いがたいのである。やっぱ最後がキャスト全員登場のミュージカルで終わるってのがいいやな。
 長塚圭史、ウィリー・レイナー、塩見三省、根岸季衣、篠井英介、寺島しのぶ、小宮孝泰、徳井優、トータス松本、岡村隆史、益岡徹、藤山直美といった脇の役者も、みんないい味を出している。
 かおりの娘、歩(太田琴音)のこまっしゃくれたかわいらしさは近年の子役の中でも特筆すべき名演ではなかろうか。アンタ、初出演でこれだけ堂々と西田敏行と渡り合えるって、こりゃスゴイことですよ。
 パンフレットが懐かしのLP仕様なのもGOOD。

 外に出ると、雲間に稲光が走るのが見えた。よしひと嬢、「あんなはっきりした稲妻見たの久しぶり」と喜んでいる。実際、まさに龍が走ったように見えたのである。昔の人が龍神を雷から創造したのもムベなるかな。
 でも、いくら待っても音もせず、雨が降る気配がないのは、よほど遠方なのだったのだろう。


 帰宅して、よしひと嬢にDVD『パパ・センプリチータ』を見せるが、よほど疲れていたのか、途中で就寝。なんか毎回DVD見せてばかりだが、若い人が砂が水を吸うように面白いものを吸収していく様子を見るのは嬉しいものなんである。出来るだけ面白いと思ってもらえるものを選んでるつもりなので、多少は「ムリヤリ見せてる」感があったとしても、ご勘弁いただきたいのである。

2001年08月30日(木) 性教育マンガ(* ̄∇ ̄*)/『フリクリ』2巻(GAINAX・ウエダハジメ)ほか
2000年08月30日(水) ○○につける薬がほしい……/映画『蝶々失踪事件』ほか


2003年08月29日(金) 戦慄の3時間/舞台『放浪記』/『新暗行御史』第六巻(尹仁完原作・梁慶一)

 昼からしげと博多座へ、舞台『放浪記』初日を観劇に行く。
 どこかで先に食事をしておこうかと思ったけれど、せっかくだから博多座の弁当を食べることにする。ちょっとお高いんだけれど、幕の内なら品数は多いし、栄養のバランスは悪くないんである。
 けれどしげ、せっかく買ったのにおかずをいくつかつまんでみて「辛い」と言って残してしまう。そりゃ酢のものなんかが苦手ってのはわかるけど、そんなに辛いものばかりではない。エビを残したりしてるのは、単に殻を剥くのが面倒臭いからだ。戦前の人が見たら怒るぞ。殻を剥いてやって差し出したら、案の定パクリと食べた。
 弁当は何種類も売ってたので「他のの方がよかったかなあ」と食べ終わったあとでも物欲しげ。まあ今度は『レ・ミゼラブル』が来るみたいだから、そのときの楽しみにしておいてな。


 林芙美子原作、菊田一夫脚本、三木のり平潤色・演出、本間忠良演出補『放浪記』。
 今回パンフレットを読んで、初めて初演時のもとの脚本が5〜6時間もの大作であったことを知る。それを三木のり平が2時間強にまでカットし、にも関わらずダイジェストに思わせない重厚な舞台を作り上げていたのである。物故した三木さんの名前が未だに掲げられているのは、そのバージョンの再演のため。
 
 芝居を見ていて「戦慄する」ということがある。
 上手いなあ、とか、凄いなあ、というより、「これは人間技か」と言ったような感覚なのだが、特にその人が舞台の上で飛んだり撥ねたりウルトラCの体操技(古いね)を見せるというわけではない。
 ごく自然な、日常のさりげない動きなのだが、実は演技をしているわけでもない普通の人間の日常の仕草の方がぎこちなかったりすることは往々にしてある。「自然な演技」を衒いもなく演じることほど困難なことはないのだ。
 言葉にするのがとても難しいのだが、森光子の演技には、紛れもなく「神」が降りている。
 20年ほど前、昭和58年に、今ほど『放浪記』の公演回数の「記録」が話題になっていなかったころ(森繁久彌の『屋根の上のバイオリン弾き』のほうが記録更新中であったから)、私は東京芸術座で友人と「まだ七百回ほどしか演じられていない」「演出が、亡くなった菊田一夫から三木のり平に代わって2年しか経っていない」舞台を見ている。
 同じ芝居を何百回何千回も繰り返し演じるというのはもちろん並大抵のことでできることではないのだが、役者がそれに倦むことがないというのは、ほんのちょっとした首の動き、指の仕草、0コンマ1ミリの違いであっても、そこに表現されたものが全く違ってくるからだ。年を取るにつけ、演技に円熟味が増すとはよく言われることだが、役者が見聞きし経験したことは1回1回の舞台に確実に反映されていく。老境に入り、からだの動きが鈍くなっていってもそれは続く。
 客もまた、年を追うごとに見るものが違ってくる。ハタチになったばかりのあのころ、ライバルである親友の原稿を出版社に届けるのを遅らせた林芙美子の行為を、私は彼女の言い訳通り、単なる「過失」だと思っていた。全く、若いってことはバカってことと同義語なんだが、もちろん林芙美子の心理はそんな単純なものではない。晩年に至っても、その親友の怒りが溶けても、それでもなお「過失」だと言い訳をし続ける芙美子の心の壁を、あのころの私には思いやることすらできなかったのだ。
 その壁の向こうにある怨念を、今回少しだけ実感できるようになったというのは、それだけ私もその20年分の自分と他人の怨念に触れてきたということの証左なのだろう。

 小鹿番の菊田一夫も、既にモノマネの域を越えている。最終五幕にしか登場しないが、森光子とのやりとりは、林芙美子と菊田一夫もきっとこういう会話をしたのではないかと錯覚させるほどであった。
 舞台の背景に林芙美子の蔵書として『荷風全集』が置いてあったりするのが芸コマ。二階席だったけれど、オペラグラスを持って行ってたので、そこまで確認できました(^o^)。


 マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』第六巻(小学館/サンデーGXコミックス・580円)。
 なんと韓日合作による劇場アニメ化が決定である。てことは当然全話映像化はムリだから、いくつかの短編を合わせて製作するのかな。
 前巻あたりからまた面白くなってきたけど、これまでのように短編の連作でなくて、一巻かけても終わらない長編にしたおかげで、読み応えが増したってこともあるかな。
 今回の話、「謎」ネタなんであまり詳しいことは書けないのだが、今までで一番「意外性」のあるストーリーじゃないかな。

 文秀(ムンス)は、壊された馬牌を直せるという老人、弥土(ミト)を訪ねて七甲山に赴く。
 そこで出会ったのは、美しい領主の娘、平岡(ピョンガン)。彼女はもうすぐ、山に住む温達(オンダル)という子供のままの心を持った青年と結婚すると言う。しかし弥土は文秀に告げる。「平岡と温達は決して結婚はできぬ」と。
 弥土は、馬牌を新たに作る代わりに、この二人を幸せにしてみせろ、と言う。ただし、山道(サンド)の力を借りず、一人で……。

 筋の紹介はこれくらいが限界かな。ネットを散策したらいくらでもネタバレしてるとこあるけど、未読の方はともかく現物を先に手にして頂くよう、お願いします。
 韓国の民話をもとにすることの多いこのシリーズだけど、これにも原典があるらしい。もちろんそれを下敷きにしているからこそ、韓国の読者はまさか落ちがああなるとは……と意外性もひとしおなのだろう。ああっ、このトリックって、江戸川乱歩の……! まあ偶然の一致でしょうけどね。


 『月刊ガンダムエース』10月号(角川書店・580円)。
 ページをめくると、アムロ・レイと一緒に電車に乗ってる青い服着たきれーなCGのねーちゃんがいるなあ、と思ったら、これがなんと釈由美子。プレイステーション2のゲームソフト『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』の広告だったのだ。いや、私の目が悪いってこともあるかもしれないけど、ホントにCGに見えたんだよ。スタイルいいし全体的にツルンとしてるし。
 リアルなCG映像はもう随分見なれてきたけど、実在のアイドルもアニメチックな人が売れてきてるって感じなのかな。「人形のような」とか「絵から抜け出てきたような」って表現は昔からあるけど、そのうち「アニメのような」って形容も生まれるかも。それとももうある?

 『ガンダム THE ORIGIN』、大増56ページ。サイン会で安彦さんに「ページは増えないんですか?」と聞いたファンがいたかららしい。誠実な方だなあ。無理してカラダ壊さなきゃいいんだけど(と昔のファンは未だにテレビシリーズ後半の安彦さん無念のリタイアを思い出して、こんなことを言うのである)。
 嬉しいことに、安彦さんはカラーページも自由に使えるようになったらしい。巻頭と、ランバ・ラルとの決闘と、巻末のアムロ幽閉のシーンと3ヶ所も。これ、単行本になっても全部は再録されないから、やっぱり雑誌を毎月買わなきゃなんないんだよねえ。

2001年08月29日(水) 腹立ち日記/映画『お笑い三人組』ほか
2000年08月29日(火) 後始末は大変そうだな/『ルパン三世総集編』第6集ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)