無責任賛歌
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| 2003年01月03日(金) |
日記書いたことしか記憶にないな/『ヘウレーカ』(岩明均)ほか |
朝方、CSカートゥーンネットワークで『トムとジェリー』の連続放送。 と言っても、声優がDVD版と全く同じバージョン(肝付兼太・堀絢子)なので、昔なつかし八代駿、藤田淑子、谷幹一版ではない。 もはや旧版は永遠に見ることがかなわなくなっているが、合間に放送されていたドルーピーシリーズなども今はなかなか見られない。口笛を吹く狼(小林清志)のシリーズも好きだったんだけど、アレのタイトルや監督、吹いてた口笛の曲名、ほとんど知らないのである。ネットで調べてみも、画像が付いてないサイトがほとんどでよくわからないのである。誰かご存知の方いらっしゃいませんか。
今日は仕事が休みなので、ひと寝入りしたあと、ひたすら日記書き。 短く書きゃいいものを書いても書いても終わらない。今月末までに追いつかなかったら、また飛ばすか、五行日記くらいですっ飛ばすしかないかな。
夜、テレビで『平成教育委員会2003スペシャル』。 「視聴者のみなさんもテストを受けてみよう」というので、途中まで漢字の問題解いたりしてたのだが、世界地理が私はからきしダメだということが判明。いや、別に今判明したわけじゃなくて昔からわかっちゃいたんだが。何を間違えたかは恥ずかしいから言わない(←卑怯)。でも今、問題を解けば正解するであろう(当たり前だ)。 でも総合点だと70点ほど行ったから、出演者の誰よりも高得点だ。えへん。……小学生の問題で70点取っても全然いばれないのである。
『新春ドラマスペシャル 秋刀魚の味』。 小津安二郎のリメイクだけれど、出てくる役者出てくる役者、みんな小津安二郎の世界をカケラも表現できていない。なんかね、みんなね、小津の世界を「庶民の機微を描いたもの」とか「ホームドラマの元祖」とか思ってるみたいだけど、ぜんっぜん違うのよ。小津さんは徹底的に貴族趣味なんでね、外国映画で比較するならヴィスコンティにあたる人なんだよ。 庶民ってのは自分の猥雑な感情をストレートに表しちゃうんで、庶民どうしはどうしたって喧嘩になるんだけど、貴族はそんなのないフリするのね。だから貴族どうしのコミュニケーションには常に「腹芸」がつきまとう。腹芸の演技なんか出来ない役者ばかり集めてどうして小津の世界が作れると思ったかねえ。 それに、あの小津のあまりにも有名な、ローアングルと真正面の切り返しのスタイル、別に趣味じゃなくて、キャラクターの存在感を強調するための手法なんで、それをフツーに取っちゃ意味ないのよ。まあ、無謀でもなんでもそのチャレンジ魂に敬意は表するけれども。
マンガ、岩明均『ヘウレーカ』(白泉社/ジェッツコミックス・580円)。 タイトルの「HEUREKA」、つまりあれだ、「ユリイカ(発見した!)」のことなんだね。全く、読み方がこうしょっちゅう変わるとわかりにくいことこの上ないね。 つまりこれはアルキメデスに関する物語ではあるんだけれども、例の体積についての物語ではない。アルキメデスの最期にまつわる、ローマとカルタゴ間の戦争、「ハンニバル戦記」のあるエピソードを描いたものである。 紀元前216年、地中海世界の覇者たらんとしたローマ帝国は、シチリアの一都市、シラクサに侵攻する。しかしその街の外壁には、天才数学者、アルキメデスの設計になる数々の新兵器が備えられていた。アルキメデスの弟子、スパルタ人のダミッポスは、その兵器の殺戮能力を目の当たりにして恐怖する……。 主人公のダミッポス、というのはどうも架空の人物っぽいが、もちろんアルキメデスは実在の人。そしてマンガに描かれているような新兵器も実際に発明、設計していたらしい。正確にアレほどの威力があったかどうかはわからないが、「エウリュアロスの車輪」のシーンは、それがマンガであるにもかかわらず見ていて粟立つような戦慄を覚える。『寄生獣』以来、岩明さんの残酷描写は、その柔らかな線と余白を大きく取った白っぽい画面ゆえに、かえって生々しい。 風を切り、飛んでくる石、石、石。 ちぎれ飛ぶ首、腹に開いた穴、逃げ惑う血塗れのローマの兵士たち……。 皮肉なことに、それだけの殺人兵器を作りあげたアルキメデスは、このときすっかり年老いて、ボケていた。 しかし、そのボケたアタマにもかかわらず、アルキメデスは、まるで自らの運命を暗示するような言葉をポツリと呟くのだ。 「わしの設置した防備もいつか打ち破られ、敵がなだれこんでこよう……。そして恨みをこめた刃でわしを切り刻む……当然のことじゃ」 科学技術は、使うものの意志による、とはよく言われるが、このアルキメデスは明確に「自らの理論が人を死に追いやっている」ことを自覚している。まさに「アルキメデスは手を汚している」のである。 エンタテインメントとして純粋に楽しい物語だし、あまり深読みはしたくないのだが、なんだか岩明さんはこのアルキメデスを全ての科学者への警鐘的な存在として描いているような気がする。 事実、アルキメデスは激昂したローマ兵に殺されてしまうのだから。 ダミッポスは、ローマ人であるために捕らえられていた恋人のクラウディアの命を救うために、アルキメデスの知恵を借り、太陽熱を利用して、シラクサに攻め寄るローマ船を撃退する。それもまた史実ではアルキメデス自身が作りあげた兵器なのだが、岩明さんは、それを「ダミッポスの発明」とすることで、天才ならずとも科学者はみな、ときの政治に利用され、罪深い行為を繰り返していく危険を孕んでいることを示唆している。 ダミッポスはクラウディアを失い、苦笑しつつローマのマルケルス将軍に向かって嘯く。 「あんたらはすげぇよ。でももっと……ほかにやる事ァないのか?」 しかし、ほかに何もやることがなかったのが人類の歴史であったのだ。
2002年01月03日(木) 貧乳の夢と鬱と別れのシミュレーションと/『ドラマ愛の詩スペシャル キテレツ』/『本気のしるし』4巻(星里もちる) 2001年01月03日(水) 初夢。……初夢だってば/『雲竜奔馬』5巻(みなもとたろう)ほか
| 2003年01月02日(木) |
仕事なんぞしたくもないわ/『しゃべくり探偵の四季』(黒崎緑)/『<映画の見方>がわかる本』(町山智浩)ほか |
正月も二日から仕事。 しげは今日も朝寝してて、車での送りはナシ。もっともしげも元旦関係なしに仕事してたんで疲れているようである。 タクシーを拾おうとするが、正月も二日から道を通ってるタクシーなんてないんだよ、これが。15分ほど寒空に立ちんぼ。さて、これがカラダによくなかったのだろう、あとでちょっとノドがいがらっぽくなる。 震えながら職場に着いたら、同僚から「遅刻ですよ」のヒトコト。勤務時間がいつもより30分早かったのに気付かなかったのだ。 私の不注意ではあるのだが、正月早々に出勤させられた上に、まさか時間まで超過勤務させられるとは思ってもみなかったしなあ。半日仕事をして帰宅。
マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』11巻(小学館/ビッグスピリッコミックス・CD付き780円)。 特製CDが付いてたらしいが、買ってきたしげがどっかに隠してしまったんで中身がわからない。だから勝手にどこにでも置くなってば。 うーん、キョンキョンが後ろに下がってしまった。この子が私のイチオシキャラだったんだが。でもまだ「絶交」されたわけじゃないんで、また出番はあることであろう。 さて、「ともだち」の正体は「ヤマネ君」か? ってとこで終わってるけど、こういう引きだとたいてい違うんだよなあ。こないだまでサダキヨじゃないかとか言ってて違ってたんだから、この手を何度も使うのは白けるだけなんだが。これ以上、話を錯綜させすぎて拍子抜けな結末にならなきゃいいんだけどね。 実は「ともだち」はケンジのもう一つの人格、なんて結末だけは願い下げだ。
マンガ、永井豪『魔王ダンテ 現魔編』2巻(講談社/マガジンZKC・550円)。 オリジナル版の1巻と比較すると、どうしたって見劣りしちゃうんだよな、これが。新登場のキャラがどうにもジャマに見えてしまう。「神の13使徒」なんて、ハッタリかましてるけどさー(『魔獣戦線』かい)、永井さんがこういうの出してきても「どうせまだ先の展開なんて考えてないし、全員出せないまま終わっちゃうんでしょ?」としか思えないのだ。前科がありすぎるのよ。 『デビルマン』で名前が出ただけの悪魔がどれだけいたか。 ドクターヘルの五大軍団は? ハテサテ十人衆は? 『黒の獅士』にもなんか○人衆みたいなの出てたと思うが。 あまり先の展開って期待してないのに、ついつい買っちゃうのは、それだけ永井豪という作家が我々の世代の男の子にとっては魂の一部になっているからである。これ以上魂、腐らせたくはないんだけど。 ……アニメ版の出来はどんなんだろうかなあ。
黒崎緑『しゃべくり探偵の四季 ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険』(創元推理文庫・672円)。 保住君と和戸君の掛け合い漫才ミステリ第2弾。 実はこの「掛け合い漫才」形式がまどろっこしくて、第1弾は途中で投げだしちゃったんだが、このパート2はそのしょーもないギャグで萎えちゃうやつが2本しか入ってない。ほかの短編は普通のミステリとして読めるので、私にはそっちのほうが面白かった。 ファンの中には「掛け合い漫才形式のミステリなんて面白い」と感じる人もいると思うけど、トリックに関わらない叙述なんて、私には単にうるさいだけなのである。たいしたことない話を語り口で胡麻かしてるだけって気がしちゃってね。 保住が驚くたびに「ひえ〜、ひえだのあれ〜」って言うのなんか、そこだけ墨塗りにしたくなるし。誰かこれで笑うやついるのか。 で、実際、この漫才形式の作品ほど、ミステリとしてはトリックがチャチなのよ。『騒々しい幽霊』なんて、タイトルだけでトリックの見当がつくぞ。あのね、ミステリで幽霊が登場してきたら、それが人間のシワザじゃないってことありえないでしょ? 子供向けミステリじゃあるまいし、もちっと考えようよ。 別にこの作者、ミステリ作家としての実力がないわけではないのだ。フツーのミステリである『保住くんの夏の思い出』なんかはコンパクトにまとまった好編である。ムリに凝りすぎないのが一番なんだけどね。 表紙はいしいひさいち。第1弾では4コマ漫画も載せてたが今回はイラストだけである。でも多分いしいさん、本編は読んでないぞ。だって自分のホームズキャラを流用してるだけだもの。本編の保住君と和戸君は関西の大学生なのである。
町山智浩『<映画の見方>がわかる本 『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで』(洋泉社・1680円)。 ウェイン町山氏によるアメリカン・ニューシネマの解題本。 90年代以降のアメリカ映画が、単純明快と言えば聞こえはいいが、「勧善懲悪で現実逃避的な商品に成り果てた」(by.ジョージ・A・ロメロ)ことに対する反発から、以前の「革命的作品群」を評価しようという試みである。 でもなぜか町山さん、アメリカンニューシネマの代表作と言われてる『明日に向かって撃て!』を完全無視。『2001年』もニューシネマの中に入れられなくはないけれど、一般的にはその前駆的作品として捉える見方の方が多いんだがなあ。 どうも町山さん、評論の仕方に「偏り」が見られるんで、導き出される結論もちょっと眉に唾付けとかないといけない面があるんである。つまり、「70年代の映画作家たちは、みんながみんなエンタテインメントよりも自らの思想を表現する方向に傾いていた」という結論を誘導したいんだよ。ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に〜』はそのサンプルとしては不適当なわけ。 実のところ、町山さんが言うほどには、70年代の映画、「単なる娯楽でなく人生経験」だったと断定することは難しいと思うけどね。だいたい「娯楽」よりも「思想」を優先して語る映画ならそれ以前にもいくらでもあった。『市民ケーン』はどうなるの? 70年代のニューシネマが衰退していったのはそこで語られてた思想が浅薄で、エロスとバイオレンスの描写の中に埋没していったからだ、という見方を私はしてるんだけど、そう考えなきゃ、現在のアメリカ映画の中から、これほどまでに「人生を考える映画」が消えて行った理由が説明できるかね。 冷静に考えれば、誰も、ドラマの流れから行けば別に必要もないのに、ラストで男女が銃撃で蜂の巣になるシーンをシツコク描く映画なんか見たくはないのである。 現代のアメリカ映画のエンタテインメント志向は、70年代の「時代の錯覚」から大衆が目覚めた結果だろう。目覚めたから映画がよくなったわけじゃないのが困りものなんだが。
2002年01月02日(水) オタアミビデオと平成生まれと夜のドライブと/『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION/『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』ほか 2001年01月02日(火) 眠い一日/ドラマ『不思議の国のアリス』ほか
| 2003年01月01日(水) |
オタク夫婦は新年に何を買ったか/映画『狂った果実』/映画『幕末太陽傅』/『おせん』其之五(きくち正太)ほか |
2003年である。 思い返すと去年もいろいろとあったトシであった。 ここには書けない出来事もいろいろありはしたのだが、概してそういう事件ほど、内実は実に面白い。どうせ百年も経ちゃ、プライバシーもクソもなくなるんだから、いくら書いたっていいじゃん、とか思いはするのだが、関係者の中にはシャレにならん既知外もいたりするのでそうもいかない。 ホームページ立ち上げたら、会員制の裏日記コーナーでも作るかなあ。仕事関係で見聞きした話を書き出すと、ウチの職場がいかに伏魔殿であるかがわかろうというものである。でもウチの職場、外務省じゃないんだよ〜。
今年の年越しソバはただの冷凍。 ホントはしげが岩手のソバとかトロロイモとか、本格的な材料をいろいろ買って来てたのだが、買っただけでそのまま放ったらかしている。それどころかまた寝てるし。 仕方がないので、せめて具くらいはもちっと豪勢にと思ってササミにネギを足す。しげに「そば食うか?」と聞いたら、「食う」と言って起きてくる。 先ほど録画したばかりの『紅白歌合戦』を早送りしながら再生。チャプターをあとでつけられるようなので、しげがためしてみるが、ヘンなところに付けてしまう。どうも新しいキカイというのは扱いにくい。 中森明菜がちゃんと歌えているかどうかだけ、気になって見てみたが、仕方がないことだが往年のパンチのある歌い方はもうムリなようである。復活を祝うような演出らしい演出も特になく、なんだか見ていて寂しい。私はこの人が、実力以上に人気が出すぎて過大評価されてしまったと思っているので、こういう「敗残の姿」を晒しものにされている状況自体、NHKの労わりのなさに憤りを覚えるのである。本気で中森明菜を復活させたいと思うなら、番組の一つでも持たせるべきではないのか。 もっとも、ドラマもダメ、トークショーもバラエティも恐らくダメ、無難なところで歌番組のパーソナリティーか、という気もするが、それだって深夜じゃないと何言い出すか解らんからな、この人は、と、危ない橋を渡る覚悟は要るのである。 しげは幕間に出て来たパパイヤ鈴木に満足したのか、また寝床に潜りこんで眠る。初詣はどうするんだよ。……とか言ってたけど私も眠くなったので、『紅白』をざっと飛ばし見、紅組の勝ちだけ確認して寝る。 キャナルシティの初売りには行くつもりなので、9時に目覚ましをかけておく。
ひと寝入りして、キャナルシティまでお出かけ。 しげは脱兎のごとく(これは逃げ出すときの譬えだな)「ラ・ブーン」内のミッフィの店へ。 普通の福袋は中に何が入っているか教えちゃくれないが、この店は良心的で、何通りも組み合わせた3千円から1万円までの福袋を、7、8種類用意しているのである。しげならずとも、どれにしようかな、けっけのけのけ、と迷うのも宜なるかな。 しげが決心するまでには、恐らく蝸牛が葉から葉へ移るくらいの時間はかかるので、暇つぶしにそのあたりの店も見て回る。 ウルトラマンもスタジオジブリも手塚治虫も、カートゥーンネットワークもアードマンもマーベルコミックも、たいていのキャラクターグッズはここに集まっているし、新年早々ガンダム特設会場までできていた。 こういう処をうろつくのは自殺行為である。 案の定、ガンダムコーナーで、見てはいけないモノを見つけてしまった。 こ、こ、こ、これは確かに「ガンダムグッズ」ではあるが、ちょっとそんじょそこらのものとはひと味違うぞ! ようやく福袋を買ったしげの手を引いてブツの前まで連れて行き、「これ、買わん?」と哀願の流し目を送る。これならしげも欲しがるんじゃないか、と思っていたが、予想はバッチリ当たった。 「前から気になっとったっちゃ、これ」 しかも正月セールで2割引。これは買わぬ手はない。 さて、ここで問題です。 我々二人が意気投合して買っちまった「ガンダムグッズ」とはいったい何でしょう。答えは明日……と言いたいところだが、明日の日記が明日書かれるとは限らないこの日記のこと、真実を知りたい人はこの日記のラストにGOだ!
ラーメンスタジアムで今年最初の食事。 開店時間前だというのに、喜多方ラーメンの坂内食堂、もう長蛇の列である。パッと見ただけでも軽く5、60人は並んでいる感じだったので、諦めて別の店に回る。全く月の石を見るわけでもあるまいに、正月早々からラーメン屋に並ばんでもねえ。 六角屋、前に並んでたのがたったの4人。いくらなんでもこの差はかわいそうなくらいである。けれど、しげも並ぶよりはこちらのほうがいい、と判断したようで、二人でラーメンを頼む。以前にもこの店に来たことはあるはずだが、前には見当たらなかった焼売がメニューに加わっている。 頼んで食べてみると、アッサリしていて悪くない。 しげは中華料理屋に寄ったときには決してラーメンだけでは満足せず、必ず餃子かなにか「オプション」が必要になるので、この焼売は「アタリ」であった。 初詣に櫛田神社に回るが、やはりこの時間帯、人出はただごとではない。境内の中を参拝客が列を作って、ぐるりと経巡り、外の道路にまではみ出ている。これまた何時間待てばいいやら見当がつかない。 出店を期待して初詣に付き合って来たしげ、タコ焼き、タイ焼きくらいしか店が出ていないのに落胆した様子。買うかどうか聞いたが、首を横に振られる。 「あそこに甘酒があるよ」としげ。 「欲しいの?」と聞くが、「うんにゃ」と答える。「アンタが好きやろ?」 そう言えばずっと昔、「甘酒が大好きだった」と話したような気がするが、そんな些細な記憶、すっかり忘れていた。しげもよく覚えていたものである。 縁起ものだからな、と甘酒とお粥(と言っても、中身は甘さを控えめにしたぜんざいのことである)を求めて、ベンチで食べる。 しげも少しは味見を、と勧めたが、口をつけようともしない。甘い物好きのくせして、なぜかこういう日本的なものだけはしげは嫌うのだ。こういうのにも何かトラウマがあるのだろうか。 結局、櫛田神社での参拝は諦めて、家の近所の日吉神社に回ることにする。
境内の駐車場は混んでいるかも、と、神社から少し離れた文房具屋の駐車場に勝手に駐車。まだ元旦で開店してないから見つかる心配はないんだけど、こういうズルいことにだけはしげの知恵はよく回るのである。全く、お参りに来たってのに人間としての品性を疑っちゃうね。 予想通り、この神社は全くヒマ。余裕でお参りして、破魔矢と御神籤を買う。 しげは大吉、私は末吉。けれどしげの御神籤のほうが、書いてあることは「万事に注意を要す」で、あまり大吉っぽくない。 しげ、去年の御神籤を枝に結んで、今年の御神籤を財布にしまう。お守りがわりに1年間持っているのだ。そんなことしなくても1年中おめでたいヤツだと思うけどな。
帰宅して、CSチャンネルNECOで日活映画ベスト31の特集をツラツラと見る。こういう「ベストもの」になると、ほとんどの作品が昔見たやつばかり。そのわりには「こんなシーンあったっけ?」と首を傾げるものが多いんで、やっぱり映画は二度三度見るものなのだ。
『太陽の季節』(1956)。 年号入れとかないとタッキー主演と勘違いするやつが現われるんだよ、今どきゃな。二作を比較すると当然このオリジナル版に軍配が……と言いたいとこだけどタッキー版は見てないから比較のしようがないのであった。 けど、長門裕之に南田洋子の演技もセリフ回しも、まだまだ「昔風」なんだよねえ。若いときからオジサン、オバサンなんだもん、二人とも。 元祖太陽族映画でありながら、「石原裕次郎のデビュー作」としてしか認識されなかったのもわかる気がする。芝居の基本がしっかりしてる長門裕之より、デタラメな裕次郎の方がはるかに溌剌として見えるってのが演技を上手下手だけでは計れないってことなんだよな。
『ビルマの竪琴 総集編』(1956)。 これもオリジナル版の方。カラーリメイク版より、こちらを推奨する人も多かろう。戦争ものはカラー映像だとどうしてもウソ臭く見えてしまう。監督の市川崑、「ビルマの土の赤」を表現したくてリメイクしたって言うけど、モノクロでも演出でその赤さは伝わるんだよ。市川崑が映画のことなんてなんにもわかっちゃいないってこと、このエピソードからバレちゃってるんだよなあ。 この映画が「偶然」モノクロであったのは映画にとって幸福であったと言えよう。 それに、なんたって音楽が伊福部昭だ! リメイク版の山本直純も悪くはないんだが、腹の底にズンと響く伊福部さんの音楽ほうが、どうしても印象としては強い。山本さんのはちょっとセンチメンタリズムに流れちゃってるのである。 主演者についても、リメイク版の中井貴一よりもオリジナル版の安井昌二のほうが、戦地の兵隊っぽいし、遺骨を埋葬しようと決意した誠実な人間に見えるってこともポイントは高い。 実は中井貴一の方が安井昌二よりも痩せてるんだが、圧倒的に安井さんのほうに軍配が上がっちゃうのはもう演技力の差としか言いようがない。 けれど、私は8:2くらいで、カラー版もちょっと好きだったりするのだ。なんたって川谷拓三がいいのよ。リメイク版は。
『狂った果実』(1956)。 太陽族映画の最高傑作のみならず、日本映画史上屈指の傑作の一つ。 太陽が燦々と輝く海にあってもなぜか漂うダークなムード、石原裕次郎が大笑すればするほどなぜか闇の気配を感じてしまうのは、「若さ」そのものがダークサイドを内包しているからではないのか。弟の津川雅彦の狂気は、当然兄である裕次郎の中にもあるのである。 誰も言わないけれど、私はこの映画、『スターウォーズ』のルーツの一つじゃないかと踏んでるんである。若いころの裕次郎がルーク・スカイウォーカーを演じたらきっとハマったろうなあ。オビ・ワン・ケノービはもちろん三船敏郎だ。ハン・ソロが勝新太郎で、レイア姫が藤純子だったら、確実に本家『スターウォーズ』を凌駕してたな。あと、ダース・ヴェーダーの声は山形勲(ホントは成田三樹夫と言いたいとこだけど、ホラ、あの『宇宙からの……』のアレがあるから)、モフ・ターキンは月形龍之介で(^o^)。 おっと脱線脱線(^_^;)。 主演の裕次郎も、監督の中平康も既に故人だが、助監督の蔵原惟繕も、昨年12月28日に亡くなった(関係ないが、プロレタリア作家の蔵原惟人とこの人、何の関係もないのだろうか)。なんだかみんな、ラストシーンで海に散華してしまったかのようだ。 実際、裕次郎は、デビュー2本目のこの映画での輝きを、生涯越えられなかった。
『幕末太陽傅』(1957)。「傅」は「伝」のことだけど、ネットでも間違った「伝」のタイトルのほうが流通してるなあ。困ったもんだけど。 それにしても全く、これだけの傑作群をこのころ日活は連発してたんだなあ。私がビデオテープで初めて買った日本映画がこれ。当時は大枚叩いて17000円もしたよ(T∇T) 。 この映画を「噺」として見ると、本職の立川談志などには全くもって噴飯ものにしか見えないらしいが、そりゃもちろん、これが落語に取材していてもあくまで「映画」なんで当然である。居残り佐平次が実は肺病病みなんて、落語ファンなら怒って当然。私のように映画も落語も好きって人間にとっては、こういう設定はどうにも評価に困る映画なんである(~ー~;)。 フランキー堺の、これが頂点の演技を見られるだけでも素晴らしいが、今見ると、ほかにも脇役陣が実にイイ演技をしていて、画面の隅々にまでつい目が行ってしまう。 中でも、近年は三谷幸喜映画の常連の感のある梅野泰靖の若旦那、セリフの間がすっげーいいんだよ。これぞ究極の若旦那。チョイ役以外にもいろいろ使ってほしい人なんだけどなあ。
なんだか元日から映画三昧である。これで今年も体力持つのかね(ヒトゴトみたいに)。
マンガ、きくち正太『おせん』其之五(講談社/イブニングKC・580円)。 ふと気づいたが、これだけ料理マンガが溢れてる中で、私が今買ってるやつって、この『おせん』だけなのであった。 別にほかのを嫌ってるわけじゃなくて、私がマンガを買ってる理由って、それが「料理」マンガであるよりも料理「マンガ」であるかどうかってところに力点置いてるからなんだけどね。きくちさんの絵じゃなきゃ、同じ話であっても果たして買ったかどうか。 いやね、グルメマンガってさ、読んでると、「こんな高級料理、庶民の口にゃ入らねえよ、誰もがオーストラリアや帝国ホテルでメシ食えると思うんじゃねえ!」って不満があるから、この『おせん』にしたって、今や純粋な「和食」を料亭で食える人間なんて、ごくわずかなんだよなあ、と思っちゃうもんだから、やっぱり「料理」マンガとして見ると「けっ」てなところがあるんである。 「賄いのこころ」の、えび天茶漬けに割り下ソースカツ丼、すっげえ美味そうなんだけど、家庭じゃ作れねーじゃんかよう。いや、作れる家庭はあるのかも知れないけれど、ウチではまずムリである。 「一升庵の怪」の「鰺の酢〆メシ」も食ってみたいなあ。いや、これ食ったときのおせんの美味くてたまんねーって顔がもう、ホントに羨ましくて……と思わせるくらい絵が上手いってことなんだな。
で、クイズの答え、買ったのは「ハロのパウダービーズクッション」でした。 「ハロ、ゲンキ、ハロ、ゲンキ」♪(((#^-^)八(^_^*)))♪ ……別に声は出さないけどね。
2002年01月01日(火) ぬかるみとミッフィと腐れた餃子と/映画『スパイキッズ』/『降魔法輪』(さとうふみや)ほか 2001年01月01日(月) 2001年元旦スペシャル
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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