無責任賛歌
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2002年01月02日(水) |
オタアミビデオと平成生まれと夜のドライブと/『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION/『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』ほか |
正月二日目。 なんとか三が日くらいは仕事を休めることになったが、同僚は元日も今日も明日も働いているのである。 こういうとき、自分だけ遊んでいるのは悪いなあとは毛ほども思わないので、まだ見ていなかったオタアミビデオなどを見返す。 公演中は受付に座っていた時間、見られなかった部分を改めて見る。 門外不出がタテマエなので(毎回概要のレポートだけは眠田直さんがホームページにアップしているのだが、今回はまだのようである)、内容を詳しくは書けない。 ただ、当日は気がつかなかったが、ビデオで見ると、みなさんの息継ぎの具合などがよくわかる。例年よりもお三方が過密スケジュールの合間を縫っての強行軍のためにお疲れだったのだということが冷静に観察できるのだ。それでもあれだけのテンションを保てたのがみなさんのプロ根性であろう。 むう、やはり次回は余裕を持ったスケジュールを取って頂いて、二泊三日くらいの日程を立てた方がよさそうだ。となればその分予算も余計に計上せねばならず、必然的にチケットを今年以上に捌かねばならない。 一つアイデアとして持ってるのは、毎回二部構成でやっているのだから、前半、後半それぞれでも二千円でチケットを捌けないかな、ということである(通しだと三千五百円だから、値段的には妥当だろう)。これなら、時間の都合でこれない、チケットが高くてどうも、という人も来やすくなるのではないか。もしかしたら「半分だけ見ればいいや」という客が増えて、かえって減収、という危険性もあるのだ。このあたりの「読み」が私にはどうにも苦手である。 有能なスタッフの募集もしたほうがいいよなあ。
NHK教育、『ドラマ愛の詩』の『料理少年Kタロー』の再放送を見ていたら、次回のシリーズの予告編が流れる。 なんと、藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』。当然、実写版である。 うーむ、確かに「少年ドラマシリーズ」に相応しい題材かもしれないが、原作やアニメのイメージが定着している身としてはどうも違和感がありまくりである……。と考えてハタと気付いたのは、そうだよ、今時の中高生って、『エスパー魔美』のアニメ見たことないやつばっかりだって気づいてしまった。 調べてみると、アニメの放送期間が、1987(昭和62)年4月7日から1989(平成1)年10月26日まで、全120話。 主演の魔美を演じる笹岡莉紗が1988(昭和63)年生まれの13歳。 ……見てるわけねーじゃん。つーかなにかよ、来年度っつーか、今年はついに平成生まれが中学生かよ! ……昭和天皇、あと十年は再生糟に入れてでも存命させといてほしかったとしみじみ思う(T_T)。 てことは、これが若い子にとっては初体験の魔美か(ちょっとイヤらしい言いかたになったが他意はナイ)。じゃあ、過去のイメージを引きずる必要はないしんだよなあ。魔美の髪型が両端トンガリじゃなくて、テールになってたり、ホントにフランス人とのクォーターなのか、赤毛でタレ目だったり、これもアリなのか……と思いつつ、あの「てれぽぉぉぉぉぉぉぉ、てぇぇぇぇぇぇしょん」って気の抜けた掛け声だけはなんとかしてほしいと切に思うのであった。
録画しておいた『ナジカ電撃作戦』FINAL MISSION「華麗なるエージェントは邂逅の薔薇を心に」を見る。 ストーリーはとことんハードになってるのに、やっぱりナジカもほかのヒューマリットたちもパンティー見せまくりなのがなんだかなあ、という感じではあるが。 しかし最終回にもかかわらず、まだ伏線張るか西島克彦監督。 ついに登場したと思ったヒューマリットの生みの親、レン博士はヒューマリットが変装(変身?)したニセモノだったし、結局「何故ヒューマリットは生み出されたのか」って謎は未解決なままだ。7話に登場した天才少女数学者スワンニーとヒューマリットとの関係はどうなったんだよう。 自我を持ち始めたリラも、ついにナジカとの決別のときを迎える。 自分が守らなければならないヒューマリットの子供、アルファと出会ったためだ。 ああ、絵はとことん美しい。作画陣、最後のひと踏ん張りだ。 花吹雪の中、お互いに銃を向け合うナジカとリラ。 ナジカはどうあってもアルファを回収しなければならない。それが任務だ。 しかしリラはアルファと一緒に行きたいと願う。 『ナジカ』もまた、これまで数限りなく普遍的に描かれてきた「創造者と被創造者」「神と人」「親と子」の葛藤を主軸にした物語であったのだ。誰にも答えられない問いかけを内包し続けるそれの。 銃声が鳴る。 倒れたのはどちらか。『柳生連也斎』のようにそれは描かれない。 ナジカは再び一人の任務に戻る。雑踏の中、ナジカが見かけたのはリラとアルファの二人。あれは現実か幻影か。 微笑むナジカ。 ……オチの付け方として、まあヘンではないけれど、なんか残尿感……いや、物足りなさを覚えるなあ。公式ホームページを覗くと、「続編を睨んでるんじゃないか?」と憶測してる人がいるが、そりゃ作ってほしくはあるが(なんたってたった12話だ)、そういう取らぬ狸の皮算用は余りしてほしくないもんである。
途中からほとんどヒューマリットの回収話になっちゃったけど、純粋なスパイアマションも見てみたかったし。全話通して見て一番の傑作はやっぱり5話の「深紅に染まる水平線ははかなき夢と共に」だったかな。作画レベルも最高だったし、なにより尼僧姿のヒューマリット、コハルの冷徹さが光る。9話の「勇壮なる砂漠の獅子は女神と共に」のエリスも印象深い。転向したマスターを、マスターとして認識できなくなったヒューマリットが自らマスターに成り代わる……。融通が利かないヒューマリットだからって設定だけど、洗脳されてこんな状態になってる人間も現実には腐るほどいるしねえ。 多分、我々人間は、たいして立派なココロは持っちゃいないんだろうな。…… ううむ、パンチラアニメでこんなに深刻に考えさせられることになろうとは。やっぱりミヤザキハヤオばかり見てちゃいけないね。
NHK総合『名探偵ポワロ 白昼の悪魔』見る。 今も続くデビッド・スーシェ主演版『ポワロ』の最新作。 ピーター・ユスティノフ主演版『地中海殺人事件』と原作は同じなので見比べてみるといろいろ面白い。 原作はアドリア海が舞台なんだけど、映画では地中海に変更。今度のテレビ版ではどこだったんだろう。NHKのホームページの解説には「小島」としか書いてないけど、ここが実にいいムードなんだわ。 普通、島に渡るんなら船で、と思うでしょう。ところがポワロたちが使うのは高足の水中(上?)車。つまり浅瀬をずっと、車に乗って行く格好なんですね。まさに「浅瀬でランデブー」(←「オタアミ」見てる人にしかわかんないネタ)。 原作に登場しないヘイスティングス、ミス・レモン、ジャップ警部を登場させるために、突然体を壊して倒れたポワロを、リゾート地に行かせて運動と食事療法の付き添いをさせるとか、ちょっとした変更はある。……なんだか糖尿病である私と境遇は似てるが、私にはリゾートで休む余裕はないのだ。ちょっと羨ましいぞ。 結局、ポワロが体調を崩したのは、ヘイスティングスが紹介した食堂が食中毒を出していた店だとわかり、ヘイスティングスが恐縮するオチがつくのだが、そういうエピソードを紹介するなら、もう10分は尺がほしいところだ。後半展開にやや慌しさを覚える。 けれど、概ねストーリーやトリックは原作通り。 ラストで真犯人にポワロが首締められて殺されかけるところまで再現(映画じゃグーで殴られてた)。 けれど、この原作、リゾート地を舞台にしてるからいかにも映像化に向いてるように見えるけど、メイントリックは活字ならではのものなんで、映像で見るとバレバレなんだよね。 昔の映画版も、当時つきあってた彼女と一緒に見て、途中でトリックがわかったもんだから、ついそれを口にしちゃって、顰蹙をかってしまった(当時は原作は未読だったのである)。 「クリスティーがそんな単純なトリック使うわけないでしょ?!」と彼女は怒っていたが、最後まで見るとその通りだったので、凄くプライドを傷つけられたような顔をしていたのだ。もしかしたらフラれた原因はそれだったのかもしれない(^_^;)。 ミステリーの女王などと呼ばれてはいるが、クリスティー作品はトリック的には同じパターンの繰り返しで、要領さえ掴めば犯人やトリックはすぐわかるのである。特に映像にしちゃうと、名作の誉れ高い『アクロイド殺し』だってただの凡作になってしまって、つまらない。純粋にミステリーとして楽しみたい人は、クリスティーは小説に限定した方がいいと思う。
『ポワロ』シリーズが名作たり得ているのは、そういった映像化に向かない原作の不備を補ってあまりあるキャストの演技力に負っていると思う。 以前は私の思う最高のポワロ役者は『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニーだったが、今は確実にデビッド・スーシェだということが出来る。歩き方から仕草まで、むちゃくちゃ作りこんでるものなあ。もっとも、舞台版のチャールズ・ロートンのポアロなんかは見たことないので、ユスティノフと比較したらってことなんだけどね。名優で知られ、『情婦』でウィルフリッド卿も演じているロートンなだけに、もしかしたら出来がよかったのかもしれないけれど(でも作者は嫌ってたそうである)。 更に言えば、最高のヘイスティングス役者もヒュー・フレイザーである(声が富山敬さんから、安原義人さんに変わった。しかたないことだけどイメージがピッタリだっただけに残念)。 と言っても、これも他には、映画『ブラックコーヒー』『エッジウェア卿の死』のリチャード・クーパー、『ABC殺人事件』のロバート・モーレイ、テレビ『エッジウェア卿の死』『死者のあやまち』ジョナサン・セシルの三人くらいしかいないんだが。しかも前の二人のは未だに日本未公開。わしゃいい加減、30年も待っとんじゃ。たいがいでビデオ化せんかい。
デビッド・スーシェは、クリスティーのポワロを全作演じたいと意欲を見せているらしいが、それはぜひとも願いたいところだ。特に『オリエント急行殺人事件』と『カーテン』は是非に。
マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』1、2巻(白泉社・410円)。 もう何年も「大貧民」やってないなあ。 地方によってはこのトランプゲーム、「大富豪」と呼んでるが、どの程度の地方差があるものなんだろうか。 いや、マンガの中でみんなで「大貧民」するシーンがあるってだけのことなんだけど。 それはそれとして、じっくり読んでみて、これがようやくファンタジーものだってことを知った。テレビでアニメ見たときは、草摩の一族が十二支の動物の物の怪に憑かれてて、異性に抱きつかれるとその動物に変身してしまうなんて気がつかなかったのだ。ちょうどそこのところだけ、見逃してたんだねえ。 ううむ、伏線の張り方が「思わせぶり」の域を出ていない、つまりは語り口がまだまだ固いってことは言えるんだけど、キャラクターの作り方はなかなか面白い。 主役の透、しげは「気に入らん」と評価が厳しいが、まあ、天然パーな女の子ってのは定番だし。しげも似たようなもんだ。 脇キャラがなかなか楽しいしね。神楽や花ちゃんみたいにダークなやつは好きだ。……そりゃ、電波やってりゃ成績もどん底みたいに悪かろうよ(^o^)。こういう、一見エキセントリックだけど、妙なリアリティが魅力で読んでるやつもいるんじゃないか。これは続けて買ってみることにしよう。
マンガ、文月晃『藍より青し』1〜3巻(白泉社・530円)。 これもアニメになるってんで、とりあえず三冊ほど買ってみたが、中身は『ラブひな』だった。 大学生の男の子のアパートに、18年間ずっと彼のことを思い続けてきた許婚の和風美人が押しかけて来るって、ベタベタな展開なんだけど、家同士のしがらみなんかも語られてて、これは結構ハードに面白くなるのかなあ、と思ったら、2巻でもう失速した。 博多弁を喋る外人とか、ドジで巨乳なメガネっ子とか、いくらなんでもちょっとありがち過ぎんか。 しかも博多弁デタラメだし。 博多弁では「どぎゃん」とは言わんぞ。「どげん」だ(「どぎゃん」は「佐賀」!)。しかももう若いヤツは普通に「どう」って言ってて、そんな古い言葉、もう使ってないよ。 博多弁らしさを出そうとして、昔の言葉を復活させてるんだろうってことはわかるけど、だったら「ばり(=とても)」なんて、ギリギリ今の20代しか使ってないような流行語を混ぜるな。中途半端であっちこっち無理が生じている。 ……作者、博多の人間なのかなあ。 1巻で中味は完結してるんで、後は女の子増殖させて行くだけなんだろうね。これは多分、続きは買わない。途中からSFものになりでもしたら別だが(^o^)。
正月も二日からしげは仕事であるが、12時には上がって帰宅。 まだ開いてる店もあろうから、深夜の食事に出かけることにする。 車に乗りこんだ途端、しげがポツリと呟く。 「このままどこまででも行こうか」 「……なんだ、そりゃ」 「アンタは、どこまででも行きたい?」 「……どこまでもは行けねーよ、海にぶつかるじゃん」 「……面白味のない男」 しかし、しげはホントにどこまででも行き始める。 「どこかで食事をするんじゃなかったのかよ」 「するよ」 そう言いながら、しげはどことも知れない夜道を、ただひたすら車を走らせる。……なんかあったのだろうか。 冗談でなく、道に迷いそうになったので、「こっちに行かないと帰れなくなるぞ」と指示して道を修正するが、たまにこいつはこういうことやるんである。 もともと対人恐怖の激しいしげである。フラストレーションが溜まることも多かろう。気晴らしに、いろいろつきあってやりたい思いに駆られることもあるが、現実にはそうもいかない。 やはり私は私で「仕事」は大切なのだ。明日のことを考えずに、どこかにたまには出奔、というわけにはいかないのだ。 「めしや丼」で食事。 期間限定の「鶏鍋」が安いわりに美味い。
帰宅して布団に潜りこみ、妻の思いに答えてやれない自分の不自由さを感じて落ちこむ。かと言って、「自由」な職業なんてないのだ。 全く、正月そうそう、何で鬱になるか分らんな。
2001年01月02日(火) 眠い一日/ドラマ『不思議の国のアリス』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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