無責任賛歌
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2001年01月01日(月) |
2001年元旦スペシャル |
新世紀をどう迎えるか、というのは随分前から決めていた。 どこにも出かけない。ウチに妻といる。テレビで紅白歌合戦を見、年越し蕎麦を食べながら、カウントダウンを聞く。 平凡がいい、と考えたからではない。私が寄って立つところはウチだからだ。 WOWOWのサザン・オールスターズの年越しコンサートを見ながら、21世紀を迎えた。 隣でのん気にそばを食っている女房に、「ありがとう」と言った。 「いきなり、どうしたん?!」 女房が驚く。 「いや、21世紀を迎えられたら、お前に感謝しようと思ってたから。俺、自分が2001年迎えられると思ってなかったし」 「なん、それ、2001年までに自殺してるかもって意味?」 女房の眼がキツクなる。女房は「私だけが不幸です」みたいな落ちこみぶりっこが大嫌いだからだ。 「まあ、それもあるけど、頭のケガのことがあるから。俺、お前に生きる勇気もらったし」 そう言った途端、涙がどっと流れた。慌てて女房の前を離れて逃げる。 「どこ行くん!」 「……泣き顔見せたくないんだよ!」 私は風呂に飛びこんでいた。新世紀に泣きながら初風呂浴びることになろうたあ思いもしなかったぜ。
世の中へらへらとテキトーに流されて生きて行くのが自分のモットー、と思っていながら、案外私は、結構気を張って生きて来たらしい。緊張の糸がフッと切れ、涙が止まらなくなった。 これは、何の涙か。 適切な言葉は見つからないが、私は女房の胸の中で泣きたかったのである。藤子・F・不二雄の『やすらぎの館』のように甘えたかったのだ。 でも、女房は、大晦日に私がUPしたヘタクソな詩モドキの日記を読んで、ヒトコト言った。 「これ、21世紀バンザイ! ってことか?」 途端に涙が止まり、私は笑い出していた。意図的か、天然なのか知らないが(多分後者)、女房は結婚してまる九年、私を笑わせるばかりで、ただの一度も私をまともに泣かせてはくれない。 でもだから私は勇気を出せた。そこが、自分に甘え、目の前の障碍から逃げている男を、ただ甘えさせることが愛情なのだと勘違いしているバカ女と、女房との差である。 もっとも女房は別の意味で馬鹿なんだが(^o^)。 妻にするならお笑い芸人に限る。夫もまた、哲学者になり損ねてお笑いの相方になってしまうのだ。 ……言っとくが俺がツッコミでお前がボケだからな、女房よ。
午前1時、氏神の日吉神社に初詣。 いきなり自転車がパンク。休みの日で助かった。平日の朝だったら通勤の足を失って立ち往生しているところである。 破魔矢とお札、女房の勧めで鞄につけるお守りを買う。
ひと寝入りすると、夢を見る。細部は忘れたが、私は戦隊ものヒーロー5人のうちの一人で、悪の組織に攫われた紅一点を助けに行くような話だった。初夢は二日の夜、三日の朝に見るものを指すので、これはまだ初夢ではないが、夢までオタクだ(^_^;)。
昼、再度起きてキャナルシティまで買い物。 元旦で、通りを走る自動車は少ないが、福袋目当ての買い物客は多い。女房も早速うさぎハウスでミッフィの福袋をゲット。その間に私はまた「百鬼夜行」のフィギュアを買う(あとで女房から中ユビ立てられるが)。福家書店に寄って、一峰大二『快傑ライオン丸』1巻を探すが売り切れ。マイナーなマンガだから、品自体が少ないのかなあ。代わりに大友克洋『気分はもう戦争』新装版を買う、って、21世紀最初に読むマンガがこれかい。 方々へのプレゼント類を買い歩くうちに、何だか急に疲労が襲ってくる。映画を見るつもりだったが、今日は諦めて帰宅。女房は新年早々「予定が狂った予定が狂った」と不満たらたら。おまけに私がふらついてミッフィの袋を落としてしまい、中に入っていたコップが割れてしまった。 ゴメンよう、悪気はなかったんだよう(T_T)。 なんだか新年そうそう女房に頭が上がらない。
帰宅してHPの掲示板を見ると、お兄ちゃん(仮名)からやっと「真摯に受けとめます」との書きこみが。まあ誰ぞにつつかれてようやく頭が動くようになったんだろうが、未だに歯車のネジが二、三本外れてる感じは否めない。 女房、再び頭に来て返事を書きこむ。 この一連の書きこみ、劇団メンバーの反応を見るのが第一目的であった。だからプライバシーに関わる部分があるにもかかわらず、日記による公開を私も止めなかったのである。ただし、本当にヤバイ部分は女房は巧妙に隠している。読解力がある人間ならばそれに気付き、女房がどれだけお兄ちゃん(仮名)に愛情深いかは気づく仕組みになっていたのだ。 案の定、あれを「ヒドイ」と感じるメンバーは殆どいなかった。気づかぬはお兄ちゃん本人ばかりである。あまりバカが続くと私も動かざるをえないし、このへんでいい加減自覚してほしいもんだが。
女房がお兄ちゃんについての日記の書きこみの件で、みんなの反応が気になるようなので、年始の挨拶の意味もあって、よしひと嬢に電話。 さすがに大人だけあって、「しげさんがやってなければ私がやってますよ」との反応。女房もホッとする。実際女房は、みんなから総スカンを食らう事も覚悟の上だったのだ。 人と人との係わり合いはおママゴトではない。傷つく覚悟なくして対話はなり立たない。もちろん、これは喧嘩をしたがってるわけでもない。「人を傷つけるな」とか「迷惑をかけるな」とかいうタテマエだけの自己中心主義から抜け出せということだ。 ……てなことを話していたら、よしひと嬢、「私も昔、藤原さんから随分傷つけられましたから」。覚えがないので「どういうこと?」と聞くと、「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○って言ったんですよ」 ひ、ひええええええ! そ、それこそとてもここには書けない。私は人非人である。ゲスである。ゴクツブシである。それこそ劇団の全メンバーから吊るし上げを食らっても仕方がない。汝自身を知れとは私がまず自覚せねばならぬことであった。
夜、年始に鈴邑、愛上夫妻、鈴邑君の妹さん、ふなちゃんを連れて来る。本来鈴邑君夫妻は今回の芝居のオリジナルキャストであったが、ふなちゃん誕生のため、配役が変更されていた。最近の日記を見て、自分たちが抜けたあとのことがやにわに心配になったらしい。 日記には書かなかった裏事情も含めて話をした末のみんなのヒトコト。 「……兄ちゃんは……しょうがないねえ」 しょうがないんだよ。 ふなちゃん、生後三ヶ月と少しだというのに、もう半年の重さだとか。人見知りせず、何か珍しい物を見るとじっと見つめている。「百鬼夜行」のフィギュアをじっと見つめる様子は将来のオタクを予見させるかのようだ。でも夫妻は娘をオタクにゃしたがるまいな(^_^;)。 鈴邑君、なんとゴジラシリーズを今まで1本も見たことがないというので、『ゴジラ2000』を早送りしながら見せる。部分的には興味を覚えたようだが、ラストのゴジラ対タコにはやはりガクっと来る。「殴り合う擬音がゴム」って、その通りだもんなあ。 鈴邑君、以前、鴻上尚史の演劇セミナーに行っていたときの話をしてくれる。鴻上さんに「演出とはなんですか?」と聞いたときの答え。 「待つことです」 誰しも考える事は同じ(^_^;)。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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