無責任賛歌
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2007年04月14日(土) |
森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ1 |
復活しちゃ休みを繰り返しているもので、もう常連さんからも忘れられてるんじゃないかと思っている流浪の日記ですが(苦笑)。 でもなぜか毎日いらっしゃる方が引きも切らずで、いつの間にやら25万ヒットですよ。どうなっちゃってるんですか、これは。 この一ヶ月ちょっとの間に読んだ本やマンガ、見た映画だって、かなりの数に上るので、これを挙げてったらもう日記が追いつかないことは明白なので、それはもうやめます。 本当は植木等さんの死去についても触れたかったんですが、またマスコミの扱い方のおかしさを追求し出したら、キリがなくなりますので、これも諦め。ただ、小林信彦さんが週刊文春の連載エッセイ『本音を申せば』の中で、「植木等を『昭和の無責任男』と呼ぶのはいかがなものか」と書いていたことは引用しておきましょう。
さて、こうして日記がまたまた何度目かの復活を遂げたのは、ひとえにまたまた 「演出家 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ」に参加しているためである。どうもmi×iとかVA×RYとかに書いてるウスイ日記じゃ、読んだ気になれんと仰る向きが結構いるらしいぞ(笑)。 でもこっちにだってたいしたことが書けるわけではないので、あまり期待しないでもらいたいものである。ただ、好き勝手書ける分、こっちの方が気が楽じゃあるけどね。
もっとも最初はアニメの話題から(笑)。 土曜と日曜の朝は、やっぱりアニメツアーになりますがな。 先週から始まった『風の少女エミリー』精霊の守り人』『彩雲国物語 第2シリーズ』に加えて、今日から『BLUE DRAGON』が始まったが、一番の売りが鳥山明キャラデザイン、と言うか、それ以外にないというのが正直な印象である。はっきり言って、別に誰の絵柄だって構わないじゃないか、いや、むしろ鳥山キャラじゃない方がドラマ的な効果は上がるんじゃないかという気すらしてしまう。つまり、ドラマが結構シリアスで、あまりマンガチックな絵柄が似合うとは思えないのだ。『ドラゴンボール』の後半だって、大人になった孫悟空を「持て余している」様子がアリアリだったもんね。アニメの方じゃついに悟空を「子供に戻す」ことまでやっちゃったからね。 「キャラデザイン」全般の問題については、もう少しアニメファンの間で論議されてもいいと思う。本当にそのドラマの世界観にふさわしいのかどうか。
ワークショップは午後2時からなのだが、昨日、ワークショップ仲間のSさんから、私ら夫婦に会いたいという連絡が妻の携帯に入ったということである。だもんで、12時に「天神テルラ」で待ち合わせ。2Fの「カフェ・デリス」で昼食を摂る。 相談の内容というのはプライバシーに関するので書けないが(イニシャルにしといても分かる人には分かるかもしれないので)、マジメだけど必ずしも暗い話ではないので、Sさんが誰なのか見当がつく人も、心配はなさらぬように。 そんなことより何が凄かったかって、そこの店はバイキング形式だったんだけれども、Sさんのおかわり速度と量がハンパではなかったことである。あの細い体のどこにパスタやらカレーやらヨーグルトやらサラダやらかぼちゃやらサラダやらが山盛り入っていくものなのか。 ……って、こんなこと書く方がプライバシー侵害かな(笑)。いや、大食もかわいいお嬢さんなら許せるんである。
ワークショップ会場はいきなり9Fのイムズホールで。前回はもう一階上の会議室みたいなところだったので、広々とした空間でやれるのはちょっとだけ安心である。 どうせすぐに森田先生の眼に射すくめられることになるのだが。どんなに優しい笑顔でいらっしゃっても、森田先生の眼は怖い。心の底を見抜かれてしまう気になる。別に心のヒミツなんてものはない(と思う)のだが、前回まで、散々「みんないい人ぶるよね」と言われ続けてきているのだ。疚しくなくても疚しい気分にさせられているのである。 ロビーに入った途端に森田先生に手を挙げて挨拶されたので、不安は早速的中してしまった(笑)。途端に腹が張ってくるが、これは必ずしもさっき喰い過ぎたせいだけではなかろう。
先般、博多・小倉ワークショッパーズ有志によって行われた「夜市」のDVD、草莽の志士さんのお話によれば、「森田先生は『面白くないだろうから見ない』と言ってるよ」ということだったが、しっかりご覧になったそうである。 「打ち上げをやるところは多いんだけど、芝居をやったってのは初めてだね」とにこやかに仰るのだが、決して出来のいいものではないので、恐縮するしかない。 「照明を落とす演出がいませんので、途方に暮れました」としどろもどろの弁明をする。余談だが、「夜市」の発音、森田先生は「やいち」と言われていたが、実は正確な読み方は決まっていない。まあ、「よいち」でも「よるいち」でも構わないのだろうが、発案者の志士さんは「よいち」に拘っておられたようだ。熱い魂の男は細かい点も揺るがせにはできないのである(笑)。
昼の部。 お馴染みの「円陣」が組まれる。30基ほど椅子が丸く並べられて、中央にはもちろん森田先生。去年からの継続参加者はぱっと見で十数人。半分ほどは新しい人たちである。懐かしい顔に出会えるのも嬉しいが、新人さんが増えていくのも楽しい。人は本当に一人一人が違う。新しい人の演技にはやはり新しい発見があるのだ。 「『古手』が新しい人にどんなことやってたか、教えてあげてよ」 何人かが指名され、私も「日常を舞台の上に乗せるのが目的で……」とか何とか喋るが、「つまんない喋り方でしょ? ここで聞く人と聞かない人に分かれるのね」とダメ出しを食らう。てか、演技を始める前からダメを出されちゃう私って、何なんでしょ(涙)。
最初の指示は、「『何でも人のせいにする人』をやってみて」。 とまどいが円陣のみんなに流れる。「同じことばかりはやらないからね」と笑う森田先生。 どんな人が「責任転嫁」しているか? ある人にとっては会社の上司。あるいは同僚。親兄弟を挙げる人も。早速、その人物を真似させられる。最初なので、なかなかうまく流れない。みんな、「演技の準備」をしてしまう。 「考えちゃダメね。考えるとどうしても『内容』を語ろうとしちゃうから。そうすると必ず詰まるのね」 何人か、親兄弟を演じた人がうまく行った。母親を演じた人が、愚痴を言いながら、涙ぐんでしまった。つい最近、母親を亡くされていたのである。 「面白いね。こないだも泣いた人がいたけれども、これが博多独特なのね。家族の絆が強いのね。ほかの地方じゃね、親を演じても泣かないのよ。俺なんか冷酷だから親が死んだらせいせいしたけどね。やっぱり博多は南国だね」 そこからまた、「他人のせいにする人のまま、それを家族の誰かにして演じてみて」と指示が変わる。初めて来た人の何人かが、びっくりするほど特徴ある人を演じたりする。けれどもやはりまだ語る「内容」に拘って、突っかかってしまう人が大半である。 「……今はいいけどね、本番が近くなると、俺、怒るからね」 それって、既に怒ってませんか。顔はにこやかですが。 「声を変えてみようか。鼻声を出してみて」 途端に、それまで今ひとつの印象だった人が生き生きとし始める。 女の人が鼻声で、訥々と「どうして八時の約束なのに十時に来るの」などと怒ってるんだか怒ってないんだかよく分からないことを喋る。森田先生が指差して、「こういう人には怒れないでしょ? ケンカができないでしょ? これが大事なのね」 何が大事なのか分からずに、一同がきょとんとする。 「大事なのはお客さんにイメージしてもらうことだから。この声の人はね、変な声だけれども、本人にとってはこれが自然なの。ああ、そういう人だなって思うと、この人のことが許せちゃうのね。ただ聞いてるだけだとイヤな声だけれども、脳の中で修正して、いい声にしちゃうの」 それを聞いて、去年まではなかなか役を作れなかった人も、うまく声を作れるようになって行く。私も何となくコツがつかめたような気がして、声を出してみたが、「はい、そこで誰かが入ってきた」と別の指示が出た途端に対応できずにボロを出した。まだまだアタマで「考えて」いるのだろう。
ここで休憩、さっきからの腹痛が我慢ができなくなっていたので、慌ててトイレに走る。けれども予測どおりと言うか、便意はあるのに便が出ない。初手からもうストレスに負けている。 諦めてロビーに戻ると、これも恒例の弁当が配布されている。しばし、ロビーで仲間たちと談笑。 新人さんの何人かにも声をかけてみる。別に先輩ヅラをしたいわけではない、というか、あんなにボロボロでは、とても威張れたものではない。それでも「厳しいし胃が痛くなるけれど、また絶対に来たくなりますから。一緒に舞台に立ちましょう」なんてことを言っているのである。もう完全に布教活動である(笑)。
しげ。は、昼間たらふく食っているので、弁当を一口か二口くらいしか食べられない。 残りは私が平らげるしかないが、私だって腹は満タンである。水で流し込むしかないかと、しげ。に「お茶を持ってきて」と頼む。 ところがこれがペットボトルを置いてあるカウンターに行ったら行ったきりで、そこにいた人たちとお喋りを始めてなかなか戻ってこない。ようやく戻ってきたかと思ったら、紙コップを差し出して「コーラ注いで来たよ」と言う。人の話、聞いてない。ぶっきらぼうに紙コップを受け取ると、それを見た森田先生が「夫婦だねえ」と仰る。 「黙ってコーラを受け取って、奥さんを見もしなかったでしょ。これがドラマだと、夫に何かセリフを喋らせちゃうのね。そうじゃなくて、今のが『リアリティ』なのね」 結局、休憩時間も講義である(笑)。
夜の部。 帰られた方あり、新しく来られた方あり。 やはり最初はワークショップの説明から。 「次は『怒ってるけど怒ってるように見えない人』をやって。そういう人って、いるでしょ?」 確かに。そういう人は私の周りにもたくさんいる。 「『怒られてるけどとぼけている人』をやってみて」 そういう人はもっとたくさんいる(笑)。なるほど、これが「リアリティ」である。 この両者を組み合わせてみると、見事にドラマが生まれる。何気ない、フツーの風景なのに、それが妙におかしい。 日常を舞台に上げることを、森田先生は「ポップアート」と呼んだ。「日常のことって、人は気付かないのね。見てるけれども見えてない。それを見ようというのが『イッセー尾形のつくり方』なの。赤瀬川原平さんの『路上観察』なんかもそれで、日常の何でもないものをこう(目の前に物を置く仕草)取り上げてここに置くと、それがアートになるのね。何かを作るんじゃなくて、既にあるもの、フツーのものの価値を見つけましょう」 何を取り上げてよいか分からなくてとまどう人が増える。 「動いちゃダメよ。動いたら途端にそれは芝居になるからね。」 森田先生の説明が長くなる。佳境に入った感じで、円陣の流れが滞るようになる。 けれども、私たちの演技は着実に「濃く」なりつつあるのだ。
帰りがけに、妻が質問する。 「責任転嫁する人で××を演じたやん? そしたら森田さんが『その人は悪い人ね』っ言ったやん。××って悪い人?」 「間違いなく悪いひとやね。だって、××××、××××、××××××××××やん」 「ああそうか」 悪口を言うのもストレスの発散である。
2004年04月14日(水) シロウオ料理とタランティーノの暴走 2003年04月14日(月) メモ日記/一人ぼっちの夜。 2002年04月14日(日) にほんじんにえーごはむりれす。/『ウラグラ!』(唐沢俊一)/『探偵学園Q』4巻(さとうふみや)ほか 2001年04月14日(土) 土曜ワイド「女三人露天風呂殺人事件・湯煙の向こうに殺意が見えた」……ってウソだからね。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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