無責任賛歌
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2007年02月12日(月) |
肩がイタイ/映画『DOA』/『となり町戦争』/『魂萌え!』/マンガ『C.M.B.』第4巻(加藤元浩) |
〔11日の続き〕
映画『DOA/デッド・オア・アライブ』 (監督:コーリー・ユン/脚本:J.F.ロートン、アダム&セス・グロス、グランツ・ヘンマン)
〔キャスト〕 かすみ:デヴォン青木/ティナ:ジェイミー・プレスリー/クリスティー:ホリー・ヴァランス/ハヤブサ:ケイン・コスギ/あやね:ナターシャ・マルテ/エレナ:サラ・カーター
〔ストーリー〕 > 人里離れた北海道の忍者村を去り、抜け忍として兄の行方を捜すかすみ。南シナ海でクルージングを楽しむ女子プロレス王者・ティナ。香港のホテルで警察に捕まりそうになるものの、警官隊を蹴散らして逃亡する強盗のクリスティー。 > そんな彼女たちに世界最強ファイターを決するトーナメント“デッド・オア・アライブ”への招待状が届く。3人を含めたファイターたちは飛行機で会場となる島ドアテク・アイランドへと向かうが……。
オリジナルのテクモのゲームはまったくやったことがない。と言うか、格闘ゲームそのものに殆ど興味がないので、ストリートファイターとバーチャファイターの区別もつかない有様である。だから逆に「原作とのイメージの違い」などに惑わされることもなく、映画を楽しむことができた。
冒頭、いきなり「日本・石狩山脈」とテロップが出て、どう見ても標高が1万メートルは越えているんじゃないかというチベットかヒマラヤかという山奥の修行場(一応、鳥居を立てているので日本だと言いはりたいらしい)で、和洋折衷の珍妙な衣装に身を包んだプリンセス・カスミとハヤブサが国を抜けるの抜けないのと英語で喋りだすのだから、このシークエンスだけでトンデモ映画であることは保証されたようなものである。 まあ、ゲームそのものがもともとトンデモなんだろうけれど。 字幕では「抜け忍」となっているのが原音だと「SHINOBI」で、ああ、あちらでは忍者は「NINJA」で、抜けたら「SHINOBI」になるのかと、解釈のズレに苦笑してしまうが、そんなのは序の口である。 DOAに出ようってほどの腕前のかすみが盗賊に簡単に捕まったことがあったり(修行する以前とは思えない)、王女が抜け忍(忍びの里で「王女」って言い方もヘンだが)になって、このままじゃ跡継ぎがいなくなって大変だろうに、連れ戻すどころか殺人命令が出たり(出してるのは誰なんだよ)、それを追いかける女忍者あやねはどう見ても外人だったり(ノルウェーの人らしい)、デタラメ描写はとてもじゃないが書ききれない。
もちろん時代考証とか文化考証をやろうなんて気が製作者たちにさらさらないってことは明白である。 けれども、『パール・ハーバー』や『ラスト・サムライ』や『SAYURI』のデタラメぶりに腹は立っても、『DOA』に対しては笑って見ていられるのは、誰にでもこれが「おふざけ」であって、本物の日本を描いたものではないことが分かるからだ。 A級・B級という映画の分け方は好きではないが、B級はB級に徹してこそ面白い。ストーリーも人間関係もテキトーで深みが全くないのが逆にいい。ゲームのキャラをとりあえず一通り出してはいるものの、トーナメントの途中、ヒトミとかゲンフーとか、いつ消えたのかよく分からないかわいそうなキャラも何人かいる。
そこはまあご愛敬で、主要な三人のヒロイン、かすみとクリスティーとティナは全編アクションに継ぐアクションで、三人が協力してラスボスを倒しに行くようになる後半、ああ、これはバカ映画版『チャーリーズ・エンジェル』の路線を踏襲したいのだな、ということがはっきりしてくる。 ビリングはティナが一番、ポスターはクリスティーが正面、物語の中心はかすみと、それぞれに配慮した扱いも心憎い。 本家チャリエン同様、アメリカ人から見た東洋人の美人タイプって、こんなの? という疑問をかすみ役のデヴォン青木(お父さんは日本人だが、お母さんはドイツ系イギリス人だとか)に感じはするものの、三人ともスタイルは抜群で、鼻の下を長くしたい目的だけで見に行っても損はしないだろう。てゆーか、こういう映画に余計な期待をしてはいけない(笑)。
ティナのオヤジが、ベッドで娘と一緒に寝ているクリスティーに向かって、「クリスティーって言うのか? うちの娘もクリスティーナって言うんだ」って言うシーン、「ティナ」が「クリスティーナ」の略だってことに気がつかずに似たような名前を付けちゃった日本人に対するからかいなんだろうな(笑)。
映画『となり町戦争』。 (原作:三崎亜記/監督:渡辺謙作)
〔キャスト〕 北原修路:江口洋介/香西瑞希:原田知世/智希:瑛太/舞坂町 町長:菅田 俊/前田善朗:飯田孝男/本田:小林麻子/室園 絹:余 貴美子/田尻:岩松 了
〔ストーリー〕 > 舞坂町に暮らし始めて一年、北原修路は町の広報紙で隣の森見町と戦争が始まる事を知る。しかし、開戦初日を迎えても町の様子に変化はなく、戦争を実感することは何一つなかった。広報紙に掲載される戦死者数を除いては……。 > 数日後、対森見町戦争推進室の香西と名のる女性から電話があり、特別偵察業務辞令の交付式への出席を促される。その業務の延長で、やがて北原は敵地へ潜入するため香西と結婚する事になる……。
ともかく江口洋介の大根ぶりが終始鼻について、見るに耐えなかった。 町と町とがどういうわけだか戦争を始める、というシュールな設定、それでも平和な日本にいて戦争を実感することのできない日本人の現実感のなさ、自分の身近な環境も含めて、世界を、文化を、日常を、リアルに認識することがどうしてこんなに困難になってしまったのか、そこを問いかけているのが原作小説であり、それは映画にした場合でも動かすことのできないモチーフであるはずだ。 そのためには周囲の人間の言動がいかに異常であろうとも、主人公の存在だけは実体感をもって描かなければならない。ところがそんな能力が江口洋介にはからきしないのである。妙な格好をつけたポーズ、わざとらしいセリフ回し、笑いを取ろうとするのが見え見えの間、芝居がかった感情の爆発、どれもこれも一人よがりで、主人公の言い知れぬ不安を少しも観客席まで伝えて来ない。 パンフレットを読むと、「江口洋介主演は監督のオファーがある前に決まっていた(そのために原作のキャラクターを江口に合わせて変えざるをえなくなった)」と正直に告白しているが、だったらそんな演技力のない役者を使って映画なんて作れません、と断りゃよかったのに、とまで思ってしまう。
江口洋介に引きずられるかのように、他のキャラクターたちもどんどん「下落」していく。田尻役の岩松了は滔々と戦争論を語りだすし、香西役の原田知世は安っぽい恋愛ドラマのヒロインと変わりがなくなってしまった。結果的に原作のラストとは全く逆の結末をつけざるを得なくなったために、最終的な印象として残るのは、陳腐なメロドラマということだけである。私ゃ、ラストが『吸血鬼ゴケミドロ』そのまんまだったので笑っちゃいましたよ。 何が描きたかったのかまるで分からない、ただ「となり町との戦争がありました」という設定があるばかりで中身のない空虚な映画である。
江口がダメダメでも、監督にもう少し映画を撮る才能があれば、まだ何とかなったんじゃないかと思う。しかし江口を使ったこと以外の演出の面でも、この監督は独りよがりな演出が多く、信用できない。 オープニングで音楽をいきなりぶちきったりするのは観客を不安に陥れる演出のつもりかもしれないが、ただの編集ミスにしか感じられないという可能性をこの監督は分かっているのかどうか。「開戦×日目」というテロップが撥ねたり飛んだり回ったり、無言の動きに効果音が付いたり、そんなアニメみたいな演出はうるさいだけでしかない。世界の異常性は世界そのものに語らせなければ意味がない。余計な演出はかえって逆効果である。 この監督に対しては、「お勉強だけがよくできて、馬鹿な子っているんだよね」と言ってあげたい。
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〔これより12日〕
左肩の痛みがちょっと激しい。
今回の風邪っ引き、かなり長引いていて、夜中に咳が止まらなくなって痰が喉に詰まり、苦しくて飛び起きて、寝不足になる、ということを繰り返している。 肩の痛みというよりは、首筋から肩甲骨にかけて、関節炎になっているような感じなので、これは咳が響いているせいだろう。 この分では連休が明けてもしばらくはつらい日々が続きそうだ。
そんなに苦しいのなら、さっさと医者に行けと誰ぞから言われそうだが、医者に行ったところで、痛み止めか湿布をもらうくらいのものだろう。 仕事を休んでゆっくりと養生した方が、治りが早いのは分かっているのだが、そうなると二日三日は欠勤せざるを得なくなる。今はちょっと休めない時期なので、無理をしてでも出かけて行くしかない。一日遅れの「サザエさん症候群」になっちまいそうな気分である。
誰ぞが気遣って家事をしてくれれば気持ちはかなり休まるんだけどね。部屋の中は相変わらずゴミが散乱したままで、足の踏み場もろくにないケモノミチ状態である。 本気でこの日記、オニヨメ日記にしてやろうか。
マンガ『C.M.B.森羅博物館の事件目録』第4巻(加藤元浩/講談社コミックスKCGM) > 「ユダヤの財宝」の謎を追え!! > 殺害現場はローマの遺跡“コロッセオ”。被害者が見つけた「ユダヤの財宝」とは!?……二千年もの時を経た壮大な歴史ミステリーが、いま解き明かされる!!
今回は一巻で一編の長編『ユダヤの財宝』。 『Q.E.D.―証明終了』の姉妹編として始まったこのシリーズ、本編との差別化を図ろうとして「博物館」をネタにしたんだろうけれども、その割には、これまでのエピソードは、ミステリーとしてはちょっと小粒、という印象だった。 主役の榊森羅と七瀬立樹のコンビ、『Q.E.D.』の燈馬想・水原可奈に比べると、より無邪気で子供っぽいのだけれどもキャラクターとして魅力的かと言われると、まだまだ弱いかな、と感じていた。
それが今回のネタはいきなり「ユダヤの財宝」である。いきなり壮大なイメージになっちゃったけれども、果たして広げたフロシキをうまくたためるものかとドキドキしながら読み進めてみたのだが、やはり小説に比べてコミックには情報量に限界がある。 残念ながら『ダ・ヴィンチコード』ほどのボリュームは感じられなかった。もしも全世界にこの作品が発信されたら、バチカンを怒らせてしまうんじゃないかという点はそっくりだけれども(笑)。
ベネディクト(ベネディクティス)14世はなぜコロッセオ(コロセウム)を殉教地として保護したのか。これは確かに歴史上の謎ではあるけれども、本作のような推論は荒唐無稽である。いや、歴史ミステリーというのは荒唐無稽であって然るべきなのだが、それをそうと納得させるだけの傍証の積み重ね、常識をひっくり返すための論理のアクロバットが必要なのだが、いかんせん、そこまでには至っていない。このネタ、コミックなら本当は、最低3巻分は必要な話なのだ。 小さな謎を積み重ねて複雑に見せかけてはいるが、一つ一つのトリックは案外単純であり、装飾がまだ足りない。カール殺しのトリックもどこかで見たか読んだかしたような気がする。
とまあ、随分貶しているように見えるかもしれないが、紙数があればもっともっとミスディレクションを仕掛けられるはずだ、ということなのである。
夕方から、ダイヤモンドシティルクルに出かける。咳はとりあえず薬で抑えているが、肩の痛みは取れない。カバンはできるだけ右肩に掛けるようにする。 このところ映画と言えばキャナルシティに出かけることの方が多かったのが、久しぶりにダイヤモンドシティの方を選んだのは、こちらに「こまねこ」グッズが売られていることが分かったからだ。 妻は最近、すっかり「こまねこ」にハマッていて、私がゲーセンで取ったこまちゃんのぬいぐるみをカバンに付けて提げているくらいなのである。
今日はこまねこシールに『こまねこ現場レポート』(トヨムラカオリ/こまねこ出版)を購入。ボールペンや絵葉書、絵本やCDもあるので、それらはおいおい買っていくことにするつもり。
ダイヤモンドシティのフードコート、ワンコインセールとかで、各店舗でステーキや焼きめし、たこ焼きなんかが500円の安売りセールを行っている。 単価がもともと800円前後でお高いので、500円になって普通の値段かな、という印象なので実はあまり安売りという感じはしないのだが、よその店だとやっぱり1000円2000円はかかってしまうので、これを利用しない手はない。 一番安売り感がするのはどれか、と妻に聞いてみたら、「ステーキ!」と答えた。質問するまでもない返答であった(笑)。腹ごしらえをしてルクルへ。
映画『魂萌え!』 (原作 桐野夏生/監督 阪本順治/プロデューサー・李鳳宇)
〔キャスト〕 風吹ジュン、三田佳子、加藤治子、豊川悦司、常盤貴子、寺尾聰
〔ストーリー〕 > 定年退職から僅か3年、夫・隆之は心臓発作であっけなく逝ってしまった。葬儀の後、隆之の携帯にかかってきた電話がきっかけで、敏子は夫に10年来の愛人がいたことを知り愕然とする。さらには、突然同居を宣言する長男の身勝手さにも嫌気がさし家を飛び出すが、行く宛てはない。生まれて初めてカプセルホテルに泊まり、そこで宮里という老女に出会う。宮里は悲惨な身の上話を聞かせ、お代として1万円を要求するのだった……。
福岡のシネコンの中で、恐らく一番客が入ってないであろうルクル。立地条件が悪い上に、レイトショーがキャナルの1000円に比べて1200円とちょっと割高。最近ようやくポイントカードを作ったが、レイトを他と同じく1000円かそれ以下にしないと対抗は難しいと思うが、今更もう遅いかもね。 ヒット映画でも休日に楽々席が取れてしまうのだから、はてさてどれだけ持つものやら。
アイドル時代の風吹ジュンのスキャンダルを記憶している人はもうそう多くはないと思う。『がきデカ』のジュンちゃんのモデルになったくらいだから、それなりに人気はあったのだけれども、いったんそれは地に落ちた。それからお定まりのお色気路線での復帰、『蘇える金狼』で松田優作と大胆なシーンを演じたりして、とりあえずの浮上は果たしたが、その後、役者として大成するとは誰も予想はしていなかっただろう。 本人もそのあたりを自覚していたと見え、大林宣彦監督と出会ったときに「もっと早くに監督に出会えていれば」と言ったという話であるが、もっと早くに出会っていたら、もっと早くに脱がされていたことであろう(笑)。 でもって54歳になっての風吹ジュンの風呂場シーンが話題になっている本作であるが、別に前を見せるわけでなし、内容は初老を迎えた女性の自立の物語なのだから、そういう方面での話題作りはこの映画にはふさわしくない。というよりは失礼である。
さりげなく地味に見える物語であるが、この映画が風吹ジュンと同年代の女性に対して訴えかけるメッセージ性はかなり強い。 あなたは今一人ですか、それとも家族に包まれていますか? そしてあなたは今の人生に満足していますか? あなたはあなたの側にいる人を本当に理解していますか? あなたはあなた自身が何を欲しているか、本当に知っていますか? そういった質問に対して、正面から答えることをこの映画は女性たちに求めているのである。
「関口敏子」という主人公の名前はあまりに平凡である。おそらくは同姓同名の人間が全国には何百何千といると思われるが、そのことでトラブルになる可能性も覚悟の上で原作者は「平凡さ」を重視して主人公にこの名前を付けたのだろう。 「鬼龍院華子」とか「萬里小路綾香」なんて名前は、本作には似合わない。このネーミングは松本清張の系譜に連なっている。すなわち、「どこにでもいる一介の主婦」、つまり「読者であるあなた」の共感を求めるために付けられた名前なのだ。 本作は厳密な意味でのミステリーではないが、未亡人となった敏子は夫に「謎」があったことを知る。現象としてはありきたりな「夫の浮気」という事実に過ぎないが、自分の知らない夫の姿を知るにつれ、夫と自分との間にどれだけ高い壁があったか、どれだけ心理的に離れていたかということを、否応なしに突きつけられることになる。 浮気相手の伊藤昭子(三田佳子)が「私は隆之さんのお葬式にも出られないのよ」と狂気の目で涙ぐむ。しかし、一人の女を狂わせるほどにまでに愛した男としての夫を、敏子は全く知らないままであった。この二人のいったいどちらがより不幸なのだろうか。 多分、不幸とは本人が不幸と自覚したときに生じるものなのだ。敏子がこれまで全く不幸でなかったはずはない。しかし、不幸に対してあまりに鈍感であった。あるいは目の前の不幸からあえて目を背けていた。 それが、夫の死後に鈍感さのツケを払わせられるかのように「自覚」を迫られたのだ。敏子の経験する不明も混乱も失敗も、全ては敏子自身に原因がある。夫が愛人にいみじくも伝えていたように、敏子は自ら「置物」になっていたのだ。
鈍感さはたとえそれが本人の本性であったとしても罪であるのかもしれない。 敏子のお人好しぶりを見るにつけそう思う。身の上話詐欺師の宮里(加藤治子)に自分から一万円を払い、塚本(林隆三)の誘いに乗って簡単に不倫に走る。いかに動揺して心が定まらない時であったとは言え、あまりに軽率で、50を過ぎた大人の女性といった印象は薄い。 このままで行けば、息子の彰之(田中哲司)や娘の美保(常盤貴子)に住居を乗っ取られるかもしれない……その寸前で、ようやく敏子は自分の愚かさに気付く。 気付いたのは、多分、敏子が「自分は一人」ということを知った瞬間だ。結局人は「自分しかいない」と知ったときにようやく自立できるのだ。
この映画には随所に「何気ない風景」が挿入される。 それは例えば、敏子が電子ジャーのふたを開けて、炊き上がったご飯をただ見つめているだけ、というカットだったりする。そこで敏子が何を考えているかは分からない。ぼーっとしているだけで、何も考えていないのかもしれない。それは分からないが、敏子がそういった「時間」を欲していることだけは分かる。 何かを考えているにしろ考えていないにしろ、自分としての第一歩を踏み出すためには、「時間」が必要なのだ。そうこの物語は語っているように思える。
「自分探し」の物語というものを私は基本的に好まない。探すまでもなく、自分はここにこうしてある。今の自分がニセモノで、他に真実の自分があるなどというシンデレラかみにくいあひるの子のような物語は、お伽噺の中だけでたくさんである。 敏子もまた、いったんは物語の中の自分に逃げ込もうとした。不倫という名のフィクションに身を置こうとした。けれども彼女は最後に自分の愚かさに気付く。それが敏子を最後の最後で救うことになる。観客もまた、そこでようやく敏子に共感できるようになるのである。
あと一本、映画を見たけど、やっぱり字数オーバーではみでたので、明日の日記で。
(続く)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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