無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2006年12月01日(金) 名探偵Lの軌跡/映画『手紙』


 作曲家の宮内国郎氏の死去に、昨日の実相寺昭雄氏の死去に続いて衝撃を受ける。

 > 宮内国郎さん74歳(みやうち・くにお=作曲家)27日、大腸がんのため死去。葬儀は近親者で行う。自宅は東京都狛江市岩戸南1の5の2。喪主は長男俊郎(としろう)さん。
 > 「ウルトラQ」「ウルトラマン」など特撮テレビ番組や映画の主題歌作曲を中心に活躍した。
 > (毎日新聞) - 11月30日23時14分更新

 どの記事も、昨日の実相寺監督以上にそっけない。
せめて映画音楽の代表作と言える『ガス人間第一号』に触れてくれてもよかったのではないかと思うと悲しい。



 > 今度の主役は“L”、映画・デスノート“外伝”上演決定!
 > 今度は「L」が主役−。映画「デスノート」のスピンオフ作品が製作されることが11月30日、決まった。6月公開の「デスノート」、公開中の「デスノート the last name」で俳優、松山ケンイチ(21)扮する謎の天才「L」が想像以上の人気キャラクターとなったため、原作にはないストーリーが掘り起こされることになった。平成20年公開の予定。
 > 大人気映画の脇役が、前例のない早さで“独り立ち”を果たす。
 > 「デスノート」では、松山演じる「L」は藤原竜也(26)扮する主人公、夜神月(ライト)のライバル役。名前を書かれた相手が死ぬという不思議なノートを手に、世直しを目論む月と、月の犯行を暴こうとするLの壮絶な頭脳戦が話題を呼んだ。
 > 世界的に有名な天才探偵でありながら、奇妙な風貌というアンバランスなLのキャラクターが思わぬ大人気となり、難役に挑んだ松山も一気にブレークした。
 > スピンオフ作品は、現在のところ、Lが主役ということ以外はすべて白紙の状態。タイトルも未定。「デスノート」以前のエピソードが中心になるとみられるが、月との絡みの有無などはすべて謎のままだ。
 > 松山は「前編、後編で自分なりにLという役をやり切ったと思っていたのですが、撮影から3カ月たち、まだ何かやれたのでは? という思いが沸いてきました」と再チャレンジへの意欲を見せている。
 > 来年のクランクインに向けて「次は主人公ということもあって、周りがプレッシャーをかけてくると思うので、それを思うと重圧を感じてしまいそうです」と気を引き締めている。
 > 原作漫画「DEATH NOTE」は累計2300万部の大ベストセラー。映画「デスノート」は興収28億5000万円に達し、ハリウッドを含む海外数十社からリメークのオファーが殺到している。11月に公開された後編「−the last name」は同40億円を突破するなどさらに勢いを増している。
 > 空前のデスノートブームが、公開中の映画の続編発表という異例の展開につながった。松山=Lがさらなる旋風を巻き起こすのか、大注目だ。
 > (サンケイスポーツ) - 12月1日8時1分更新

 映画『デスノート』前・後編については、原作ファンから喧しい批判も寄せられていたようだが、殆どが自分の持っているイメージと映画のイメージとの乖離に起因する感情的な悪口で、一顧だにする価値もないものばかりであった。
 中にはプロのライターと称する人間までが「原作のライトは映画の藤原竜也ような馬鹿じゃない」などという記事を書いていたが、これなどは原作に対する過大評価の最たるものだろう。夜神月(ライト)は、第一話から「自分だけが天才だ」と思い上がっている馬鹿者で、最終的な敗者となることは予測できていた。
 通常の少年マンガで、「私は神だ」などと嘯く人間が勝者になった例などない。『デスノート』も少年ジャンプのマンガの一つに過ぎないということを考えれば、僭越な人間に罰が下されることは自明の理だったのである。
 『デスノート』の最大の失敗は、人気が出たために連載が長期化し、途中で本来は勝利者になるはずだったLを死なせざるを得なかった点であろう。
 金子修介監督が、『デスノート the last name』において、「本来、このような終わり方をさせたかったのではないか」という含みの結末を新たに用意したのは、蓋し、慧眼であったと言えるのである。

 本来、Lはライトに敗れるはずがなかった。
 そう考えれば、『デスノート』の本来の主役がライトであるかLであるか、問うまでもないことだ。
 時系列は逆転するが、Lの活躍するミステリーが制作されることは大いに喜ばしいことである。考えてみれば、テレビドラマでは名探偵を主役としたシリーズは数多く作られているものの、現在、映画で定期的に制作されている作品は、『名探偵コナン』のみなのである。
 実相寺昭雄監督が明智小五郎を『屋根裏の散歩者』『D坂の殺人事件』『鏡地獄』と三作まで製作したが、残念なことに鬼籍に入られた。『姑獲鳥の夏』の京極堂はシリーズにはならなかったし、30年ぶりに市川崑監督によってリメイクされる金田一耕助ものの『犬神家の一族』は、シリーズ復活とは言いがたい。Lのシリーズ化は快挙と言っていいのである。

 願わくば、原作者の大場つぐみ本人の手によってLの物語が語られ、小畑健のマンガ版も復活、ということにならないだろうかと期待しているのだが、そうすれば探偵ものではサンデーの『コナン』、マガジンの『Q.E.D.』の後塵を拝することになっていたジャンプが、ようやくライバルに拮抗することのできるキャラクターを生み出したことになると言えると思うが、どうだろうか。



 平日ではあるが、定例の通院の日である。
 体重は80キロを切っているのに、このところ血糖値の推移が思わしくない。
 70キロ台で体重が定着すると、またじわじわと血糖値が上昇していくようなのだ。ならば更に体重を減らしていかねばならないわけで、どこまで節食していけばいいのか分からない。
 食事を抜くのはかえってよくないと言われるが、断食以外に方法がないのではないかという気もしてくる。
 わがランゲルハウス・アイランドは、インスリンの供給を疎かにしているわけでは決してない。丸一日絶食しても、運動を長時間行っても、体が血糖値を100以下に戻せないくらいに基盤が弱っているのである。
 このまま緩やかに死に至る病に取り憑かれているのかと吐息を漏らすしかないのである。

 今日は、もう長いこと痛み続けていた親知らずを一本抜いた。
虫歯でぼろぼろになっていたので簡単には抜けず、歯をタテに真っ二つに裂いて引っこ抜くという荒療治だった。
 奇妙なことにこの虫歯、ワークショップ前から痛みだしていたのに、その練習期間には痛みがウソのようにぴたりと治まり、ワークショップ終了と同時にまた痛み始めたのである。
 イッセー尾形&森田雄三のワークショップは、歯痛にも効く(笑)。



 今日は妻も通院の日。
 お互い、病院を引けたあと待ち合わせて、映画の日、1000円興行ということで、夜はキャナルシティへ。
 映画『手紙』を見る。

『手紙』
 (2006/ギャガ・コミュニケーションズ/121分)
【スタッフ・キャスト】
 監督 生野慈朗/脚本 安倍照雄・清水友佳子/原作 東野圭吾
 出演 山田孝之・玉山鉄二・沢尻エリカ・吹石一恵・尾上寛之・吹越満・風間杜夫・杉浦直樹

【ストーリー】
 > 工場で働く20歳の武島直貴は、職場の人間ともまるで打ち解けず、人目を避けるように暮らしていた。
 > それというのも唯一の家族である兄・剛志が、直貴の学費欲しさに盗みに入った邸宅で老婆を殺してしまったからだった。
 > 兄が罪を犯したのは、自分のせいだ。そう自責する直貴は、せめてもの償いにと服役中の兄から届く手紙に丁寧な返事を書き続けていた。
 > そんなある日、更生した元服役囚と出会った直貴は、一度はあきらめたお笑い芸人の夢に再び挑戦しようと決意する……。

 > 06年直木賞を受賞した東野圭吾の社会派小説を、「3年B組金八先生」や「愛していると言ってくれ」など数々のヒットドラマを手掛けてきた生野慈朗が映画化。
 > 01年夏から02年秋まで朝日新聞日曜版で連載された原作は、犯罪者の家族に突き付けられる厳しい現実という衝撃的で重いテーマが、大きな反響を呼んだ。
 > 出演は、兄が殺人者だという現実にもがき苦しむ主人公に山田孝之、弟を思うあまり強盗殺人を犯してしまった兄に玉山鉄二、そして主人公に大きな愛を傾ける工場の同僚役に沢尻エリカと、まさに若手実力派揃い。
 > なかでも出場こそ少ないが、真に迫った玉山の演技が強烈な印象を残す。映画版には、原作になかった感動のラストシーンが用意されているのでお楽しみに!

 私は東野圭吾の小説は、それほど高く買ってはいないのだが(宮部みゆき程度がそれよりちょっと下)、なぜか映画化率・ドラマ化率が高いことに疑問を抱いている。どれもこれも、設定はかなりシリアスなのに、結末のつけ方がいずれも甘いからだ。
 原作は未読なので、あのラストシーンが原作に比べて感動的なのかどうか分からない。しかし少なくとも、これを「泣ける映画」と言うのなら、日本人の涙腺はだだ漏れ状態で、どこの映画館も床が水浸しで困った事態になることだろう。それくらい、この映画の「泣かせ力」は白々しい。

 そもそも今時、「貧乏」をテーマにした物語自体にリアリティがない。
 兄が弟の進学のために泥棒を働くというのがただの馬鹿で同情の余地がないし、うっかり出くわしたその家の老婆を誤って刺し殺す展開も取ってつけたようで、脚本家の頭の悪さを感じるばかりである。
 ましてや、兄が逃げ遅れたわけが、「甘栗を見つけてそれを弟に持っていってやろうと思ったため(でも実は弟は甘栗が好きではなくて、それは兄の勘違いだった)」というのは、観客を笑わせたいのかと訝るしかない。確かに私は失笑した。
そこまでするほどの貧乏だったかと言うと、兄が服役したあと、弟は独りで自活できるようになるし、もともとの設定自体が矛盾だらけで、ドラマになかなか乗れない。兄弟を取り巻く環境の深刻さが少しも伝わってこないのである。

 それから「犯罪者の兄を持った」弟の受難の日々が始まるのだが、これも描写がストレートすぎて、かえって切実感に乏しい。なにしろ弟が転職する先々で必ずチクリ屋が存在していて、そのたびに弟は兄を恨む、という流れが繰り返されるのである。いくら現代が情報化社会とは言え、そこまで情報通のヒマ人がどこにでもいるというのは主人公を追いつめるのが目的とは言え、「作り過ぎ」の謗りを受けても仕方がない。
 まともな脚本家なら、弟の恐怖を、実際に追われていく物理的な描写よりも、「いつ素性がばれるか」という心理的な表現の方に絞って描くだろうし、実際の差別はもっと陰険で巧妙である。親切めかして実はじわじわと真綿で締められるような逼塞感を与えていくもので、だから簡単には抵抗できないものなのだ。ストレートな差別なんて、差別と分かるだけ、抵抗のしようもある。抵抗できない差別が実は一番厄介なのだが、この映画はそんな繊細で重苦しい描写は極力避けて通っている。
 切実感が弱い分、主人公の苛立ちは、ただの「甘え」にしか観客には映らない。手を差し伸べる人々の行為を袖にするのも、ただの馬鹿にしか映らず、共感も同情も覚えない。
 だからこれでどうして観客が泣けるのか疑問に思うのだが、劇場ではあっちでもこっちでも啜り泣きが聞こえるのである。まあ、「泣ける映画」だと聞いて、泣きたい気分の人間が観れば、この程度の三文ドラマでも充分に泣けるのだろう。『ALWAYS 三丁目の夕日』と言い、日本人の感動の質もすっかり安っぽくなってしまったものだ。

 どこぞのテレビ番組で、沢尻エリカのナチュラルな演技が素晴らしいと監督が絶賛していたのを見たが、特に目立ったよさというものもない。同世代の女優の中でも際立った美人なだけに、使い勝手がかえって難しいのはシロウトの私にも分かるが、食堂の給仕時代、美容師時代、主婦の時代と、三段階の変化を見せるうち、最も魅力的だったのは一番「汚されて」いた給仕時代だった。
 時間が経つに連れて魅力が半減して行くというのは、ヒロインを美しく見せることに監督が不得手であることを露呈してしまっているということである。
その点でもあまりこの映画を評価する気にはなれないのだが、ネットなどではやっぱり「感動した」「涙が止まらなかった」などの感想が引きも切らないのである。今年観た映画の中でも三本の指に入るくらいのワーストなんだが、世の中、ウンコを観ても泣けるハエなみの脳しか持たない連中はゴロゴロ転がっているのである。
 ちょっとそのへんにとっちらかしとかないで、ゴミ業者が回収してくれないものだろうか(笑)。



 SGcafeで、12月の誕生日の常連客を祝っていただけるということで、私と女性がもう一人、招待を受ける。
 妻は「あんたの誕生日だし、招待と言ってもお金払うわけじゃん」とボイコット。
 客の中には私を気に入らないと思っている人もいて、参列しないとわざわざ店主にメールを送りつけたやつもいるとかで、あまり嬉しい気分にはなれない。普通、そこまでわざとらしいいやがらせをするかね。しかも当人がなぜ私をそこまで嫌っているのか、私には皆目見当がつかないのだ。何か私の「押し付けがましい」態度が嫌いだと言うのだが、その人にいちいち絡んだことなど私には身に覚えがなく、私の方が一方的に絡まれてばかりだった。ちょっと異常なところがある人なのである。
 だいたいにおいて、私を嫌う人間は自意識過剰で被害妄想的な人間ばかりなので、嫌われても特に支障は来さないのだけれども、アタマのおかしな人間がどこにでもここにでもいるというのは、気が休まらないことも多い。
 多少アタマがイカレていたとしても、それなりに社会生活は送っていなきゃならないんだろうから、もうちょっと世間知というものを知ろうよ、と、愚痴の一つくらいは叩きたくもなるのである。

 かてて加えて、抜歯直後のために食事は一切できない状態である。
 本当は金冠かぶせてもらうだけのつもりが予想外の展開だったので、参加するだけ意味がなくなってしまったのだが、今日いきなりのドタキャンというのは、さすがにお祝いに駆けつけてくださる方々をソデにはできない。
 実際、顔を出してみると、みなさんプレゼントを用意されていて、恐縮することしきりだった。

 しかし、アヤムゴレン、ナシゴレン、ミーゴレンと、次々とならベラ蹴るインドネシア料理の数々を前に、ウーロン茶だけを飲み続ける2時間というのは、かなり寂しいものだった。
 間が悪い時は悪くなるものである。

2002年12月01日(日) もう今年は風邪なんか引かないと思ってたのに/『バンパイヤ トッペイの巻』(手塚治虫)
2001年12月01日(土) ご生誕。/DVD『ラ・ハッスルきのこショー』
2000年12月01日(金) エクソシスト=悪魔じゃないよ/映画『エクソシスト ディレクターズカット版』



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