無責任賛歌
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2006年01月22日(日) |
愛想尽かしの言葉がダメなお前に似合いさ/『仮面ライダー響鬼』最終之巻/『ウミショー』1巻(はっとりみつる) |
『仮面ライダー響鬼』最終之巻「明日なる夢」。 ついに終わったなあ。多分この最終回についても何だかんだとイチャモン付けるオタクどもはいるんだろうが、もう好きにしたまえ、という感じ。30話のときにはまさにてんやわんやの大騒ぎだったけれど、そこまでにはもうならんだろう。フツーの人は熱くなってるオタクのアホウさ加減に疲れちゃってるって。 まあ時々はこういうドタバタがないことには、オタクがどれだけアホウかってことを世間は認知しないし、本人たちも自省するってことがないから、侃々諤々喧々囂々の論争が起こること自体は悪いこっちゃないのである(だから森永卓郎あたりがオタクをおだて上げて持ち上げるのがよくないの)。 『響鬼』の公式ページに、細川茂樹さんのインタビューが掲載されているが、最終回の脚本もどうしようもなくて(つか、間に合わなかったんだと)、現場でスタッフ・キャストが相談して改定していったそうだ。以前、この日記でも「脚本はかなり現場で手直しされてるんじゃないか」と推測していたんだけど、それがキャストの証言で裏付けられはしたな。 細川さんの発言をそのまま引用するが、改定前の井上敏樹の脚本は、「あれは忘れた方がいいですよ、ホント(笑)。(中略)話になんないんですよ、申し訳ないけど(笑)。」ということだそうである。なんだかねえ(笑)。 公式ページにこんな記述が載ることも珍しいが、見方を変えればこれが東映のほんのささやかな自浄努力って言えるかもしれない。あ、ここの主催はテレビ朝日の方か。じゃあテレビ局にも東映に対して怒っているスタッフがいるってことなのかな(笑)。 細川さんは、更にここまで仰っている。 「「仮面ライダー響鬼」というか、『仮面ライダー』自体がもっとメジャーになる方法をいくつか見つけましたね。(中略)いくつもありますよ。それをするかしないか、でもっと変わりますね、多分。僕はプロデューサーでもなければ、ディレクターでもないのであえてそんなおこがましいことは公には言えないですけど、やっていてもっともっとできると思ったなぁ」 端的に言ってしまえば、制作サイドの意識の中に、「仮面ライダー」という肩書きにおんぶに抱っこな部分から抜け出せていない部分がまだまだあるということだろう。 プロデューサー交代、脚本家交代というトラブルはあったが、結果的にこの最終回は、崖を這い登るシーンや夕日のラストシーンなど、大石真司脚本の一之巻『響く鬼』、二十九之巻『輝く少年』を受け継ぐ形で完結した。多分、その部分は元の井上敏樹脚本にはなかったのだろう。そのような「改定」を施したのは、キャストも監督他スタッフも、井上敏樹脚本に飽きたらなかったということの何よりの証左である。「もう三十話以降は見ません」「DVDの不買運動をしよう」などとヒステリックな反応をしていたファンは、そういった現場の人々の努力を見ようともしていなかったことになる。 もうはるか昔、それこそ最初の『仮面ライダー』で、藤岡弘、の本郷猛が、突然いなくなり、佐々木剛の一文字隼人が2号ライダーとして登場した時だって、当初、ファンは拒絶反応を示したものだった。藤岡さんの怪我が原因とは言え、見ている子供たちにとってはそんな裏事情はあまり忖度されるものではない。ネットなど影も形もない時代ではあったが、あの交代劇は私の通っていた小学校でもクラス中を騒然とさせた。恐らく疑問の声の大きさは全国規模だったのではないだろうか。 けれども、「変身」ブームと、後の1号ライダーの復帰によって、不満の声は吹き飛んでいった。「ダブルライダー」という設定は当初のライダーの孤独な戦いを否定するものではあったが、それこそ『スカルマン』のような狭い世界で展開される危険すらはらんでいた物語の世界観を一気に拡大させた功績は決して無視できるものではない。あの交代劇がなければ、後のライダーシリーズは生まれなかった可能性だってあるのである。 終わりよければではないが、「残されたスタッフの努力によって、危機を乗り越えていった」という点では、初代ライダーと今回の件とは、事情がよく似ている。私は今でも、わずか13話の初期ライダーのみが面白いと思ってはいるが、だからと言って、それ以降のライダーを全否定するような偏狭さを持ち合わせてはいない。けれども、今の特撮オタク連中は、あまりにも自説に拘り、自ら視野を狭くしている嫌いがあるのではないか。昔だったらそんな我田引水なやつはクラスに一人いるかいないかだから、結局は沈黙するしかなかったのだが、今はそんな「少数派」でもネットで繋がってしまえるから、「自分は正しい!」と思い込んで「付け上がる」傾向が強い。マイノリティーだって自分の意見を言っていけないわけはないのだが、状況判断の冷静にできない連中がつるむと、「パニック」を引き起こすことすらあるから、それが怖いのである。 それとも今回は、東映に殴りこみに行くやつがいなかっただけ、よかったと考えた方がいいのかね(笑)。 『響鬼』最終回は、高寺プロデューサー、大石真司脚本に対する現場のスタッフ・キャストからのオマージュであった。私はもうそれでよしと考えるものであるが、それでもダメと仰る方々を納得ないし満足させるには、もう一度お二人に戻ってきていただいて、スペシャル版を一本か二本、作ってもらわなければいけないかもしれないが、ヒートアップした連中が「それでも満足できなかったら」今度は何をやらかすのだろうか。オタクや腐女子の言動に苦言を呈する向きが世間に多いのも、彼ら彼女らが実際に「危険」だからである。オタクはエリートでもなければファンでもない。自分たちは決して一般のファンから愛される存在などではないという自覚を持てよな。 次回作『仮面ライダーカブト』は、予告編を見る限り、劇場版を除けば久方ぶりに「フィルム撮り」に戻るライダーになりそうである。以前、平成ライダーシリーズの開幕時に、「ビデオ撮りでないと今の子供たちは見てくれない」とプロデューサーが発言していたが、やはり特撮ドラマの画面の質感と華やかさは、リアルからファンタジーまで、光と影の濃淡を使った様々な表現を駆使し得るフィルム撮りでこそ出せるものだ。マジメな話、ビデオ画像に反発して平成シリーズはあまり熱心に見る気が起こらなかったって思っていた「映像派」は多いと思う。 これが、「少し予算が使えるようになったから、フィルムにしてみようか」という軽い発想なのか、映画並のスケールを画面に持たせたいという発想なのかは分からないが、脚本が『響鬼』の後半、三十八之巻『破れる音撃』、三十九之巻『始まる君』の名エピソードを産んだ米村正二さんだから、期待はしたいと思う。
しげは今日も朝寝して、家事もしなければ買い物にも出かけない。昨日、散々叱られて、「明日はちゃんとするから」と言ったのもやっぱり嘘だった。 昼時になってようやく起き出して、「ご飯作ろうか?」と言ってきたので、料理本は読んだのか、また昨日と同じことを聞いたら、やっぱり読んでいなかった。夕べ、私に叱られたあと、台所に引っ込んでいたようだったので、少しは反省していたのかと思っていたら、それもやっぱりただのポーズだったのである。ポーズだけで人を騙せると思っているあたり、人を馬鹿にするにもほどがあるというものだ。どうにも業腹だったので、さすがに癇癪を起こしてまたしげを追い出した。 「自分の住む家は自分で捜せ! 働き口も見つけてこい! 見つけるまで帰ってくるな!」 初めてこの日記を読まれる方には、いきなり追い出すなんてなんてヒドイ夫だ、と思われるだろうが、しげが家事をサボリまくって私に締め出されるのはこれが初めてではないのだ。日頃から自活できるように仕事を見つけろということはもう何百回も言ってあるし、そうしなければ別居もありうるぞということも結婚当初から覚悟させていた。それでもしげは疲れれば欲求のままに寝るし食うし、家事はほったらかしでマトモに動かないから、太ってまた疲れやすくなって寝るし食うしを繰り返すという、最悪の悪循環にすぐ陥ってしまうのである。金を取り上げて買い食いできないようにして追い出さないと、こいつは際限なく太るばかりなのだ。こちらも体力に限界が来ているので、いつまでも「待ち」の姿勢ではいられないのである。 結局、夜になってしげを家に入れはしたが、たいして反省できた様子はない。相変わらず何をどうすればよいか、自分の頭で考えようとはしない。家計簿をきちんと付けること、とりあえずほったらかし状態だった洗面所を掃除することなどを命じて、様子を見る。 落書きみたいな明日の買い物予定表と、汚れが殆ど落ちていない洗面所の仕上がりを見て、私はタメイキをついたが、これまで散々家事をサボってきていたしげの、これが限界なのだろう。しげを追い出さなければ、私は今度は胃潰瘍で入院するんじゃないかという気がしてくる。
昨日買ったDVD『劇場版 仮面ライダーヒビキと7人の戦鬼』を見る。 テレビ版との整合性のなさを云々するキモオタの批判がどれだけ視野が狭いかを、こうして再見してみると実感する。劇場版の時にも気になった、戦国時代における最終決戦が描かれない不満はあるものの、二つの時代が交錯しながら描かれる作劇、これはなかなかよくできている。 テレビシリーズではヒビキに付き従うばかりだった明日夢くんが、戦国時代では兄をヒビキに殺されたと勘違いして反発する描写など、のほほんとして見える栩原楽人くん(『逆境ナイン』でもそんな感じだったもんなあ)の情熱的な一面も見られて面白い。このあたりの設定は初代『仮面ライダー』の本郷猛に父親を殺されたと思い込む緑川ルリ子との関係をイメージしてるんだろうね。そのことを考えれば、ヒビキがあえて明日夢の誤解を解こうとしない理由も何となく見当はつく。本郷猛もヒビキも「大人」なのだ。いったん心の中で作り上げられた誤解は、本人が言い訳をしても信じてもらえないことを知っているのだ。そして、自分に向けられる恨みが、本人の生きる気力にも繋がっているとすれば、それをあえて打ち消すこともできないことを知っている……ってな描写を分かりやすい形で入れておけば、もうちょっとこの映画の評価もよくなっていたんじゃないかと思う。 でもやっぱり、サムライルックのヒビキさんはかっこいいわ。「映画はヒロインで見る」私が珍しく男目当てで映画を見に行ったのだから、我ながらどうしちゃったんだろうと思ってしまうが、別にアチラ方面に鞍替えしたわけではないのでそれこそ勘違いはしないように(笑)。
マンガ、はっとりみつる『ケンコー全裸系水泳部 ウミショー』1巻(講談社)。 いかにも元気ハツラツな表紙の水着美少女の絵柄だけで衝動買い。こういうときは当たり外れが激しいのだが、まあ、やや外れってとこかな(笑)。 沖縄から神奈川まで、「イカダの家」に乗ってやってきた転校生が、その天真爛漫な性格から学園に大騒動を巻き起こす……って、よくある設定と言うか、脇キャラ含めてこれも所詮は「主人公の回りにいろんなタイプの女の子がいっぱい」っていうハーレムものなんだよね(笑)。となると、他作品との差別化を計るためには、キャラクターになんか工夫がほしいところなんだけれども、これがもうちょっと、ってところなのである。 いくら天然系だとは言え、ヒロインがやたら人前で裸になるってのはどうかねえ。あれだけスッポンポンになりまくっていながら「気に入った人の前以外だとハダカ恥ずかしい」なんて、説得力のカケラもない。天然系なら、そんなことも言わないんじゃないのかなあ。 個人的には、お嬢サマなんだけれど、異性のことについて興味津々な静岡サンが好みなんだけれど「静岡サン萌え〜」なんて言ってるやつも世間にゃゴマンといるんだろうなと思うと、同類と思われるのが釈然としなくて、いまいち乗り切れない。もっともこれはマンガの責任じゃないが。2巻以降を買うかどうかは思案中である。
2005年01月22日(土) だから日記書いてる時間なんてないんだってば/DVD『下妻物語 スペシャル・エディション』ほか 2003年01月22日(水) 役者が名前を出すということ/DVD『You Are The Top 〜今宵の君〜』/『一番湯のカナタ』3巻(完結/椎名高志)ほか 2002年01月22日(火) 探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト) 2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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