無責任賛歌
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2002年01月22日(火) |
探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト) |
朝刊に探偵作家・渡辺啓助(わたなべけいすけ)死去の報。 19日午前0時35分、死因は肺炎、享年101歳。 ……誤記ではない。本当に101歳で死んだのである。 そして、ついに、日本で最後の探偵作家が消えた。 森下雨村、小酒井不木、江戸川乱歩、甲賀三郎、横溝正史、木々高太郎、浜尾四郎、夢野久作、小栗虫太郎、大下宇陀児、水谷準、城昌幸、海野十三、綺羅星のごとく輝いていた戦前の探偵作家のたちの最後の一人が、まさしく天寿をまっとうしてこの世を去ったのだ。 この高齢にもかかわらず、渡辺啓助は、決して忘れられた作家ではなかった。 時折、新作の短編、エッセイすら発表していたのである。 100歳を迎えた昨年、『ネメクモア』という短編集が編まれ、新装版『創元推理21』はその創刊号を渡辺啓助・温の兄弟作家の特集に充てた。 探偵小説ファンはみな思っていたのだ。 ロマンの時代はまだ終わっていない。 明治は、大正は、昭和初期のモダニズムは消えてはいない。 まだ、われわれには渡辺啓助がいる。 上記の作家たちの作品群をむさぼるように読んでいた中学・高校生時代を送ってきた私にとっても、渡辺啓助の存在は、まさしく「希望」であったのだ。
追悼の意味を込めて、前記の『創元推理21』に再録された渡辺氏の『亡霊の情熱』の筋を紹介する。
野瀬は女学校の新任教師。 美少女、門馬ユリの相談に乗るうちに、教師と生徒の壁を越えて、お互いに恋心を抱くようになった。 しかし、あくまで自分の立場に固執する野瀬は、その態度をなかなか決めかねていた。門馬もまた、自分の本心を野瀬に打ち明けられずに人知れず悩む。
そこへ、門馬に恋する年下の少年、氷室が現れた。 門馬は、ついに野瀬に自分の気持ちを告白し、氷室の誘いを断ると言う。 動揺する野瀬。 「僕は貴女の組主任ですから、貴女に代わって先方の少年に断ってやりましょう」 しかし、それが恐ろしい悲劇の発端となろうとは、そのときの二人には知る由もなかった。
氷室に会い、その情熱と真摯さに触れて、思わず知らずライバル心にとらわれてしまう野瀬。 勢いで自分は門馬の婚約者だと告げてしまう。 衝撃を受ける氷室。 絶望の色が少年の顔を覆い、彼は通りがかった列車に身を投げた。
やがて、野瀬と門馬は結婚する。 初めは逡巡していた野瀬であったが、門馬の言葉が野瀬の決心を固めさせた。 「嘘を吐いて、出鱈目を云って、あの人を自殺させたんですか、先生は――」 野瀬は門馬の肩を掴んで言う。 「僕は教師の臆病を捨てて結婚しよう。そうしてあの少年の亡霊と潔く戦おう」
しかし二人の結婚生活はうまくいかなかった。 ほんの少しの野瀬の冷淡。 それが門馬に言ってはならない言葉を吐かせた。 「あんな犠牲――あんな酷い犠牲を払ったくせに」 野瀬は自分たちが氷室の亡霊にとらわれていることを知った。
ある夜、門馬は何かに憑かれたように、氷室が自殺した鉄道のそばに佇んでいた。 必死に取りすがる野瀬。 振り切って飛びこもうとする門馬。 列車が寸前に近づいてきた時、ほんの一瞬、野瀬の脳は混乱した。 そして、野瀬は門馬を掴んでいた腕を放した……。 渡辺啓助の非凡さは、このときの野瀬の心理に、後悔も恐怖も一切なかったことを淡々と描写している点にある。 恋する者同士、情熱的に結ばれた二人、そうであっても、その愛が永遠に間断なく続くものではない。 ほんの一瞬、それこそ一刹那で通りすぎるごくわずかな時間、二人の間に底の見えない裂け目が生まれることがある。 意識する間もないほどの時間であるので、多くの恋人たちにとって、そのような裂け目はなかったものとして忘れ去ることが出来るものである。 しかし、まさしく悪魔のごときタイミングで、その一瞬が現実に二人の仲を引き裂いたとしたらどうだろう。われわれはそこで後悔に打ちひしがれるであろうか。 ……いや、かえってわれわれは気づいてしまうのではないか。 自分の情熱、愛情、嫉妬や憎悪、われわれの心そのものが我々を苦しめる元凶であることに。 そして、それらから解放された瞬間こそが、われわれに真の自由と安心を与えてくれることに。 渡辺啓助の目は、その一瞬を一も見逃していなかったのである。 新聞記事には「1929(昭和4)年に雑誌『新青年』に『偽眼のマドンナ』を発表しデビュー」とあるが、補足説明が要るであろう。 一つはこのデビュー作が、女優岡田茉莉子の父でやはり美男俳優として知られた岡田時彦の名義で書かれたこと(つまりゴーストライターだったわけね)、タイトルの読み方が「いれめのまどんな」であることだ。 作品リストをあいうえお順で並べる時、間違えて「き」の項に入れちゃう人、多いんだよね。 作家・故渡辺温は弟(もうすぐ創元で文庫全集が出る予定)、画家・渡辺東は娘。
仕事が長引いて帰りが遅くなる。 その旨、しげに連絡を入れるが、しげ、風邪が本格的に悪化してきたらしく、電話口でぜいぜい言っている。 「……ごめん……げほげほ!……一人で……タクシーで……がほげへごほ!……帰ってきて……ぐへげひぶぺ!」 なんか聞いてるだけでアワレになってくるな。 あんまりかわいそうなので、せめてほか弁でも買っていってやろうかと、近所の「ほっかほっか亭」に寄ってみるが、こういう時に限って「改装中につき閉店」である。 お約束な展開だなあ。 仕方なく、コンビニ弁当をいくつか買って、それですますことにする。 しげはコンビニのよりほか弁の方が圧倒的に好きなのだが、この場合、諦めてもらうしかない。 私も家事をする元気はないので、夕食は「Coco一番屋」でカレーを食ってすます。 そこで読んだスポーツ新聞で、映画監督倉田準二氏の訃報を知り、茫然。なんでこう、連続して好きな人が死ぬのだ。
倉田準二(くらた・じゅんじ)21日午後7時15分、肺炎のため死去、72歳。 先日CSで見た、人によっては時代劇の最高傑作とまで評する『十兵衛暗殺剣』はこの人の監督。 けれど私たちの世代が一番親しんでいたのは、なんといってもテレビシリーズ『仮面の忍者赤影』であろう。……ちゃんとDVD買ってるよう。 敵忍者の奇抜な設定や、破天荒なストーリー、独特の映像センスなど、様々な魅力が語られているが、私はなんといっても役者さんたちの演技を見るのが大好きだった。 まだ映画が本編と呼ばれ、テレビシリーズに出る役者は軽蔑されていた時代、それでも新人や大部屋の役者さんたちが手を抜かずにエンタテインメントに徹して演じていた忍者たち。 ……甲賀幻妖斎の天津敏さんも、暗闇鬼堂の原健策さん(松原千明の父ちゃんと言ったほうが今は通りがいいか)も、魔風雷丸の汐路章さんも、雲間犬彦・猿彦の二見忠男さんも、もう鬼籍に入ってしまった。 もちろん、白影の牧冬吉さんも。 有名スターの死に涙する人は多かろう。 けれど、脇役一筋の人たちの死に対して、世間はどうしてこうも冷淡なのか。 よく知らない、というだけならまだマシで、ないがしろにし、蔑みの目で見ている人間がどれだけ多いことか。 牧冬吉の出演映画はたった12本である。 倉田準二の監督作品もわずか12本。 あれだけテレビでたくさんの時代劇を撮ってきた人が、映画の監督としては「つなぎ」にしか使われなかった。日本映画衰退の原因はそんなところにもあったんじゃなかろうか。
それにしても新聞記事に「東映京都撮影所に所属し、『十兵衛暗殺剣』『飛び出す冒険映画』『恐竜・怪鳥の伝説』などの映画を監督」とあったが、『飛び出す冒険映画』ってサブタイトルだけじゃん。肝心のメインタイトル『赤影』が抜けてるぞ。配信元のミスがそのまま各紙に載っちゃったんだろうけど、誰も気づかないんだろうなあ、こういうミスは。 淋しいなあ。
マンガ、佐藤マコト『サトラレ』1巻(講談社・530円)。 出来のよくない映画版を見ていると、絵が必ずしもうまいとは言えない原作マンガがえらく傑作に見える。 ……と比較して誉めちゃかえって失礼だね。 設定に難はあるものの、これは立派な佳作である。 やはり「思念波が他人に漏れてしまう」という「サトラレ」のアイデアを考えついたことが何よりもスバラシイことだ。 何しろ「サトラレ」は究極の正直者なんだから、必然的に周囲は「悪人」たることを運命付けられているようなものである。自分が「悪人」であることを押しつけられて落ちついていられる人間などいるわけはない。そこにドラマを作り出す余地はいくらでも生れてくる。 ……美味しい設定だよなあ。 もっとも作者は1話ごとに途端の苦しみを味わってるみたいだけれども。 様々な環境で、たくさんの「サトラレ」たちが自分が「サトラレ」であることを気づかされずに活躍している。 映画がほぼ一人のサトラレのみをフィーチャーしてドラマを作って行ったのは、2時間の映画として完結性を持たせるためにはごく自然なことだったろう。けれど、ドラマ的には多種多様なサトラレがどのように生きているのかを1話完結式で描いていく原作マンガの形式の方が、圧倒的におもしろい。 映画のベースになった、西山幸夫・里見健一のエピソード以外にも、サトラレゆえに子供たちの間で孤立していく少年・野口浩くんや、思考を読まれながらも棋士の道を進もうとする少女・片桐りんの話を映像で見たかった読者も多かったのではないか。 難しいかもしれないけれど、映画の続編を見たくなっちゃったぞ。 監督、モトヒロから別のやつに変えて。
2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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