無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年11月05日(土) オタク用語の基礎知識2006/『唐沢なをきの幻獣事典』(唐沢なをき)

 昨晩、うっかり風呂場でウツラウツラ、浴槽のヘリに寄りかかって、右手を下にして眠ってしまった。そのまま数時間、空が白んでくるころになって目が覚めたのだが、風邪こそ引かなかったものの、手が痺れて、肩のやや下あたりから指先まで、感覚がなくなっていた。
 父もこんな感じだったのかなあと不謹慎なことを暢気に考えていたのだが、今日がたまたま休日だったからいいようなものの、平日だったら仕事にならないところだったのである。
 風呂場で眠るのだけは冗談ではなくヤバイことになりかねないので、最近は気をつけていたのだけれども、ちょっと油断した。おかげでパソコンを打つ指も感覚がなくて、スピードが上がらない。


 『ウルトラマンマックス』第19話「扉より来たる者」(空間移動宇宙人ターラ星人/戦神ギルファス登場)。
 考古学者のオザキ博士役で森次晃嗣さんがゲスト出演。
 ってことでかつてのモロボシ・ダンに敬意を表して、よくある「解説役」だけの キャラクターには留まらず、かなり重要な役どころを与えられている。メガネを取り出してウルトラ・アイのようにかけてみせる、なんてのはちょっとしたご愛嬌だが(森次さんのアドリブだそうな)、瞬間記憶能力を駆使して異次元の扉を開くパズルを完成させたり、トミオカ長官役の黒部進さんと旧交を温めるシーンがあったりと、往年のファンを喜ばせてくれるシークエンスがあちこちに盛り込まれているのだ。
 しかし、いくつかのシーンはそれがドラマの内容と直接の関わりがないために、若いファンが見ると「このシーンにはどういう意味があるの?」と首を捻ってしまうことにもなりかねないわけで、どうせなら扉の向こうにまでオザキ博士も同行して(自分の発掘調査に関することなのだから、そうしてもおかしくはない)、敵を倒すきっかけをDASHやマックスに与える、という展開にしてもよかったと思う。
 どうも未だに「三池崇史ショック」の影響で、ついキビシメに番組を見てしまうが、そこそこの出来をキープしてはいるんだよね。熱くなりすぎないように気をつけよう(笑)。


 さて、今年も「現代用語の基礎知識2006」(自由国民社)が発刊されたが、昨年の新語として、「はてなダイアリーキーワード」から選んだ105語が掲載されているということである。

>「ツンデレ」「萌え属性」といったオタク用語や、「テラワロス」など2ちゃんねる用語、「ささやき戦術」など耳慣れないものまで、選ばれた言葉は多彩だ。

 ということであるが、掲載されているオタク用語、私は殆ど使っていないのである。もう私は「萌え」って使う人間とは人種が違うというか、そっちがオタクなら私はオタクじゃないし、私がオタクならあっちはオタクと認めないと、二者の間にはマリアナ海溝より深い溝があると思ってるから。
 別に、ジャーゴンそのものがいけないというつもりはないのである。昔からオタクは仲間意識を高めるためっつーか、平たく言えば「気取ってたい」ためにこの手の言葉をやたら開発してきている。それが逆に「オタク」と揶揄される原因の一つにもなってしまったわけだが。
 こういう「新語」は自然発生的に生まれるのが常であるが、昨今のオタク業界での新語発生率はいささか尋常ではない。ちょっと引っかかりがあれば喜び勇んでジャーゴンを作り出そうとするような、意図的なところが見受けられるのである。まあ、あれだよ、『仮面ライダー響鬼』のシナリオライターが代わった途端に、過去の作品群と照らし合わせて、「こいつならラストをこんなふうにメチャクチャにするだろう」と「最終回予想」をしちゃうような鬱陶しさと言うかね。譬えが分かりにくいか。
 ジャーゴンを次々と作り出すことを仲間意識を深めるためと言えば聞こえはいいが、意図的に作られたそれはむしろ「その言葉を使えない人間を村八分にする」意図のほうが強い。要するに隠語であり、符牒であり、排他主義である。だから、世間一般にその言葉が浸透していくと、「その言葉の使い方は違う!」などと息巻くことになるのである。「萌え」とかもう一般語になったと言っていいくらいだから、その概念はもうかなり曖昧になっているのである。せいぜい「オタク的な好きになり方」としか説明のしようがないが、じゃあその「オタク的」というのがどういうものかと問われれば、明確に説明できる人間はいないだろう。
 「ツンデレ」ってのもこないだ初めて聞いたような気がするが、もう一般化していて、入ったばかりのミクシィの下村嬢の紹介文に、「萌えキャラ」とか「姉・ツンデレ属性あり」とか書いてあったのには大笑いした。いや、笑っちゃ悪いかもしれないが、少なくとも私は、そういう「萌え」とか「姉」とか「妹」とか「ツンデレ」とかは、あくまでアニメキャラ、特撮キャラなど、二次元ないしはフィクションの世界に限定されるもので、ナマミの人間に適用される言葉だとはついぞ思ってもみなかったのである。
 つまりそれだけ、言葉の囲い込むカテゴリーが広がっているのだ。それが「一般化して行く」ことの特徴でもある。となると私にとっての「萌えキャラ」はしげということになるのだろうか(笑)。しかし、二次元キャラと同一視される生身の人間は、どんな気持ちになるんだろう。あまりいい気持ちはしないのではないかと思うが、そういう感覚も若いオタクたちの間ではもしかしたら薄らいでしまっているのかもしれない。
 まだ私が何を言いたいのかピンと来ない人もいるかも知れないが、こういうジャーゴンの多出は、「オヤジ化」の第一歩でもあるということである。宴席で、つまんない駄洒落を飛ばして、場は白けてるのにその空気に気づきもしないで、それを受け入れることを強要する傲慢さ、「俺の勺が飲めないのか?」と酒臭い息を吹きかける下品さと共通の感覚が、だんだんと若いオタクをも席巻しつつあるのだ。
 以前はオタクはサベツされてたから(笑)、一般人の前でそんなジャーゴンを口にすることもなかったのだが、最近は堂々としていて恥を知らない。別に知らなくったってかまわないのだが、『電車男』ブームと言い、自分たちがいかにも社会に認知されたかのように錯覚して、押し付けがましい態度を取るのはどうしたものかと思うのである。
 『フラワー・オブ・ライフ』2巻(byよしながふみ)に曰く、「なんでもあなたたちの言葉で説明しないでちょうだい!」(笑)
 あなたは「もう私のことを愛してないの?」と言われる代わりに「私にはもう『萌え』を感じないの?」と言われたいかね。言われたいならもうあなたは重症だ。


 「今日は一日、家におってよ」としげ。
 「何で?」と私。
 「言うとったやん! ガス工事の人が来るって!」
 「ああ、そうやったっけ。で、いつ来るん?」
 「午前中やろうけど」
 まあ、確かに午前は午前だったが、12時ギリギリ、こちらが待ちくたびれて、昼寝をしていた最中に、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴った。
 マンションの改装に伴って、ガスの工事とか玄関のペンキ塗りとか、給湯器の付け替えとかやらなきゃならないので、都合のいい日を教えてください、ということだったのだが、面倒くさいので今日一日で全部やっちゃってください、と頼んでいたのである。でもこういうときの工事の人というのは、こないだベランダから声をかけてきたこともそうだったが、無礼な人が多い。
 「ガスの工事をするんで、いったんブレーカーを落としてもらえませんか」
 「部屋を全部ですか? それはちょっと困るんですけど」
 「じゃあ、ガスのところだけでいいです」
 「ガスのところってどこでしょう?」
 「知りませんよ。台所か玄関か、そのへんじゃじゃないんですか」
 確かにここは私の家ではあるが、電気の配線がどこにどう繋がってるかなんてことまでは知らないのである。だいたい工事の人は同じ間取りの他の部屋だって回っているのだから、どのブレーカーを落とせばいいのかくらい、知っているはずだ。どうしていきなりそんな横柄な口を利かれなきゃならないのか、理解に苦しむ。
 そうして一息ついたなあと思ったら、また「ピンポーン」。
 今度は、ドアのペンキ塗りの人が、「ドアを外しまーす。開けっ放しになりますがすみませーん」。謝ってくれるのはいいのだが、わざわざインターホンで知らせなくても、玄関は目と鼻の先で、声をかけるだけですむのである。何か、最初に声をかけるときは、必ずインターホン越しで話しをしなければならないというマニュアルでもあるのだろうか。ペンキを塗った後も、やっぱりインターホンで「乾くまで、風邪を通すんでまだ開けときまーす」 と説明してくれたぞ。それともこれはこの人のクセか。
 あれやこれやで、一通り工事が終わったのが夕方ちょっと前。最後は給湯器のリモコンを新しいのに設置してもらったのだが、これが今までは75度まで熱くすることができたのに、新しいのは50度までしか上がらない仕組みになっている。何か熱くしすぎるといけないことになったのかどうか知らないが、何となく損したような気分にさせられたことである。


 入ったばかりで、まだ全然勝手の分からない「ミクシィ」であるが、とりあえず自己紹介くらいは充実させようと、プロフィールの欄に好きな映画、好きなマンガなどをアップすることにする。こちらの『無責任賛歌』や、はてな日記の方にもプロフィールは付けているので、差別化を図るために、思い切ってそれぞれベスト100を選んでみることにする。
 ところがこれが、書いても書いても終わらない。ベスト100なんて思い出せるのかと思っていたのだが、ふと気がついたら150を軽く突破していて、まだまだ思いつく映画やマンガは目白押しなのである。これじゃあさすがに書きすぎだ、と思って、今度は絞る作業に取り掛かったのだが、こ血らの方が全然辛い作業だった。
 まず洋画であるが、もう誰でもが知っているような名作、アカデミー賞を取っているような映画はわざわざ「私の」自己紹介で書くこともなかろうと、『風と共に去りぬ』とか『アマデウス』とか『普通の人々』とかは真っ先に外した。
 特撮の古典をズラズラト並べるのも偏りがあるように思ったので、『キング・コング』だけを残して『ロスト・ワールド』やら『原子怪獣現る』やらも外した。A級B級を問わず、入れたかったSFも多いのだが、これもキリがないし、SFファンなら「見ていて当然」のものばかりが並んでしまい、これも個性的なものにはならないのである。だから『禁断の惑星』も『ミクロの決死圏』も『決死圏SOS宇宙船』も『未来惑星ザルドス』も『猿の惑星』も『ウエストワールド』も全部外しているのである。でも、『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』シリーズや『マトリックス』シリーズなどは最初から眼中にない(笑)。でもベスト108まで選んで『惑星ソラリス』を入れ忘れていることに気がついたのは痛恨だった。そのうちどれかと差し替えるかもしれない。
 コメディでは、『がんばれ!ベアーズ』や『フロント・ページ』、『おかしな二人』、『グレートレース』など、ジャック・レモンとウォルター・マッソーに偏り過ぎるのはどうかと、これも外した。『フォレスト・ガンプ 一期一会』は随分迷って外したのだが、この映画で私が好きなのが主役のトム・ハンクスではなくて、脇役のゲイリー・シニーズだからである。
 こんなことを語っていたらキリがない。邦画もいくらでも出そうな勢いであったが、これも20作ほど削った。日本映画は特にシリーズものが多いので、選ぶのは結局その中のどれかになるのである。マンガはどうにも削れずに118くらいまで広げた。
 で、更にミステリー、SF小説、純文学、アニメーションなどでもベスト100を選ぼうかと考えたのだが、肝心の紹介欄が三つしかなくて、これ以上は受け付けられないのであった。つか、それだけ書いたら、もう疲れた。
 ミクシィに入ってない人は、私のこのプロフィールも見られないわけだが、掲示板に「招待状送るよ」と書いといたのに、まる一日経っても劇団員の誰からも「招待状ちょうだい」という連絡がなかった。「別に興味ない。見なくていいもん」ということなのだろう。多分そういうヤツラなんじゃないかなと思ってはいたのだが、やっぱりそうだったか、くそう。
 どうしてお誘い告知までしたかと言うと、「お友だち同志のコミュニティ」ということだから、お友だちが退会してマイミクシィの相手がいなくなっちゃったら、自分も即、退会しなければならなくなるわけだね。極端な話、下村嬢が私を誘った直後に「私はもう辞めますから」と言って退会しちゃったら、私は入会した途端に辞めなければいけなくなるわけである(笑)。
 せっかく入ったんだから、少しは長く続けていたいと思うのである。身内はもうアテになんないから、身内以外の人(でも全く未知の人は不可)、ご興味があればよろしく(笑)。


 マンガ、西義之『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』3巻(集英社)。
 今巻の新キャラは、カリスマ魔具師の黒鳥理緒(リオ)姉さまと、弟子の我孫子優(ビコ)。名前はあびる優っぽいけど、本当にそこから取ったのかも知れない。まだ3巻なのに女の子キャラの増員ということは、一応ヒロインの菜々の人気がイマイチ、ということなのかな。巨乳以外にあまり特徴がないし、「魔監獄編」では出番も少なくなってるし。
 その「魔監獄編」になると、せっかくの「魔法律」という設定があまり生かされなくなっていて、単純な魔物退治ものになっているのは残念なのだが、ジャンプマンガはどうしても単純明快な方向に進んで行かざるを得ないのかね。『行列の出来る法律相談所』みたいに、裁判官や執行人の間で「魔法律解釈」の差が生まれて激論する、みたいな展開になるんじゃないかと一巻のころは思っていたんだけれど。子供にはそういうのが難しいと判断されたのか、単に作者が奇を衒って「魔法律」と言葉にしてみただけで、結局は魔物退治のアイテムとしか「魔法律」を設定してはいなかったのか。どっちにしろ、もう少し「深み」のある作品にしてもらいたいものである。ムヒョのキャラクター自体は結構お気に入りなもんでね。


 マンガ、鹿島潤原作・石黒正数作画『アガペ』3巻(メディアファクトリー)。
 なぜヒロインのはるかが「神の愛」を持つに至ったかの過去がチラッと紹介されるのだが、どうしても浦沢直樹の『MONSTER』か、田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』を見ているような既視感に襲われてしまうのである。どこぞの施設の生き残りだの、過去のトラウマがどうだの、そろそろ別の手を考えられないものかねえ。ヒロインの親友が殺されちゃうのも、『ハレンチ学園』や『キューティーハニー』以来の定番だ。「果たして人間に『博愛』などという行為が可能なのか」ということを真剣に表現しようってんなら、あまり出来合いの展開に流されるようなストーリーは使わないで、もっと苦吟すべきだと思うんだけどねえ。


 マンガ、唐沢なをき『唐沢なをきの幻獣事典』(講談社)。
 タイトルはホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』に拠っているが、今回、マンガで紹介されている幻獣たちは、雪男(イェティ)、ネッシー、ツチノコ、モケーレ・ムベンベ、オゴポゴ、チュパカブラ、野人(イエレン)、ジャージーデビル、モノ・グランデ、オリバーくん、河童、ヨーウイ、チャンプ、カエル男、モラーグ、スカイフィッシュ、チペクウエ、ヒバゴン、ヤギ男、モスマンと言ったUMA(未確認動物)である(オリバーくんはちょっと違うが)。これらの動物は、存在が確認されてないだけであって、厳密な意味での幻獣ではない。幻獣とはあくまで完全に架空の、ユニコーンとかア・バオア・クーとかオドラデクとか八俣大蛇と言った想像上のケモノたちのことである。
 まあ、語呂がいいんでタイトルにしただけで、知っててわざとやってるんだろうから、そのヘンの細かいところは気にしない気にしない。オビでちゃんと「UMAが来た!」と補足説明してくれてるから。
 毎回、UMA研究者の天野磁石先生(なぜか最終話では「山本磁石」先生になっているが、気にしない気にしない)とその助手さちこちゃんが、世界のUMAを探索し、格闘勝負を挑むという(笑)、唐沢ギャグ炸裂のシリーズである。表紙でこそマジメにUMAたちの想像画をリアルに描いているが、本編に登場する実際のUMAたちは、愛くるしかったり不細工だったりするが、たいてい人語を喋り理解し、顔も普通の人間(ただしオタク臭い)で、磁石先生にバックドロップをかけられたりすると、かわいそうに思えるくらいなのである。
 こういうギャグマンガを解説しようったって、解説のしようがないのだが、毎回のオープニングで、さちこちゃんの「〜な時代に迷信なんてナンセンスだわ」と口にする「〜」の部分が毎回変わって、しかもどんどん科学的事項から離れて無意味になっていくルーティーンギャグが秀逸。例を挙げれば、「伊良部がタイガースに入団しようかという時代に」「タトゥーの東京ドーム公演がガラガラになる時代に」「いかりや長介の追悼番組が高視聴率を取る時代に」「読売新聞のコボちゃんが毎日カラーで印刷される時代に」「ドラえもんの声優が全員変わる時代に」などだ。いたなあ、タトゥー。今もいるけど。
 案内人が毎回同じ顔なのは押井守の『とどのつまり…』でもやってたギャグだなあ……と思っていたら、オチがアレだったので、その「ひっくり返し」方にも大笑い。ともかく、一ページに詰め込んでるギャグの数が半端じゃなくてしかもそれがヒットしまくりなので、とても全部は紹介しきれないのである。
 一番、ツボにハマったギャグは、「マジ岡弘、(ちょん)」。いやもう、この『水スペ』のパロディ、番組のファンの方はぜひとも現物に当たってニヤニヤしてください。
 唐沢さんもマンガ家生活21周年(くらい)になるそうだが、別にペーソスや風刺に流れたわけでもないのに、一番「消えたマンガ家」になりやすいと言われるナンセンス、スラップスティックなギャグ力が衰えていないのは、稀有と言えよう。こう言っちゃ何だが、これまで長期連載もなければ大人気を博したわけでもなく、アニメ化ドラマ化とも縁がなく、目立たず、コツコツ、細々とマンガを描き続けて来ていることが、息切れしないでいられる秘訣なのかもしれない。
 同時発売の『電脳炎』6集ももちろん購入したが、今月は更に『さちことねこさま』3巻、『漫画家超残酷物語』も発売予定である。『がんばれみどりちゃん』も出たばかりだし、もしかしてついに唐沢なをきの時代が来るのだろうか!?
 いや、来たら来たで息切れしちゃうんだろうから、やっぱり今までどおり、小さなことからコツコツと(笑)。

2004年11月05日(金) 灯台下暗しと大正デモクラシーって似てるね(c.きたろう)/『キム・ポッシブル:タイムトラベル』
2002年11月05日(火) バラエティに芸はない/『ガンダムエーススペシャル』/『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり)
2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか



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