無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年07月27日(水) あのここな無知蒙昧な糞ったれどもめが(怒)/『空中ブランコ』(奥田英朗)

 吉本新喜劇の元座長で喜劇役者の岡八朗(2003年に「岡八郎」から改名していたそうな)さんが、昨26日、肺炎による呼吸不全のため死去。享年67。
 奇しくも昨日は中島らも氏の一周忌である。同じ兵庫県尼崎出身で、吉本の岡さんの芝居を日常的に見て育ったらもさんが一年先に逝き、そのぴったり一年後に岡さんが逝かれた。この暗合が悲しくて仕方がない。何でこう連日悲しい思いをしなければならないのか、正直、もう何も書きたくはないくらいなのだが、やっぱりこのところの訃報に関する故人の紹介の仕方に違和感を覚えているので、ちょっとだけ書く。
 「笑い」について九州に生まれてよかったな、と思えることは、関東の笑いも関西の笑いも平等に見ることができるからである。関東人はそもそも関西の笑いを全く知らない。東京進出している関西タレントは多いがそれは近年のことで、20年ほど前には松竹新喜劇も吉本新喜劇も全然テレビ放送がされていなかったので、その本質など知りようもなかったのだ。逆に、関西人は関西人で、関東人に対する対抗意識が強いから、関東の芸の面白さにあえて背を向けているところがある。志ん朝や談志のすごさをいっかな理解しようとしない。自分たちの論理で関東の芸を判断しようとするから、しばしばトンチンカンな見方をしてしまうことになる。
 関東対関西の不毛な諍いを見ていると、どっちも面白いじゃないか、と思えるのは九州人の特権かなと思える。
 無知なんだから仕方がないといえば仕方がないのだが、関東人には松竹新喜劇と吉本新喜劇の区別もついていない人が多い。渋谷天外・藤山寛美・小島敬四郎・藤山直美たちと平参平・岡八郎・花紀京・原哲男・船場太郎といった人たちとは芸風も舞台も全く違う(こういう名前を聞いてもピンと来ない関東人は笑いに関しては沈黙するように)。前者がチャップリンなら後者はキートンでありマルクス兄弟でありブルースブラザーズである。私だけがそう言っているのではない、中島らももそう言っていて、らもさんが影響を受けたのは当然後者なのである。
 人情・泣き笑いが松竹新喜劇の芸風なら、吉本新喜劇はドタバタ・スラップスティックであり、差別ギャグのオンパレードである。物語を収束させるために、最後に取って付けたように「人情話」で落ちをつけはするものの、そんなところに吉本の本質はない。ひたすら他人をからかい、欠点をあげつらい、チビ・ハゲ・デブの差別語が飛び交い、ナンセンスでシュールなギャグが舞台を埋め尽くす。まさに既知外沙汰だ。全盛期の平参平の体技はチャップリンやエノケンを凌駕していたし、花紀京のピカロぶりはまさに東洋のグルーチョ・マルクスと呼ぶにふさわしかった。そして岡八郎の「顔技」はジェリー・ルイスである。
 説明しなくたって関西より西の人間にはこんなのは常識なのだ。みなもと太郎が「関東人のギャグセンスが偏っているのは吉本を知らないからだ」という趣旨のことを発言していたのには私も頷くところが大いにある。
 だから、新聞などで岡さんの芸風を「人情味溢れる」などと紹介しているのは全くの見当違いである。若いやつが書いたのか関東人が書いたのか知らないが、これが岡さんに対してどれだけ失礼な発言か分かるまい。
 だいたい岡さんの持ちギャグ、「くっさ〜」「えげつなあ」「スキがあったら、かかってこんかい!」などを紹介しておきながら、これのどこに「人情」があると言えるのか。人情がないからこそギャグが切れるし、差別することで生まれる絆もあるのだ。いや、あえて岡さんの持ち味を「人情」と呼んでも構いはしないのだが、それは「関西人の人情」であって、関東人のそれとは似て非なるものであるのだ。関東人の人情はさっぱりしているが関西人のそれは絡みつく人情である。思いやりも優しさもからかいも罵倒もひっくるめた人情である。なぜなら、人間はみんな不器用だから、ぶつかりあい絡み合わなければ本当に心の底から絆を結ぶことはできない。それを感覚的に体得しているのが関西人なのである。関東人から見れば鬱陶しくて仕方がないだろうが、そういう文化があることも知っておかなければならないのではないか(逆に関西人も単純に関東人には人情がないなんて断言しないことである)。
 だから岡さんは、差別ギャグを飛ばしまくっていても、全然偉そうではない。他人を馬鹿にしても少しも上から見下げた感じがない。みんな庶民だし、貧乏だし、馬鹿(阿呆)だからだ。お互いに馬鹿にし合えるから楽しいのだ。だから一緒に笑えるのだ。えいくそ、書いてて涙が出てきたぞ。どうしてくれる。
 関東人にも、岡・花紀コンビの芸を堪能する機会がないわけではなかった。しかし、二人の主演映画であり、東京にもその芸を認知させようとした『あゝ独身(チョンガー)』は、「関東人にも理解できるように」人情味を混ぜてしまったために、かえってその芸の力を減殺させることになってしまった。思い返すだに、その不運は悲しみて余りある(もっとも関西人は「どうして関東で認められなければならないのか」と憤慨するであろうが)。 
  岡さん(本当は「八ちゃん」と言ったほうが親しみが湧く)の死は、東京で言えば、志ん朝師匠の死に当たるほどの事件なのであるが、殆どの関東人にはまったくピンと来ない出来事であろう。私は一昨日の杉浦日向子さんの死と、同じかそれ以上のショックを受けているのだが、関西の人のプログとかを見ていると必ず岡さんの死に触れているのに、関東系の人は「誰それ」ってなもんだ。同じ日本人だと言うのに、この「文化落差」は何なのだろう。無知は罪悪だとつくづく思うことである。


 昨週の映画興行成績、1位・2位は続映中の『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』及び『ポケットモンスター・アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者ルカリオ』が占めたが、3位に『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』が初登場でランクインした(4位以下は『宇宙戦争』『アイランド』『星になった少年 Shining Boy &Little Randy』『皇帝ペンギン』『電車男』『姑獲鳥の夏』『フライ、ダディ、フライ』と続く)。
 公開2日間の成績は、動員で約18万人、興収およそ2億2500万円だとか。「eiga.com」では、「これは、今年の『コナン』のおよそ80%の出足となり、最終的には20億円オーバーも狙える好スタートとなった」「もちろん、シリーズ化は既定路線」「松竹としては待望のドル箱シリーズをやっと手にした感がある」などと、既にシリーズ化が決定的であるかのような書き方をしている。
 けれど、オタクの特性を考えた場合、初日、二日目に客が押し寄せるのは当然のことで、本当にヒットしたかどうかは、来週にならないと分からない。アニメの場合、リピーターが現れ、評判が口コミでオタク以外の人間にも伝わらない限り、その後が続かないということもこれまでにままあったことである(前売券が記録的な売り上げを上げながら、前売り以外の客がほとんど来なかった『クラッシャージョウ』という前例がある。あれも松竹配給だったなあ)。
 果たしてそれだけの力が『鋼の錬金術師』にあるものかどうか。いやね、映画を見て確かにこれは「続編のための伏線」を張りまくってるなあとは思ったものの、だからと言って本当に続編が作られるかどうかは、やはり映画がヒットするかどうかにかかっているのである。一説には既にスタッフは次期テレビシリーズの準備に取り掛かっていると言われるが、途中で頓挫する危険性だってある。映画の出来に関しては賛否両論喧しい。松竹はともかく宣伝戦略がへたくそだから、あまり皮算用はしないほうがいいんじゃないかなと思うんだけど。


 ついについについに、マンガ家の中田雅喜(なかた・あき)さん・円尾敏郎さんによる『日本個性派俳優列伝4 テレビが生んだ悪役スタア 天津敏』(ワイズ出版)が刊行された。7月24日、天津さんの命日にである。
 中田さんのホームページで、この本を刊行するためにひとかたならぬ苦労をされていた様子をずっと見てきていたので、刊行にこぎつけたことはまことに嬉しい。まさに感無量。いや、ホントに中田さんのコメント見ながら私は泣いているのだ。
 私にとってのベスト・ヴァリアントは何度も日記に書いてきた通り天津敏さんなので、実は自分でも資料を集めかけて特集ページを作ろうと考えていた時期があった。けれどその過程で中田さんがやはり熱狂的なファンで、出版も視野に入れて調査をしていると知って、私ごときの出る幕ではないなとやめた。もちろん計画が頓挫したからと言って、私に悔しさは微塵もない。本当のファンなら、対象に対する独占欲は生まれないものだ。赤の他人ながら、私は中田さんにそっと心の中でエールを送っていた。
 天津さんが亡くなられてもう26年になる。天津さんがどれほど素晴らしい役者であったか、私の身の回りにいる若い人たちは殆ど知らない。言葉で説明したって伝わらないし、出演作のDVDを見せようとしてももともと興味のない役者の作品なんて見ようとしてもくれないし、だからと言って強制するのもいやなので、諦めている。けれど、天津さんは、決して歴史の流れの中で忘れられていい役者ではない。断じてない。
 私たちの世代には説明も不要な『隠密剣士』の風魔小太郎、『仮面の忍者赤影』の甲賀幻妖斎が代表作で、映画にも『日本侠客伝』シリーズ、『緋牡丹博徒』シリーズ、『日本女侠伝』シリーズなどで印象的な悪役を演じた。その魅力は私の拙い筆ではとても表現しきれない。勝手ながら中田さんのホームページの文章を引用させていただく。

> 「いまどきの悪役はサイコや訳ありばっかりだ。これでは主役は引き立たない。天津敏の悪役は純粋に私利私欲のために生きる悪役だった。知的で男らしく、責めて恐く、受けて色っぽい、とてもリバーシブルな敵役。」
 43才から亡くなるまで、たった15年間、悪役一筋に賭けたオヤジの星。そういう意味でも天津敏は不世出の悪役である。」

 今度の出版が、若い人たちにとっても格好の「天津敏」入門書になってほしい、そう願っていたのだが、数日前から中田さんの掲示板で、本を読んだ読者の何人から、困った「荒らし」が行われるようになっていた。
 例えばこんなのである。 

>「ほとんどインタビューだけで繋いでいくという構成には
 ややツラいものを感じました。
 やはりどなたかの手による本論(真っ当な俳優天津敏論)が冒頭にあって
 そのコーナーで天津さんの功績の説明がきっちりなされたあと、
 ゆかりの人々のインタビューのパートが据えられるという構成のほうが
 読みやすく、購入対象者にアピールし易かったと思うのですよ。
 また、インタビュー相手がどういうひとかについての説明が
 ないのも不親切かと」

 一見、普通の意見を述べているように見えるが、これ、単に自分の無知、勉強不足、モノシラズ、ついでに性格の悪さを棚に上げて、傲慢に振舞っているだけである。
 「真っ当な天津敏論」って、何をもって「真っ当」と評するのか、だいたいこの演劇後進国の日本で脇役俳優のありようについてまで目を配って役者論を展開した例がどれだけあると言うのか、天津敏に関しては中田さんのこの労作が殆ど嚆矢であることにこの馬鹿は気づいていないのか、インタビュー相手が誰か分からないならそれこそ自分で調べろ、なんでも説明されなきゃお前の頭は回らんのかこの糞が、と怒り心頭に発した。
 こういう甘え腐った若造(かどうかは分からないが、文章から見ても四十代以上とは到底思えない)が蔓延しているから、年寄りの怒りの種は尽きないのである。てめえらは「アジカンって鯵の缶詰?」とか、「モー娘。なんてみんな顔同じじゃん」とか言われたら腹立たないのか。
 こういう馬鹿がウザイので、中田さんは仕方なく次のようなコメントを掲載せざるを得なくなった。

> 「『テレビが生んだ悪役スタア 天津敏』の読み方が分からない人のためにガイドいたします。
 1:この本は資料本です。その証拠はカバーをとれば一目瞭然です。
 2:インタビュー内容と総目録を熟読すれば天津敏の人と仕事が見えてくる内容になっています。
 3:想像力を巡らせて読んでください。
 4:その上で「天津敏論」を自分の中で組み立てていって下さい。そのための資料本です。
 5:自分の思っていた本ではないと感じた方は、どうぞ宮城と三浦半島と京都に行って自分の足で調べて自分の「天津敏」本を出して下さい。
 それは私と円尾のおおいに望むところです。
 上記の内容をふまえた上で本を読み、それでも理解できない人は残念ながら想像力と読解能力が乏しいと言わざるを得ません。
 賢明なる読者諸君にはこの本の基本方針がおわかり頂けたかと思います。」

 努めて冷静なコメントである。私が付け加えることは何もない。あとは中田さんのこの文章に共感してくださる方に、少しでも天津さんの魅力を知っていただきたく、天津さんの出演作を辿るガイドとして、この本を購入して利用していただきたいのである。発行部数がもともと僅少なので、ぜひネット注文していただきたい。私は今日「セブンアンドワイ」で注文した。
 私は基本的に本の「批評」や「感想」は述べても「宣伝」はしない。だから日記にこういうことを書くのはこれきりにする。あとは実際に本を入手したあとで、批評ではなく「感想」を書こうと思う。資料本に「批評」は要らないやね。


 晩飯は久しぶりの「大河すし」。
 例の一皿でも最低300円はする高級寿司屋である(でも回転)。ウニなんか600円だ。大トロなんてトテモ庶民には手が伸ばせない価格。だもんで、開店そうそうは何度か足を運んでみたものの、近頃はとんとご無沙汰であった。
 ところがしげが最近、昔の私の日記を読み返していて、寿司食った記述を見て「スシスシ!」と騒ぎ出したので、たまにはいいかと覗いてみたのである。
 何しろ値段が値段だから、店に入ったときにはちょっと量を控えようと思っていたのだが、流れてくるネタがみな美味そうなこと。アスパラ巻きですらみずみずしい。で、実際食べてみたらネタばかりでなくシャリの握りも適度で米の甘さもほんのり口中に広がる美味さなので、どうしてもついあれこれ手が伸びてしまうのだ。
 しげもステーキ寿司や煮穴子寿司なんかを注文してバカバカ食っている。私も、ここでしか食べられない馬こうねとか炙りチーズサーモンとか炙りエビマヨとか炙り豚トロを食う。炙りものがここは特に美味いのだ。今年初め、女優の宮崎美子もここで炙りすしを堪能したとかで、その効果もあったのか、バイパス沿いの車が通りすがりには入りにくい位置にあるのに、平日の夕方だというのに結構繁盛していた。油断しているとネタがご近所さんに取られてしまうので、カウンターが取った皿でどんどん一杯になっていく。こうなるともう止められない。
 で、ちょっと「やめときゃよかった」ってくらいお財布が軽くなりました。次に来るのはいつの日になることか。


 奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋)。
 トンデモ精神科医・伊良部一郎の『活躍』を描くシリーズ第二作。同じ原作を扱いながら、ドラマ版と映画版とではその完成度に天と地ほどの差が生まれていたので、こりゃ原作もちゃんと読んどかないといけないなあと思っていたのだが、ようやく「原作」を購入して読んだ。文春だから慌てなくてもどうせ文庫化されるのにね(でもあそこは文庫化のサイクルが長いものなあ)。
 収録されているのは『空中ブランコ』『ハリネズミ』『義父のヅラ』『ホットコーナー』『女流作家』の五編。それぞれの作品に登場するのは、人間不信のサーカス団員、尖端恐怖症のやくざ、強迫神経症の医者、ノーコン病のプロ野球選手、嘔吐症の女流作家。つまんなくはないけど直木賞受賞ってこの程度? というのが正直な印象。つまり、五編が五編とも基本的には同じ話なんだよね。
 それぞれのエピソードの主人公が、ココロの悩みを伊良部に相談するのだけれど、本当に精神医学を学んだのかどうか怪しい自由奔放な伊良部の奇行に振り回されて、かえって混乱していく。なのに、ひょんなことがきっかけになって各人の悩みはいきなりスッと消え去って、これは果たして伊良部の手腕によるものなのか、それともただの偶然か、ともかく今日も伊良部先生はとつても元気だ、というのが全ての話の基本構造。
 ちゃらんぽらんに見えてもそれはカモフラージュで実は伊良部は名医、という設定になっていないところが面白くはある。ともかくその場の思いつきでと言うか、自分の本能の赴くままにと言うか、殆ど無茶な「逆療法」ばかりやらかしているのだが、それが結果的には功を奏するのだから、「もしかしたら伊良部って名医なのかも」と読者に錯覚させるところが小説として上手いのである。もちろん、患者に意味もなくビタミン注射をするのが趣味なんて変態が名医のはずはないんだけどね。これはミステリーで言えばジョイス・ポーターの『ドーヴァー警部』シリーズで開発されている手だ。病気の治癒、事件の解決、これどちらもあくまでただの「偶然」で「好運」なのね。これでクビにならないんだから、いくら伊良部が総合病院の跡取り息子だからと言っても、すげえラッキーマンだわ。
 「毎回同じ話」だから、そのマンネリを楽しむか、飽きるかで、このシリーズの評価は分かれると思う。直木賞は珍しくもその「マンネリ」の部分を評価したのかも。まとめて読むとやはり飽きる可能性の方が高かろうから、少し間を置きながら各短編を読んでいくのがいいんじゃないかな。
 伊良部一郎のキャラクターはドラマの阿部寛とも映画の松尾スズキとも似ていないけれども(だって原作の伊良部、デブなんだもん)、どちらかと言えば松尾スズキの方がまだ近い。確かに伊良部は変態だけれども、どこか稚気があって憎めないのに、阿部寛はまんま変態みたいな演技(『トリック』と全く同じである)してたもんなあ。再ドラマ化されるなら、伊集院光に演じてほしいな(笑)。

2004年07月27日(火) だけーどボクにゃ前歯がないよ、虫歯の虫〜に食べられた♪
2003年07月27日(日) 揺れて揺れて揺れて/『のだめカンタービレ』1・2巻/『平成よっぱらい研究所 完全版』(二ノ宮知子)ほか
2002年07月27日(土) イナジュンはいいねえ〜♪/DVD『カタクリ家の幸福』/『雨柳堂夢咄』其ノ九(波津彬子)/『ガンダムエース』9月号ほか
2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか



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