無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月27日(土) イナジュンはいいねえ〜♪/DVD『カタクリ家の幸福』/『雨柳堂夢咄』其ノ九(波津彬子)/『ガンダムエース』9月号ほか

 休日につき、のんべんだらり。
 って、それっていつもか(^_^;)。
 どこかに出かける気も起こらなくて、昼食は久しぶりにピザクックに頼む。
 床に新聞が散乱する中から、しげが最新のメニューチラシを探し出す。……だから新聞まとめて廃品回収に出すことくらいしろってば。
 しばらく食べてなかったら新メニューもいろいろ増えてるねえ。なんだかよくわからないが、きのこっぽいのとアイダホっぽいのを頼む。一応野菜メインのものを頼むようにしてるんだが、少しはカロリー制限になってるかどうか。
 

 CSファミリー劇場『稲川淳二の超こわい話』『超こわい話2』。
 「夏と言えばイナジュンよね」のギャグは細野不二彦の『ごめんあそばせ』。いやあ、あのギャグは好きだったなあ。このマンガを読んだことのある人なら「イナジュン」と聞いたら、稲垣潤一ではなく稲川淳二のことであると認識するようにならねばモグリであろう。何のだ。
 あ、でも私マジで、もうひとりのイナジュンって誰だったっけ? と、Google検索かけなきゃ思い出せなかったよ(^o^)。
 でも、全然怖くないなあ、イナジュンの語り。っつーかヘタだよ、すごく。妙に念を押すような、反応を窺うような姿勢が客をシラケさせる原因になってる。怪談ってのは客を自分の方に惹きつけないといけないのにねえ。自分から客のほうにノコノコ降りてっちゃ、恐怖も半減しちゃうよ。
 全く、いったい、いつから「怪談はイナジュン」ってことになっちゃったのかねえ。でも考えてみたらフォークロアとしての怪談を語ってる人って、あとは私ゃ北条きく子(今の北條霊峰)くらいしか知らない。古すぎるな。つまりイナジュンが重宝されてるのは、「他にいない」ってことなんだろうね。
 それでもたらたらとイナジュンを見ていたら、寝室のほうからしげが寝惚けた声で「いやああああ」と悲鳴。悲鳴って言ってもヤギの鳴き声にしか聞こえない(^_^;)。どうやらイナジュンの語りに反応して目が覚めたらしい。でも、こんな下手な語りですら怖いものなのか。しげだってイナジュンのギャグには笑った口だから、これくらい、笑って見てもいいと思うのに。
 ……さて、これだけ「イナジュン」を連発すれば、もうみなさんもこれから先「イナジュン」と聞けば稲川淳二を連想するようになったことでしょう(^o^)。時代はイナジュンだ。


 DVD『カタクリ家の幸福』。
 特典はキャストへのインタビューだけれど、松坂慶子のときだけビデオがハレーションを起こす(^_^;)。……シワ増えたんだろうなあ、ハダも荒れてるんだろうなあ、シミも出てるんだろうなあ、○○も○○たんだろうなあ、もう50歳だっけ。映画本編だとうまいこと紗をかけてたからあまり目立たなかったけれど、ビデオだとハレーション起こさないと誤魔化しようがないんだな(^_^;)。
 実は隠れ松坂慶子ファンの私にしてみれば(さすがに『ハットリくん』のころまでは遡れないが、『なんたって18歳』のころはもう認識してた。あの頃はどっちかっつーとキツイ役や悪女役が多かったが、今や気のいいオバサン役ばっかりになっちゃったね)、随分遠くまで来たのだなあ、と感慨深い。あまりムリはしなくてもねえ、普通におばあちゃんになってくれてもいいと思うんだけど。
 それにしても、キャストがみんなホントに楽しそうにインタビューに答えてるのな。三池監督の誉めかたも全然お世辞っぽくないし。実際、撮影中の監督、実に楽しそうで怒鳴ってダメ出しするような様子が全くないんだよな。こんなにスタッフ、キャストが和気藹々としてる様子を見せてくれるメイキングも珍しい。ギスギスした雰囲気がピリピリ伝わってくる『ガメラ3』のメイキングとは好対照だ。これだけ平和な現場ってのもそうそうないんじゃないかな。大林宣彦だってもう少し役者に文句つけそうなもんだ。
 しかも三池崇史監督の模範演技が実際のキャストより数弾上手いのにはビックリ。動きにキレがあるんだよね。大きな声じゃ言えないが、主役の父さん(あるいは詐欺師のアンちゃん)、三池監督が演じてもよかったんじゃないか。
 ああ、そう言えばこの映画のCD、買おう買おうと思って忘れてたな。やっぱり丹波哲郎の歌声が聞けるってだけでもこれは絶対買いだよな(^o^)。


 夜はリンガーハットで食事。
 と言ってもしげは自分の店では食べたがらないので、わざわざ諸岡まで出かける。ホンダを回ってまたまた本を買い込み、皿うどんと一口餃子のセットを食いながら本を読む。しかし、読みながら食ってるので味はほとんどわからない。
 食ってる間は本を読まなきゃよさそうなものだけれど、なぜか食うことだけに集中できないのである。家で食事をするときでも、テレビを点けるかDVDをかけてないと落ち着かない。食事するだけなんて、なんだか時間をムダにしてるような気になっちゃうのである。
 けれど、リンガーハットで『ガンダムエース』読んでる客って、店側から見れば気持ち悪いかもなあ(^_^;)。


 マンガ、波津彬子『雨柳堂夢咄』其ノ九(朝日ソノラマ/眠れぬ夜の奇妙な話コミックス・910円)。
 コンスタントに釉月&篁のエピソードとそれ以外の奇談とが語られる形式が定着した感じで、これがいいリズムを作っている。語りがぎこちなかった初期の頃に比べると、随分面白くなった。
 『午後の清香』や『おつかい猫』の話、本当に中国の古譚にありそうなくらいに完成度が高い。いや、語りのうまさだけでなく、登場する精霊たち、付喪神たちのことが愛おしいと思えるくらいにその細やかな感情が描かれていることに感嘆する。これでもちっと絵が上手くなってくれればなあ(^_^;)。
 けれどまだ完結してないのにもう文庫化されちゃってるんだなあ。それが悪いって言いたいわけじゃないけど、文庫の乱発って、長い目で見たら漫画出版の低迷を呼びはしないか。今の状態、間違いなくマンガのバブル状態だもんね。
 どうせなら、今まで単行本化されてない作品や、絶版作品を文庫で復刻してほしいものだけれど。
 朝日ソノラマさんよう、速星七生の先生もの(タイトル忘れた)、『たい問』に併録して文庫化してくれよう。


 モンキーパンチ責任編集『ルパン三世 公式OFFICIAL MAGAZINE』WEEKLY漫画アクション8月19日増刊号(双葉社・500円)。
 頼むから通巻番号付けて(T∇T)。巻頭対談はモンキー・パンチ、大塚康生、おおすみ正秋、納谷悟朗の四人。
 中身はほとんどはもう知ってる話ばかりなんだけれど、納谷さんが銭形を演じることになったのが、納谷さん自身の売込みだったということは今回初めて聞いた。パイロット版で五右衛門演じた時、納谷さん「セリフが少ない、やるなら銭形」と感じたんだそうな(^o^)。しかしパイロット版通り、銭形を近石真介さんが演じてたら、もう初めからコミカルな銭形になってたろうなあ。
 けれど納谷さんが当時の出来事で覚えてるのはそのくらいで、最初のころの銭形がシリアスだったことや、自分がオープニングでナレーションを担当したことがあることもすっかり忘れているのである。ホントにボケてるよ納谷さん(/_;)。
 笑えるのはみんなで新作の『ファーストコンタクト』をけなしていること。身内が営業妨害してどうするのか(^o^)。
 モンキーパンチの単行本未収録再録漫画は『銭さんサスペンス』。
 あ〜、センスかなんつ〜かアメリカのカートゥーンだね。ハンナ・バーベラの『チキチキマシン』とかワーナーの『ロードランナー』とか。しかしこれだけコミカルな銭さん描いてたら、「銭型はもともとシリアスだった」ってモンキーさんの主張、根拠が薄らいじゃうね。


 『ガンダムエース』9月号(No.006/角川書店・650円)。
 表紙は「マチルダさぁぁぁぁん」。
 ……うーむ、今やショムニだったり千本ノッコだったりする戸田恵子さんが当時、椎名へきるを越える声優界のすっげぇアイドルだったことを知る人は少なくなったろうなあ。何しろ、ほとんどマチルダさんとイメージが一致していたのである。アムロの叫びをわが叫びと感じていた男どもが全国に何万人いたことか。私もLPまだ持ってるっスよ(^_^;)。「か〜ぁれ、分かってくれたらしぃ〜いのっ♪」誰も知らんか。

 テレビ新シリーズ『機動戦士ガンダムSEED』の紹介グラビア。
 監督の福田己津央さんって名前初めて聞くけどサンライズの新人さんなのかな。世代交代は大いに歓迎したいところだけど、番組そのものはあまり魅力的に感じないなあ。
 ストーリーもキャラクターも、なんだかファーストのリメイクの『W』の更にまたリメイクって感じだ。
 ストライクガンダムにイージスガンダムにデュエルガンダム、バスターガンナダム、ブリッツガンダムですか。Gガンの時に既にもうなんでもアリだなあ、と思ったから、もう新鮮味全く感じないねえ。
 それでも放映されれば多分見ちゃうんだろうけど。

 安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。
 ガルマ編、やっぱり今号で終わらなかったなあ、124ページも使ってるのに。ここまでが3巻とすると、4巻まではかかるか。更にその後グフとの戦いも含めると、5巻で映画版第一作の終わりあたりまでという計算になるかな。となると全15巻。……やっぱりテレビでカットされた分も含めて、20巻くらいは行ってほしいぞ。ちょこちょこと元シリーズになかったエピソードも加わってるし。
 ……と言っても一応全話見ているとは言え、私も記憶だけでモノ言ってるから自信がないこと夥しい。セントアンジュに向かう母子のエピソード、テレビにあったっけ? ドレン中尉の水着は絶対なかったと思うが(^_^;)。イセリナ、もっと水着見せい。
 安彦さん、旧シリーズでも映画版でもイセリナをただのバカな女にしか描けなかったのが残念、とか言ってたから、キャラクターをもっと膨らましてくれるかと思ったけど、今のところはまだそれほどの印象はなし。……でも、ガルマが死ぬとき、イセリナが走って来る映像をインサートするのは止めてほしいな。世間は広いから、もしかしてあれが気に入ってる人もいるかもしれないけど。でも、当時、劇場じゃあそこで失笑が起こったんだけどねえ。

 他のマンガで読めるのはやっぱりトニーたけざきさん、大和田秀樹さんくらいしかいないなあ。北爪さんも夏元さんも美樹本さんもどこか同人誌の域を出ていない。さとうげんさん、徳光康之さんは相変わらずパロディになりきれていない。徳光さん、連載打ち切られてるし(^_^;)。
 今更、パロディ論を云々したくはないけど、やっぱ元ネタ知らなくても笑えるっていう点を考えてマンガ描いてる人と、そこに気がついてない人との差がハッキリしてるんだよね。

 巻末の安彦良和VS高千穂遙対談、今や知る人ぞ知る『OUT』1981年2月号に載った、高千穂さんの「ガンダムはSFじゃない」発言を巡る対談だ。
 全く、この人のおかげでどれだけSFの敷居が高くなったことやら(^_^;)。
 何しろ、当時、九州の僻地であるわが母校においても、高千穂発言に追従する自称SFマニアと、私のような横田順彌系の「SF何でもアリ」派とが口角泡を飛ばしてSF論議をやらかしていたのである。多分、その様子を見ただけで、「SFには近付いちゃなんねえだ」と思ったトモダチは多かったろう。
 で、この人が当時どう発言していたのか、今回の対談から抜き出してみるとこういうことになる。

 高千穂「《ガンダムはSFではない》って書いたわけじゃなくて、《SFはこうである》という前提を披露した上で、その前提にのっとれば、巨大ロボットアニメはこういう理由でSFではなくなる。その例のひとつとしてガンダムについて書いた」

 つまり、「ガンダムはSFじゃない」とは言っていない、あるSFの定義において、「ガンダムがSFでなくなる場合もある」と言いたいわけね。
 まあねー、言いたいことは分かるけど、ハッキリ言ってそんな細かい区別をしたって意味ない。
 ガンダムが立派なSFだと思ってる人にとっては、たとえ「定義次第では」という条件つきでも「SFでない」と言われれば立腹するものである。高千穂さんは「ガンダムをSFかどうかで評価することに何か意味があるんですか?」と逆に問いかけてるけれど、だったら、ある作品がSFであることを分析することに、どのような意味があるのか、そこを説明しないとねえ。
 だから、もともと「SFを語るのに、例としてわかりやすいロボットアニメを挙げた」こと自体に、誤解が生じた原因があったのだ。自分がSFでないと考えているものを例にとって、SFを語っちゃいかんですよ。そんなの、「『おそ松くん』はSFではない」と言ってるのと同じだってば。……『天才バカボン』はSFかもしれんが(^o^)。
 SFの特徴を語りたいなら、『クラッシャージョウ』と『2001年宇宙の旅』は同じSFでもどう違うかって語ってくれたほうが分かりやすかったと思うけどね。
 もっとも、一応、それに近いことを語っている箇所がこの対談中にもありはする。
 
 高千穂「ハードSFっていうのは制約を極限にまで高めた特殊なSF。それ以外に、プロパーと呼ばれる本格SFや、うんと端っこに位置しているスペースオペラなんかがある。(中略)スペ・オペをやる人は最初から理論抜きで反重力もワープ航法も出しちゃう。」
 安彦「例えば『クラッシャージョウ』でいえばテラフォーミング的な事ができるとかさ。」
 高千穂「テラフォーミングやる時は、担当するチームが全部集まって各パートを受け持ち、何年もかけて作業を行う。そういう設定が作ってある。でも、これをわざわざ表に書く事はしない。スペースオペラですから。」

 うーん、まだ説明不足だし、じゃあ、『ガンダム』は結局どこに入るのか、語ってないものな。
 そりゃ私だって、『ガンダム』がハードSFであるとは思わない。誤解のないように、ハードSFとしての面白さを持った作品ではない、と言ったほうがいいか。それは、オープニングの宇宙空間で整然と並んでる戦艦やザクを見た時点で、SFセンスよりも映像的快感を優先しているなとわかる。もちろん、それで『ガンダム』の評価が悪くなるわけではないのだ。そして広義のSFには『ガンダム』は充分値すると思うのである。
 高千穂さんが「巨大ロボットが出て来た時点でSFとしてダメ」と断定するのはSFの範囲をあまりに狭く取り過ぎてると思う。必然性がないってことなんだろうけれど、ちゃんと「ミノフスキー粒子」って設定があるじゃん。っつーか、どうも高千穂さん、ミノフスキー粒子が何か知らないで語ってる気がするんだよね。『宇宙の戦士』のパワードスーツを評価している高千穂さんが、どうしてモビル・スーツを評価できないのか、設定知ってりゃ評価したってよさそうなもんだけれども。
 もっとも、そのミノフスキー粒子の設定が本編中でまともに語られたことがなかったせいで、高千穂さんがあれを「ただの巨大ロボットアニメ」と認識した可能性はあるな。私だって、『ガンダム大辞典』で初めて知ったし。
 こうなると、高千穂さんには「『エヴァンゲリオン』はSFですか?」と聞いてみたくなるなあ。単に使徒と戦うためだけと考えたなら、エヴァみたいなモノに乗り込む必然性はないけれど、そこに代理戦争の変形モチーフを持ちこんだSF設定があるんだからね。それまで否定したら、藤子・F・不二雄の『ひとりぼっちの宇宙戦争』も永井豪の『真夜中の戦士』も石ノ森章太郎の『四次元半襖の下張りサイボーグ戦士(ウォーリア)』もSFじゃなくなるぞ。そこまでの暴論を高千穂さんは吐けるかなあ。

2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか



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