無責任賛歌
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2005年07月20日(水) |
人生ホリエモン/『MORNING GIRL』(鯨統一郎) |
定時に退社、電車に乗ると、車内がずいぶん空いている。 どうしてかなあ、と首をひねっていたが、「学生の数が少ないのだ」ということに気づいた。小・中・高校生は今日が終業式で、午前中で帰ってしまっているのである。 今年が初めての電車通勤であるから、こういう「変化」にも当然初めて気づいたわけで、他愛無いことではあるが何だか新鮮である。 それでも何人かは高校生は乗っていて、その会話が何となく聞こえてきた。 「お前、『アベノ商店街』って知ってる?」 「聞いたことあるような気はするけど」 「ダメだな、そこで『ガイナックスの?』って答えなきゃ」 もちろんそこで「『アベノ商店街』じゃなくて『アベノ橋魔法商店街』だよ」なんて野暮なツッコミはしないのである。オトナになったなあ(←コドモでも見ず知らずの人にそんな突っ込み入れたらアレだと思われます)。
車内広告で、『仮面ライダー響鬼』の細川茂樹&渋江譲二さんが三井グリーンランドまでトーク・ショーに来られることを知る。期日が8月14日で、盆のど真ん中なのだが、入場無料だし、ちょっと行ってみたい。ただ、PPPのメンバーを誘っても興味を示してくれそうなのがカトウ君とよしひと嬢くらいしかいないのである。いまいち盛り上がらないかもしれない(笑)。 最近カトウ君は鬱が続いてるし、こういうのを気晴らしにしてくれたらいいんだが、スケジュールはどうかね? メール読むのも苦しそうだからこうして日記に書いてるけど、更新が長いことなかったし、まだ読んでくれてるかなあ。
しげは夕方から映画『アイランド』の試写会で、中洲の明治安田生命ホールへ。しげが試写会に行くとは珍しいことだが、別に自分からハガキを送ったわけではない。私の同僚が三枚当たったので、そのうち一枚を分けてもらったのである。しげはユアン・マクレガーが結構好きなので、渡りに船であった。 映画が終わったころに待ち合わせの約束をしたので、その間、私は時間つぶしに博多駅・天神をウロウロする。っつても寄ってるとこは全部本屋だ。色気がないこと極まりないが、あっても困るな。 博多駅の「GAMERS」「紀伊国屋」、地下鉄で天神に移動して「福家書店」「紀伊国屋」「ジュンク堂」。これだけ回れば、買い控えしているつもりでもついついあの本この本と手が伸びて、自然、鞄の中は本でギュウ詰めになる。 今回は、マンガも買ったが、主に活字本を10冊くらい買いこんだ。これだけ買っても、読むスピードだけは昔と変わらず早いので、一週間くらいで読みきれる。若いときに速読の修行はしておくものだと内心自画自賛。これで、日記に読んだ本の感想を全部書ければいいのだが、そこまでの時間は捻出できない。この日記はマンガと映画を優先してるので、そこはどうにもしょうがないのである。
ホールには9時に到着。外見は普通のビルなので、劇場入り口っぽいところはない。狭いロビーには階段とエレベーターしかなくて、そこからバラバラとお客さんが出てくるが、しげの姿は見えない。最初に出て来る客はエンド・クレジットが始まると同時に椅子を立った連中だ。しげも私も字幕は最後まで見るので、おおむね3分はタイムラグが生じる。案の定、しげはほぼ最後に出てきた。しかし会うなり、「はい」と手渡されたのはヤクルトの「タフマン」。 「なんだこれ?」 「主催がヤクルトだったんだよ。ほら、書いてあるっしょ? 『いい男キャンペーン』って。だからあげる」 上映の前に前説があって、そこで全員に配られたとか。軽く三百人くらいはいたと思うが、その殆どは女性である。なんか主催者と観客の感覚の間にズレがあるよ うに思うが、まあ、貰えるものは何でも貰うのである。
晩飯は近所の「カレーハウスCoCo壱番屋」で。夏カレーということで、「ニラもやしと挽肉の旨辛カレー」を注文。あまりココイチのカレーは好みではないのだが、これはモヤシがシャキシャキしていて、適度にあまりコクのないルーが滲みていて、なかなか美味かった。
実は私は、一時期、毎年リニューアルされるタカラの「人生ゲーム」を追っかけて、十作くらい買い続けていた時期があった。 「人生ゲーム」についての解説は要らないと思うが、バージョンアレンジで様々な「人生ゲーム」が発売されていることを知らない人は意外に多い。イラストレーターを変え、設定を変え、人生の目標も単に大金持ちになるだけじゃなくて暗黒街に君臨したりスーパーヒーローになったり千変万化、驚きかつ大笑いの、老若男女が楽しめる趣向で次から次へ、時には一年間に数作のハイペースで発売されていたのである。それが面白くて十年くらい前になるが新作が出るたびに購入していたのである。けれど、あまりに種類が多いので、トテモ追いかけきれずに止めてしまった。 だいたいアレを買って一緒にゲームをするったって、相手はしげしかいないのである。アレは四、五人いないとなかなか楽しめないもので、しげと二人だけでやっててもだんだん寂しい気持ちにとらわれていくのだ。なんたってしげの性格は基本的にバクチウチで、ハイリスク・ハイリターンが好み、おかげでしょっちゅう破産して貧乏農場に送られるハメになるのである。そのあとイライラするしげをなだめなきゃならないんだから遊びが遊びにならない。島本和彦のマンガそのまんまである。かと言って、「人生ゲームやろうよ」って、んなことで友達や知り合いは誘えないしなあ。 ところが、今度九月に発売される予定の「人生ゲーム M&A」(なんとシリーズ37作目)、監修にあのホリエモンが参加するんだって(すまねえ、本名、何て言ったか忘れた)。内容は会社を興し、経営者となったプレーヤーが合併や買収などを経て、企業価値を高めていくというイカニモなものなのだが、その金額の単位が桁外れなのである。 十億、百億冊どころか、一兆円札まである。そんなんで遊んでも、所詮はフィクションなんだから、ちとやり過ぎって気はしないでもない。「成功して億稼ぐなんて簡単ですよ」なんてサラリと言っちゃってるホリエモンの顔を思い浮かべると、なんかハラが立ってくるし、現実に立ち返ったときに、かえって空しい気分に苛まれちゃうヒトもいるんじゃないかという危惧もありはする。けれど、話題性はもうこれまでのシリーズ中でも抜群なのは間違いないのだ。 少なくともこれが子供をターゲットにしてはいないということは明白で(つか、もう何十年も前から「人生ゲーム」シリーズは子供を置いてけぼりにしているんですよ、そこの奥さん旦那さん)、だからこそ私はこれが究極の人生ゲームになるかもしれないという期待もしてしまうのである。久しぶりに購買欲をそそられる作品に出会えたのだ。これは仮に「買ったままやらないで置いとく」ことになっても、記念に買っとかなきゃならんのじゃないかという強迫観念に捉われかけているのだ。 しかもイラストは『新しい単位』『毛髪川柳』の五月女ケイコさんである(東京まで、シティボーイズの舞台に客演してるのを見に行きまでしたってのに、今の今まで読み方を勘違いしてました。「サツキメ」じゃなくて「ソオトメ」さんとお読みするのですね。すみません)。こりゃもう買わいでかってなものなのだが、先述した通り、買ってもうちには一緒に遊ぶ相手がいないのである。誰かうちに遊びに来ませんか。狭いけど。
グータロウ君の日記で、私の昨日の日記について「差し障りがある」と書かれてしまったので一言。 多分、これから先、何か困っちゃうような事態に発展はしないので、そんなに心配はいらないよ。アレに関しては「厳しく批判してくれ」って頼まれたからやったんで、あえて敵を作るためじゃないのだ。別に私が縁を切ったわけじゃないし、多分いろんな会合でこれからもドッグさんとは会うし。批評は批評。ドッグさんはそのあたりのリクツが分からない人ではないよ。妙な憶測はドッグさんに対して失礼だ。 あの書き方じゃ、私が誰彼なしに喧嘩売ってるように見えちゃうが、温厚で人当たりがよくって人の悪口なんか滅多に言わないというのが、普段の私に対する職場での上司・同僚の評価なのである。職場にいるときゃ、映画や芝居に関する感想ですら、辛辣な表現は避けてるんだからねえ。猫かぶるときはかぶってバレないように生活してるんだから、破滅の道を歩んでるような誤解はしないようにね。 私信だな、こりゃ。
マンガも読んだが、最近はその感想は書いても小説の感想はなかなか書けなくなっているので、前述したことと矛盾はしてるが、今日はたまには小説もということで。 いやね、もう一つ小説の感想が書きにくい理由を挙げるとね、読む本がミステリーやSFに偏ってるんで、ネタバレしないように書くのってムツカシイのよ。
鯨統一郎『MORNING GIRL』(原書房)。 タイトルは多分、ショーン・キャシディ(『刑事コロンボ』ファンの私には俳優ジャック・キャシディの息子としての印象の方が強い)のデビュー曲『素敵なモーニング・ガール』から取られているのだろう。「モーニング娘。」の方ではないと思う。ウンチク好きのこの作者にしては、そのあたりの説明が作中にないのが首をひねるところである。 どうしようもない駄作も多いこの作者の新作をどうしても追いかけてしまうのは、やはりデビュー作『邪馬台国はどこですか?』の印象が鮮烈だったからである。荒唐無稽に聞こえる論理のアクロバットの向こうに、「もしかしたら一抹の真実が含まれているかも」と感じさせるものがあって、それがあの連作ミステリの魅力になっていた。 だから、「人はどうして眠るのか?」という、生命の根源について問いかけていると言ってもいいこの謎に、いったいどんな解答を出してくれるのか、ワクワクしながら読み進めていったのだ。 ところが本作はミステリではなかった。未来宇宙を舞台にしたSFとして書かれていた。SFとミステリは本来別の手法によって成り立っているものだが、この背反するように見える二者を見事に融合させている作品は決して少なくはない。鼻祖アシモフの『鋼鉄都市』は言うまでもなく、本邦の『キッズ・ピストルズ』シリーズや『バルーン・タウン』シリーズは充分成功例と言えるだろう。 ある一定のSF設定・法則が仮構され、そのワク内においてのみトリックが成立するときにSFとミステリは美しいランデブーを果たす。では『MORNING GIRL』はどうであったか。いきなり決め付けてしまうが、残念ながら、本作もまた鯨作品の駄作群にまた一つ名を連ねる結果になってしまっている。 本作がSFとして描かれたのは、リアルなミステリとしては結局「眠り」の謎を解明することが不可能だったためなのだな、と断定せざるをえない。すなわち、「SFなら何でもアリだな」という「逃げ」を売っているのである。実際、1/3も読み進めないうちにネタはすぐに割れる。かなり鈍感な人でも、主役の二人、スティーヴとダイアンの間に生まれた子供の「名前」を聞いた時点で、「ああ、これもアレネタだったんだな」と気づくだろう。 ……なんかもうね、「もう止めて」って言いたいくらい、使い古されたネタなのね。客ナメてるだろ、鯨! 鯨さんがこの場にいたら、そう罵倒して、スリッパでアタマをパシーン! とひっぱたいてやりたくなるくらい、陳腐なのである。 「小説は文庫で買う」がモットーな私だが、およそ「原書房」という、有名とまでは言えない出版社から発行されている本作、どこかの出版社に買い取られて文庫になるまでには時間がかかるだろうなと、思い切ってハードカバーで買ってしまったが、1600円をドブに捨てた気分である。もう、ここいらでやっつけ仕事はやめて、鯨さんにはもちっとマシなミステリを書いてほしいんだけど、もう才能が枯渇しちゃったのかなあ。いくらなんでもちょっと早すぎるよなあ。 しかし、「人類がどんどん眠らなくなっていく」って言っても、身体的影響がなけりゃ特に問題にしなかったり、喜ぶ人もある程度の割合でいそうな気はするけどなあ。少なくとも私は本が読めるようになるから絶対喜ぶ。 政府は民衆がパニックにならないように、ウソでも「睡眠時間がゼロになっても問題はありません」と情報操作しようとすると思う。政府に委嘱された研究チームがやたら「眠りがゼロになれば人間は死に至る」という決めつけを繰り返しているところがまず、設定にリアリティを感じられないのである。
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