無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年05月11日(水) ダウナー、ダウナー/『ONE PIECE ワンピース』巻三十七(尾田栄一郎)

 劇団メンバーのみんなのブログ、読みやすいものが多いんで、私もこの日記の行間をちょっと空けるくらいのことをしたいのだが、どうやったらいいのか分からない。いろいろタグをいじくってみたのだが、これが全然変化なし。もう何年も日記書きつづけてるってのに、未だにパソコンに慣れてないのである。パソコンに詳しい方、誰か上達のヒケツを教えて頂けないものでしょうか。


 何だかいつまで続くんだって感じの、しげの鬱。
 今日もポプラで鶏天弁当とミックス弁当を買って、車の中で二人で分けて食べる。しげはこれがかなり気に入ったらしく、食ってる最中、ずっとニコニコしているので、その流れで映画に行こうかと誘ってみたのだが、途端に渋い顔になる。
 「せっかくラブラブなのがなくなっちゃう」というのだが、何をどうすればしげのいう「ラブラブ」になるのかが見当もつかない。バカップルを演じたら、それでしげの心は満たされるのか? 「演技でもいい」としょっちゅう言ってるが、実際にやってみたときに「いつものアンタじゃない」とかえって情緒不安定の度合いが増しちゃったことがあったので、しげの言をマトモに受け取ることもできないのである。
 しげは、帰宅した後、突然またコンビニに出かけたかと思ったら、イクラ丼を買ってきた。しかも千円近くする巨大イクラ丼である。
 「アンタを驚かせようと思って」というのだが、確かにビックリした。そりゃあ、私はイクラが好きだ。回転寿司で、イクラにキュウリがくっついて来るのを見ると、「姑息なマネをするんじゃねえ!」と、キュウリをどけてイクラだけで食べるような人間である。一度、ドンブリいっぱいのイクラを食ってみたいなあというのは夢でもあった。
 けれど、嬉しくはあってもこれがしげの情緒不安定から来る行為だと思うと、素直に喜べないのである。給料日前でそんなに贅沢できるわけでもないのだから、無理してこんなの買って来なくてもいいし、第一、しげが作ってくれていたミートボールスープも私はもう食べていたのである。
 ただ、こういうことを書くとまたしげがシュンとしかねないので念のため書いておくが、こういうトンチンカンをやらかすところも(もちろん鬱も)含めて、私はしげと一生添い遂げたいと思っているのである。もう十年以上も一緒にのたくってるんだから、そこんとこの気持ちにいい加減気づいてくれてもいいんじゃないかと思うのだが、これが全然しげに伝わらないのがココロの不思議というやつだろうかと首をひねるしかないのである。


 チャンネルNECOで「みうらじゅん的映画祭」特集で映画『大巨獣ガッパ』。
 みうらさんが、「ガッパやギララやゴケミドロのようなB級作品を再評価することが、タランティーノをやっつけることになるんだぞ」の主張に大きく頷く。もっとも私は、これらの作品を「B級」と認識したことはないんだけどね。予算ってことでA級B級を分けるんだったら、日本映画はハリウッド映画に比べたら全てB級になるわな。トホホな部分はクロサワにだってあるのだ。
「昔、テレビで見た」とかいう特撮ファンはいっぱいいるけれども、「ガッパ」を劇場で見たって人にはあまり会ったことはない。私と同年輩か、それよりちょっと上くらいの人しか、こんなもん見たがるやつはいないので、それもいたし方がないのだが、当時私は劇場から出てきながら、心の中でみうらさんが「脱力もの」と評する「ガッパの歌」を涙しつつリピートしていた。『ガッパ』がイギリス製怪獣映画『怪獣ゴルゴ』のかなり露骨な「換骨奪胎」であることを知ったのは後年のことで、親子ガッパの再会に、ガキの私は素直に感動していたのである。
 だもんで、あまりトホホな映画であるかのように紹介されるのはちょっと悲しいものを感じてしまうのだが(確かに「亀」が当たったから次は「河童」という日活の発想は何だかなあだけれども)、ムカシの特撮映画なんて見る気もしない、なんて似非オタクがちょっとでも減ってくれるんなら、トンデモ的な紹介の仕方にもガマンしなきゃならんかなとも思うのである。悔しいけど。


 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』巻三十七(集英社)。
 ジャンプシステムの最もよくない部分の影響を受けて(つまりは連載の「引き伸ばし」ね)末期症状に陥っているが、それに気がつかないでいるのは、信者的なファンと新参入の若いファンと、作者だけであろう。……って、前2者が半端じゃないくらい数がいるから、連載がいつまでも続いてるんだろうけど。
 ウソップに続いて、ニコ・ロビンも麦わら海賊団を離脱しそうな気配だけれども、ウソップだけだと「どうせまた戻ってくるんだろう」と読者に先読みされてしまうので、もうちょっと「押しとく」必要性を感じてのこの展開だろうか。でも、こういう謎を残した形で「もう二度と会うことはない」とロビンに言わせたところで、ドラマツルギーがそれを許すはずもない。ここまで物語を「仲間」をキーワードに紡いでおいて、それがあいまいな理由のまま放置されていいはずがないのだ。
 ウソップもロビンもいずれ麦わら海賊団に戻るか、そこに至らないまでも、何らかの形での「絆」を結びつづけていくことは確実なので、中途半端に離散するように見せかける展開はかえって嘘臭い。麦わらの一味崩壊の危機感がないから、「出来レース」にしか思えないのである。
 こういう出来レースを何度もかましてくるあたり、尾田さんの作劇術が破綻している証拠なので、「末期症状」と言わざるを得ないのである。……いやね、これでロビンが本当に二度と登場してこなかったら、それはそれですごく意外な展開になるのだが、そうなったほうが読者は作者を許さないんじゃないかね。
 ルフィもゾロもいとも簡単にサイファーボールの連中にやられちゃってるが、これもまた「敵のインフレ状態」でしかないので、緊迫感も高揚感もゾクゾクもドキドキもワクワクもない。しかも今巻、後半はルフィたちがまるで出てこないのだ(フランキーを仲間にするための、いつもの「回想」だとしても長い。しかもやっぱりナミやチョッパーと同じく「育ての親の死」のパターンだ。もう二番煎じ、三番煎じでこうも感動を押しつけらけたって、涙も出やしないのだ。
 それでもこうして、単行本を続けて買ってるのは、何だかんだ言っても尾田栄一郎が鳥山明なきあとの(死んでないって)、ジャンプマンガを支えている才能の持ち主であることに違いはないからだ。このまま「引き伸ばし」でせっかくの尾田さんの才能を枯らしちゃいかんと思うよ、本気で。それでつまんないマンガしか描けなくなったマンガ家が山といること、昔からジャンプ読んでるファンなら知ってるよな?

2004年05月11日(火) ホントに午前様になっちゃったよ(-_-;)。
2003年05月11日(日) すっ飛ばし日記/ギャグで怖がる女
2002年05月11日(土) つんでぶで……謎の言葉(^o^)/DVD『日本誕生』ほか
2001年05月11日(金) ちょっと愚痴を言いたい夜/『荒野の出前持ち』(石川賢)



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