無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年04月28日(木) カリスマヒロインは生まれるか?(追加アリ)/『PLUTO(プルートウ) 02』豪華版

 懐具合がマジでヤバイ。
 原因は以前も日記に書いたことだが、しげがいきなり仕事を辞めてしまったことで、それまでは月々の車のローンはしげが自分で払っていたのだが、それが立ち行かなくなってしまったのである。車検だの何だの、そういうのも全て私の負担。そこに旅行だの何だの、以前から予定していた出金が重なったものだから、たまらない。「聞いてねえよ」と叫びたいくらいである。
 かてて加えて、「またかよ」と文句を言う気も失せてきたのだが、長引く不況で会社の経営が逼迫、この夏、またまた社員の給料がカットされることになってしまったのである。これで8年間昇給無し、どころか減給までされているのだから、昇給を当てにして考えていたあれやこれやの買い物を先送りにしまくっている。本当ならノートパソコンや5.1チャンネルオーディオは完備し、引越しだってしていたはずなのだが(いや、そこまでの給料は貰ってません。これは妄想です)。
 一応は私も「遊びにばかりお金使いまくってもなあ」と考えて、先月は一枚もDVDを買っていなかったのだが、それでも月末の収支決算では赤字が出るのである。いやまあ、その分芝居に行きまくってたから、金はやっぱり使っちゃってるのだけれども。無計画だとか金銭感覚が甘いと非難されても反論ができないのである。
 それにしてもローンを背負った状態がこれから先、一年以上も続くのであれば、ことは「苦しい」どころではなくなってくる。どうせ私が払うものならば、いちいちしげの口座に金を振り込んでいくのも面倒くさい。この際、車のローンは完納し、しげの通帳はまっさらにして、私の通帳のほうで金利の安いローンを会社に組んでもらうように切り替えることにする。要するに給料の前借りなんだが。
 その手続きで、今日はずっとあっちの銀行こっちの銀行と東奔西走である。転勤早々、仕事を同僚に頼み込む羽目になってしまったので、いささか心苦しかった。いや、この手続きだってしげに頼めなくはなかったのだが、またぞろ「やり方がわからん」である。全く、誰のために駆けずり回ってると思ってやがるんだ。

 
 角川映画が、久しぶりに新人オーディションを再開するって。
 「ソニー・ミュージック」と組んで大規模オーディション「ミス・フェニックス」を開催、グランプリ受賞者には主演映画&CDの同時デビューが約束されるという。
 思えば角川映画第三弾『野性の証明』で、やはりオーディションに受かった当時13歳の薬師丸ひろ子がデビューしたのが1978年のこと。それからもう27年が経っているわけで、所謂「角川三人娘」も揃って四十路に入ろうとしている。この三人(特に薬師丸ひろ子一人)が、どれだけ絶大な人気を誇っていたか、若い人たちにこれを説明することはなかなか難しい。なんたって薬師丸ひろ子は『Wの悲劇』(1985)『野蛮人のように』(1986)あたりまでは、「日本映画で唯一客を名前で呼べる女優」とまで言われていたのである。さながら松竹が『寅さん』だけでその屋台骨を支えていたように、角川映画は確実に、いや、日本映画全体が三人娘(特に薬師丸ひろ子)に牽引されていた時代があったのだ(「そうかあ?」なんて言ってスカすやつはブッコロス)。
 それが証拠に、1986年に三人娘が相次いで角川春樹事務所を離れると、角川映画自体がろくな企画を出せなくなってアニメに走るようになり、興行収入も激減、凋落していった(言っちゃなんだが、『サイレントメビウス』で宮崎アニメに対抗しようってのは無茶である)。角川が発行していた映画雑誌『バラエティ』は殆ど三人娘の宣伝誌と化していたが、あっという間に廃刊になった。逆に言えば一つの雑誌がスター数人によって支えられていたのだから、その人気たるや何と表現すればいいものか。
 大金かけた大作も当たらなくなり(『天と地と』は興行収入の額面ではヒットしていたように見えるが、協賛会社へのノルマチケットの売り付けが激しく、劇場は閑散としているという事態が生じて問題になった)、『ぼくらの七日間戦争』で宮沢りえを映画デビューさせたものの、製作と監督との間で確執を起こして次が続かず、それやこれやで新しいスターを模索しているうちに、既に子役として有名になっていた安達祐実に白羽の矢を立てて育てていこうとしたら(『恐竜物語 REX』)、角川春樹社長が麻薬取締法違反で逮捕である。
 こんなに分かりやすい転落ぶりもないが、角川映画に魅せられて(つか、薬師丸ひろ子と原田知世に入れ込んで)、出来が悪かろうがなんだろうが殆どの角川映画に足を運んでいた私にしてみれば、悲しささびしさもひとしおだったのである。
 角川映画はまさに三人娘とともにあった。それが角川映画のカラーでありブランドであった。角川歴彦社長のもと、大映も合併吸収し、再びヒット作も制作しつつある現在、新しい「角川アイドル」を発掘しようというのは当然の成り行きだろう。
 ちょいと気になるのは、「主演映画が『野性の証明』から『ぼくらの七日間戦争』までのヒット作からリメイクする」というくだりである。つまりは新しい企画が立てられないということで、新人抜擢の企画としては弱いんじゃないか。たとえば『野性の証明2007』なんてのに今更魅力を感じる客がいるのかどうか。ましてやもう、何度リメイクされたか知れない『ねらわれた学園』や『時をかける少女』を望むファンもいないんじゃないかと思うが。
 可能性があるのは、今度こそ赤川次郎の原作に忠実な形で、『セーラー服と機関銃』をライトにリメイクするとか、バックステージものに改変された『Wの悲劇』を原作通りミステリーにってとこか。『悪魔が来りて笛を吹く』や『悪霊島』とか、横溝ミステリーはヒロインものには向きそうにない。どれも一長一短というか、ちょいと地味だ。
 意表を突いて『幻魔大戦』実写映画化というのはどうだ。これならルナ姫という絶好のヒロインがいるわけだし、今度こそSFファンが長く待ち望んでいた「お月見」のシーンを映像化することができるのである。……つかさー、ほかにリメイクに値するようなヒット映画って、殆どないと思うんだけど。
 『金田一耕助の冒険』は無理だろうなあ。


 マンガ、浦沢直樹×手塚治虫『PLUTO(プルートウ) 02』豪華版(小学館)。
 あのおまけはないだろう、という不満はあるが、待望の第二巻がようやく発売。
 プルートウと対決する七人のロボットは今巻でヘラクレスが登場したのでほぼ揃い踏みである。やっぱりヘラクレスはマッチョになるのだなあ(笑)(エプシロンもチラッと登場)。
 原作レギュラーのお茶の水博士、田鷲警部、中村捜査課長、そしてついに登場のアトムの妹・ウランと、なんかもうファンとしてはワクワクを通り越してドキドキが喉までせりあがってくる感じ。お茶の水博士のデザインなんて、こりゃもう絶対この人勝田久の声で喋ってるよって言いたいくらいドンピシャなアレンジだ。
 その完成度の高さゆえに、最近はあえて批判する人々もいるようだけれども、そこまでヒネクレなくてもいいんじゃないかねえ。確かに漫画史上における最高傑作とまで言われりゃ、そりゃ持ちあげ過ぎってもんだろうとは思うけれども、これを越えるほどに面白いマンガが今どれだけあるのかって考えると、今現在、このマンガと出会えた至福を素直に感じてもよかろうと思うのである。
 確かに、浦沢直樹の絵の上手さを賞賛する人に対しては、私も「そんなに上手いか? 浦沢直樹」とちょっと皮肉の一つも言ってみたくはなる。一見、リアルで表情が豊かに見えはするが、実のところさほど微妙な表情を描写する技術に長けているわけではない。その表情パターンは意外なほどに幅が狭いのだ。だから、『YAWARA!』や『Happy!』のようなラブコメに徹したような作品だと、コメディ・リリーフを演じるキャラクターをうまく動かせず、いや、派手な表情をさせて無理に動かそうとして、かえって「浮く」状態を作ることになっていた。ジゴローも富士子も桃子もはしゃげばはしゃぐほどにストーリーを停滞させることが多く、鬱陶しくてかなわなかった。『パイナップルARMY』『MASTERキートン』『MONSTER』と続くシリアス路線が成功しているのは、「表情が少ないほうが物語にマッチして効果的だからである。『PLUTO』も当然その延長線上にあり、ゲジヒト刑事が常に暗く悲痛な表情をしているからこそ、ミステリアスなムードが保たれていると言えるのだ。
 だから、さほどマンガ好きでもない人が、「マンガを特に好きでもない自分がハマるくらいだから、これはマンガの中でも特に上質のマンガなのだ」と、マンガを誉めているように見えて実は蔑んでいる発言をするのを聞いたりすると、いささか胸糞が悪くなる思いとてするのである。
 “語り口”に関して言えば、同じSFミステリーである『デスノート』よりもかなり洗練されている。「外堀」はかなり埋められているが、肝心要のプルートウは未だに登場しない。フセインそっくりのダリウス14世は原作のチョチ・チョチ・アババ三世に当たるのか、いや、そもそも黒幕はなんとなくトリシア大統領のようにも見えるのだが、どうなのか、「ゴジ博士」とミスター・ルーズベルトは同一人物なのか、謎は尽きない。一番気になるのは、エプシロンはやっぱり女性ロボット? ってところなのだが、その謎が解明されるためにはまた半年待たねばならないのである。ああ、待ち遠しい。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』32巻(完結/小学館)。
 表紙は無精ヒゲでやつれたくわえタバコの藤田玲司。悪徳商売のツケなのか、ついに藤田もホームレス? と勘ぐりたくなるくらい、最終巻にはおよそふさわしくないみっともなさだけれど、正真正銘、これが紛うことなき完結編である。
 何だかずいぶん分厚いなあと思ったら、318ページと、いつもより60ページくらい超過のボリュームだった。けれど中身がそれに見合うだけのものかというと、ややネタ切れ気味。ビザの書き換えに帰国したサラとの連絡が付かなくなり、それと呼応するように藤田はアルカイダの資金調達に関与していたという容疑で逮捕されてしまう。果たして、藤田をハメたのはサラなのか? ……ってな展開なんだけど、これまでの付かず離れずの藤田とサラの関係を見てりゃあよ、そんなバカなことは万が一にもありえないんで、サスペンスにも何にもならないのである。ネタもまた幻のモナ・リザで、二番煎じの印象をぬぐえない。これまでの登場キャラクターの再登場もサービスのつもりなのかもしれないが、三田村小夜子館長(冒頭では茶髪で登場するが、すぐに黒髪に戻した)、トレジャーハンターのラモス(結局、こいつの彼女はどうなったんだ?)、スコットランド・ヤードのロジャー・ワーナー警部(残念ながら、今回、変装はなし)、国際美術品窃盗団リーダーのカルロス(以前より顔がさらにコワくなってる)、サラの従兄弟・カジム(未だにサラに未練タラタラ)、調香師・ジャン・ボール・香本(キャラ的にDr.WHOOと区別が付かん)など、“無理やり出してる”印象は否めない。
 で、結局、藤田とサラの二人の関係がどうなったかというと、「実はまだギャラリーフェイクは続いているのです」で、何の変化もないのであった。何じゃそりゃ。連載開始年月日を考えればサラだってもう30歳を過ぎてるだろう、いい加減、結婚しろよ、エッチがタブーな少年マンガじゃあるまいし、と思っていたら、作中に「あの戦火から5年」なんて台詞が出てきた。つまり二人が出会った1991年の「傷ついた『ひまわり』」事件から実は数年しか経っていないということなのである。歴史的な事件も何度も扱ってるから、作中の時制が21世紀になってないはずはないんだけど、そこはもう、あまり突っ込まないように、ということなんだろう。このラストはもしかして何年か経ったときに「特別完結編」とか出すための伏線かなあとも思うのである。
 9話にわたるラスト・エピソードよりも、私は「生キタ、カイタ」で、夭折した天才画家にして詩人、探偵作家である村山槐多(むらやま・かいた)を取り上げてくれたのが嬉しかった。マンガの中でも紹介されているが、槐多の絵はまさしく情熱のほとばしるままに描かれており、「汗だくのリビドーにまみれている」のである。
 「槐多の絵に触れた人間はなぜか魅入られる」の言葉どおり、高校時代に槐多にハマった私は、部活の会誌に稚拙な「村山槐多論」まで書いてしまった。まさしく「若気の至り」である。
 マンガでは紹介されていなかったが、合掌し放尿する僧侶の絵などは、自制できない情念のほとばしりをストレートすぎるほどに描いていて、この絵も私は大好きだ。槐多が描いた僧侶の陰茎は中途半端に勃起してさえいるのである。
 全集が絶版になって久しかったが、「美少年サライノの首」「悪魔の舌」「魔童子伝」「魔猿伝」「殺人行者」など、その代表作は、『村山槐多 耽美怪奇全集』(学研M文庫)として一昨年再版された。近年のふにゃふにゃなボーイズラブ小説に飽き足らない方には、槐多のねっとりとした耽美を一度味わっていただきたいものである。
 槐多の詩や小説を偏愛し、彼同様、「美少年趣味」であった江戸川乱歩の書斎には、生前、槐多の『二少年図』が飾られていた。今、その絵は世田谷文学館に寄贈されているそうである。

2004年04月28日(水) 出張の中身はヒ・ミ・ツ。
2003年04月28日(月) メモ日記/インモラルな夜。
2001年04月28日(土) 掲示板開設!/映画『バンパイアハンターD』ほか。



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