無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年01月31日(月) 中尊寺ゆつこさん、死去/DVD『きまぐれロボット The Capricious Robot』

 しげ、またまた薬を飲みすぎて、朝方起きれず。
 最近は仕事に行かなくなった代わりに料理もちゃんと作るようになったんで、家事が全然できないとまでは言わずにすんでいるけれども、まだまだ「抜け」は多いのである。眠れないからといって、二倍も三倍も薬を飲んでたら起きられなくなるのは当たり前じゃないか。なんでもう少し自己管理ができないのかなあ。
 私だって子供のころは、寝付きは悪いわ朝は起きられないわで、かなり苦しかったのだが(心臓が弱かったせい)、瞬間で眠れるように「訓練」した。こういうのは「気合い」で何とかなる場合も多いのである。だから、小学校のころは病気がちだったのが、中学、高校と快眠できる状態が続いて、そんなに大病を患うこともなくなった。それが、大学を卒業するころからジワリジワリとまたカラダを壊すようになっていって、結婚してからは病気がトモダチみたいな状態に逆戻りしてしまった。これも、眠れないしげから夜中にいきなり叩き起こされたりしたのが重なったせいもあるのだ。
 自分が眠れないだけならまだしも、私まで巻き添えを食らわされたのではたまったものではない。父はしげが睡眠薬を服用していると聞いて、「薬に頼らない方がいいがなあ。お母さんは薬には絶対反対やった」と心配するのだが、私も自分のカラダは自分で守りたいのだ。「寝る技術を身につけろ」と何度も叱りつけたって、しげに自分で努力することが不可能なのであれば、薬に頼ってもらうしかない。
 30年も生きてきて、どうして「眠る技術」が学習できないのかってことについては、確かに疑問ではあるのだが、そういう人は実際にいくらでもいるので、単純に「気合いが足りん」の一言で片付けられはしない。これもやはり脳にもともと問題があるのだとしたら、神経科だけじゃなくて脳外科とかにも診察してもらう必要があるのかもしれない。そのへんのことも神経科でちゃんと話しているのかなあ。「最近は病院のほうはどう?」と聞いても「カウンセリングの兄ちゃんとは見た映画の話しかしてないよ」としか答えないんだけれども。

 寒波到来、朝から雪。
 今年は暖冬だと思っていたので、忘れたころにやって来た、という感じ。こないだ降ったのが大晦日で、あれが福岡では初雪だった。
 明日は全国的に大雪になるという予報だったので、職場でも予定していたスケジュールをいろいろ調整するための会議やら何やらが重なって大忙し。私の場合、明日は精密検査で仕事を休むので仕事を前倒しして片付けていたのが幸いした。まだ案件はいろいろあるのだが、できるだけストレスを溜めないようにしたいものである。


 DVD『きまぐれロボット The Capricious Robot』。
 ネット配信のみだったスタジオ4℃製作の短編アニメーションがようやくDVD化。我々の世代にとっては「星新一」の名前は超ビッグネームであって、若い人たちが「それ誰?」なんて言ったりするのを聞くと、そいつの脳天かちわって味噌と醤油ぶっこんでかき混ぜて野良犬に食らわしてやりたくなるほどの怒りを覚えてしまうのだが、SFが浸透と拡散の末にマイナーになっちまった現代ではこれも文句付けたってどうにもならない現実なのである。
 だから、『コミック☆星新一午後の恐竜』『同・空への門』など、星新一のショート・ショートが新世紀のマンガ家たちの新解釈によって再話されていることは基本的には嬉しいことなのだが、同時に「この程度の試みで星新一が若い世代に浸透することはありえないよなあ」と悲観的な思いもどうしてもしてしまう。更に言えば1作1作の完成度の格差があるのも問題なのだ。それはこの『きまぐれロボット』の映像化についても言えることだ。
 今回アニメ化されたのは次の10作。
 1、『きまぐれロボット』(監督:芦野芳晴)
 2、『夜の事件』(監督:清水保行)
 3、『3つの願い』(監督:浦谷千恵)
 4、『ねぼけロボット』(監督:久保まさひこ)
 5、『文明の使者』(監督:千葉ゆみ)
 6、『謎のロボット』(監督:青木康浩)
 7、『スパイキャッチャー』(監督:青木康浩)
 8、『火の用心』(監督:清水保行)
 9、『襲来の目的』(監督:青木康浩)
 10、『薬』(監督:伊藤伸高)
 「初心者向け」すぎる作品のセレクト自体に問題がないかどうか、ということもあるのだが、作画技術がすばらしいのに、「これはおもしろい」と賞賛できるエピソードが少ない。というか、一本一本を見ていくうちに、そもそも「星新一は映像化には向かないのではないか」という疑問が心中沸々とわいてくるのである。
 星新一の本質を一言で表現するならそれは『未来いそっぷ』である。未来を想定した寓話であって、だからこそ舞台や登場人物は無国籍、N氏やF氏の姿や年齢は読者の想像に任される。それはイソップが登場人物の殆どを“無国籍”な動物に仮託して人生の真実を語らせた手法と同じである。どんな物語も小説も、時代、風俗、文化などの変化によって古び、その価値が変容することから逃れられはしないが、そこに少しでも普遍的な真実を与えようとするならば、主人公はやはり“象徴”としての無名氏でなければならない。すなわち、彼らに具体的な「姿」を与えること自体、それは星新一作品を否定することになるのだ。
 実際、狂言回しの博士のキャラデザインを見て、「なんじゃこりゃあ?!」と思ったファンは多いのではないか。寸詰まりのエーリッヒ・フォン・シュトロハイム(『マジンガーZ』でドナウα1を製造した科学者)みたいな姿はどう見てもマッド・サイエンティスト。しかし、星新一の想像した科学者は全部が全部、マッドな存在だったかどうか? 科学者は全てマッドな存在となりえる危険があるという寓意はあったとしても、それをデザインで予め提示してしまうのは解釈が根本的に間違っているのではないか。更に言えば「ずーっといいのよーん」なんてギャグにもならない陳腐な言い回しのセリフを喋らせるのは星新一に対する冒涜ですらあるのではないか。
 アニメーションとしては傑作だが、星新一としては駄作。アニメ『きまぐれロボット』はそんな印象である。もっともガイナックスの『小松左京アニメ劇場』みたいな超駄作に比べたらはるかにいい出来ではあるんだけどねえ(いしかわじゅんのキャラデザって段階でどうしようもなかったんだが、誰も止めるやつはいなかったのか)。
 いや、映像化自体に無理があるのなら、いっそのこと、星作品1000作を全編アニメ化してくれないか。それで、日曜の朝とか夕方5時台の帯番組とか、ともかく再放送を何十年も繰り返すのだ。そんなふうに『まんが日本昔ばなし』なみの作品数で「質より量」の展開を図るなら、たとえイメージと違う話があっても星新一作品の宣伝にはなると思う。SFの普及を本気で考えるなら、今時はそれくらいやらないと効果はないのである。


 マンカ家の中尊寺ゆつこさんが、31日朝、S字結腸がんで死去。享年42。
 オタク的なマンガは一切描かなかったので、私もそんなに注目していたわけではなかったが、それでもウチには『お嬢だん』の単行本がある。「風俗」(エッチな意味ではないよ)を描くことはそれこそ『北斎漫画』以来と言ってもいいマンガが持つ使命の一つである。「オヤジギャル」は名前を与えられた90年代こそ、ある意味特権的で目立つ存在として時代を象徴するオピニオンリーダーたりえた面もあった。しかし、現代女性にとっては、「女性のオヤジ性」なんてものは誰もが持っている一面に過ぎず、珍しくもなんともない。今やオヤジでない女性を探し出す方が困難である。その点で、いしいひさいちのような批評性を持たない「描写」のみで作られている中尊寺さんのヒット作のほとんどは、今や読むに堪えないものになってしまっている。しかし、「風俗」が時代とともに古び、忘れ去られていくものだからこそ、それを描きとめていく必然性がマンガにあることも事実なのだ。
 女性の手による「風俗」マンガの描き手は中尊寺さん以降、やたら増えたし、一概に「風俗マンガ家」という括りでは語れないくらいにバラエティに富むようになっている。倉田真由美やさかもと未明は作品内容からは中尊寺さんの系列にないように見えるが、実際は中尊寺さんが敷いたレールの流れにある。つまり、「美人マンガ家」が自ら顔出しして傍若無人な「オヤジ的」活動をし、それを作品とリンクさせて売っていくという路線である。倉田さんが初期はまさに「そういうマンガ」を描いていたことを想起すれば、このことは容易にご首肯いただけよう。さらに視野を広げれば、西原理恵子や太田垣晴子、小栗左多里だってこの系列に並べることができなくもない。これらの女性作家のみなさん、「オシトヤカ」な旧弊な女性のイメージと比較すると充分オヤジなのである(誉めてます)。
 そんな時代の流れの中で、中尊寺さんの個性は次第に埋もれていき、忘れられていった。近年は政治経済や海外情報のマンガにまで幅を広げていたということだが、つまりは風俗マンガ家としては食っていけなくなっていたということだ。そのことを一番実感していたのは中尊寺さん自身であったろう。
 地道な活動でそこそこ人気を保っていくことはできたと思うが、たとえ努力を積み重ねても、かつてほどの大ヒットを飛ばすことはまず無理だったと思う。だから「若過ぎる死」とか「これからだったのに」なんて押し着せの言葉で故人を追悼することは、“それだけで中尊氏さんの活動を総括し、忘れ去らせてしまう”ことになり、かえって無礼ではないかと思う。中尊寺さんが単に流行語を生んだだけの人ではなかったことをきちんと検証して書き残してくれるマンガ評論家はいないものだろうか。それを切に願う。

2004年01月31日(土) このくらいの文章ならたいして時間はかからんのだが。
2003年01月31日(金) 嗚呼、アニメ三昧の日々が……/『名探偵コナン特別編』17巻(阿部ゆたか・丸伝次郎)/『できるかな』(西原理恵子)
2002年01月31日(木) 血管をタテに切る女/アニメ『七人のナナ』第4話/『ガウガウわー太』2巻(梅川和実)ほか
2001年01月31日(水) そうか、最近匂いに敏感になったのはそのせいか/『鉄甲軍団』(横山光輝)



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