無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年01月13日(木) 壊れゆく女/アニメ『ああっ女神さまっ』第1話ほか

 仕事から帰宅してひと寝入り、2時、3時に起きてアニメ見るという習慣ができつつあるな。毎日続けてたら確実に体調壊しそうだけれども。
 夕べ(つか早朝)は、キッズステーションで『仙界伝 封神演義』第2回、TBSチャンネルで『ああっ女神さまっ』第1話を見る。『封神』は原作もそうだったけど、キャラクターがやたら饒舌なのが気になる。一応は歴史モノだから仕方がないと言えばそうなんだれど、説明的なセリフばかりで、ドラマが今イチ盛り上がらない。主要キャラクターがまだ本格的に絡んでないせいもあるだろうけれど。
 『女神さま』、スタッフ、キャストとも、かつてのOVAシリーズと同一であるにも関わらず、殆ど「仕切り直し」といっていいくらいにグレードアップされているので驚いた。前のシリーズもかなりハイクオリティなアニメーションだったけれど、キャラクターデザインを現在の藤島庸介の絵柄に合わせて全面的にリライトし、恐らくは作画枚数もかなりかけている(まあ、1話から手を抜くわけにも行くまいが)。
 森里蛍一の日常を1話かけてじっくりと描き、その人間性を視聴者に印象付けさせることで「なぜ女神たちが彼のもとに集ったのか」、その理由を納得させようとする演出は、なかなかに成功している。なんたって蛍一とベルダンディーが出会うところでようやく1話が終わるのだ。「ただの“萌え”アニメなんか作りたくない」というスタッフの気概が伝わってくるようだ。
 思うに、原作の『女神さま』は、当初キャラクターたちの細かい設定は殆ど考えられてなかったのだと思われる。はっきり言っちゃえば、本当に「優しい女神様が側にいてくれたら」という男の妄想を満たすだけのマンガだったのだ。それが、連載が長期化し、アニメ化され、また同様の後追いマンガが増えるに連れて、「元祖」として他作品との差別化を図らなければならなくなった。身もフタもない言い方をすれば、「もう少し中身を何とかしようよ」ということである。おかげで劇場版などは「真実の愛とは何か」ってな命題をドーンと出してしまい、もちろん観客の納得できるような結末を用意できるわけもなく、かえって薄っぺらな作品にしてしまっていた。
 今回のテレビシリーズは、言ってみれば「敗者復活戦」である。思わせぶりなナレーションを鼻につくと感じる人もいるだろうが、今後シリアスとギャグのバランスがうまく取れればまあ面白いものになっていくのではないか。


 朝方、しげは「具合が悪い」と言って、職場まで送ってくれなかった。
 昨日はゆっくり寝たはずだから、何をそう具合が悪いのか、聞いてみたら、「2錠飲めばいい精神安定剤を10錠飲んだら気分が悪くなった」と言う。
 「なんでそんなバカなことしたんだよ!」
 「だって気分が落ちつかないんだもん。それくらい飲めば効くかと思って」
 「処方を守らなきゃ薬は効かないって常識だろうが!」
 ……と怒ったところで、飲んでしまったものはもう手遅れだ。しげもマトモな精神状態のときだったらそんなバカなマネはしなかっただろうが、マトモな精神状態ではないからやっちまったのである。睡眠薬を飲み過ぎなかっただけマシだったかもしれないが、こんなことがしょっちゅう続いたりしたらこっちの身が持たない。どうすりゃいいんだか。

 しげは、夕方になってまだ終業時間にもならない時点で「迎えに行ってもいい?」とメールを送って来た。半日経ってもまだ情緒不安定な状態が続いているらしい。
 車に乗り込んで、「晩飯はどうする?」と聞いたら、しげ、「作ったよ」と言う。
「晩飯を?」
「いいや?」
「今『作った』って言ったじゃないか!」
「うん」
「だから、お前が食事を作ったんだろ?」
「いいや?」
「どっちなんだよ!」
なんだか支離滅裂で訳が分からなかったが、よくよく問い質してみると「食事を作りはしたが、私の作る料理でイヤではなかったか?」と言いたいのであった。「いいや?」は「NO」ではなくて「嫌」だったのだな。……も少しイントネーションをハッキリさせてくれ。
 それにしてもあれほど家事を嫌っていたしげがいったいどうした風の吹きまわしかと訳を聞いてみると、「仕事辞めていい?」と切り出してきた。
 正月からこっち、しげはかなり精神的に追いつめられていて、一時は自殺すら考えたほどであった。もちろんイカレたアタマで考える自殺であるから、「風呂場にギロチン台を設置しよう」なんてシュールなものである。自殺の動機だって、これといったきっかけがあったわけではなく、ただ「ぼんやりとした不安」があるばかりである。ここのところ、仕事に出るのが苦痛で仕方がないと言っていた。
 確かに朝夕の私の送り迎えに病院通い、それに仕事もとなると、からだが持たないというのも分かりはする。「家事はちゃんとするから」と言うので、「それなら無理して続けなくてもいいよ」と言う。ただそうなるとしげが自分で働いて払う予定だった車のローン、残りは全部私が支払うことになるわけである。ちょっと小遣いを減らさなきゃならなくなるのは痛い。まあ、DVD買うのを2、3枚控えればそれで充分なんだけど。


 テレビドラマ『富豪刑事』第1回「富豪刑事の囮」。
 原作はSF作家筒井康隆の、傑作と評判のミステリー。考えて見たらこれだけ「絵」になる小説が今まで映像化されてこなかったのもフシギだが、やっぱり「予算がかかる」と思われて敬遠されてきたのかな? かといって今回の映像化もそんなに金かけてるようには見えないけど。
 その記念すべき第1回の放送は、原作の第1話をベースに、五億円強奪事件の犯人を探すために「犯人が大金を使わざるを得なくなるような工作をする 富豪刑事」という展開。ストーリー自体はまあまあ原作に忠実に作っている(容疑者が原作の4人から2人に減らされてるけど)のだけれど、肝心なところで失敗しているのが残念。
 主人公「神戸大助(かんべ・だいすけ)」をドラマでは女性に変更、「神戸美和子(みわこ)」としたまでは面白いアレンジだと思ったが、いかんせん、演じるのが深田恭子では大富豪の雰囲気など出ようはずもない。富豪の「おっとリ」と天然の「ばか」とはムードがまるで違う。時効のことをうっかり忘れてしまい、「あと三日で解決できるのか?!」と怒鳴られて「さあ?」と困ったように首を傾げるのではただのバカである。ここは「根拠のない自信」くらいは持って「大丈夫ですわよ、おほほほほ!」くらいの態度を取ってほしかった。パーティを開くアイデアも自分で捻り出さなくてはねえ。あまつさえ真犯人に殺されかけるんだから、どこがいったい名探偵なのやら。ヒロインは危難に会わなければならない、なんて陳腐なことを考えたんだったら、『富豪刑事』を原作に選ぶなって。

 『富豪刑事』を録画している最中に、突然DVDプレーヤーがストップ。リモコンをいくら操作しても、DVDが中から出なくなってしまった。
 おかげで『H2』の第1回も録画するつもりが見逃す。つかこれ、修理に出したらどれくらい時間がかかるんだ。その間見逃す映画やアニメが何本になるか。こういう時のためにもう一台DVDレコーダーを買っておくべきかとも思うのだが、もう次に買うなら次世代DVDの趨勢が決まってからって気もするし、これもまた悩みどころなのである。

2003年01月13日(月) またまた風邪悪化/『別冊宝島Real まれに見るバカ女』/『宇宙をぼくの手の上に』(山本弘)ほか
2002年01月13日(日) カメラ小僧にご用心/DVD『エコエコアザラク』/『ななか6/17』5巻(八神健)ほか
2001年01月13日(土) 正月の半ばに/『天才伝説 横山やすし』(小林信彦)



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