無責任賛歌
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2004年09月25日(土) |
だから鬱になってるヨユーなんてないんだって/『鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』 |
いよいよ仕事が立て込んできて、なんかまだ病み上がり感覚の身にはいささかキツイ。 取りまとめなきゃならない仕事が二つ三つ重なってるので、あちこちの関係者に進行をせっつかないといけないのだが、思った通り、だいたいみんな仕事してくれてない。そのことは見越して、当然スケジュールに余裕は持たしてるのだが、各所に頼んだ仕事、ちゃんとシメキリ通りに仕上げてくれた人が一人しかいないというのは、ちょっとみんな仕事サボリすぎじゃねえのか。これじゃあトンガリさんから「あんたたちだって仕事してないでしょ!」と逆ギレされるのもムリはないのである。もちろん、トンガリさんも、頼んだ仕事、見事にぶっちこいてくれてましたとも。
でも今日はトンガリさんのことで腹を立てる段ではなかった。 またまたまたしげが鬱に入り、ひと騒動やらかしてくれてたのである。 朝方は「迎えに行くから電話よこしてね」と言っていたしげ、帰りになって連絡を入れても、どうやら携帯の電源自体切っているらしく、「お留守番サービス」にしか繋がらない。 仕方なく帰宅してみると、今日は仕事のはずなのに準備もせずに寝こいている。 「仕事は? 昨日もおとといも休んでるから、今日は行くんじゃなかったのか?」 「行かん」 「どうして」 「……」 具合が悪い時にはしげはちゃんとその旨はっきり言う。黙っているということは、ただのサボリだということだ。 「なんで理由が言えないんだよ」 しばらく押し問答をしていたら、ようやくか細い声で「理由はない」と答えた。 「……もう、仕事したくないのか? 店、やめるのか?」 「……」 「仕事せんと、芝居もできんやろうが。どうするとや?」 「……」 「仕事ちゃんと行ってこい。今からなら間に合うやろ」 「もう『行かん』って言ったもん」 「だから、それを『行きます』ってもう一度連絡しろってんだよ。まだ間に合おうが」 「……」 「芝居もする気ないとや?」 「……」 「自分のしたいことも言えんのか。だったら公演なんかできんめえもん。仕事行かんのなら、みんなに公演は中止するってメール送るぞ。それでもいいとや?」 「……」 これはもうどうしようもない、と、しげの目の前で次のようなメールを劇団の主だったメンバーに送った。
> 女房がやる気なくしたんで、今度の公演は中止します。突然ですがすみません。連絡も取らないで下さい。
実際に本気で公演を中止するつもりだったのかどうか、と疑問に思われる方もいらっしゃるだろうが、9割9分本気だった。私の目から見ればしげは全くと言っていいほど芝居に本気で取り組んではいない。今まで何度もしげに芝居のキャストだのスタッフだのに引きずりこまれながら、私が途中で抜けることが多かったのは、「お前がヒステリーを起こすようなら芝居には協力しない」という約束を一度もしげが守れなかったからである。「起きるものは仕方がない」などという言い草はモノ作りには通らない。医者が手術の失敗を「調子が悪かった」で済まされるものではないのと同じだ。 何でもそうだが、「本気でやりたい」と思うのなら、誰でもそのための下準備はする。それは単に先立つものが必要、とかそういう物理的なことだけでなく、自分の心構えの問題でもある。生活を切り崩してまで芝居に打ちこむ覚悟があるなら、それはそれで構わない。しかし結局は私に甘えることでしか芝居がやれない、というのなら、そりゃ根本的に生き方自体、間違えている。自分で自分の生活立てた上で芝居やるんじゃなきゃ、何の意味があるか。なんだかんだでしげは既に私に7万円、返せるアテもない借金を作っているのだ。練習に出ても演技プランをマジメに考えてる様子もない。これでは私もこれ以上は協力のしようがないのである。被害が大きくなる前にやめさせるのも仕方がないと、考えていた矢先だった。 ただし、「連絡を取らないで下さい」と書いたのは、残りの1分、しげが改心する可能性をそれだけは残しておいたからである。これは「少し時間をくれ」というPPのみんなへの「腹芸」だったのであるが、それに気が付かずにすぐさま「どういうこと?」とメールを送ってきたのが若干名いた(^_^;)。全く、行間を読むことができないヤツラである。 メールの返事はほったらかしといて、しげに詰め寄る。 「仕事もやめるなら、挨拶に行こう。一人で行けないなら、オレも付いてって、一緒に頭を下げてやる。ウソついて仕事休んでばかりですみませんって謝ってやる。劇団のみんなにもちゃんと謝ってまわれ。それくらいのケジメは付けれるな?」 「……」 「返事せんか。もうみんなにはメール送ったんだから、これからどうするかは決定したろうが。いったん『行けない』って連絡入れたら、もうあと戻りはできないんだろ?」 「……」 ……まあ、このくらいの「ほのめかし」ではしげは私が何が言いたいかはわからない。 「さっき、仕事に行けって言ったとき、『もう、一度“行けない”って言っちゃったから、訂正はできない』って思ったんだろ?」 「……」 『黙っとったってわからんやろうが。なんで自分の意志なのにはっきり言えんとや。結局、おまえは何がしたいとや?』 「……」 「したいことはないんか」 「……芝居がしたい」 「聞こえん」 「芝居がしたい」 まだ全然か細い声だったが、泣いてはいなかった。 「仕事はどうするとや」 「行く」 「なら、店に電話してこい」 しげが電話している間に、私は劇団のみんなに「お詫び」のメールを送った。
> 先ほどは、突然の内容のメールでご心配をおかけしまして申し訳ありません。 > 実は、女房がまた鬱になってしまい、仕事もここんとこずっとサボリ、今日も病気だとうそついて休もうとする、当然、収入がないからパピオの使用料も払っておらず、私からも既に七万円借りたままで返す当てもない、いったいこれからどうするつもりなのか、問いただしてみても返事もしない、もうどうしようもない状態になったので、これはとても芝居がやれる状態じゃないと思って、PPのメンバー全員に先ほどのメールをお送りしたのです。 > メールを送っている間、情けないことに女房は私を止めようともしませんでした。 > そのあと、「言いたいことも言えんで芝居やろうなんてふざけたこと言うな!」と言ったら、ようやく「芝居やりたい。仕事も行く」と言い出しました。 > みなさんご存知の通り、女房は心の病気で意志薄弱です。優しくものを言っただけでは、自分で決断せずにすぐに逃げようとします。一旦は追い詰めないと、ちゃんと返事させることもできなかったのだとお察し下さい。 > 予定通り公演は行いますし、明日の練習もありますが、女房はこういう感じでいつまた鬱になって逃げようとするかわかりません。キャスト変更も含めて、どうしたらいいか、みんなで相談した方がいいと思います。明日はそういう話もしたいと思いますので、お見えになれない方もご意見をお寄せ頂けると有り難いです。
正直、しげのキャストだけは変えてしまいたいのだが、ほかにやる気のあるやつがいないのである。と言うかよ、やる気ないヤツが揃ってるのに、劇団維持する意味なんてないってホントに思うんだけどねえ。しげが「今度の公演で引退する」って宣言したあとも、「じゃあ自分が引き継いで」って言い出したやつは現れなかったし。 私は芝居が好きだ。好きなのだが、だからこそ本気で芝居が好きでもないやつと組んで公演を売ってく気なんて、サラサラない。今度の芝居を最後に解散してしまっても構わないと思っているのである。
『TVアニメ 鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』。 原作ファンの方には申し訳ないが、私は原作よりアニメ版のほうが面白いと思ってる派である。もちろんメディアが違うので単純比較はできないし、優劣を競うのも無意味だ。「面白い」ってのはただの「感想」なんで気にしないように。ただ、そこには当然理由があって、それはこのシナリオ集の水島精二監督の脚注を見ればよく分かる。私が「ここのセリフはうまく原作をシェイプアップしてるな」って思ったとこ、脚本家の會川昇さんの功績かと思ってたら、殆ど水島さんの改訂だった。原作の量が少ない分、構成に手を入れてはいるものの、元の會川さんの脚本はかなり原作に忠実なのである。 映像にする場合、「語りすぎ」「描きすぎ」は禁物なんで、原作にあった「いいセリフ」「いい絵」ってのは必ずしも全部は使えない。ましてや、少ない原作を補完するために多数の設定の付け加え、改変を行わざるをえなかったので、やむをえずカットしたってとこもあると思う。逆にそこをカットできないと、作品はふやけたものにしかならない。原作に人気があってもアニメはコケてって例は多いけど、これはやっぱマンガのアニメ化としてはかなり理想形に近い演出で作られてるのは間違いないのである。井上敏樹の脚本の回だけはふやけてるけど(^o^)。
横山光輝原作・長谷川裕一漫画『鉄人28号 皇帝の紋章』2巻。 新アニメシリーズの辛気臭さ、無意味な勿体つけ、青臭くて鼻につくメッセージ性に比べると、長谷川さんの「まんが」っぷりには感動すら覚えてしまう。正太郎、ちゃんと「探偵」してるしさ(アニメ版の正太郎は慨嘆するばかりで冷静さがない)。「なぜオックスは飛べないのか?」なんてセリフ、ゾクゾクするよ。ロボットバトルロイヤルも次巻はいよいよ大詰めになりそうな予感。鉄人・オックスのタッグ対ギャロンか? これは燃えるぜ!
和田慎二『スケバン刑事』(完全版)2巻。 描き降ろしカバー、海槌麗巳が随分優しい表情になってるけど、これって『if』を書いた「後遺症」かな?(^_^;) サキも今描くとかなり「カワイイ系」に近くなってる。連載当時ですら古臭い絵で、説明的なセリフは多いし、キャラの底は浅い、正直つまんないマンガだったんで、少女マンガ誌じゃなきゃ目立ちもしなかったろう。それでも今巻の『無法の街』とかは好きなエピソードだったな。町ぐるみ排他的ってとこは、実際あるしね。
島本和彦原作、『逆境ナイン』の実写映画化が進行中である。 原作者の島本さんのHP『島本和彦外伝』の本日の日記で、その撮影現場の様子が“熱く”レポートされているのだが、ちょっとサビシイ気分になってしまったのは、「原作のマンガが現在手に入らないのが申し訳ないが」とか、「エキストラの女の子の99.999%は原作マンガなんて知らないんだろうなあ(笑)」なんて自嘲的に書かれているあたり。 ごく一部の島本和彦ファンが撮影現場にも来ていて、島本さんに気付いてサインを求めてきたのだが、そのあと「あれは誰?」とばかりに「島本和彦なんて知らない人」までもが我も我もと押し寄せて、「団扇だとかTシャツとか帽子とか携帯の電池入れ(を外した裏)だとか紙コップを開いたもの」にサインを求めたのだという。これにまた島本さんが腹を立てもせず、いちいち全部サインしてあげてたというのだから、もう泣けてくるじゃないか。島本さん、「あの場所ではアレが楽しかったからやったのだ。漫画家はそれくらいしか感謝の気持を表せないからなあ」なんて書かれてるけど、別にエラぶった人でなくたって、これは断っても当然のことだ。感謝って、自分のファンでもない人たちになんで感謝の印を見せるんだよ。いい人過ぎるよ島本さん(+_;)。紙コップに描いてもらったサインなんて、そいつ、ウチに持って帰ったら捨てちゃうに決まってるじゃないか。 なんかすごくアタリマエなことを書くのは気が引けるのだが、サインって、憧れの人のものをほしがるものじゃないのか? たとえ有名人であっても、別にファンでもなんでもない人のサインをもらって嬉しいのか? シティボーイズのギャグで「海老名みどりをおっかけてどうする」ってのがあったけど、「有名人ならそれでいい」っていう態度、例えば「宅間守のサインが欲しい」ってのと同レベルで「島本和彦のサインが欲しい」と言ってるのに等しいんだぞ(ここで「宅間守のサインなら欲しいよ」とか突っ込む人、アンタは帰れ)。 昨年だったか、私は天神で、歌手の白井貴子のサイン会に偶然出くわしたことがあった。実は私は、学生のころ、彼女のコンサートに一回だけ行ったことがある程度のファンではあった(^.^)。すんごい小さい方なのだけれども、いつでも可憐でパワフルで、今でも好きなことは好きなのだ。けれども、最近はCDも買っていないので、これで「ファンでござい」とサインの行列に並ぶのはあまりにも失礼だと思った。たとえあちらにファンかそうでないか気が付かれないとしても、サイン欲しさに「フリ」をするような下劣なまねはしたくない。別にカッコつけでも何でもなく、自然にそう思うのだ。結局私は、白井さんのトークをちょっと聞いただけでその場を離れた。 『逆境ナイン』のコミックス、とうに絶版になっている(つか、キャプテンコミックス自体が全部入手不可能になっている)。マンガがアニメ化されたことだって殆どない(『炎の転校生』がオリジナル・レーザーディスク・アニメになったくらいだが、レーザーディスクがまだ普及してないころで、これがもののみごとに売れなかった。製作したガイナックスは大馬鹿である)。一般に島本さんを知らない人がいるのもムリはない。 けれど、一般人は知らないかもしれないけれど、もしも誰か評論家が本気で「現代マンガ史」を編もうとしたら、島本さんは絶対に外せない人なんだぞ(と思うんだけどなあ)。パロディでコメディを描くマンガ家さんはそれまでにもたくさんいたが、“パロディでストーリーマンガを描く”なんてスタイルを発明していきなり確立しちゃったのは、島本さんが殆ど初めてなのである。“エポック・メーキング”な人なのだ、島本さんは。それなのにご本人自身が謙遜するように「知られてない」みたいなことを仰るなんて……嗚呼(TロT)。 だから逆に、この映画がきっかけになって、コミックスの復刊とか、そういうことがあったらなあと思うのである。もっと知られよ島本和彦。羽住英一郎監督、もしかしたら“それを狙って”『逆境ナイン』を映画化しようと企んだのではなかろうか。ともかく原作に惚れこんでいなければ、数ある島本マンガでもよりによってコレを「映画にしよう」なんて発想は、絶対にありえない。なんつーかね、野球マンガのフリしてこれ、ぜんっぜん野球マンガじゃないんだから。 梶原一騎的“やればできる”精神主義を、本質的にはただのヘタレな連中にあえて語らせて「ズレ」を生じさせてギャグに落とす。「逆境に燃える」のは分かるけど、実力が伴わなきゃ、普通は絶対勝てないもんだ。つまり、こういう「勘違いな連中」が、ストーリー展開としてはケチョンケチョンにやられて終わり、というのが「これまでのギャグマンガ」の笑いどころだったわけだ。 ところがこのマンガではそれをムリヤリ「勝利」に持って行くという、ありえないことをやらかしてるんだね(^o^)。登場キャラクターたちはみんなその「勝利」に感動してるんだけど、読んでる方はただひたすら「唖然」である。 これは実は、ジャンプ的「友情・努力・勝利」の完全否定なんだね。当然この観念も梶原一騎の影響下にあるもので、彼らの勝利は「真の」友情の結果でもなければ、「真の」努力の成果でもない。どんなに「それらしい燃える言葉」が羅列されようと、彼らの勝利は「なぜか勝ってしまった」としか言いようがないものである。客観的にヒレツな行為ですら、登場人物たちの“誰一人として”ヒレツだと思わなければ(つか、「堂々と言い放って」言いくるめられれば)何となく許されてしまう。主人公の不屈闘志の「堂々としたヒレツ」なキャラクターに、ほかのキャラクターたちが全て巻き込まれて「洗脳」されていってしまい、結果的に「誰もがヒレツだけど立派に見えてしまう」という、トンデモない世界が現出してしまうのだ。散々非道なことやっといて、「それはそれ!! これはこれ!!」と堂々と言い張るようなもんで(ちゃんと作中でそう言ってるのである)、基本的に詐欺と変わらんのだよなあ、このマンガ(^_^;)。 でも、だからこそ面白い。梶原一騎的熱血スポコン漫画だったら、こいつらは真っ先に「粛清」されてしまう軟弱キャラだ。だって、こいつら、基本的に精神主義ではあるけれども、カジワラ的な「修行」はしてないから。つか、カジワラの修行にだって実は意味なんてなかったのだが、その「無意味な修行」がなぜか結果を出してしまうという点をパロディにして最後までそれを押し通しているのである。彼らは「自分たちは軟弱ではない」と「根拠もなく」思いこむことによって、ただ勝利していく。結果的にそこでは友情も努力も、そして勝利の価値さえも無化されていく。島本マンガの本質は「燃える無意味」なのであり、「勘違い人生でどこが悪い。みんな勘違いして生きてんだ!」という堂々たる主張なのである。もっとも、キャラクターたちはみんなバカなので、自分たちの行動が客観的にどう見えるか全然自覚してないが。 ……まあ、ホントに「努力が大切」と信じてる人には嫌われるし、人気は出ないわな、こういうマンガ(^_^;)。でも、羽住英一郎監督は島本マンガの本質をちゃんと「分かってる」と思うのである。でなきゃ、サカキバラ・ゴウ役にココリコ田中を起用したりしませんて。まあたいていのマンガファンは藤岡弘、(「、」を忘れないでね)のイメージでサカキバラを見てるとは思うんだけど、藤岡さんに演じさせたら藤岡さん自身のセルフ・パロになっちゃうから、それはあまりに失礼というものなのである。藤岡さんはいつだって真剣にヒーローを体現すべく努力されているのだから、ファンを自認する者ならば、たとえそれが「藤岡弘、探検隊」であろうが決してツッコんじゃいけないのである。
2003年09月25日(木) 文化の分化/『浪花少年探偵団』(東野圭吾・沖本秀子)/『探偵学園Q』12巻(天樹征丸・さとうふみや) 2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか 2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき) 2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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