無責任賛歌
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早朝から「シネテリエ天神」で、今日から公開の映画『バレエ・カンパニー』を見る。 いつものようにせっかちなしげにせっつかれて時間より30分も早めに着いてしまったので、コンビニで焼き肉お握りとフライドチキンを一本買って、映画館の前の道端で、花壇の煉瓦の上に座って食べる。往来で何だかみっともないように思われるかもしれないが、場所が親不幸通りだから、大して違和感はない。夜になればもっと小汚い連中がところ狭しとジベタリングしている場所なのである。 「シネテリエ」も、名前とは裏腹に、ビルの地下に潜らないと行けない秘密クラブのような雰囲気のたたたずまいなのだが、上演開始を待って並んでいる客がなぜかみんなデブ。しげが「今日はデブの日?」とか言うが、じゃあオレたちはデブじゃないんか、と苦笑する。 ロバート・アルトマン監督と言っても『M★A★S★H』のころからの映画ファンもさほど多くはなかろうし、バレエ映画という内容を考えてみてもそうそうヒットする映画ではなかろうと思っていたが、初日の第1回目なので、ある程度はお客さんが入っている。座席数60席の小劇場で、40人ほどだけれど。 映画はもう、バレエ好きな人でなきゃ、ちょっと辛かろうな、と思うくらいに全編ひたすらバレエ、バレエ、バレエ、それのみで、『アラベスク』とか『テレプシコーラ』とかを期待して見に行くとそのドラマの余りのなさに困惑するのではないか、といった印象。もちろん、それがアルトマン監督の「ねらい」なので、考えてみたら『M★A★S★H』だって、設定はあるもののこれといった明確な「筋」はないのであった。そう考えると、幕間の楽屋裏を時折“ツナギ”として見せるだけで、ただひたすら舞台上のバレエの美しさを追ったこの映画、皮肉も諷刺も韜晦も何もないにも関わらず、やはりアルトマンらしい映画と言えるだろう。 いや、バレエシーンは眠くて仕方なかったんですが(^_^;)。でもしげはたっぷりバレエが見られてご満悦なのでした。 映画を見終わってロビーに出ると、そこにこないだ広島アニフェスで見た『ベルヴィル・ランデブー』のチラシが貼られてあって、驚く。思わず館員の人に「この映画、いつ来るんですか?」と聞いたが、「来るとは思うんですけど未定で」と言われてしまう。こういうのって、たいてい朝一とかレイトでってことになりかねないんだよなあ(T.T)。 東京にお住まいの方、このフランスアニメの傑作、来年の正月に新宿のテアトルタイムズスクエアでしかやらないので、ぜひお見逃しなく。 http://www.klockworx.com/belleville/
そのあと、父の店に寄って散髪。もう2ヶ月近く伸ばしっぱなしで、髪の薄いのはごまかせるとしても、さすがに襟足から鬢のあたり、もしゃもしゃした状態なのはかなりみっともなくて、これで御通夜に行けるものではない。 しげは夜仕事なので、昼間のうちに寝ておくように帰らせる。家にはもう飲み物がなかったので、帰り道、水だけ「レッドキャベツ」で汲んでおいてくれるように頼んでおいたのだが、実は頼んだ5秒後には忘れられていたのであった。あとで思うに、ここからケチはつき始めていたのである。
喪服に着替えて博多駅へ。 お通夜は夜からだが、時計はまだ昼を回ったばかりなので、かなり時間がある。紀伊國屋で立ち読みなどして、時間を潰す。 驚いたのは新刊コーナーの平積みに、例のイラクの人質三馬鹿の著書が、3種類揃って並んでいたことであった。あの目がイッちゃってた学生さんの本なんて二種類もあったが、立ち読みしてみたら、「結局ぼくはイラクに行って人質になって返って来ただけで、イラクの現状も何もわかりませんでした」というもの。だから「馬鹿」って言われてんのに、その「何もない」内容を記録にして本を出すのは馬鹿の二乗ではないのかな。「市民団体のみなさん、ありがとう」って謝辞を送ってるあたり、いくら「自分は政治活動家ではない」と言い訳したところで、信用されるものではないのである。 でもなあ、政府が「自己責任論」をぶち上げて自分たちの責任まで三馬鹿に押しつけようとしたおかげで、かえって同情票があの三馬鹿に集まっちゃったしな。こうして三者三様の本を出して儲けようって政治屋どもに口実を与えてしまったのは政策の大失敗だったと思うのである。……なんかね、あのムーミン女がね、解放された途端に日本の参事官に対して「どうして自衛隊は撤退しないんですか? イラクの人たちにとっては自衛隊は占領軍なんですよ! それがどうして分からないんですか!?」って食ってかかったって書いてあったけどね、その主張が「テロリストの主張と同じ」だということがどうして分からないんですかね?(~_~;) 2、3時間うろついて、買ったのは大場つぐみ・小畑健の『DEATH NOTE』3巻のみ。3巻あたりでどう展開させていくかが一つの山になると思ったけど、「第2のキラ」登場とは見事。『金田一少年』に始まるミステリマンガの流行の中で、唯一自前のミステリマンガを持ち得なかった「少年ジャンプ」がようやく生み出した作品がこれだけの傑作になるとは、全く「ジャンプ侮りがたし」だ。折り返しの原作者のコメント見ると、相当なミステリファンみたいだけれど、『金田一』や『コナン』のような「本格もの」に追従しないで、『ルパン対ホームズ』の現代的再生を図ったのが成功した理由の一つだろう。これからの展開、どうなるか予想もつかないのが楽しい(言っちゃなんだがもう『ワンピース』なんか「予想のつく」話の再生産で飽きているのである)。鍵はLがデスノートの存在にいかにして気付くかだけれど、そこに至るまで更にひと波瀾もふた波瀾もあってほしいね。ああ、くそ、単行本でまとめて読みたいものだから、雑誌は立ち読みしないようにしてたけど、どうにも先が知りたくて、またジャンプ立ち読みしたくなっちゃったぞ、困ったなあ。
夕方、北九州行きの電車に乗って、よしひとさんのお父さんのお通夜へ。 長居をすると自分の方が泣きたくなってしまうので、ご挨拶だけして帰る。また落ちついたら、お線香を上げに行こうと思う。
帰り道は、少し雨がぱらついていた。傘を持ってきてはいなかったので、少し濡れる。何となく寒気がして、喉が無性に乾いていた。 しげにお通夜が終わったことの報告と、水を汲んでくれたかどうかの確認の電話を入れたが、しげの返事は「あ、忘れた」。こういうヤツだとわかっちゃいるけど、平然と言われるとやっぱり腹が立つ。なんでこうまで馬鹿が治らんかな。治らんから馬鹿なんだろうけれど。 「なんか風邪引いたかどうかわからんけど、具合が悪いんよ。今からでも間に合うやろうから、仕事行く前に水だけでも汲んできといて」と頼むと、しげ「分かった」とヒトコトだけでブツッと電話を切る。こういう切り方をしたときは、返事とは裏腹で、たいてい面倒臭がって行く気がないのだ。 疲れて帰宅して、冷蔵庫を覗いてみたが、案の上、水は汲んできていない。頼まれたことを忘れたなら忘れたで、もう一度やり直そうととすればいいのに、ほんの少しの手間すら惜しむ悪癖、未だに治らないのである。 水は仕方なく水道水をそのまま飲んだ。そのあと、ともかく腹が減っていたので、ソバを作って食べた。 からだを休めようと風呂に入ろうとすると、湯船が血のように真っ赤である。いや、まさしく血の海で、昨日のしげの生理のあとだったのである。あれだけ「洗っとけよ!」と言っといたのに、やっぱり洗い流さずに放置していたのだ。あの糞しげはどこまで人を愚弄するか。気がついたら、涙が流れて止まらなくなっていた。 このままではとても風呂に入れないので、栓を抜くと、そこにしげの血塊がどろどろとぬたくっている。それを見た途端、吐き気を催して吐いた。自分の吐瀉物も一緒に洗い流して、湯桶を洗って新しくお湯を張ったが、その間ずっと吐き気が収まらない。こうして風呂をきれいにしても、明日になればまたしげは湯舟を真っ赤にして平気な顔でいるのである。それを考えると情けなくてやる瀬なくて、風呂から上がって寝床に入っても涙が止まらなかった。 こういう人間だと知った上で伴侶にしたのは他ならぬ私だから、自業自得ではあるのだが、人とは少しは成長するものだと期待はしていたのである。「反省する」と口だけでも言われれば、信じてあげたくはなるわな。そこにつけこんで実際には全く反省しないのだから、しげの性格、かなり腐っていのである。……その腐った性格、最近になるほどどんどん悪化してきているようなんだけど、時々私の目の前がブラックアウトしちゃうのは、単に目が悪くなってるだけなのか、絶望の帳がちらついてるのか、いったいどっちなんでしょ(T.T)。
2003年09月04日(木) また誤読する人はいるかもしれないが/『福岡口福案内 地元の美食家が自腹で調査』(口福倶楽部代表ヤマトモ) 2001年09月04日(火) 虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修) 2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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